美杉の小さな庭でおきていること ~カフェ葉流乃音のつれづれ~

 町ナカ(大阪府堺市)から
 山ナカ(三重県津市美杉町)に移住した店主夫婦が
 日々のアレコレを写真とともに綴ります

戦死やあわれ

2018年08月12日 | 好きなコト・好きなモノ・好きなトコロ


戦争が終わって73回目の夏。
お盆の時期になりました。

前から気になっていた詩があるのですが
三重のコミュニティ新聞の記事で
旧:宇治山田市(現:伊勢市)出身の
竹内浩三さんのものだと、ようやく知ることができました。

映画が大好きで、小津安二郎にあこがれ
日大専門部映画科の学生となり
戦時中とはいえ、青春を謳歌していた浩三さんでしたが
学徒動員により、召集され
23歳の若さで、戦死しました。

これが出征前に書かれた詩だということに、驚かされます。
わかりやすいので、同人誌「伊勢文学」を一緒に編んでいた
中井利亮さんの補作バージョンで
ご紹介します。

    

     骨のうたう

戦死やあわれ
兵隊の死ぬるや あわれ
遠い他国で ひょんと死ぬるや
だまって だれもいないところで
ひょんと死ぬるや
ふるさとの風や
恋人の眼や
ひょんと消ゆるや
国のため
大君のため
死んでしまうや
その心や

白い箱にて 故国をながめる
音もなく なんにもなく
帰っては きましたけれど
故国の人のよそよそしさや
自分の事務や女のみだしなみが大切で
骨は骨 骨を愛する人もなし
骨は骨として 勲章をもらい
高く崇められ ほまれは高し
なれど 骨はききたかった
絶大な愛情のひびきをききたかった
がらがらどんどんと事務と常識が流れ
故国は発展にいそがしかった
女は 化粧にいそがしかった

ああ 戦死やあわれ
兵隊の死ぬるや あわれ
こらえきれないさびしさや
国のため
大君のため
死んでしまうや
その心や



今回、竹内浩三さんの詩に巡りあい
とてもたまらないキモチにさせられた詩が
もう一編ありました。
また、追って紹介させてくださいね。


                   はるのん2号
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4 コメント

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戦争について (新谷佐知子)
2018-08-12 16:22:34
詩を読みました。
23歳、自らの前途に自信と希望を持ちそれが揺れることなく突き進んでいける年齢ですよね
それが自らが戦地に行ってから、戦死するかもしれない、戦死してしまったら、それらの事に仮説を立ててどうなるのだろうと冷静に未来を考えられるなんて聡明な人だなと思いました。
そして作者の方が予想されるように時代が変化して行っているのが悲しく思いました。
大勢の方達の犠牲があって今がある事を忘れてはいけないと思いました
返信する
Unknown (guuchan)
2018-08-12 17:15:07
凄い、凄すぎる詩ですね。
自分の近い将来を予知するように、
やはり戦死してしまわれたのですね。
 > 故国は発展にいそがしかった
女は 化粧にいそがしかった

 一人の死がすぐに忘れ去られてしまうことを20歳そこそこで感じなければいけない時代だった。。。
 今 その頃と似ていると憂いている、あの頃をよく知っている政治家や歴史家が語られているのが恐ろしいのです。
 誰もが平和を願っているはずなのに、
間違った方向に進むのはどうしてでしょう。

 この詩はまた何度も読ませていただくことになるでしょう。 ありがとうございました。
返信する
凄いです‼️ (pixy)
2018-08-13 09:39:33
はるのん2号さん、凄い詩を紹介して下さいました‼️
新谷さん、guubhan さんのコメントに全く同感です。昭和38年に松阪市が戦没兵士の手紙集を発刊しています。その編集に関わった『高岡さん』の言葉を引用されて下さい。
『果たして自分にこんなものが書けただろうか。あの時代、客観的に戦争を見ることなど、できただろうかー』。
今、私自分と重ねて、竹内浩三の叫びを大切にしなければ・・・と自分に言い聞かせています。
返信する
間違えました、発刊年 (pixy)
2018-08-13 09:56:15
ごめんなさい!松阪市が発刊したのは、1966年、昭和41年だったみたいです。
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