鈴木ミチの『ベコぶろ』

会津若松市観光大使・シンガーソングライター・赤べこ評論家の鈴木ミチが、音楽の事や日々の出来事を綴ります。

☆ショックな出来事は突然に・・・

2010-10-23 23:16:26 | ☆Halca-Do MUSIC☆鈴木ミチ
みなさまこんばんは。

今日の日記は長文かつグロい内容なので、注意してご覧下さい。


木曜日に大変ショックな出来事があり、呆然としておりました。
今はずいぶん回復したので、大丈夫なのですが・・・

いつもユニットで活動している、ピアノの杉本バッハさん。
木曜は、亀戸のライブハウスで打ち合わせがあり、その帰りに、2人でマックでお茶して帰ろうという話に。

バッハさん、いつもより青白い顔をしていたのですが、眠い眠いの連発。
またいつもの寝不足なんだろうと思っていたら、急に、『目が回る』と言い出しました。

その1・2分後、急にてんかんの症状のように、目を開けて上を向いたまま動かなくなってしまいました。

びっくりして、何度かたたいたり、呼んだりしているうちに、一度気がついたようでした。

もう時間だから帰る、といっていましたが、何だか調子がおかしいから、もう少し休んでからのほうがいいんじゃない?と話していたと思ったら、また先ほどのように、上を向いたまま動かなくなってしまいました。

何度呼んでも動かない、どうしたんだろうと肩をたたきながら様子を見ていたら、口から血がたれてきました。

はじめは、少しだけだったので、どこから出ているのだろうかと、心配になってきましたが、その後・・・いきなり大量の血を吐き出しました。
それも1回ではなく、4回くらい・・・1リットル以上はあったと思います。

本人は全く意識がなく、そのうち動かなくなってしまいました。

マックの客席の一番端、仕切りがあり個室のようになっていたところでしたが、救急車を呼んでもらう為私が大声を出していたので、多くの人が集まって、救急車を呼んだり店員さんを呼んだりしてくださいました。

もうホント、このときはバッハさんが全く動かないし反応もしなかったので、死んでしまったかと思いました。

店員さんが持ってきてくれたウエットティッシュで顔や手を拭いたりしていたら、急にバッハさんの目が元に戻り、『どうしたの?』と一言。

周りの集まっていた方々もほっと肩をなでおろしたころに、救急車が到着しました。

人ごみの中救急隊員に運ばれていくバッハさん。
マックの客席は血だまり、私の上着も顔も血だらけのまま、救急車に乗り込みました。

マックの責任者の方も、『助かってよかったです。』と笑顔で送ってくださいましたが、店内をあの惨状のまま去るのも大変心苦しかったのですが、大丈夫ですよ、の言葉に甘えて店を出ました。

ただ、救急車に乗ってからも意識はあるものの、血圧が異常に低い状態だったので、安心はできません。
意識が戻ってからはバッハさんは、夜の演奏の仕事に行きだすとずっと言い出して、救急隊の方も私も呆れ顔でした・・・

そして、御茶ノ水の病院へ到着。

18時過ぎに到着するも、処置が終わったのは22時過ぎ。

お医者様の説明によると、胃潰瘍が破裂して大出血を起こしたとの事でした。

破裂した部分を内視鏡で処置。
その日はそのままHCUに運ばれていきました。


バッハさんは一人暮らしかつ、ご家族も遠いし高齢ということもあり、とりあえずは私が付き添い兼、仕事関係の連絡窓口として動く事となりました。

多くの皆さんの協力もあり、入院中の伝達も上手くいき、本人にはとりあえず余計なことはさせずに早く回復するように・・・

おかげさまで、昨晩から流動食が取れるようになり、週明けには退院できそうに回復しました。

今日本人が言うには、自分が吐血したことは、病院で着替える時血だらけの服を見て初めて気づいたとか・・・だからなんで救急車で運ばれていくのかもよくわからなかったそうです^^;

こっちはそれどころじゃなかったのに・・・といいたいところですが、今回ばかりは、命のほうが大事でしたので、助かって何よりでした。

とまぁ、一命は取り留めてほっとしました。
ですが、こういう状況になったとき、人の力って本当に大事だと、しみじみ思いました。
関係者の皆様方にも大変ご心配おかけいたしました。そして数々のお心使い本当にありがとうございました。

今まで病気一つしてなかった身近な人が、このような惨事に会ったのを目の当たりにすると、自分もいろいろと気をつけていかなければいけないなーとも思いました。

この調子だと予定通りのスケジュールで演奏のほうは行う予定ですので、また、バッハさんのすばらしい演奏を聴きにいらしてくださいね!

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