その理由は三つ。
一、「同意」の対象となるものは何か。
献血(傷害)は、どの立場でも、「同意」の対象となる。
一方、生命侵害は、同意殺(刑法202条)。
では、
その間は?
社会通念上に頼るか否か、という大きな分岐点。
社会通念上に頼ると「同意」の対象は、小さくなる(献血とドイツ・ボンの「ネクタイ切り祭り」くらいに)。
二、「同意」に瑕疵がある場合どうする?
騙されて同意、うっかり同意、寝言が「同意」、
そして、
同意に至る動機を誤認(動機の錯誤)させられて「同意」
特に、性的同意周りは、
その同意に至る動機の見極めが厄介。
(ちなみに、浮気発覚を避けるため、という事件の判例を読んだ覚え。)
三、「同意」を持ち出すと、
保護法益が「意思決定の自由」に変質する。
これは、刑法の各条文が想定していない事態(予見可能性に欠ける)であり、罪刑法定主義との兼ね合いからも難あり。
そして、こんなことがまかり通れば、
刑法典、普通に壊れます。
さて、
「ハグしたい時、相手が何も言わない場合、同意はある?」。3月中旬、性教育の講義で講師に問われた学生は「違う」と答えた。同校が、月1回の「性教育の日」を設けて3年になる。
この日の授業では、誰かと一緒に出かけたい時や食事をしたい時に相手の気持ちを確かめる大切さを確認。性的な行為も「互いの気持ちが大事。同じ気持ちでない時は性的同意はない。嫌な時は『嫌だ』と伝えよう」と念を押した。
ちなみに、刑法・中森教授(御大)は、
わいせつ罪について
「分からん」
と匙を投げた。
学校教育にとって、荷が重すぎる。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます