もう1か月以上経ってしまいましたが、来年から使う新しい写真の撮影を行いました。
いわゆる宣材写真、アーティスト写真というやつですね。
告知のチラシとか記事とかによく載ってるアレです。
今まで、2018年にアルバム「Wonderful World」を作ったときに撮ってもらった、グランドピアノの前でスプーンを持っている写真を使っておりました。カレーとピアノという、ハマノヒロチカを象徴するテーマを両立させた画期的な写真でございましたね。笑
さらにその前は、2014年でしたでしょうか、新宿JAMでのハマノヒロチカバンドでのライブでの写真、バンドでのライブということで、どこか力強さも感じられるような気もします。これも長く使いましたね。
そしてさらにその前は、ソロ活動を始めて3年ほど経った2012年、そろそろソロとしても宣材写真が欲しいということで、アルバム「最後の青春」のジャケット写真を撮った際に一緒に撮ってもらった、新宿駅近くの公園でトイピアノを持った写真でございました。この頃は、どこかアンニュイな感じというか、ちょっと後ろ向きな雰囲気を出そうとしていたんですね。
その前は、特に自分のアーティスト写真というのは無かったんですが、一応宣伝には、野狐禅のラストライブの時の写真を使っていましたね。ここまで来ると、顔がはっきり見えておらず、宣材写真としての目的を果たしていないですが、なんというか、そういう気分だったんでしょうかね。笑
こうして見ると、最初の頃はやはり自信の無さみたいなものがあったのかなあ、という気もしますね。だんだん自分のスタイルが確立するにつれて、写真の主旨も変わっていったようで面白いですね。
もう一つ、過去の写真を見てみると、すべてピアノが入っております。
宣材写真なので、パッと見て一目で何をしている人なのかがわかるのが一番大事なので、そりゃピアノは入るよね、というのは間違ってないのですが、それにしても10年間ピアノの写真を使ってきて、そろそろ、ピアノとかスプーンといった小道具を使わない、自分自身だけの姿をおさめた写真で、僕がハマノヒロチカです、と言っても良いんじゃないかなあ、という気持ちが芽生えてきました。
自分はこういうことを歌う人ですとか、こういうことをやっている人ですとか、そういうことを説明するのに、ピアノやカレーはわかりやすいし、何かにカテゴライズしたほうが受け取る方もイメージしやすいし、写真一枚とっても差別化にもなるし、というメリットはあるんですが、なんというか、まあやっぱりそれだけでもないし、ある程度ピアノ弾きとかカレー好きとかも言い続けてきたし、自分なりにある程度いろんなことはやってきたし、もうそういうバイアスをかけなくても良いのかな、なんて思うようになってきました。
写真撮影にあたっては、ありのままの自分自身の姿を撮ってもらうということで、野狐禅からソロ活動を経て今に至る、その軌跡を知ってくれている人に撮ってもらいたいなあと最初は考えていたんですが、そうは言っても、僕の活動の紆余曲折をすべて観てくれている人なんていないし、それが野狐禅時代を含めてとか、なんなら野狐禅よりも前だって僕の人生はありますから、そういうのをすべて知っている人なんているわけもなく、そういうことではないなあという気もしました。
だったら、大好きな写真家に、僕の想いをお伝えして、その上で、僕の写真を撮ってもらおう!ということで、思い切って、写真家の幡野広志さんに撮影をお願いしました。
僕は正直、絵画や写真などの芸術に造詣がまったくなく、そんな僕が改めて幡野さんをご紹介するのもおこがましいのですが、幡野さんはエッセイ「なんで僕に聞くんだろう」が書籍化されたりと、写真と言葉で活躍されている方で、僕は以前から幡野さんのエッセイを読みながら、とても想像力と思いやりに満ちていて、それでいて冷静で慧眼の士でもある、とても魅力的な人だなと思っておりました。言葉の端々に、そんな愛情と才知が感じられて、そんな方が撮って、そして選んだ写真は、やはりそんな愛情や才知に満ちているようでした。
そんな折、幡野さんの個展で、野狐禅のCDが紹介されていたというのを知りました。下積み時代に、野狐禅のCDを聴きながら、挫けそうになる心を奮い立たせていたと知り、改めて自分たちの歌がいろんなところで、いろんな場面で聴かれていて、いろんな人たちの物語に寄り添っていたんだなぁということに気づかされます。
僕はなんだか勝手に運命のようなものを感じて、幡野さんに写真を撮ってもらったら、一生の宝物になるような、僕自身をありのままに表現してくれるような、そんな写真になるんじゃなかろうかという気がして、思い切って幡野さんに手紙を送りました。
写真撮影にあたって、僕のワガママで、幡野さんに僕の話を聞いていただきたい、それを踏まえて今の自分を撮っていただきたいとお願いさせていただきまして、そんなワガママにも快く答えてくださりました。野狐禅時代の話から、解散の話、ソロ活動への想い、試行錯誤と忸怩の日々からどうにか自分なりに手ごたえを掴み、一人で歌をやっていこうと決めたこと、そんなことをとりとめもなく話させていただいたのですが、幡野さんはこんな僕の拙い話を熱心に聴いてくださいました。
撮影は、僕が上京してからすぐの頃に住んでいた、豪徳寺周辺で行いました。いろいろと想い出の尽きない街を歩きながら、撮影中もいろんな話をさせていただいて、とてもリラックスして撮影することができました。ときに熱い話もしちゃったりなんかして、僕自身も、こんなことを考えていたんだなって発見もあったりして、なんとも言えない、すごくステキな時間でした。
とまあ、そんな経緯で撮っていただいたのが、こちらの写真になります。
他にもいろいろ良い写真がいっぱいあって、どれを使うか非常に迷いまして、機会があれば他の写真も使わせていただきたいなと思いますが、とりあえず来年からはこちらの写真を宣材写真に使わせていただきたいと思います。
今年は本当に忘れられない一年になりましたが、そんな中でも、大切な時間がいっぱいありました。決して油断するわけではないですが、こんな時だからこそできること、力になれることを探して、しっかり精進していきたいと思います。そして、そんな時間の先に、またみなさんと安心して音楽を分かち合える時間が訪れるでしょうから、その時にはぜひみんなで楽しみましょう。
今年は、後半ずっとバタバタして、ライブの振り返りのブログも全然書けていないのですが、もうこんな時間なので、新年にゆっくり書いていけたらなと思います。
それではみなさん良いお年をー!
いわゆる宣材写真、アーティスト写真というやつですね。
告知のチラシとか記事とかによく載ってるアレです。
今まで、2018年にアルバム「Wonderful World」を作ったときに撮ってもらった、グランドピアノの前でスプーンを持っている写真を使っておりました。カレーとピアノという、ハマノヒロチカを象徴するテーマを両立させた画期的な写真でございましたね。笑
さらにその前は、2014年でしたでしょうか、新宿JAMでのハマノヒロチカバンドでのライブでの写真、バンドでのライブということで、どこか力強さも感じられるような気もします。これも長く使いましたね。
そしてさらにその前は、ソロ活動を始めて3年ほど経った2012年、そろそろソロとしても宣材写真が欲しいということで、アルバム「最後の青春」のジャケット写真を撮った際に一緒に撮ってもらった、新宿駅近くの公園でトイピアノを持った写真でございました。この頃は、どこかアンニュイな感じというか、ちょっと後ろ向きな雰囲気を出そうとしていたんですね。
その前は、特に自分のアーティスト写真というのは無かったんですが、一応宣伝には、野狐禅のラストライブの時の写真を使っていましたね。ここまで来ると、顔がはっきり見えておらず、宣材写真としての目的を果たしていないですが、なんというか、そういう気分だったんでしょうかね。笑
こうして見ると、最初の頃はやはり自信の無さみたいなものがあったのかなあ、という気もしますね。だんだん自分のスタイルが確立するにつれて、写真の主旨も変わっていったようで面白いですね。
もう一つ、過去の写真を見てみると、すべてピアノが入っております。
宣材写真なので、パッと見て一目で何をしている人なのかがわかるのが一番大事なので、そりゃピアノは入るよね、というのは間違ってないのですが、それにしても10年間ピアノの写真を使ってきて、そろそろ、ピアノとかスプーンといった小道具を使わない、自分自身だけの姿をおさめた写真で、僕がハマノヒロチカです、と言っても良いんじゃないかなあ、という気持ちが芽生えてきました。
自分はこういうことを歌う人ですとか、こういうことをやっている人ですとか、そういうことを説明するのに、ピアノやカレーはわかりやすいし、何かにカテゴライズしたほうが受け取る方もイメージしやすいし、写真一枚とっても差別化にもなるし、というメリットはあるんですが、なんというか、まあやっぱりそれだけでもないし、ある程度ピアノ弾きとかカレー好きとかも言い続けてきたし、自分なりにある程度いろんなことはやってきたし、もうそういうバイアスをかけなくても良いのかな、なんて思うようになってきました。
写真撮影にあたっては、ありのままの自分自身の姿を撮ってもらうということで、野狐禅からソロ活動を経て今に至る、その軌跡を知ってくれている人に撮ってもらいたいなあと最初は考えていたんですが、そうは言っても、僕の活動の紆余曲折をすべて観てくれている人なんていないし、それが野狐禅時代を含めてとか、なんなら野狐禅よりも前だって僕の人生はありますから、そういうのをすべて知っている人なんているわけもなく、そういうことではないなあという気もしました。
だったら、大好きな写真家に、僕の想いをお伝えして、その上で、僕の写真を撮ってもらおう!ということで、思い切って、写真家の幡野広志さんに撮影をお願いしました。
僕は正直、絵画や写真などの芸術に造詣がまったくなく、そんな僕が改めて幡野さんをご紹介するのもおこがましいのですが、幡野さんはエッセイ「なんで僕に聞くんだろう」が書籍化されたりと、写真と言葉で活躍されている方で、僕は以前から幡野さんのエッセイを読みながら、とても想像力と思いやりに満ちていて、それでいて冷静で慧眼の士でもある、とても魅力的な人だなと思っておりました。言葉の端々に、そんな愛情と才知が感じられて、そんな方が撮って、そして選んだ写真は、やはりそんな愛情や才知に満ちているようでした。
そんな折、幡野さんの個展で、野狐禅のCDが紹介されていたというのを知りました。下積み時代に、野狐禅のCDを聴きながら、挫けそうになる心を奮い立たせていたと知り、改めて自分たちの歌がいろんなところで、いろんな場面で聴かれていて、いろんな人たちの物語に寄り添っていたんだなぁということに気づかされます。
僕はなんだか勝手に運命のようなものを感じて、幡野さんに写真を撮ってもらったら、一生の宝物になるような、僕自身をありのままに表現してくれるような、そんな写真になるんじゃなかろうかという気がして、思い切って幡野さんに手紙を送りました。
写真撮影にあたって、僕のワガママで、幡野さんに僕の話を聞いていただきたい、それを踏まえて今の自分を撮っていただきたいとお願いさせていただきまして、そんなワガママにも快く答えてくださりました。野狐禅時代の話から、解散の話、ソロ活動への想い、試行錯誤と忸怩の日々からどうにか自分なりに手ごたえを掴み、一人で歌をやっていこうと決めたこと、そんなことをとりとめもなく話させていただいたのですが、幡野さんはこんな僕の拙い話を熱心に聴いてくださいました。
撮影は、僕が上京してからすぐの頃に住んでいた、豪徳寺周辺で行いました。いろいろと想い出の尽きない街を歩きながら、撮影中もいろんな話をさせていただいて、とてもリラックスして撮影することができました。ときに熱い話もしちゃったりなんかして、僕自身も、こんなことを考えていたんだなって発見もあったりして、なんとも言えない、すごくステキな時間でした。
とまあ、そんな経緯で撮っていただいたのが、こちらの写真になります。
他にもいろいろ良い写真がいっぱいあって、どれを使うか非常に迷いまして、機会があれば他の写真も使わせていただきたいなと思いますが、とりあえず来年からはこちらの写真を宣材写真に使わせていただきたいと思います。
今年は本当に忘れられない一年になりましたが、そんな中でも、大切な時間がいっぱいありました。決して油断するわけではないですが、こんな時だからこそできること、力になれることを探して、しっかり精進していきたいと思います。そして、そんな時間の先に、またみなさんと安心して音楽を分かち合える時間が訪れるでしょうから、その時にはぜひみんなで楽しみましょう。
今年は、後半ずっとバタバタして、ライブの振り返りのブログも全然書けていないのですが、もうこんな時間なので、新年にゆっくり書いていけたらなと思います。
それではみなさん良いお年をー!