高陽(고양)は、ソウルの北西に接した町です。
壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の3大大捷の一つだった「幸州大捷(ヘンジュテチョプ)」を成し遂げた
歴史場所の幸州山城(행주산성)をたずねました。
地図で見ていると、京義線(경의선)幸信(행신)駅です。
ソウルナビを見ると、幸信(행신)駅ではなく、陵谷(능곡)駅です。
ソウルナビの基本情報です。『京義線「ヌンゴク(陵谷/Neunggok K321/능곡)」駅から
「ヌンゴク」駅を出てすぐ目の前にあるバス停「ヌンゴクヨッ(陵谷駅)」から、
9707番(配車間隔:約4~10分)または870番(配車間隔:約11~15分)に乗り、
バス停「ヘンジュサンソンイック(幸州山城入口)」で下車。下車後、徒歩約7分。 』
京義線(경의선)に乗ったことがありませんので、新村から陵谷を目指しました。
下に降ります。
広々としたホームです。
陵谷(능곡)駅発着のダイヤ。15分に1本ぐらいです。
立派な駅舎です。統一後、重要な幹線になります。870番のバスが来ました。
バス停は、四つめです。私は、バス停が聞こえたのですが、次と思って押しませんでした。
バスは、高速道にあがって10分以上走り続け、地下鉄2号線堂山(당산)に着きました。
ソウルナビの基本情報です。『地下鉄2号線「タンサン(堂山/Dangsan 237/913/당산)」
駅の8番出口を出て、後方に振り返り、少し行くとあるバス停「タンサンドン・サムソンレミアン
アパトゥ(堂山洞三星レミアンアパート)」から、870番(配車間隔:約11~15分)、
または1082番(配車間隔:約5~8分)、または9707番(配車間隔:4~25分)に乗り、
「ヘンジュサンソンイック(幸州山城入口)」で下車。 』
私は、9707番で戻りました。高速道の途中でバス停がひとつあります。
ここではなく二つめ、高速を降りてすぐが幸州山城入口です。
入って見ましょう。幸州山城案内図に沿って、歩きました。
まず「忠荘公・朝鮮軍の将軍、権慄(クォンユル)将軍」像です。
幸州大捷(ヘンジュテチョプ)時の官軍、僧兵、義兵、女性達の闘いの様子のレリーフがあります。
女性たちがエプロンに石を載せて運んでいる絵です。韓国でエプロンのことをヘンジュチマと
言うんですが、実はこの語源はこの戦いからきてるそうです。
忠荘祠です。
忠荘公です。“男児意気に感ず、功名誰かまた論ぜん”
「男は意気に感じて動くものだ。誰が功名などあれこれ論じようか。」
大捷記念館です。
見晴らしの良いところに来ました。
鎮江亭です。漢江が、木に隠れて見えませんでした。
徳様亭と幸州大捷碑(旧碑)です。
旧碑は、京畿道有形文化財第74号です。幸州大捷碑です。
この景色は、良かったですね。
幸州山城土城(土築の城壁)です。1kmほどあるそうで、当時から重要な軍事的要塞だったようです。
マウルバスの011.012は、地下鉄花井(화정)駅と幸州山城・幸州渡船場を結んでいますので、
幸州山城から渡船場(나루터)に行ってみたくなりました。
しかし市内に戻る方に間違って乗りました。
ナルトとはっきり言えば、そんな間違いをしなくて済んだと思ったのは、後の祭りです。
川に降りた時、地元の方に「昔の渡船場」をたずねました。
「私が、案内しましょう。」と言ってくださいました。
昔の渡船場(나루터)は写真右のあたりだそうです。
その時一緒に行った方が、日本人に興味を持っていただいたのか名刺を下さり、
次の私の目的地「地下鉄花井(화정)駅」まで車で送って下さいました。
新聞記者さんです。
私は車の中で、「高陽は大きな町ですね。」しか言うことが出来ませんでした。
花井(화정)駅から、3号線終点駅の大化(대화)まで行って、アジア大会の男子サッカーを見ました。
大化駅から、鼎鉢山(정발산)駅に戻りました。
ここに、高陽市民の憩いのオアシス 一山湖公園((일산호수공원)があります。
皆さんが、それぞれの時間を楽しんでいました。
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