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「大阪水曜ほっと集談会」公式ブログ

7月15日(火)20時~・7月16日(水)14時~(ZOOM)にて開催します

如是我聞

2020年12月08日 06時36分21秒 | コラム 

大阪水曜ほっと集談会一世です。

如是我聞と言う仏教用語があります。

私は、このように聞かせていただきました、という意味だそうです。

仏(お釈迦様)の説であることを示すために、仏典の冒頭に置かれる言葉です。

森田先生は、仏教用語を数多く使われています。

個人的な解釈ですが、森田先生は、仏教にも造詣が深くあるがままは、仏教の悟りに通じると感じておられたのかもしれません。

また初めて森田療法を学ぶ患者や門下生に簡潔にわかりやすく表現されたゆえかと思われます。

さて、今日は仏教のお話ではありません。

以前集談会に於いて、アドバイス問題が浮上しました。

具体的には、初めて集談会に来られた参加者に対して、いきなり先輩会員が森田療法とはこうですよと説いてしまうことで、上から目線、お説教のような印象を与えてしまう誤りです。

喉元過ぎれば熱さを忘れるということわざがありますが、よくよく気を付けたいものです。

生活の発見会の活動指針には、

第4条として「組織の中の役割名称は、組織活動を円滑にするためのもので、会員は相互に平等である」と書かれている。

自助グループであれば当然の事かと思われます。

また、一部講師と言われる方の中には、森田先生の本意とは別に、自己の体験を絶対視するあまりに、行動重視の行き過ぎた持論を滔々と述べる方があります。

これは、私も常々自戒している事ですが・・・・・

その発言に潜んでいるのは、寄り添い感の欠如ではないでしょうか?

行動による成果は結果であり、森田療法の目指す処ではないと私は感じます。

むしろ私たちは、自己内省をふるに発揮して神経質及び神経質症への自覚を深めることが大切かと思います。

これは、森田先生がひとたび自覚することができさえすれば、十年二十年の迷いでも、必ずいっぺんに悟ることができるのでありますと述べられておられる所以でもあります。

そもそも森田療法とは理論なのかと言う疑問が私には常に付きまといます。

あらためてここで「如是我聞」ですが、

私たちは必要に迫られてアドバイスをしなければならない時に、

「森田先生は、その著書の中で学術的にまたは、形外会に於いてこのように言われています。」

「私は体験的にこのように感じます。」

「このように、聞かせていただきました。」

「参考にするかしないは、聞き手であるあなたの自由です。」

これが基本ではないでしょうか。

集談会に於いて私たちは、一人一人が先生であり生徒であると言えないでしょうか。

「森田療法とは、こうである」と独断的に言い切ったときに森田先生の教えとはかけ離れていく気がしています。

今日は、誤解を承知でこの文章を書きました。

いづれにしましても、自助グループである以上自由に発言しにくい雰囲気が有るとすれば、かなり問題です。

心のよりどころとしての発見会であり続けてほしいと願うのは、私だけでしょうか?

2020・12・8 一世

 

 

 

 


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