帰宅すると、節子は笑顔で「お帰りなさい。遅かったはね」と言って、二人の顔を見て気持ちよく迎えてくれ風呂を用意しておいてくれた。 織田君が入浴中に脱衣場に浴衣も用意してくれ、理恵子も入浴後揃って浴衣姿で、皆で夕餉の食卓を囲んだ。
理恵子が巧みに話題をリードして雰囲気を盛り立て、健太郎が織田君の日焼けした顔を見ながら野球の話を興味深く聞いている様子を見ていて、彼が初対面の節子に緊張感を抱いていない素振りに安堵し、彼女も裏山での昼食の模様を節子に対し愉快そうに話して、賑やかな夕飯となった。
織田君は野球部の選手らしく、同級生に比べて身体も大きく食欲も旺盛だ。えり好みせずに美味しそうにもくもくと食べるその姿に、皆もつられて食が進んだ。
健太郎と節子は、理恵子が時折、箸を休めて彼の旺盛な食欲に見とれ、「織田君 よく噛んでたべてね」などと、いつもは節子に言われていることを、いかにも都合よく自分の言葉に置き換えて言いながらも、自分のマスの塩焼きをそっと織田君の皿に移し、お互いにニヤット笑いあう二人の姿が健康的で微笑ましく、そんな二人の様子を見ていて嬉しく思った。
織田君は、夏の高校野球の予選が近いので、高校生としての最後の試合になると理恵子に話すと、彼女は
「暑いさなか応援している、わたし達応援団の分まで頑張ってね!」「織田君が 打席に入ったときは、わたしもメガホンで大声をだして応援するからねぇ」
と、真剣な顔つきで答えると、彼はギョロットした目つきで
「よせよ。君の甲高い黄色い声は、ひときわ目立つのでやめてくれよ。また、仲間に冷やかされるので・・」
と、はにかんで答えると、負けず嫌いな理恵子は
「なに言ってるのよ。そんな弱気では、あまり期待できないわね~」
と言ったあと、今日の昼休みに自分の頼みごとが原因で、部の連中に冷やかされていた彼のことを思い出して、反省と同情の気持ちをこめて
「そんなら、わたし心の中で必ずヒットが出ることを祈っているわ~」
「トランペットを吹くのをやめ、君を見つめている、わたしのことを思いだしてね キットよ」
と、再度、念を押すと、彼は
「チッ! 今日はいやにからむな~」「打席で君のことを思い出しているようでは、必ず三球三振だろうな」
と、薄笑いを浮かべていた。
健太郎は、家の裏手に小川を利用して作ってある、冬場の消雪を兼ねた池から取り上げたマスをビニール袋に入れて、織田君にお土産として渡すと、彼は嬉しそうな笑顔を残して帰っていつた。
健太郎は、入浴後、昼間の部落の共同作業の川掃除で少し疲れたと言って早めに寝室に消えた。
昼間の暑さがうその様に、晩春の夕暮れは飯豊山脈から吹きおろす風で心地よい冷気が部屋に漂う。
今夜は、山の端に浮かぶ満月がとても綺麗に見えた。