美杉の小さな庭でおきていること ~カフェ葉流乃音のつれづれ~

 町ナカ(大阪府堺市)から
 山ナカ(三重県津市美杉町)に移住した店主夫婦が
 日々のアレコレを写真とともに綴ります

9月10月の営業予定

2018年08月31日 | カフェ葉流乃音の営業予定とお知らせ
9月10月の営業予定です。

申し訳ありませんが、9月27日(木)は
臨時休業いたします。

よろしくお願いいたします。

コメント (3)
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東海道 関宿 ~散策で疲れたら~

2018年08月27日 | 好きなコト・好きなモノ・好きなトコロ


東海道関宿の、東の追分から西の追分まで
町並みを堪能しながら歩いたら
さすがに足が疲れてしまいますよね・・・
そこでおすすめなのが、観光駐車場にある足湯
小萬の湯。
無料で利用できます(^^)v



地元のボランティアさんたちが交代で管理されていて
いつもとってもきれいです!
初めて利用したとき
ご一緒した地元のおばあさんが
「20分浸からなあかんで」と、教えてくれました。
時計を気にしつつ、20分浸かります・・・
冬でも背中が汗ばんでくるくらい、温まります。
なんでも有馬温泉の金泉と同じ効能があるとか・・・

湯上り(?)には、ごろりと横にもなれる
立派な日本家屋の休憩所もあります。
無料の亀山茶もいただけますよ~(^^)v



いつもながら・・・これだけじゃない!
お楽しみのグルメがあります♡
それは鰻!
初めて来たときは、こんな山の近くで鰻?!
なんて思ったのですが
三重県は、1人あたりの鰻の消費量が
全国で1位だったこともあるそうで
今住んでいる津市には
「“う”まっぷ」なんていうパンフレットまであります(^_^;)



お気に入りの鰻屋さんは“うなぎ 初音”。
“道の駅 関宿”からすぐのところにあります。
11時の開店に間に合わないと
席が埋まってしまいます(特に土・日・祝日)。
いったん満席になると
整理券が配られて、順番待ちです。
しかも、売り切れ次第終了!

大阪に住んでいた時は
11時に間に合わせようと
せっせと車を走らせていました・・・
アホですね。
並んでまで食べるのが大キライなはるのん1号が
唯一、並んでまで食べるお店です(^_^;)



お店のスタッフも気持ちの良い方ばかり。
お掃除も行き届いていて、気持ちがいいです。
お気に入りは“特製おひつまぶし”。
“特製”がついていないのもあるので
お店の方に尋ねてみると
「鰻が違います!」とキッパリ!!
それ以来、“特製おひつまぶし”一辺倒です。



どちらかというと鰻がニガテだった私も
初音の鰻だと、皮が香ばしくて、身はフワッ!
タレもすっきりしていて
ペロリとたいらげてしまいます!

夏バテ解消に、また行きたいなぁ~

               はるのん2号

 <うなぎ 初音>
  亀山市関町新所898-1
  ☎059-596-0157

今度はいつ行けるかなぁ~
               はるのん1号

コメント (7)
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東海道 関宿 ~古民家とその町並みの魅力~

2018年08月22日 | 好きなコト・好きなモノ・好きなトコロ


文化財保護法が昭和50年に改正され
古い町並みが残っている地区を
“重要伝統的建造物群保存地区”として
ようやく保護していくようになりました。

それまでの日本には
景観や環境や町並みを保存・整備するという考え方が
根づいていなかったのかもしれませんね。



私たちが古民家に惹かれるきっかけになったのが
東海道53次の、江戸から数えて47番目の宿場町
“関宿”です(三重県亀山市)。
“鈴鹿関”が置かれていたことから
関宿と呼ばれています。

今から7~8年くらい前に、この関宿を知り
それから四季折々、幾度大阪から通ったことでしょう・・・
                      知らんがな・・・(^_^;)




東海道の宿場町のほとんどが、旧態をとどめない中
唯一、東西の追分の間を、約1,8kmに渡って
江戸時代から明治時代に建てられた町家が残っています。
保存・修復につとめながら、今も人々の生活が営まれています。



東の追分には
伊勢神宮式年遷宮のたびに移設される
内宮の宇治橋の鳥居が、鎮座しています。



大きな虫籠窓と
こてで描かれた漆喰の宝珠が印象的な旅籠
玉屋が歴史資料館として公開されています。



毎年7月の末には、夏祭りが開催され
4基の山車(だし)が繰り出されます。



せまい街道を
大きな山車が挽かれていきます。



“関の山”の語源は、江戸時代から続くこのお祭りにあるそうです。
最盛期には、16基もの山車が出て競い合い
家々の軒先をかすめるように巡行したそうです。

山車が勢揃いすれば、せまい街道はそれだけでいっぱいになり
身動きもとれないほどであったことから
“精いっぱい”の意味で
“関の山”が用いられるようになったとか・・・
本当に、壮観だったんでしょうね(^^)v



夜になれば、提灯に灯がともります。
広場に4基の山車が集合し
上の台車をくるくると回して
その勢いと回す長さを競い合うのが、圧巻ですよ~



今から4年前、夏祭りで訪れた際
初めて“売り家”の看板を目にしました。

歴史ある立派な家が、売りに出されるんや・・・
譲ってもらえるんや・・・

それ以来、古民家での暮らしを夢見るようになったのです・・・



お祭りの夜、浮かれ気分で歩いていたら
冷たいお茶と冷やしたトマトを振る舞われ
「ここは街道筋やから、人の受け入れもいいよ~
引っ越しといで~」と
ニコニコ笑顔で、言われたのでありました・・・
              今思えば、すごい殺し文句・・・(^_^;)



引き続き
「それだけじゃない!関宿の魅力!」をお届けしますねっ♡
                        はるのん2号

コメント (9)
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戦死やあわれ~その2~

2018年08月13日 | 好きなコト・好きなモノ・好きなトコロ


引き続き、伊勢市出身の詩人
竹内浩三さんの詩を紹介させてください。

入隊を前にして
骨となって故国に帰ってくる詩を書く一方で
浩三さんは、次のような詩も書いていました。





    宇治橋


ながいきをしたい
いつかくる宇治橋のわたりぞめを
おれたちでやりたい

ながいとしつき愛しあった
嫁女(よめじょ)ともども
息子夫婦もともども
花のような孫夫婦にいたわられ
おれは宇治橋のわたりぞめをする

ああ おれは宇治橋をわたっている
花火があがった
さあ、おまえ わたろう
一歩一歩 この橋を
泣くでない
えらい人さまの御前(ごぜん)だ
さあ、おまえ

ぜひとも ながいきをしたい


                      ( )内ふりがな:はるのん2号





伊勢内宮の式年遷宮にともない、架け替えられる宇治橋。
子夫婦・孫夫婦と三代揃って、渡り初めの先頭を歩きたい、
その日まで、長生きをしたいという望みを
実は持っていたのだということが、わかります・・・
実際の浩三さんは、骨すらふるさとに帰ってくることは
叶いませんでした。

          *******

最後に、浩三さんが18歳の頃に書いた詩を紹介します。
“三ツ星”といえば、冬の星座オリオンのことだとおもうのですが
浩三さんは、その星に思いを寄せて
純粋でまっ直ぐな詩を残していました。

今後、夜空の星を見上げる時は
きっとこの詩を思い出すことでしょう・・・
                        はるのん2号





    三ツ星さん


私のすきな三ツ星さん
私はいつも元気です
いつでも私を見て下さい
私は諸君に見られても
はずかしくない生活を
力一ぱいやりまする
私のすきなカシオペヤ
私は諸君が大すきだ
いつでも三人きっちりと
ならんですゝむ星さんよ
生きることはたのしいね
ほんとに私は生きている







<出典:竹内浩三著 小林察編 「竹内浩三詩文集~戦争に断ち切られた青春~」風媒社 2008年5月発行>
コメント (13)
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戦死やあわれ

2018年08月12日 | 好きなコト・好きなモノ・好きなトコロ


戦争が終わって73回目の夏。
お盆の時期になりました。

前から気になっていた詩があるのですが
三重のコミュニティ新聞の記事で
旧:宇治山田市(現:伊勢市)出身の
竹内浩三さんのものだと、ようやく知ることができました。

映画が大好きで、小津安二郎にあこがれ
日大専門部映画科の学生となり
戦時中とはいえ、青春を謳歌していた浩三さんでしたが
学徒動員により、召集され
23歳の若さで、戦死しました。

これが出征前に書かれた詩だということに、驚かされます。
わかりやすいので、同人誌「伊勢文学」を一緒に編んでいた
中井利亮さんの補作バージョンで
ご紹介します。

    

     骨のうたう

戦死やあわれ
兵隊の死ぬるや あわれ
遠い他国で ひょんと死ぬるや
だまって だれもいないところで
ひょんと死ぬるや
ふるさとの風や
恋人の眼や
ひょんと消ゆるや
国のため
大君のため
死んでしまうや
その心や

白い箱にて 故国をながめる
音もなく なんにもなく
帰っては きましたけれど
故国の人のよそよそしさや
自分の事務や女のみだしなみが大切で
骨は骨 骨を愛する人もなし
骨は骨として 勲章をもらい
高く崇められ ほまれは高し
なれど 骨はききたかった
絶大な愛情のひびきをききたかった
がらがらどんどんと事務と常識が流れ
故国は発展にいそがしかった
女は 化粧にいそがしかった

ああ 戦死やあわれ
兵隊の死ぬるや あわれ
こらえきれないさびしさや
国のため
大君のため
死んでしまうや
その心や



今回、竹内浩三さんの詩に巡りあい
とてもたまらないキモチにさせられた詩が
もう一編ありました。
また、追って紹介させてくださいね。


                   はるのん2号
コメント (4)
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