空(hanul 하늘)風(palam 바람)湖水(hosu 호수)……青空を吹きぬける風が、湖水にさざ波をたてる。

私たちの暮らしは、美しい自然と共生をとりたい物です。そんな日々の暮らしで、感じたことを綴ります。

高陽(고양)の昔と今をたずねて

2014-09-21 23:23:06 | 日記

高陽(고양)は、ソウルの北西に接した町です。

壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の3大大捷の一つだった「幸州大捷(ヘンジュテチョプ)」を成し遂げた

歴史場所の幸州山城(행주산성)をたずねました。

地図で見ていると、京義線(경의선)幸信(행신)駅です。

ソウルナビを見ると、幸信(행신)駅ではなく、陵谷(능곡)駅です。

ソウルナビの基本情報です。『京義線「ヌンゴク(陵谷/Neunggok K321/능곡)」駅から 

「ヌンゴク」駅を出てすぐ目の前にあるバス停「ヌンゴクヨッ(陵谷駅)」から、

9707番(配車間隔:約4~10分)または870番(配車間隔:約11~15分)に乗り、

バス停「ヘンジュサンソンイック(幸州山城入口)」で下車。下車後、徒歩約7分。 』

京義線(경의선)に乗ったことがありませんので、新村から陵谷を目指しました。

    

下に降ります。

    

広々としたホームです。

陵谷(능곡)駅発着のダイヤ。15分に1本ぐらいです。

    

立派な駅舎です。統一後、重要な幹線になります。870番のバスが来ました。

    

バス停は、四つめです。私は、バス停が聞こえたのですが、次と思って押しませんでした。

バスは、高速道にあがって10分以上走り続け、地下鉄2号線堂山(당산)に着きました。

ソウルナビの基本情報です。『地下鉄2号線「タンサン(堂山/Dangsan 237/913/당산)」

駅の8番出口を出て、後方に振り返り、少し行くとあるバス停「タンサンドン・サムソンレミアン

アパトゥ(堂山洞三星レミアンアパート)」から、870番(配車間隔:約11~15分)、

または1082番(配車間隔:約5~8分)、または9707番(配車間隔:4~25分)に乗り、

「ヘンジュサンソンイック(幸州山城入口)」で下車。 』


私は、9707番で戻りました。高速道の途中でバス停がひとつあります。

ここではなく二つめ、高速を降りてすぐが幸州山城入口です。

    

    

入って見ましょう。幸州山城案内図に沿って、歩きました。

まず「忠荘公・朝鮮軍の将軍、権慄(クォンユル)将軍」像です。

幸州大捷(ヘンジュテチョプ)時の官軍、僧兵、義兵、女性達の闘いの様子のレリーフがあります。

女性たちがエプロンに石を載せて運んでいる絵です。韓国でエプロンのことをヘンジュチマと

言うんですが、実はこの語源はこの戦いからきてるそうです。

    

忠荘祠です。

    

忠荘公です。“男児意気に感ず、功名誰かまた論ぜん”

「男は意気に感じて動くものだ。誰が功名などあれこれ論じようか。」

    

大捷記念館です。

    

    

見晴らしの良いところに来ました。

鎮江亭です。漢江が、木に隠れて見えませんでした。

    

徳様亭と幸州大捷碑(旧碑)です。

    

旧碑は、京畿道有形文化財第74号です。幸州大捷碑です。

    

この景色は、良かったですね。

幸州山城土城(土築の城壁)です。1kmほどあるそうで、当時から重要な軍事的要塞だったようです。

    

マウルバスの011.012は、地下鉄花井(화정)駅と幸州山城・幸州渡船場を結んでいますので、

幸州山城から渡船場(나루터)に行ってみたくなりました。

しかし市内に戻る方に間違って乗りました。

ナルトとはっきり言えば、そんな間違いをしなくて済んだと思ったのは、後の祭りです。


川に降りた時、地元の方に「昔の渡船場」をたずねました。

「私が、案内しましょう。」と言ってくださいました。

昔の渡船場(나루터)は写真右のあたりだそうです。

    

その時一緒に行った方が、日本人に興味を持っていただいたのか名刺を下さり、

次の私の目的地「地下鉄花井(화정)駅」まで車で送って下さいました。

新聞記者さんです。

私は車の中で、「高陽は大きな町ですね。」しか言うことが出来ませんでした。


花井(화정)駅から、3号線終点駅の大化(대화)まで行って、アジア大会の男子サッカーを見ました。


大化駅から、鼎鉢山(정발산)駅に戻りました。

ここに、高陽市民の憩いのオアシス 一山湖公園((일산호수공원)があります。

    

    

    

        

    

    

皆さんが、それぞれの時間を楽しんでいました。


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