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hamachanのブログへようこそ

一期一会を大切に色んな人とブログを通して交流できたらと思っています。

コロー展 光と追憶の変奏曲

2008-09-30 17:23:38 | 美術展


場所 神戸市立博物館
期間 9月13日~12月7日
【コローの3大名画】がルーブル美術館から神戸へ

概要

ジャン・バティスト・カミーユ・コロー(1796~1875)
は、19世紀のフランス絵画史において、【最後の
古典主義にして最初の近代主義者】として評価
される重要な画家と言われている。
初期から晩年にいたる風景画、人物画、物語画
など多彩な作品を通じて、コロー芸術の全貌を
紹介する試みです。コローの代表作【真珠の女】
ーコローのモナリザと言われている。
モルトフォンテーヌの想いで】、【青い服の婦人】
の3大名画が展示されていました。

コローの影響を受けたモネ、シスレー、ルノワール、
マティスなど他の作家の作品もコローの絵の横に
並べて展示されていた。珍しい展示の仕方だと思
いましたが、流石、ルーブル美術館の豊富な作品
の所蔵を思わせました。
又、風景も遠近がはっきり描かれているので
奥行きの深い絵画となっていました。

【モルトフォンテーヌの想いで】が、博物館の入り口
近くに写真が貼られていましたが、ここで記念写真
OKと掲示されていて、女性2人が写真をこの絵を
バックにして撮っているのに驚きました。これは、
来館の良い記念になりますね。



 【モルトフォンテーヌの想いで】



【真珠の女】
当時16歳前後であったモデルにコローが、わざ
わざローマから取り寄せたイタリアの民族衣装
をまとわせて描いた女性像。少女は、どこにも
真珠をつけていないが、冠のような葉が額に
かかって真珠の粒のように見えることから、その
名前がつけられた。この絵が【コローのモナリザ】
とも言われている。




【青い服の婦人】


健康な少女の腕や扇を持つ左手は生命感が
あふれ、近代を先取りしたコローの革新性と
力量を見るものに伝えているといわれている。



ボーヴェ近くのヴォワザンリュー付近の村
の入り口


和紙人形による源氏物語の世界

2008-09-29 16:24:08 | 美術展


和紙塑像家・内海清美(うちうみ・きよはる)の
源氏物語千年紀記念の展覧会を【かわら塾】
の帰途にかわら塾を紹介してくれた友人と4人
で見てきました。

場所 京都高島屋百貨店

内海清美(うちうみ・きよはる)のプロフィール

1937年東京都生まれ
東京芸術大学美術学部工芸科卒業
1978年世界クラフト会議日本クラフトコンペ入賞
以降、和紙塑像家として活躍
1990年【観〇平家】を発表
2003年【源氏物語】をテーマに作品を制作
今年、【艶〇源氏】として公開される。

和紙と光と音が織りなす、壮大な空間
絵巻

源氏物語千年紀記念として、様々な記念行事
が開催されました。源氏物語54帖から和紙塑像家
・内海清美が制作した作品の内、選りすぐり16シー
ンの舞台を和紙と光と音が織りなす壮大な空間
絵巻として見る事ができました。
モニターでも、作品の制作過程が映し出されて
いました。顔などは和紙の粘土のようなものを
作って、目などヘラで作られていました。


         紫式部
髪の毛が、ソーメンのように細く、長く作られて
いました。


葵祭りの車争い


       
     源氏と夕顔
感想 
源氏物語千年紀記念行事には、絵巻展、織物展
陶器展、講演会、観劇、都おどりなど見たりして
きましたが、紙人形による舞台というのは、初めて
でしたので、精巧に制作されていて、顔の表情など
も上手く描かれていました。癒されるものでした。


モディリアーニ展

2008-09-17 18:06:26 | 美術展


姫路市立博物館(6/8~8/3)と大阪・中ノ島の
国立国際美術館(7/1~9/15)と併行して開催
されていました。
モディリアーニの作品をまとめて見る事が出来て
良かったです。

姫路は7月に、中ノ島は、先般の厚生年金会館
の関西文化市民塾の帰途に時間があるので
寄りました。9月13日と会期末近くのため、大勢
の人が来られていました。

国際美術館の建物は、1階に入り口があり、展示
室は、地下2階と3階にあるという珍しいものでした。


モディリアーニ(1884~1920)は、彫刻を断念して、
絵画に専念したのが、1914年から。第1次大戦が
始まった年です。パリは芸術どころでなかつた。
1918年戦争が終結。【頭の後ろで両手を組み、
長椅子に横たわる裸婦】で画家として確立した。
1920年1月に亡くなるまで残された時間は1年
数ヶ月。戦争がモディリアーニの画業に大きな
影を落としたといえる。


モディリアーニは、殆ど肖像画ですが、顔や首
が長く、目の瞳が描かれていないのが、特徴
ですが、案内のテープのレンタルで説明を
聴いてしましたが、クイズがありました。【何故
瞳を描かないのですか】、答えは【彫刻】が正解
でした。当初は彫刻家を目指していましたが、
身体が弱かったので断念した。彫刻と同じに
全体像を表現すれば良いとの考えがあっという
ことです。
日本では、非常に人気があり、死後、翌年に二科
展に陳列されたそうです。
35歳でなくなるという劇的な人生、彼の死の直後、
恋人ジャンヌの後追い自殺という衝撃的な事件など
日本人好みの悲劇の生涯が、人気の秘密だと言わ
れています。



【大きな帽子をかぶったジャンヌ・エビュテルタ】



【肩をあらわにしたジャンヌ・エビュテルタ】
ジャンヌはモディリアーニの最後で最愛の恋人
にして最良のモデル。画家の深い愛情が見て
とれる。



【女の肖像(通称、マリー・ローランサン)】
鼻筋が通り、目が大きく、細いが毅然とした眉、
燃えるように輝く短い髪、少し口元が上がった
、自信と才気を感じさせる美人
 


【源氏物語錦織絵巻】山口伊太郎遺作展

2008-07-17 16:13:43 | 美術展



日時 20年4月27日~7月21日
場所 相国寺承天閣美術展(同社社大学の隣)
概要
織物はどこまで絵画的な表現ができるか。京都
・西陣の織物作家、山口伊太郎(1901~2007年)
は、国宝【源氏物語絵巻】を題材に1970年、70才
の時から全四巻の再現に取り組んだ。
その遺作展【源氏物語錦織絵巻展】が開催されて
います。当初7月6日まででしたが、好評のため21日
まで延長されました。
織物は、絵画でいう『線描』ができない。タテ糸とヨコ
糸の組み合わせだけで点も線も面も表現する。
そのため原画を方眼紙に置き換えて、一つ一つの
マス目に色指定していく準備行程が必要になる。
方眼紙も展示されていた。
最初の一巻は16年かかった。二巻目からコンピータ
導入、三巻目からプラチナ箔糸を取り入れた。

2007年6月27日あらゆる準備の作業を終え、いよいよ
『源氏物語錦織絵巻』最終巻の制作が始まり、残す
は完成を待つのみという時を過ごしつつ、静かに
この世を去りました。時に山口伊太郎105歳でした。


感想
これが織物かと思うほど精巧に作られていました。
着物の柄として色々な絵柄をみてきましたが、普通の
絵画のように細い糸で表現されていて織物とは思わ
れないものでした。着物離れは、ずつと続いてきまし
たが、いずれはその技術が途絶えてしまうとの危惧
を作者は考えて後世に残そうとの意気を感じました。


聖徳太子ゆかりの名宝特別展

2008-06-13 22:10:58 | 美術展

 


特別展 叡福寺の太子絵伝、修復完成記念
日時  20年4月26日~6月8日
場所  大阪市立美術館(天王寺公園内)

概要
聖徳太子も行き来した竹内街道沿いに、河内と大和
の国境近くに叡福寺(えいふくじ)が建っています。
河内の太子信仰の拠点として栄えた叡福寺は、太子
ゆかりの四天王寺と法隆寺の中間に位置します。
ここに太子の御陵があることは、以外にも広く知られて
いません。又、羽曳野市に伽藍(がらん)を構える野中寺
(やちゅうじ)は、太子の発願により曾我馬子が建立
したと伝え、八尾市の大聖勝軍寺(だいせいしょうぐんじ)
は、太子が物部氏と戦った合戦場に建ち、この三ヶ寺
は、【河内三太子】と称され、太子を慕う多くの参拝者を
集めて来ました。

この、【河内三太子】に伝わる貴重な宝物を一堂に集め
た初めての展覧会が開催されました。



叡福寺の【聖徳太子絵伝】7幅は、南北朝~室町時代
に制作された色鮮やかな大画面で、聖徳太子の生涯
にわたる重要な出来事と年齢も記載されていました。
この他、三太子所蔵の仏像や仏画20点が寺外初公開
で、国宝3点、重要文化財7点を含む110件が展示され
ていました。





感想
当時の大阪府南河内郡駒ヶ谷村(現、羽曳野市駒ヶ谷)
に小学校卒業まで過ごしましたが、亡くなった妹の
納骨のため叡福寺に行ったことがありました
このお寺にこんな凄い絵画や仏像などがあるお寺とは、
今回の特別展で初めて知りました。


先般、NHKテレビで近鉄上太子駅から竹内街道~
古墳群~叡福寺往復の歴史史跡ハイキングが放映
されていました。【王陵の谷】と言われるこの地域を
是非歩いて叡福寺にもお参りしたいと思いました。
【王陵の谷】と形容されるのは、飛鳥時代の天皇陵が
ひしめいているからです。第30代敏達天皇、31代
用命天皇、33代推古天皇、36代孝徳天皇のお墓が
ある。


太子信仰は、四国八十八ケ所巡礼の旅をした時も
【大師堂】のほかに【太子堂】もあるお寺がありました
ので、各地に浸透していることが、わかりました。



源氏物語千年紀~恋、千年の時空をこえて~

2008-06-04 22:27:07 | 美術展

 


源氏物語千年紀展


場所 京都文化博物館
期間 平成20年4月26日~6月8日

瀬戸内寂聴さんの講演会やNHK公開セミナーでの
【源氏物語の絵画】の聴講によつて招待券3枚を取得
したのでゴルフ仲間を誘って見に行ってきました。
国宝や重要文化財、重要美術品40点を含む計160点
が展示されていました。

源氏物語の文章と絵を貼ったアルバムである画帖や
各巻ごとに名場面を絵にしたもの、源氏物語の写本、
源氏物語のスポンサーである藤原道長の栄光に満ちた
人生を綴った国宝【栄花物語】、紫式部日記絵巻など
また外国語に訳された書籍も多数展示されていました。
館内は太陽が当たって絵画を変色させないため暗く
スポット照明がされていたため大勢の人が鑑賞され
ていましたが、2時間以上時間が掛かりました。
出口近くで看板の前で写真を撮ることもダメでした。


源氏物語は宮中で評判を取り、盛んに書写されたが、
平安時代に書かれた本文は、国宝【源氏物語絵巻】
にしか残っていない。現在の我々が目にする源氏物語
の多くは、藤原定家の写しを基にした【青表紙本】の
系統で、昭和初期に見つかった【大島本】が底辺に
使われている。


日経新聞に千年紀展に因んで【王朝の誘惑】という
コラムが1週間掲載されていました。著名人が【私の
一点】として選んでいました。抜粋しました。

作家田辺聖子さんが選んだ一点
【源氏物語図屏風 若菜上】

御簾のかげにいた女人の姿が現れる。若く美しい
女三の宮。蹴鞠に興じていた青年貴公子たち。
庭から見上げる青年は、柏木の衛門督(エモンノスケ)。
この画面はあまりにも美しいので、まさに迫る人生
暗渠(アンキョ)の示唆がひとしお、まがまがしい。




京都造形芸術大学名誉学長芳賀徹氏の一点
【源氏物語図屏風 須磨】

濃紺の夜空に昇った仲秋の月は、金の砂子の雲
を照らしてまばゆいばかりに明るい。その雲の間
を雁の群れが啼きながら高く飛んで行く。光源氏
26歳の年の春だつた。源氏は【こよいは十五夜
なりけり】と気ずく。遠い都でそれぞれに、この月
を仰いでいる紫の上をはじめ幾人もの恋しい女宮
たちのことを思い出す。



女優大地真央さんの一点
【紫式部像】

大阪松竹座での公演【紫式部ものがたり】で
紫式部と劇中劇の光源氏の二役を演ずる私は
紫式部にちなんだ紫の花々を携えて、京都市
にある【紫式部墓所】を訪ねて、公演の成功を
祈願しました。



私の選んだ2点


【源氏物語図屏風】
光源氏が少女時代の紫の上を垣間見る場面。

病気治療のため北山の高僧を訪れた若き源氏が
女たちがいる僧坊に興味を抱き、腹心の部下で
ある惟光とともに覗き込むと、一人の美しい少女
が走り出て、【雀の子を、犬君が逃がしちゃった】
と訴える。源氏はその少女に心惹かれる。
源氏が少女時代の紫の上を垣間見る場面です。




【車争い図屏風】
光源氏の正妻・葵の上と恋人・六条御息所の
不幸な確執をドラマチックに描く。
車争いは六条御息所を怨霊と化かし、ついには
葵の上を死に至らしめます。御息所は苦しい恋
の果てに源氏との仲をあきらめ、斎宮に選ばれた
娘の伊勢下向に同行することを決意した。




画帖(がじょう)


色紙大の絵を貼った、いわばアルバムです。
絵だけでなくて文章の一節を抜粋した詞書
(ことばがき)もともなつています。展示では
毎日1ページめくられているとか。詞書は
和歌が大きな位置を占めています。
室町時代から江戸時代前期まで数多く制作
されたとのこと。






感想
 瀬戸内寂聴さんの訳10巻を昨年12月から読み始め
て、まだ8巻の終盤です。当初、源氏物語千年紀に
今年に当たるということは、知りませんでした。
最初、近くの神戸学院大学の図書館で1枚の源氏
物語の絵画を見に行ったのが始まりでした。
ここで千年紀にあたり、京都博物館の開館20
周年記念特別展として源氏物語千年紀展の開催
を知り、今回出会えました。
絵画は背景の金箔、女人の十二単の赤色や緑
色の鮮やかさには驚きました。絵画の構図の大半
は、上部から見るという形式が採られていました。
源氏物語は長年読まれ描かれ愛されてきた、世界
に誇れる素晴らしい文化遺産であると実感しました。



ムンク展

2008-02-20 22:26:29 | 美術展


場所 兵庫県立美術館
期間 1月19日~3月30日
概要 オスロ市立ムンク美術館所蔵作品を中心に
    全108点でたどるムンクの装飾プロジェクト
    ノルウエイーを代表する芸術家として活躍
    したムンク(1863~1944)の作品は、近代人
    の孤独や頽廃を象徴主義、表現主義的に
    描き出したものとして我が国でも広く親しま
    れてきました。
    今度の展覧会では、【吸血鬼】、【不安】
    【声/夏の夜】など一堂に紹介する大規模な
    ムンク展となっています。
    ベルリン小劇場、オスロ大学講堂などムンク
    は、【生命のフリーズ】とみなして大きな壁画
    、一連の装飾的な絵画と考えていました。
    従って、ムンクの当初の絵画は、暗い、汚い
    怖いという印象から、明るい色使いへと変化
    して行ったことが、ムンク展で見ることが
    出来ました。個人の住宅の子供部屋に注文
    があり、制作した作品は、大人が抱擁して
    キスしているものであつたので、キャンセル
    されたという一面も見ることが出来ました。
    モニターで色んな作品の紹介とムンク自身
    も映つていましたが、恰幅もあり立派な人
    柄も見ることができましたが、先般見た映画
    【ムンク愛のリクエイム】とは、全然印象が
    違っていました。
    


壮大なるバロック、華麗なるロココ展

2008-02-20 11:41:49 | 美術展



     アートホール神戸開廊22年記念


場所  アートホール神戸(JR元町駅山側)
期間  2月1日~25日
概要  ルネッサンス後の時代、力強い躍動感
や光と影のバランス、鮮やかな色彩などを駆使
して、見るものの感覚に強く訴えかけ、17世紀
のヨーロッパを席巻したバロック(不規則なゆが
んだの意)絵画。一方ロココ(貝殻の意)絵画は
18世紀のフランスを中心に展開され、洗練され
た優美さと軽快な装飾性で一世を風靡しました。
この時期は、【絵画の黄金時代】と呼ばれてい
ます。


気に入った2点を添付しました。
一つは、チラシにもなっていたバロックの
【毛皮のフールマン】ピーテル・パウル・
ルーべンス作。53歳の時に再婚、妻エレーヌ
は16歳、輝くような若い妻の自画像を沢山
描き、愛着のあつた作品であつたことが分かる。
これを【毛皮ちゃん】と呼んでいた。

もう一つは、ロココの【若いグリーナー】
ジヨン・ホップナー作
この作品は、落穂拾いをした可愛らしい少女
の肖像画である。遠くに刈入れをしている人達
が描かれている。

今回、バロック絵画は9点、ロココ絵画は6点と
いずれも大きな作品で保存状態も良いため
作品がみずみずしい素晴らしいものでした。


久しぶりの京都盛沢山

2008-02-19 23:23:51 | 美術展




平成20年2月16日
西国33ケ所第18番
紫雲山頂法寺(六角堂)

宗派 天台宗  
本尊 如意輪観世音菩薩

人里離れた清浄な山地に立つことが
多い中で、頂法寺は室町時代から最
も多く民家の密集した京の古い町にある。
西国33ケ所巡りは、平成18年、最初清水
寺の初詣から始って3年越で、残り23番
勝尾寺と番外花山院菩提寺の二つとなった。



   京都文化博物館



     三条堀川 足袋屋店



京都文化博物館
 【川端康成と東山魁夷展】

ノーベル文学賞受賞の川端康成が、
現在を代表する日本画家・東山魁夷
と親しく交流していたことは、これまで
も知られていたが、近年、康成と魁夷
の間に交わされた書簡がまとまつて発
見され、改めて注目されました。
そこには、魁夷の作品や康成が収集
した美術品をめぐる、二人の芸術家の
魂の交流をうかがうことができる。
本展では、往復書簡や魁夷の作品、
川端康成記念館が保管するコレク
ションから3点の国宝や新発見の作品
など、康成が所蔵していた美術品が
展示されていました。康成の原稿なども
展示されていました。


【かわら塾】 


2月16日 午後2時~4時20分
場所   高倉通り (町屋)
師講   神戸山手大学
      都市交流学科教授
      村井利彦
表題   【源氏物語】 賢木(さかき)帖
出席者  16人うち男性3人
切っ掛け 昨年12月から瀬戸内寂聴訳
      【源氏物語】10巻に挑戦して、
現在4巻を読み終わったところです。
利尻会の萱原さんに話したところ、古典
を勉強する会があるということで、今回
紹介されて、初めて参加しました。
瀬戸内さんの訳では、2巻目にあたり、
事前に読んでおいた方が良いとアドバ
イスを受けていました。

【賢木】に進んでいました。この帖では
三つの重大な話の山がありました。
一つは、六条の御息所との野の宮での
別れ、二つは、藤壺の出家、三つ目は、
朧月夜との密会の現場の露見。どの
場面でもスリリングで息もつかせない。

村井
先生は、話し上手でユーモアもあり
1時間ほど経過した時に、お茶の時間が
あり、雑談も楽しく過ごしました。
源氏物語は【女文字】で書かれていたので
男性には見向きもされなかつたとのことで
した。
先般、神戸学院大学で見た源氏の
模写も平仮名で書かれていました。


1ケ月に1回この【かわら塾】は開催され
てきたようです。瀬戸内さんの源氏を読
みながら、解説を聞くというのも、良いこ
とだと又雰囲気も良くて、これからも続け
て行きたいと思いました。


星野道夫写真展 【星のような物語】

2008-02-15 18:11:09 | 美術展

 





日時 2008年2月15日
場所 大丸ミュージアムKOBE
星野道夫さんプロフィール
 30数年前、大学生の星野さんは、
神田の古本屋で偶然一冊のアラス
カの写真集と出会いました。
そこに写っていたシシュマレフ村に
憧れた彼は、はるか遠くの村を目指
して旅し、その村で3ケ月を過ごした。
村人たちとの交流をとおして、
アラスカの自然と人に魅了された彼は
、数年後、ついにアラスカ大学野生動物
管理学部に留学。そのままアラスカに
移住する。

1年の半分近くをキャンプで暮らしながら
、道なき原野を旅し、極北の自然、動物
たちの営み、人々の暮らしを撮り続けま
した。
1996年取材中の事故で亡くなるまで20年
に及ぶ旅の過程で、記録し表現した情景
の数々は、今なお多くの人々を惹きつける。