舶匝

堅く評 #大村知事のリコールを支持します #ピーチ航空は障碍者の敵 #静岡県を解体せよ モーリシャス関連は検索窓から

詭弁をサクッと切り返してみよう。対・独裁者「大村秀章」シンパ編 その六(猪野亨特集)

2020-06-15 20:59:52 | 独裁者・大村秀章
冒頭に追記
大村秀章の罪名もとい、謬論表です。

にて紹介した、北大法をその言動で以て貶め続けている「猪野亨」(50期 札幌弁護士会 登録番号25770 https://www.bengoshikai.jp/search/detail.php?kai_code=45&id=25770)が、新たな文章

「大村秀章知事へのリコールは住民の権利?? 批判されると切れ出すネトウヨたち リコール運動に大義なし!! 」

を公開した。

大村知事へのリコールに反対する人たちの中に、住民によるリコールが住民に与えられた権利ということを否定している人はいないんじゃないでしょうか。
分かりやすいすり替え。

「住民に与えられた権利」の行使を妨害するタグ。

「住民によるリコールが住民に与えられた権利ということを否定」しない上で、
「住民に与えられた権利」の行使を妨害する 
……これは害意性の高い行為。
この世を根底から支える相互主義に悖る行為でもある。

「俺の権利は行使可、お前の権利は行使不可」

ジャイアンですら、こうは出ないだろう。



 権利だと言っている人たちの発想の根底にあるのは「権利」=批判を許さないという趣旨に曲解というか歪曲してしまっている発想です。
 権利の意味を全く理解していないというのか(大日本帝国憲法の発想からいえばそもそも「権利」なんていりませんからね)、日本国憲法とは全く無縁です。その権利行使も批判の対象になるのは当たり前のことなのに、これが全く理解できていないというのは憂うべきことです
権利の根底にある相互主義すら、理解出来ていない猪野亨。

(大日本帝国憲法の発想からいえばそもそも「権利」なんていりませんからね)、日本国憲法とは全く無縁です。
明治憲法制定当時、明治憲法の人権規定は世界最先端であったことを念頭に置く必要がある。
一方、法令解釈の技術は、未発達。明文規定の支えのない新たな概念を、編み出す事は容易な事ではなかった。
「法律の留保」を置かなければ、憲法秩序は早晩、崩壊していたでしょう。

ちなみに、明治憲法に明記されなかった国家賠償請求権は、大正時代に、民法の規定を使って実現された(徳島市立小学校遊動円木事件、大判大正5・6・1民録22輯1088頁 。

「大日本帝国憲法の発想からいえばそもそも「権利」なんていりません」は、明治憲法の条文だけでなく、当時の感性・法感情からも外れている事は申し添えて置く。

日本国憲法1条を持ち出して「不敬」だという人は、日本国憲法は学んだことがないのでしょう。象徴だから敬えって、それは間違いで、そうした大日本帝国憲法下の神権天皇制を否定したところに象徴天皇制があるということが全く理解できていないのがお粗末です。

象徴天皇制については
が詳しい。
たしか、司法試験の択一試験を突破する程度ならば、猪野亨の見立てで十分。
しかし、きっちり検討するとなれば、猪野亨の見立てでは話にならない。

そもそも、君主の肖像を毀損する行為が、器物損壊以上の意味を持つことは、
「象徴的行為」として、憲法の基本書の「表現の自由」に関する項目で扱われている。
 基本書くらい読んでほしいものです。

日本国憲法上、象徴以上の意味はなく、そこから不敬だとすることの根拠となるものではありません。不敬罪が戦後、廃止されたのは当然の帰結です。

最判昭和23年5月26日(刑集第2巻6号529頁 
東京高判昭和22年6月28日は、職権で
・新憲法下に於ても天皇が日本の元首であること。 
・公訴事実となる不敬罪そのものは一応成立していた、 
旨を指摘。

天皇の肖像毀損を処罰する規定がないから、かかる行為は刑事罰の対象外の行為であるに過ぎない、という見立てもできる(罪刑法定主義に基づく帰結)。
ちなみに、学部生の頃に読んだ刑法判例百選掲載事件。その解説では、大赦による免訴判決の「社会的影響」を指摘していた。
大赦は、東京高裁係属中に出た。
社会的影響を見越して「敢えて、大赦を与えた」
という見立てもできるのかも。

 大村秀章知事へのリコールでは、公金の使い方だとか、その他、コロナ対策だとか色々と大村知事の「問題点」をあげつらっているものもみますが、コロナ対策で一番問題があったのは安倍総理でしょう。アベノマスクという多額の公金の無駄遣いは批判しないで、

見苦しい詭弁。
「あいつの方がスピード出していたから、あいつだけを取り締まれ」とスピード違反者を弁護するが如く。そんなことをしても、お客さんの「スピード違反」の事実は、抹消できない。

ちなみに当方は、
と。

大村が新型コロナウィルス対策を口実に、教育機関・レジャー施設を引っ掻き回した事を、
当方は幾度か指摘した(沢山あり過ぎるので左上検索窓から検索してください)。
猪野亨は、それらのしくじりに触れないことで、「存在しない」ことにしようとした。
到底、お客さんからおカネ貰えない水準の仕事ぶりです。

あいちトリエンナーレをやり玉に挙げるというのは、そこには「恐れ多くも天皇陛下に対し奉り」という時代錯誤の発想しかないということが露骨に見えてしまうからダサいんです。

猪野亨は、
の問題意識にすら辿り着いていない。

大村秀章らによる適正手続違背を放置・是認・助長するは、
明治憲法以前の状態です。
猪野亨は、猪野亨自身が激しく非難する「明治憲法」よりも前の状態を作り出したがっている。

 リコール運動が愛知県民の権利でも、それに対する批判があって当たり前。それが表現の自由です。
 批判されるのが嫌だというのは、詰まるところ、自分は絶対の正義だという発想しかないからです。オレの正義に従わない者は、みな国賊、不敬、という全体主義のイデオロギーしか持ち合わせていないということです。

この一節は、猪野亨による自己批判でしょうか。
言うまでもなく、
猪野亨の言動は、批判ではなく、
権利行使の妨害(とその扇動)。
いうまでもなく、犯罪の扇動は表現の自由の対象外です(最判昭和24年5月18日刑集第3巻6号839頁)。

その意味では、この大村知事へのリコール運動が批判されて当然だし、これに対して批判を許さない、なんていうのは未だに大日本帝国憲法第3条の発想しかないということです。
 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
 もしかすると本気で「万世一系」を信仰しているかもしれませんね。
 私が一番、たちが悪いなと思うのは、こうした人たちの中には、実は自分こそが一番「偉い」と思っている人たちが少なくないのですが、なのに天皇の権威を利用して、自分の気に入らない他者を押さえ付けようとしていることです。

(「その意味では、」が何を指しているか、不明瞭である点は、些末なので置いておく。)

猪野亨の言動は、批判ではなく、
権利行使の妨害(とその扇動)。

猪野亨は、伊藤博文の「憲法義解」
を読んだことないのでしょう。
読んでいれば、
「もしかすると本気で「万世一系」を信仰しているかもしれませんね。(以下略)」などと
小馬鹿にする言い回しはできない。

(京大法卒・カトリック信徒の当方には、到底できない言い回しです。)

伊藤博文によると、
国家には、
二つの柱が必要である、
と。

「二つの柱」とは、
宗教と君主。
欧州には、キリスト教と君主がいる。

日本では……
尊王攘夷の影響のため、
神道と天皇を、
柱として使う必要があった。
(禁教が解けて間もないキリスト教では、間に合わない)。

それから、維新前から明治憲法制定期にかけて、
日本は分裂・瓦解のリスクを負い続ていたこと(しかも南九州で顕在化したこと)も、
念頭に置く必要がある。

当時の政権首脳部にとって
手近な道具」で以て、
法典が紙切れとならない厳重な工夫を施す必要があった。

その工夫は未だに、生き続けている。
生き続けているからこそ
明治憲法の全面改正たる日本国憲法が、
未だ呼吸し続けている。

少なくとも、
天皇制を斬る刃も、人権を斬る刃も……
明治憲法によって出現し、かつ、日本国憲法の中に存在し続ける「越えられない壁」によって、寸止めを食らわされ続けている。

朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。

 たとえ、名目的・儀礼的存在であっても、
君主の持つ「パワー」は、いざというときに使える。
その「パワー」を減殺しようとしても、得をする人はそう多くはない。憲法秩序の構成要素であるのだから
(光格天皇による権威付けのための工夫から、明治維新までの経緯を念頭に置くと、猶更)

ちなみに、天皇制を斬る刃としての「肖像を焼く」は明らかに、鈍い手。使える手は他にいくらでもある。

それから念のため改めて述べておきますが、昭和天皇の写真を焼くという手法には共感していませんからね。大村知事も同じでしょう。
「昭和天皇の写真を焼く行為が表現の自由? そうですよ 但し、共感を得るかどうかは別問題」

言い訳がましい。
そもそも、冒頭で言うべき。それから大村は「肖像を焼く」について非難したことがない。
見え見えのウソは白々しい。

 津田大介氏らのようなやり方(表現方法)は早晩、廃れていきます。一部の狂信的な人たちからの支持しか受けないからです。ツイッターでも過激にすることで注目を得ようとする手法は定番ではありますが、所詮は狭い世界の話です。
要するに、早晩廃れるから、見逃してくれ

反省の色がない証左。

反省していないから、
つまり、
憲法の構成要素に対する攻撃に邁進したいから

 そのやり方に対する批判は当然にあって然るべきなのですが、それが何故、リコールにまで行き着くのか、そこには飛躍がありすぎ、本来であれあばあいちトリエンナーレに対する批判(言論の範囲でね)は大いにやったらよろしかったのに、それが何故かリコール。
 そこには結局は、「恐れ多くも天皇陛下に対し奉り」という不敬の発想しかないということです。
 そこに大義はありません。
 仮に大村知事への日頃の政策に不満があったとしても、このリコールには関与すべきではありません。 


などという開き直りができる。


ちなみに、知事の権限は強い。
大村秀章が知事の地位にしがみ付く限り、
愛知県民にとっての災難が、教育機関・レジャー施設以外にも降りかかることは、
誰の目にも明らか(知事の二転三転に振り回されたレジャー施設に対する経済的補償は未だ、なし)

#大村知事のリコールを支持します

と、記事で紹介したリンク先を見れば、
猪野亨の狙いは、右派への攻撃。
(あいちトリエンナーレや愛知県政、ましてや現代美術には一切関心ないのでしょう。)
右派攻撃の下心を隠してもっともらしく振舞おうとするから、
白々しさが増し、(薄い頭から出てきた薄い言葉で組み立てられた薄い論証の)説得力が落ちる。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 猛犬に追かけられた事を、思... | トップ | ヤクザにカネを渡すな。持続... »

コメントを投稿

独裁者・大村秀章」カテゴリの最新記事