ハーベスト・タイム『収穫の時』

毎月発行の月刊紙『収穫のとき』掲載の聖書のお話など。

わが町、わが人生

2004-11-18 | 中川健一のおはなし
◆11月号◆わが町、わが人生


 幼い頃の想い出は、いくつになっても忘れ難いものです。

 私は物心ついてから高校を卒業するまで、大阪市内で育ちました。そのせいか、今でも大阪弁のアクセントが抜けず、食べ物は薄味を好み、どんな試合でも東西対抗戦があれば西を応援するといった、根っからの「関西文化圏人」です。


自転車に乗って
 今年の九月末のことです。大阪市生野区にある大阪みぎわチャペルからメッセージ奉仕の依頼があり、喜んで出かけました。予定よりも数時間早く着き、教会の自転車をお借りして町の中を走り回りました。生野区は、私が小学校から高校までを過ごした町です(ご存知でない方のために言いますと、大阪の中でも一番下町に属する地域で、在日韓国人の多い町としても知られています)。

 実は、この日が来るのが非常に待ち遠しかったのです。大阪へは今も頻繁に行っていますが、自分が育った地域へはここ何十年も帰っていなかったからです。


国連事務総長アナン氏のこと
 話は飛びますが、コフィー・アナン氏をご存知でしょうか。アナン氏は、三十五年間にわたり国連の職員として働き、一九九七年からは事務総長として活躍している方です。彼に関しては、偏見の目ではなく客観的にものごとを見、判断することができる指導者であるとの評価が定着しています。そのアナン氏が、次のような体験談を語っています。

 アナン氏はガーナ出身ですが、十七歳の時に経験したある出来事が自分の生きる姿勢に大きな影響を与えたといいます。ある日校長が教室に入ってきて、大きな紙を生徒たちの前にかざしたそうです。その紙の中央には、小さな黒点が書かれていました。校長は生徒たちにこう質問しました。

 「さあ諸君、君たちには何が見えるか」

 全員が、「小さな黒点」と答えました。それを聞いて校長がこう諭しました。

 「全員が、小さな黒点を見ているのか。大きな白い紙と答えた者は一人もいないのか。そのような姿勢でこれからの人生を生きてはならない」

 
大きな白い紙
 私もまた、大きな白い紙ではなく、小さな黒点を見てしまうような者です。与えられている祝福よりも、問題に目が奪われる者です。そのような私ですが、育った町を自転車で走りながら、神さまは私の人生になんと素晴らしい「大きな白い紙」を与えてくださったのかと思わずにはおれませんでした。

 昔は広い道だと思っていた所が、びっくりするほど狭いので驚きました。また、家からは遠いと思っていた場所が、意外と近いのにも驚きました。生野区では四回も引越しをしています(両親がいかに苦労したかを考えると、今でも心に痛みを覚えます)。四ヵ所すべてを見て回りました。驚くべきことに、住んでいた家(長屋)が、多少の手直しはありましたが、すべてまだ健在でした。

 通っていた小学校、中学校、高校とすべて見て回りました。私は、小学校から高校まで、すべて徒歩で通える学校に行っていました。自転車で回ってみると、当時私が住んでいた世界は、自宅を中心におよそ半径約一キロ圏内にすっぽり収まることが分かりました。狭い世界に住みながら、そこが宇宙のように大きく感じられたのです。当時を思い出し、幼かった自分自身のことがいとおしくなりました。

 神さまは狭い世界しか知らなかった私を取り上げ、聖書の世界の広がりを知る者としてくださいました。そして、キリストの福音のメッセージを携えて「故郷伝道」に向かわせてくださいました。四十年前の私には、想像すらできなかった出来事です。

 
幸いな人生
小さな黒点を見ないで、大きな白い紙を見て生きている人は幸いです。今自分の半生を振り返ってみると、神さまが私の人生に「大きな白い紙」を用意してくださっていたことがよく分かります。小さな黒点もあるにはありますが、白い紙の大きさに比べれば、取るに足らないものです。

 聖書には、こういう素晴らしい言葉が書かれています。

 「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。ー主の御告げ。ーそれはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ」(エレミヤ書29・11)

 すべての人には、神から与えられた役割というものがあります。それを発見し、その役割を果たしながら生きている人は、本当に幸いな人です。いかがですか。あなたも教会の門を叩き、聖書を開き、その役割がなんであるかを発見なさいませんか。あなたのためにも、「将来と希望を与える神の計画」が必ず用意されています。