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平野区・町ぐるみが博物館その2、長寶寺・全興寺

2018-12-30 18:08:52 | 大阪
2018年12月26日、平野区の町を散策しました。平野区・町ぐるみが博物館その1の続きです。大念仏寺から南へ進み、東に行きます。
懐かしいレトロな家があります。

永福寺













昔の町家、漆喰で虫籠窓、屋根瓦葺が少し反りがあります。平野町の推奨建物ですね。





光永寺、浄土真宗本願寺派の寺院です。









長寶寺
説明書より『当寺開基の慈心大姉は、坂上田村麻呂の娘で俗名を春子といい、もと桓武天皇の妃であった。延暦25年(806)桓武天皇崩御によって、春子は弘法大師に帰依して剃髪し、父坂上田村麻呂が大同年中(806~10)に創建した長寶寺の開基となったのである。縁起によると、当寺の本尊・十一面観音像は田村麻呂の守護神で春日作と伝わる。のちに後醍醐天皇が、吉野に皇居を移されるとき、当寺を仮の皇居とされ、「王舎山」の山号を賜った。また、元享年中(1321~24)笠置城落城のとき61人が討死し、その妻女たちが当寺にて出家したという。のちに広い堂宇も、元弘の乱、建武元和の兵火にあい、ことごとく焼失した。現在の本堂と庫裏は、天保年間(1830~44)第三十三代慈源大姉の代の再建という。大姉堂はもとは田村堂であった。明治維新の廃仏毀釈のさい、杭全神社の大師堂の弘法大師像と、田村堂の坂上廣野麻呂作という田村麻呂像を入れ替えたのである。』
大阪市平野区平野本町3-4-23
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手水舎

本堂







護摩堂

子安地蔵堂

密祖堂(大師堂)



鐘楼堂

銅鐘(重要文化財)
「建久3年(1192年)作」

稲荷社

本妙寺





町並み





案内図、赤い線が平野商店街通り

小林新聞舗店舗兼住宅(登録有形文化財)
「昭和4年(1929)建築、鉄筋コンクリート造2階建及び木造平屋建、瓦葺、建築面積142㎡。商店街のアーケードに北面して建つ。RC造2階建の店舗の背後に木造平屋建の住居が接続する。正面中央西寄りに店舗入口,東端に住居の通り土間への戸口を開き,小庇を付ける。正面は柱形で4分割し,2階に2つずつ配したアーチ形の窓枠が外観を特徴づける。」
新聞屋さん博物館

薬師堂全興寺
由緒書より「真言宗の寺院で野中山と号する。本尊は薬師如来で、聖徳太子の作と伝えられている。平野がまだ広茫たる野であったころ、ここに薬師堂が建てられ、ここから人が住みはじめ平野の町が次第に広がっていったといわれ旧町名の平野町堂町の起源となっている。やがて、坂上家の尊信するところとなり、現在の本堂も天正4年(1576)坂上利治によって再建されたもので、府下木造建築の中でも古いものである。当寺には、真田幸村が樋之尻口の地蔵堂に仕掛けた地雷によって飛来したという伝説をもつ「首の地蔵尊」や、湛慶作と伝えられる「太子像」がある。また境内には、万治3年(1660)奥野家が寄進した石燈籠や井戸形の水盤がある。別に当寺は、杭全神社の奥の院と仰がれ、毎年7月14日には「みこし」渡御があり、神事が行われている。」
大阪市平野区平野本町4-12-21
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マニ車









本堂

仏足石





境内にある駄菓子屋さん博物館
「駄菓子屋さんに並んでいたおもちゃが展示されている。」











地獄堂











ほとけのくに









再び町並み





パズル茶屋
「店主の黒田誠さんがコレクションされた組木パズル・知恵の輪・移動パズルなど古今東西のパズルが100種類以上揃っている。」







へっついさん博物館
「昭和20年代、平野付近ではほとんどの家で煮炊きに使われていたへっついさんは、家庭の燃料がガスや電気に代わる前まで台所の主役であった。薪を焚き口にくべて実際に使用できるへっついさんを店先にしつらえ、珍しい雛道具のミニへっついさんも展示している。



道標













平野商店街



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