地下鉄谷町線「谷町四丁目」駅8番出口を出て、北西に歩きました。
山本能楽堂の前を通り、10分もかからず中大江公園に着きました。
これが、宇野 浩二文学碑です。
都会の中の静かな公園です。
宇野 浩二(1891年~1961年) 平成16年6月改訂 冊子「大阪市文学碑」より
宇野浩二(うのこうじ)(本名 宇野格次郎(うのかくじろう))は、
明治24年(1891年)福岡市南湊町(現福岡市中央区荒戸一丁目)に生まれ、昭和36年(1961年)9月21日死去した。
育英第一高等小学校(昭和12年廃校)を卒業し、天王寺中学校(現天王寺高等学校)を経て、早稲田大学英文科にすすんだ。
3歳で父を失い、4歳のとき大阪市東区糸屋町一丁目に移転し、のち南区宗右衛門町に住み、多感な青年期までを大阪で過ごした。
中学校時代より文学を志し、校友会誌『桃陰(とういん)』にたびたび投稿した。
大正2年、最初の小説「清二郎 夢見る子」を出版。大正8年、「蔵の中」「苦の世界」を発表し、作家としての地位を確立した。
以後、著作活動一筋に打ち込み、大正11年、「夢見る部屋」「山恋ひ」を、翌12年、「子を貸し屋」を発表し高い世評を得たのをはじめ、
「枯木のある風景」「器用貧乏(きようびんぼう)」「思ひ川」など多くの著作をのこし、「文学の鬼」といわれた。
その作風は、悲しみとユーモアに満ち、自在で他に類を見ない説話体の文章に、人間の真の姿を厳しく描き出している。
「夢と詩があって人生であり、詩と夢があっての文学である」という名言を残している。
作品の中には、「清二郎 夢見る子」「十軒路地(じゅっけんろうじ)」「大阪」など、ミナミの路地に住んだ頃などを回想し、
その人情や風俗を独特の文体で描写したものがある。
「清二郎 夢見る子」は、幼少時を過ごした大阪を題材としたロマンチックな散文詩風の小説集で、
大阪の市井(しせい)の中に永井荷風(ながいかふう)ばりの下町情緒を見つけだそうとした作品であるといわれている。
墓所は、東京都台東区松が谷一丁目の広大寺(こうだいじ)。
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