日々感謝しながら・・・

毎日が何事も無く過ぎる事の幸せに感謝しながら
庭の花々と日常生活でふと思う事等々を綴ります

趣味のカメラ②・花写真

2017年10月24日 | 振り返って思う事
人に喜ばれる写真が主となった写真撮影だったが
社会人になって結婚してからはもっぱら子供達を撮った
自分の子供の頃の写真が少なかった事もあり極力多く撮った
運動会・発表会・旅行・・・等々
子供が大きくなると暫くは・仕事の事もあり写真から遠のいてしまった

再び撮り始めたのはPCを買ってから・・・
当時は<ホームページ>の時代だったのだ・まだ<ブログ>は無かった

「めぐちんの部屋」と言うタイトルで愛犬<めぐ>が主体の日記
その為に毎日の写真撮りで再び撮影する事に火が付いた。。。
公園に行っては<めぐ>と花々の写真を撮る事が多くなり
ついには<草花写真>へとのめり込んで行くことになった
この頃からだ 孫から<花爺ちゃん>と呼ばれる様になったのは

「季節の花」や「出逢いの花々」と題して<ブログ>も開設
「癒しの花々」と題して市内の花々のスライドCDも作成した
このCDは<郷土の花たち>として小学校で今でも活用中してもらっている



フィルム時代と違いデジタル時代は本当に便利だ
どんなに撮っても<削除>出来るのが何と言っても都合が良い
気に入った写真だけがPCに取り込める・・・本当に便利だ
しかし・この事で多少以前よりも<雑な撮影>傾向にもなってしまった
カメラの性能も良くなりオートで大きな失敗も無く撮れてしまう
露出・シャッター速度・絞りを考える必要がなくなったのだ
一発勝負の緊張感が薄れてしまったのは物足りなさを感じてもいる
今でも花を見ては綺麗に撮る事を心掛けて楽しんでいる。。。

趣味のカメラ①・きっかけ・・・

2017年10月21日 | 振り返って思う事
現在・趣味のトップは<カメラ>と言えるだろう
そもそも カメラとの出会いは高校3年生・修学旅行からだった

それまで我が家には<カメラ>が無かったのだ
<花爺>の子供の頃の写真は人が撮った物ばかりで少なかった

奈良・京都への3泊4日の1週間前に父親が買って来た
「ヤシカ」の35mm もちろんフィルムカメラだ
何とか説明書を読んで使用法を把握したものの不安は有った
結果・初めての撮影だったので撮れた写真は面白みの無い写真
まるで「絵葉書」に有る様な神社仏閣や風景写真ばかりだった
だが・その中の<金閣寺>の写真がカメラ屋さんの勧めで
某会社のカレンダーに応募・・・見事に採用された。。。
初めての撮影作品がカレンダーに使用され有頂天になった
以来・写真を撮る事の楽しさ・面白さの虜になって行った

兄弟や友人の<結婚式>にはカメラマンとして立ち振る舞った
(お蔭で式の料理はほとんど食べられず写真で見るだけ)
式前から式後までの一日をアルバムに仕立て上げて贈呈

今ではビデオで記念写真を残す人が多い様だが当時は写真だった
パソコンやデジカメを使用する様になってからは「CD」になる
甥・姪の結婚式も全て「スライドCD」仕立てで作成し喜ばれた

フィルムカメラの時はカメラ屋さんで 現像・焼き付けだったので
何枚も撮ると出費も嵩んでしまうので一発勝負で気が抜けなかった
入念に事前打ち合わせを式場の方とする事が一番大事な事だった

ベタ焼き(フィルムサイズ)で引き伸ばし写真を剪定する作業は
行きつけのカメラ屋さんのご主人のアドバイスをもらった

苦労も多かったが作業中は楽しくて・楽しくて仕方が無かった
出来上がった物を持って行くと待ち焦がれていたといって
即・閲覧・・・家族皆さんの笑顔が何よりもうれしかった

差し上げた人から聞いた人までもが依頼をしてきたりしたが
親戚・友人からの依頼は受けたが知人は丁重にお断りした
          (続く)


初代カメラはその後デジカメの登場で物置の奥の方へ
現在・使用しているカメラはコンデジと一眼レフ・・・





楽しみは「テレビ」・・・

2017年10月15日 | 振り返って思う事
現在<花爺>にとって「テレビ」は欠かせないもののひとつだ

子供の頃テレビが発売された頃はとても買えないものだった
父親と海の家にプロレスを見に行ったことが有った
海の家には沢山の人が集まり一喜一憂で盛り上がった
力道山が外人に空手チョップをお見舞いするたびに大歓声
必ず勝利する力道山はヒーローだった。。。
今だったらそれがショーだったとわかるのだろうが…

何年か経って懇意にしている前のお宅がテレビを買った
千葉大の助教授をされているご主人が遅い帰宅だったので
奥さんは一人で不用心だからとテレビを見に来て欲しいとの事
妹と早目の夕飯を作ってもらってほぼ毎日夕方から22時頃迄

数年してから我が家にもやっとテレビが来た・・・
<ララミー牧場><ローハイド><七人の刑事>等を
夢中で見たものだった

カラーテレビは<東京オリンピック>の開会日に来た
今思えばどぎついくらいの色合いだったが感動したものだった

<野球中継>は巨人戦が全試合に近いほど放送された
時間延長が無かった時代なので中継が終わってしまったら
大急ぎでラジオのスイッチを入れて続きを聞いたものだった

今では<ニュース><ドラマ><バラエティ><スポーツ>と
あらゆるジャンルの番組を見て楽しんでいる
見たい番組が重なるとビデをに撮って見逃さない様にする
なので起きている間は ほぼつけっぱなしの状態だ・・・
この十月から新ドラマが始まり 目下ワクワク中。。。

庭では<ウィンターコスモス>の花が咲き始めた



「アルバイト」の思い出

2017年10月14日 | 振り返って思う事
孫が花を撮ってる私を見て「花爺」と呼ぶ・・・
その<花爺>が人生を振り返って記憶している事を綴ってます

今日は 数多く経験した<アルバイト>について思い出してみた

はじめての<バイト>は大学に入った夏休みだった
<ステレオ>を買う資金の為だった・・・
「日立金属」と言う会社で車の部品を製作していた
100名近い<バイト>製の一員として臨んだ
仕事内容はドロドロに溶けた鉄を型に受けてゆく作業
高熱で汗まみれになり岩塩を飲みながらの重労働だった
いかにも体力がなく見える<花爺>に期待などなかったようだ
余りの過酷さに1週間で半分以上の<バイト>はが止めて行った
結局最後まで頑張ったのはたった二人だった
もう一人のバイト生が「最後まで残った奴の顔を見に来た」
と<花爺>に逢いに来た・・・
何と同じ小学校の隣のクラスのちょっとやんちゃなN君だった
根性が気に入ったと意気投合され 以後アルバイトを共にした

「東京球場」千住に有った<永田雅一>氏が造った野球場
今は無くなったが<大毎オリオンズ>と言う球団の球場
外野席担当で席案内・入場者管理が仕事だった
総勢5・60名の責任者にN君と共に指名されてしまった
<巨人>が来た時はパニック状態でダフ屋ともめた事もあった

「ゴルフの玉拾い」今の東京ドームの前の後楽園球場で
昼間・ゴルフの打ちっぱなしをしていたことが有った
観客席からグラウンドに向かって打つ人で大盛況だった
金網で作った鳥かごの様なものを被ってグラウンドに出て
転がっている玉を拾い集める作業だった・・・
金網の目が案外大きかったのでバウンドした玉が飛び込み
身体に当たる事もごくまれにあり気が抜けない仕事だった

「中央郵便局」の仕分け作業は楽しかった・・・
宛先を<県別>に大別するのだが東京だけは<区別仕分け>
地理は好きだったので<花爺>には案外楽な仕事でもあった

「ラーメン屋」で今で言う<レジ>係+<フロント係り>もした
閉店後の食事は好きなものが食べられたのでラッキーだった

「家庭教師」は近所のお宅から頼まれて高校受験生をみた
余りに受験近くの急な依頼だったので残念ながら不合格
彼は今理髪店を経営していて「あの時落ちて良かったよ」と言う
中卒で修行し・免許を取って頑張り今が有ると振り返る

「デパート」の売り子にも行った・・・<浅草・松屋>だった
寝具売り場に配属され客扱いが良かったのか案外重宝された
呼ばれるまで傍に行かなかったのだがかえって良かったのかも

そして毛布会社の「派遣店員」に誘われ銀座と浅草の松屋へ…
歩合制だったが給料は良く3年間・冬の定番バイトになった
3社の毛布会社の3番目だったのをトップにしてボーナスまで
卒業後の就職を懇願されたが丁重にお断りさせてもらった

「ソフトボール・コーチ」町内の中学校から依頼されて行った
出ると負けのチームだったが 初勝利した時は・・・
付き添い先生・父兄・子供たちと大喜びしたものだった
一年間で勝てるチームに仕上げる事が出来た

<家庭教師>以外は常に<N君>と行動を共にしていた
彼とは人生で2番目の大親友となったのだ・・・

大学4年間でした<アルバイト>はその後大いに役立った

とにかく音を上げる事無く真面目に勤めあげる事
人を動かす事には相手を信用し性格を把握する事
教えるという時は 相手と同じレベルから始める事
販売するにはせく事なく相手の意見を聞いて希望に応える事
言い掛かり等には冷静に対処し理詰めで何度も話す事 


今・コスモスが綺麗に咲いている・・・
休耕田に蒔かれたコスモスがとても綺麗だった













ペット・犬・「めぐ」の思い出③

2017年10月13日 | 振り返って思う事
「めぐ」には変った癖が有った・・・
オシッコの仕方が実に変わっていたのだ
メスなのにしゃがんでせず<逆立ち>でするのだ
散歩中・この奇妙なスタイルに振り替える人が多かった



食べ物が欲しい時にはチン・スタイルで両手?を上下に
「頂戴・頂戴!」と催促するおねだり上手でもあった
これをされるとつい「欲しいの?」と言いながら与えてしまう



なのでスタイルはポッチャリタイプだった・・・

車にも敏感で どこでわかるのか我が家の車がわかったようだ
前のお宅や隣のお宅の車が帰ってきても反応しないのに
<花婆>さんがお使いから帰って来るとすぐに反応して



2階の戸を開けさせベランダから 車庫入れの様子を見ていた
エンジン音でも違うのだろうか不思議だった・・・



寝る時は<花爺>の布団にもぐりこみ膝のあたりで寝ていた
息苦しくないのか心配したら布団の隙間から鼻だけ出していた

「めぐ」については途切れる事無く思い出がわき出る

退職して家にいる事になってからは<花爺>の部屋で
まったりとして傍から離れる事が無かった

家に来た日を誕生日としてケーキで祝ったりもした
そしてその日が今では命日となってしまった。。。
18年目の推定20歳になった日だった
老衰で弱ってしまった「めぐ」に「お誕生日迄頑張ろうネ」
そう言っていたのを守るかのように安らかに逝ってしまった

今でもパソコンのスタート画面は「めぐ」にしてある