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「大阪水曜ほっと集談会」公式ブログ

5月20日(火)20時~・5月21日(水)14時~(ZOOM)にて開催します

とらわれになりきる!

2025年06月13日 05時16分45秒 | コラム 


大阪水曜ほっと集談会一世です。

おはようございます。

本日今から地元の病院にて検査を受けます。

ポリープのできやすい体質なので、

二年に一回ぐらいは検査をしています。

定年退職直後に病が見つかる方が男性には特に多いと聞き及びます。

健康に対するとらわれは以前に比べて本当に減りましたが、

体の発する声には耳を傾けるようにしています。

神経質でよかったと感じるのはこのような瞬間です。

なんとなく違和感を感じたり、直感的にこれはまずいと感じた時は、

できるだけ動くようにしています。

ただ以前と違うのは7日から1ケ月ぐらいは様子を見ることです。

このことによって急を要する病かそうでないかを、

見極めるようにしています。

一旦検査で白黒が付けばとらわれになりきるという、

森田博士の言葉を思いだして、もっと、もっと、とらわれろ!

と、とらわれている自分を観察するようにしています。





※今日の森田博士の言葉

こんなとき、一番たやすいことは、

とらわれになりきればよいのです。

悲しみは悲しみのまま、

苦しみは苦しみのままであるよりほかにしかたがないように、

とらわれはとらわれるよりほかにしかたがありません。

それは私どもの心の事実であります。

悲しいときに喜ぶことのできないように、

とらわれるときはとらわれを否定することは不可能であります。



2025.6.13 一世

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自分で考える生き方!

2025年06月12日 11時33分12秒 | コラム 


大阪水曜ほっと集談会一世です。

定年を控えて先に定年を迎えられた、人生の先輩やYouTubeなどで、これからの生き方を学んでいます。

私の場合、仕事そのものを完全に辞めて趣味三昧の完全リタイアは考えていません。

理由は簡単です。

生活が出来ないからです。





半年から一年をかけて準備して、全く違う仕事で生きて行くつもりです。

できれば今までとは全く違う仕事で、プロとしてお金がいただけるよう取り組んでいきたいと思っています。

そして今度は永遠に定年のない仕事に就きたいと考えています。

組織によって自分の人生が左右されるのではなく、

自分の判断によってのみこれからの人生のハンドルを切っていく、

そのような生き方がしたいのです。

また組織の後ろ盾がなくても私個人として認知されるような、

そのような生き方に憧れるのです。


まあ、好きなことを語るのは自由なので、、、、、、



かつて働き過ぎのサラリーマンを称して、社畜と呼ばれたことがあります。

いつの間にか自分の頭で考えることを忘れてしまって、

言われたことを正確にやる、

それが日々のルーティンになり、

やがて自分の価値観になる。

それがあたかも自分の人生であるかのように錯覚することは、

危険であり恐ろしいことだと思います。

例えが不謹慎ですが、自分は◯◯障害だから、自分はパニックだから、広場恐怖だから何もできないという発想と似ていませんか?

アドラー心理学では、あなたはそれができないのではなく、やらないという選択をしているのだと手厳しいですね。


では、森田療法ではどうでしょうか?



※今日の森田博士の言葉

私どもは、誰でも同時にいくつもの方面のことを考えているのが普通のことであります。

強迫観念に苦しみながらでも、やれば何でもできるのです。

ところが、神経質の人の考え方の特徴として、それをできないことと、理論的に独断してしまうのです。



2025.6.12 一世
※自覚と悟りへの道・白揚社・P143より抜粋





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暇なときほど疲れやすいのはなぜ?

2025年06月11日 09時27分04秒 | コラム 



大阪水曜ほっと集談会、暇になると調子が悪くなる一世です。


定年退職後、私が最も恐れているのが経済的不安ではなく、時間ができることによるぐるぐる思考である。

十代の頃ぐるぐる思考によって散々な目にあったからである。

脳科学の急速な進歩はかつて理論的に、語られていた様々な曖昧な心の状態が、

科学的に実証できるようになった。

その一つがぐるぐる思考という心のとらわれ状態である。

デフォルト・モード・ネットワークによる過剰なアイドリング状態という説明にはなるほどと思う。

しかしながら、なぜ、ある一定の気質を持つ人々に顕著に現われやすいのかという単純な疑問が残る。

デフォルト・モード・ネットワークによる過剰なアイドリング状態を抑えるために瞑想が有効であると言われるが忙しい日常ではなかなか難しい。

私はぐるぐる思考対策として、休息とは仕事の中止ではなく、仕事の転換であるという森田療法の教えがすぐに実践できるのでとても気に入っている。

そのことを発見されたのは、森田博士の大きな功績ではないだろうか?

人は自分のキャパシティ以上の悲しみや苦しみが生じたとき一時的に無気力になることによってエネルギーの消費を最小限に抑えるのではないか?

しかし脳は過剰にエネルギーを消費し続けている。

このアンバランスな状態がぐるぐる思考なる物を生み出すのではないかと、そのようなことを勝手に思ったりする。

森田療法からはさまざまな気づきを頂いているが同じ書籍を読んでも十代や二十代とは違う考えを持つことができるのは年齢を重ねたことによる恩恵かもしれない。


2025.6.11 一世


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紫陽花と終わり良ければすべてよし!

2025年06月10日 10時17分18秒 | コラム 


大阪水曜ほっと集談会雨になると心が落ち着く一世です。

小雨に打たれた濃いブルーの紫陽花を見るとある光景が蘇ります。

それは雑念が気になって勉強に集中出来ず漠然とした不安を感じていた思春期の日々です。

未来が見えなかったあの頃の自分をふと思い出すのです。

あれから45年まもなく定年退職という、人生の節目を迎えます。

自分らしく生きられたのかと問われると少し迷いながらも、イエスと答えるでしょう!

さて日本の将棋の世界には形作りという習慣があるそうです。

これは対局の最後に一番美しい図面を作って終える習慣です。

これをするかしないかで、その棋士の礼節と品格が問われるそうです。

そうかと思うと近年リベンジ退職なる言葉も生まれました。

組織の中でハラスメントやいじめを受けた若者が、組織を混乱させて退職に至るという現象です。

気持ちは正直わからないでもないのですが、自分のやってきたことを更に否定するようで私には向かないようです。

振り返るとどの年代においても私が常にこうありたいという、

強い向上欲に導かれていたように思うのです。

そのために家族や職場の周りを巻き込んだことも事実である。


自分なりに考えた結果、最後に職場でお世話になった人を招いて、

今までの感謝と自分が選んだ仕事の素晴らしさを伝える為のパーティーを企画しました。

自分の職業選択が間違っていなかった、これで良かったのだと思うことで次の人生のステップに進めるような気がしている一世です。

※今日の森田の言葉

なお、神経症に悩むようになる有力な原因として、

強い向上欲があることを挙げておかねばならない。

心身のちょっとした異状が気になり、

それを苦にし、それをなくそうともがくというのも、

もとをただせばそれが自分の向上発展のじゃまになる、と感じるからこそである。

向上発展のじゃまにならなければ大して気にとめないはずである。

自分の心身を、向上発展のために一番好都合な状態にいつも置きたいというのが神経質症状をおこすような人に共通した気持ちなのである。




2025.6.10 一世

※自覚と悟りへの道、水谷啓二先生あとがきより

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運命と宿命はどうちがう?

2025年06月09日 06時50分55秒 | コラム 


大阪水曜ほっと集談会、運命を切り開くという言葉が好きな一世です。 

先日昭和のスーパースター長嶋茂雄さんが逝去されました 。

過去のインタビューで長嶋茂雄であり続けることは辛いこともあったと述べられているのがとても印象的でした。

スーパースターの宿命を背負って産まれた稀有の方という印象ですが、ファンが見えないところで、

陰ながら努力し続けていたとも言われています。


さて、宿命と運命はどう違うのでしょうか?

宿命とは生まれる前に決まってしまうため、まったく変えることはできませんし、避けて通ることはできません。

ちなみに、宿命の「宿」は「前世からの」という意味を表すそうです。

そして、宿命の例としては老・病・死、家族や貧富などの生まれた時の環境、

性別、身長、顔など身体の特徴や運動神経などの特別な才能などがあります。

つまり、生まれてからの努力で変えるのが難しいものを宿命と言うわけです。

森田療法の持つ基本的な考え方として、

変えることが出来ない宿命に対して恨んだり抗うのではなく、

変えていけることにシフトして、

命を切り開くという感じでしょうか?

とてもわかり易くてシンプルな教えだと思う一世です。




※今日の森田博士の言葉

運命は堪え忍には及びません。

たとえば偶然に山から石が落ちてきたとき、死ぬ時は死ぬし、 

助かるときは助かります。 

忍んでも忍ばなくても、 

けっきょくは同じことであります。 

私どもはただ、運命を切り開いてゆくことが大切です。 




2025.6.9 一世
※自覚と悟りへの道・白揚社・P250より抜粋

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