「プリズム」に続く旅シリーズ第二弾、呉線です。
きっかけは、あれは2015年の冬のツアー、関西から四国、広島を廻って、また大阪に戻るという一週間のツアーの最中。高松から岡山に出て、そこから山陽本線を西へ向かう旅路の途中。
このまま山陽本線を乗り継いでいけば広島だ、と油断していた僕は、あまり乗り換えもチェックせずに、車窓を眺めながら、その夜の広島ライブのセットリストや、どんなカレーを食べようか、なんてことを考えていたのでしょう。列車は三原駅で終点を告げ、そこから先へ向かう列車に接続したのですが、乗り換え時間が2分しかない!ということで、あわてて荷物を抱えてホームに飛び出しました。
そこで目にした「広」の行き先表示。ああ、これだこれだ、きっとこれが広島に行くんだろう、と乗り込んだ、それが山陽本線ではなく、呉線でした。
三原から山間部を通ってまっすぐに広島を目指す山陽本線と異なり、呉線は瀬戸内海の海岸を沿うように進む単線で、ちょっと遠回り。しかし、偶然乗り合わせた呉線の車窓からの景色は、絶景と呼ぶに相応しい素晴らしいものでした。陽光を反射してキラキラと輝く、穏やかな瀬戸内海が眼前に迫り、かと思えば切り立った断崖のすぐそばを走り抜けたり。自然が織りなす造形美の中をぐんぐんと進んでゆく、大変魅力的な路線でした。
こんなことでも無かったら訪れなかった呉線の旅。
綺麗な風景もさることながら、旅をしてて思うのは、僕もこんな人生を選んでなかったら、おそらく来ることも無かったであろう土地にも、たくさんの家があり、道があり、学校があり、お店があり、きっと交わることの無かったであろうたくさんの人たちの人生があるという、その事実にどうしようもなくグッときてしまうのです。
例えば僕は北海道の旭川で生まれて、神楽岡公園の近くで幼少期を過ごし、凌雲高校から紋別の道都大に入って、音楽やゲームやラジオやタバコやドライブを覚えて、ケンタッキーやセブンイレブンでバイトして、ゲラゲラ笑った友達も、こっぱずかしいような恋愛もして、そして野狐禅を組んで‥‥その途中途中でいろんな大切な景色をみてきたわけだけど、例えば僕がこの瀬戸内海沿いの町に生まれていたら、この景色の中で、どんな子供で、どんな刺激を受けて、どんな憧れを抱くんだろう、なんてことを考えてしまうのです。
ツアーミュージシャンというのもいろんなスタイルがありますが、こういうドサ廻りと言いますか、土地から土地へ小さなお店を訪ね廻るような生業は、いろんな景色とともに、いろんな夢や人生に触れることも多く、それでいて華やかさともどこか近いような遠いような距離があって、なにか世間の徒花のような存在にも思えます。
いろんな夢や野心や憧れや依存が渦巻く数々の夜の、ときに中心に立ちながら、ときに傍観をしながら、悲喜交々の想いを胸に町から町へ旅を続ける、その最中に思わずこぼれ落ちて産み落とされる歌の数々が、旅の醍醐味であり、人生の滋味でもあるのかもしれません。
サウンド的には、この曲は2017年に「センチメンタル」のシングルを作ったときに、カップリングに入れさせていただいておりまして、そのときはピアノ弾き語りでのスローテンポのバージョンでの収録でしたが、それとは対照的な感じで、ややアップテンポの軽快なポップスサウンドをアルバムバージョンとして収録させていただきました。
四つ打ちのキックや、車輪がレールの継ぎ目を乗り越える音を思わせるようなリズムのスネアなど、少し旅情を思い出させるような作りにしてみました。
ギターは、ファーストアルバム「最後の青春」でも数々の曲で素晴らしいギターを弾いてくれたカズ(ex.セクシーパンサー)。心地よいスライドギターの音色も、どこか旅気分のような心地よさを漂わせているように感じます。間奏のセンチメンタルなフレーズは、まさに旅の最中に思わず零れ落ちる涙の粒を思わせるようで大好きなフレーズです。