空(hanul 하늘)風(palam 바람)湖水(hosu 호수)……青空を吹きぬける風が、湖水にさざ波をたてる。

私たちの暮らしは、美しい自然と共生をとりたい物です。そんな日々の暮らしで、感じたことを綴ります。

大阪写真散歩18(三好 達治文学碑)+

2013-12-15 14:46:15 | 写真散歩

三好 達治文学碑は、大阪の中心地下鉄御堂筋線「淀屋橋」が、最寄りの駅です。

ここ淀屋橋には、伝統のある市立幼稚園もあります。

    

裏に回ると。緒方洪庵が主催した「適塾」があります。

    

北に行くと、「栴檀の木橋 せんだんのきばし」もあります。写真右、左の大きな建物が大阪市役所です。

    

三好 達治文学碑は、中之島公園の中にあります。向こうに見えるのは、大阪府立中央図書館です。

後ろの煉瓦色の建物が、大阪市立中央公会堂です。

 

 

三好達治(1900年~1964年)   平成16年6月改訂 冊子「大阪市文学碑」より

 

 三好達治(みよしたつじ)は、明治33年(1900年)、自叙伝では大阪市西区西横堀町(該当の町名はない)に、

戸籍では大阪市東区南久宝寺町一丁目(現中央区南久宝寺町一丁目)に生まれ、昭和39年(1964年)4月5日死去した。

 靱尋常小学校(昭和17年廃校)を卒業し、市岡中学校(現市岡高等学校)に入学。中学二年から陸軍幼年学校、

陸軍士官学校へとすすむが中退し、第三高等学校(現京都大学)を経て、東京帝国大学文学部仏文科にすすんだ。

  大正15年、梶井基次郎(かじい もとじろう)、中谷孝雄(なかたに たかお)らの同人誌『青空』や、

百田宗治(ももたそうじ)主宰の雑誌『椎(しい)の木』などに作品を発表して注目された。

 昭和3年大学卒業後、『詩と詩論』や『詩・現実』に加わり、同5年、最初の詩集「測量船」を刊行して、

文学的地歩を確定した。その後、昭和7年、「南窗集(なんそうしゅう)」を刊行、

同9年には、堀辰雄、丸山薫らと詩誌『四季』を創刊し、「花集(かんかしゅう)」「山果集(さんかしゅう)」などを刊行した。

 昭和14年に「艸千里(くさせんり)」を、同16年には「一点鐘(いってんしょう)」を出す頃から詩人としての名声が高まり、

「当代ならびなき詩人」と称された。

 他に、「駝駝の瘤にまたがって」「百たびののち」等の詩集があり、明治以降、作品が千篇を越えるという詩人は、

彼以外にはいないといわれている。

 その詩は、古典的な抒情をたたえながらも常に清新であり、「万葉にはじまる日本抒情詩の中に一つの近代を確立した」

といわれている。

 「乳母車(うばぐるま)」は、大正15年『青空』に発表された詩壇へのデビュー作であり、永遠の郷愁と母への

慕情のはてしなさをあらわしているといわれている。

 墓所は、大阪府高槻市上牧町(かんまきちょう)二丁目の本澄寺(ほんちょうじ)。


地図

中之島公園内、市役所と府立図書館の間の階段を降りて、左方向です。


盲腸で6週間入院していた母親が、ようやく退院しました。

つつがなく退院できて、ホッとしています。


コメントを投稿