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萩の藍場川沿いの旧湯河家屋敷と桂太郎旧宅

2016-07-15 18:51:31 | 山口
2016年7月10日、松陰神社、東光寺の後、自動車で移動し藍場川の最上流に位置する旧湯川家屋敷と桂太郎旧宅に向かいます。
駐車場の案内図

桂太郎旧宅(萩市指定史跡)
萩市川島73-2
map
「この旧宅は、桂太郎が少年時代を過ごした地に、明治42年(1909)に建設されたものです。主屋は派手さを抑えており、規模も比較的小さなものになっていて、藍場川沿いの生活を穏やかに楽しむために造られています。また、藍場川の水を引き込んだ流水式池泉庭園は、建物にやや遅れて造作されたもので、懸石と呼ばれる萩地方独特の石組等に特徴があります。」
桂太郎略歴
「桂太郎は弘化4年(1847)11月28日、萩藩士桂興一右衛門の長男として萩城下平安古に生まれ、3歳のときに同じ城下の川島に移り住みました。幕末期の四境戦争では石州口の戦いに参加し、凱旋後は明倫館に入学しています。明治3年(1871)にドイツへ留学、普仏戦争(フランスとドイツの戦争)におけるドイツの圧倒的な勝利を見て、帰国後は日本の陸軍をそれまでのフランス式からドイツ式に改め、軍隊の近代化に貢献しました。陸軍大将、陸軍大臣を経て明治34年(1901)に第一次桂内閣を組織し、翌35年(1902)には日英同盟の締結に成功しました。」
石橋のところに鯉が泳いでいました。









看板



旧宅の概要











水琴窟

銅像

庭園





略歴

旧湯川家屋敷(萩市指定史跡)
桂太郎旧宅と数十mの位置にあります。
山口県萩市川島67
説明書

看板



「川沿いには長屋門があり屋敷の中へは、橋を渡って入ります。主屋には、玄関・座敷と茶室などがあります。茶室回りの意匠は特に優れています。また、この屋敷では、藍場川の水を屋敷内に引き入れて流水式の池水庭園をつくり、池を出た水は家の中に作られた「ハトバ」で家庭用水として使われた後、再び藍場川に戻っていきます。湯川家の建物は、正確にはいつ建てられたのかわかっていませんが、湯川家の古文書の中に、明治3年(1870)に建物を改築した記録が残っていますので、当初の建物は明治以前に建てられたものと考えられます。湯川家は禄高23石余の武士で、遅くとも明治の初めにはこの建物に居住していたものと思われます。」
離れ・2畳



井戸

主屋







庭園

台所のハトバ





外側から

玄関の門

藍場川と風呂場のハトバ、外側





藍場川の説明書

石橋

歌碑

鯉が泳いでいました。

萩焼直売所





次は萩駅舎と大照院に向かいます。

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