旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

萩の城下町、旧久保田家住宅・菊屋家住宅・木戸孝充旧宅・青木周弼旧宅             

2016-07-15 19:06:37 | 山口
2016年7月10日、萩観光です。堀内地区から外堀を通り、東側の城下町に進みます。
旧久保田家住宅(萩市指定有形文化財)
『旧久保田家は、旧御成道(参勤交代の際、大名行列が往来したメインストリート)沿いに位置し、幕末から明治時代前期にかけて建築された町家です。久保田家は、初代庄七が江戸時代後期に近江から萩に移って呉服商を開き、2代目の庄次郎から酒造業に転じたと伝えられています。以来明治30年代まで造り酒屋「あらたま酒店」を営業していました。明治時代には、来萩した名士の宿所としてもしばしば利用されています。』
萩市呉服町1丁目31-5
map

























































菊屋家住宅(重要文化財)
「江戸中期の601-1700頃建築、萩藩御用の豪商の家。主屋はかなり改造されているが、全国でも最古に属する大型の町家としてきわめて貴重である。主屋は、桁行13.0m、梁間14.9m、切妻造、北面庇、東面庇及び突出部、南面庇附属、南面突出部 桁行6.7m、梁間7.1m、切妻造、桟瓦葺である。」





































城下町説明書

木戸孝充旧宅(国指定史跡)
「この旧宅は、木戸孝充(桂小五郎)の実父、和田昌景の家です。木戸孝充は天保4年(1833)この家に生まれ、8歳の時に近畿の桂家に養子にいって桂小五郎と名乗りましたが、生まれてから嘉永5年(1852)に江戸に出るまでの約20年間をこの家で過ごしています。その後、大正15年(1926)に子孫の木戸幸一氏より当時の萩町に寄贈されたもので、旧宅は桟瓦葺ニ階建です。木戸孝充が誕生した部屋や庭園など、当時の姿をよく残していたため、昭和7年(1932)に国の史跡として指定されました。」



















































青木周弼旧宅(国指定史跡)
「青木周弼は幕末当時、日本屈指の蘭学者でした。彼のもとには全国から学生が多く集まるようになったため家敷地を安政6年(1859)頃、現在の場所に移転しました。以前住んでいた背中合わせの土地には弟の研蔵が住み、学生たちが寄宿していました。この建物は、江戸屋横町に面した表門・仲間部屋、主屋と土蔵からなります。主屋は来客用の部分と内向き(日常生活の場)とに分かれています。玄関からまっすぐ繋がる南向きの8畳の座敷は来客用です。座敷の北側に6畳の間は、家の主人の内向きの座敷です。さらに北側には台所もあります。また、西側には便所がありますが元々は別棟だったと考えられています。仲間部屋は青木家の家来が住んでいたと考えられます。3畳と4畳半の2室があり、これに勝手が付いています。土蔵の床下からは約1200枚の1分銀が発見されました。」



























再び通りに





晋作広場

晋作像





田中義一誕生地の石碑




コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 萩の堀内地区、旧周布家長屋... | トップ | 萩、常念寺・野山獄跡と岩倉... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

山口」カテゴリの最新記事