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「大阪水曜ほっと集談会」公式ブログ

7月15日(火)20時~・7月16日(水)14時~(ZOOM)にて開催します

素直であるということ!

2025年02月28日 06時34分40秒 | コラム 


大阪水曜ほっと集談会、少しだけ素直になった一世です。

これは実際に私が体験した、

自助グループ活動でのやりとりの一コマです。

尚、個人情報には一切触れておりません。

一世:私が森田療法に出会ったのが17才で、還暦前になってようやく森田療法がわかってきました。

参加者Aさん:え~そんなに理解するのに時間が掛かるんですか???

一世:思わず絶句、ああ、恥ずかしい!!!

これは、私の体験的理解の話であって、知的には直ぐに理解出来るのです。

只、私の場合知的理解と体験的理解の間に、

かなりのタイムラグ(時間差)が生じていたのです。(^-^*)

まあ、シンプルに言いますと頭が悪い。

ほっといてくれ!

それにしても40年は、

時間が掛かりすぎやろ!!!

その主たる原因は素直でなかったからです。




皆様本来森田療法は、素直に受け取り行動すれば今この瞬間から救われる、元気になれる精神療法なのです。

スポーツの世界でも芸能の世界でも、

もっとも上達の早いのは素直な人であると言われています。

持って生まれた素質もありますが、逆に才子才に倒れるということわざもあります。

森田博士も素直な心、純なる心であるときには、もっともたやすく愉快になり、ほがらかになるものでありますといわれています。

今日は、少し長いのですが、私の好きな一篇の詩をご紹介したいと思います。

※今日の心に響く言葉

茨木のり子氏「汲む―Y・Yに―」

大人になるというのは
すれっからしになるということだと
思い込んでいた少女の頃
立居振舞の美しい
発音の正確な
素敵な女の人と会いました
そのひとは私の背のびを見すかしたように
なにげない話に言いました

初々しさが大切なの
人に対しても世の中に対しても
人を人とも思わなくなったとき
堕落が始まるのね 堕ちてゆくのを
隠そうとしても 隠せなくなった人を何人も見ました

私はどきんとし
そして深く悟りました

大人になってもどぎまぎしたっていいんだな
ぎこちない挨拶 醜く赤くなる
失語症 なめらかでないしぐさ
子どもの悪態にさえ傷ついてしまう
頼りない生牡蠣のような感受性
それらを鍛える必要は少しもなかったのだな
年老いても咲きたての薔薇 柔らかく
外にむかってひらかれるのこそ難しい
あらゆる仕事
すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが隠されている きっと……
わたくしもかつてのあの人と同じぐらいの年になりました
たちかえり
今もときどきその意味を
ひっそり汲むことがあるのです



2025.2,28 一世

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もう一度だけ河野基樹先生にほめられたかった!

2025年02月27日 06時13分35秒 | コラム 


大阪水曜ほっと集談会、不肖のバカ息子の一世です。

私たちの自助グループの元顧問であられた河野基樹医師のことは何度も、何度もこのブログに書かせていただきました。

10代そして40代の人生の危機的状況で先生には救っていただきました。

私たちの自助グループ活動は、自己紹介と近況報告から、スタートします。

10代の頃の私のつたない自己紹介の良い点を必ず取り上げて、

いつもほめてくださったことを想い出します。

それは私にとって社会という荒波に漕ぎ出すための生きる力となったのは確かです。

先生と私は親子程の年齢差に加え、当時地元の大病院の副院長という要職でした。

普通であれば対等にお話が出来る方ではありません。

自助グループでの出会いがそれを可能にしたのです。

先生とは縦の関係ではなく演劇を見に行ったり時には飲みに行っていました。

同じ神経質症状に苦しみ森田療法を学ぶ、一人の人間として関わっていただきました。

私が40代の頃、既に先生は他界されていました。

幸運なことに、生前の先生の講話を集めた、

「生きるとはどういうことか考えてみましょう」

という生活の発見会1997年号外の小冊子を読み返したことでこの自助グループに復帰したのです。

当時の理事長大谷鈴代氏は前書きでこう書かれています。

講演集を通じて、河野先生の人間性に触れ、

先生が森田理論の学習と実践・普及活動に注いだ情熱が今後も多くの人に伝わり、

人生の指針になることを願ってやみません。

当時私たちの自助グループにとって大切な方であったことは、

私ごときが申し上げるには及びません。

森田療法の学びのおかげで自分を自分で承認し、

自分を受け入れることが出来た私は、

職場でも自助グループでも特にほめられたいとは思いません。

しかしながらもう一度だけ河野基樹先生には、ほめられたかったと願う一世です。


※今日の森田の言葉(河野基樹医師の講演集より)

神経質であるという事実、あるいはそういう性格を認めるわけです。

性格を変えるのではありません。

私のがんを治して自己実現するのではありません。

神経質の性格、あるいはいろいろなとらわれ、

そういったものを持ったままで生活して行く。

そこから自己実現ということへ、発展していくのだろうと思います。

自分の置かれている事実を認めよということです。

それが「自然に服従せよ」という森田先生の理論です。

理屈ではありません。

ともすれば、われわれは理屈に走りがちですが、

理屈ではなくて自然を見つめよ、事実を認めよ、

そしてそれに従えということであろうかと思います。



晩年がんを発病されてから河野先生は、

寝たきりになって体を使ってお手伝いできなくても、

人様の悩みや愚痴を聴いてあげる聞き手にはなれるような気がする、

と言われていたそうです。



2025.2.27 一世


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死ぬのが怖い怖い病と生の欲望!

2025年02月26日 07時24分37秒 | コラム 


大阪水曜ほっと集談会一世です。
 
昨日久しぶりに、リモート懇談会、生活の発見会 「JUPITER 」に参加させていただきました。
 
皆さん不安を感じながらも、自身の生の欲望を活かしてすばらしい人生を謳歌されていると感じました。
 
ところで、かつて死ぬのが怖い怖い病になった私です。
 
今では冗談交じりでサラリと書いていますが当時は、
 
メンタルだけではなく働き過ぎで過労死の危険もあったほど心臓が疲弊していました。
 
別名パニック障害といいます。


 
症状は違いますが病と共に生きられた達人と尊敬しています樹木希林さんは、
 
自身の晩年をいつか死ぬではなく、
 
いつでも死ぬと述べられていましたが、名言です。
 
年代に関係なくそのように明日はわからないのが人間です。

私のようなあまのじゃく人間でも、還暦以降、毎日を丁寧に生きることを心がけています。
 
森田療法では、生の欲望と死の恐怖はセットで語られることが多いのですが、両者は比例して高まると思われます。

※今日の森田博士の言葉

死は恐ろしい。

恐れまいとしても無理である。

得がたい欲望は、あきめられない。

あきめられるものは、欲望ではない。

死を恐れるのは、生きたいためである。

生きんがためにこそ、死をも忘れる。

生きる欲望のないものが、

どうして死を恐れたりする必要があるだろうか。

 以下をクリックしてください。

生活の発見会 | JUPITER

 



2025.2.26 一世

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栗山英樹監督の真心と森田の純なる心!

2025年02月25日 08時16分42秒 | コラム 


大阪水曜ほっと集談会一世です。

WBC監督として世界中に衝撃を与えた、

栗山英樹氏の『信じ切る力』読ませていただいた。

久しぶりに良書に出会った気がした。

この書は野球を題材にした普遍的な人間学であると思った。

メニエール病を持ちながらいつも前を向いて生きてこられた姿に感動した。

病は違えど、神経質症との向き合い方にも参考にさせていただいた。

私より1才上の同世代、それにしても魅力的な人である。

森田療法で言われる自己内省が至る所にあふれていて学びの宝庫である。

あのWBCの優勝は、強い信念と緻密な計画そして選手を家族のように信じ切る力がもたらした必然的な結果だと思った。

野球が好きだ、野球が上手になりたいという純なる心が栗山英樹氏の原点である気がした。



※今日の心に響く言葉(栗山英樹氏著・信じ切る力・講談社より)

人を信じて、心の底から信じ抜いて共に前に進むことは、

どれだけ己の心の中に穏やかさ、嬉しさ、

喜びを与えてくれることか。

どんな結果だとしても、その真実の思いは必ず相手に伝わっていきます。

それは時間がかかるかもしれない。

それこそ自分がいなくなってからかもしれない。

ただ、その本物の真心はいつか必ず力を与えてくれます。

そう思えるなら、こんなに幸せなことはないはずです。

そんなきれいごとで世の中、渡れないと言われるかもしれない。

それでもいいじゃないですか。

自分の真心を示す、

これ以上素敵な生き方はないと思っています。

私がここまでで学んだ大切な宝物です。



私は栗山英樹氏は、プロ野球監督というかたちを借りたすばらしい教育者だと思うのです。

そして森田博士も精神医学者という名の教育者であられたと思うのです。

真の教育者から学べる私たちは、心底幸せであると思うのです。



2025.2.25 一世

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人生最大のモテ期がやってきた?

2025年02月24日 06時22分22秒 | コラム 


大阪水曜ほっと集談会一世です。

お正月に初詣で八方塞がりとでましたが、恋愛運だけは最高でした。

今年はモテ期だそうです。

そういえば、先日も美女とデートしている夢を見ました。

妄想か?

さて職場や家庭、更に自助グループ内でも人間関係でとことん苦しんできた私です。

それは裏を返せば人が好き、人と仲良くしたい、人とわかり合いたいという強い欲求があったのです。

10代の私は友達がいなかった。

とても寂しかった。

今そのことを私は過去形で話すことができます。

それは森田療法の学びのおかげだと思うのです。

今の私は仕事や自助グループ活動、地域活動などで毎日、

数え切れないぐらいの人と出会います。

5才の孫娘から90歳の人生の大先輩まで幅広い人間関係に包まれていることを本当に嬉しく思います。

どんな人からでも学ぼうという気持ちがあるのでどんどん相手も話をしてくれます。

自分で言うのもなんですが、

どこに行っても何かの役割が与えられますし、最近頼まれごとも増えました。

それをどんどんこなしているうちに違う自分になっていることに気がついたのです。

仕事でも自助グループでも地域の活動でも感謝されたりお礼を言われることが増えました。

私はそれを意図していたわけではありませんが、結果としてそうなるのです。

孤独で人付き合いが苦手、常に相手のとの間にハードルがあった私から社交的で明るくて元気な私になっていたのです。

もちろんそれは一過性のことです。

常に元気で明るく振る舞うことは不自然です。

それでも私は心が満ち足りているので、1人の時間も鬱々とした自分もとても大切に出来るのです。

毎朝30分から1時間、出勤前にこのブログを書くことで、

自分と向き合う時間をとても大切にしています。

今日のブログは自己満足と自慢からではありません。

このような場を与えていただいた自助グループ森田療法に心から感謝をしているのです。

私の中に見返りを求める気持ちが全くないというと嘘になります。

森田療法から学んだ自分に与えられたものを最大限活かして人が喜んでくれることをする。

そのことで私自身がとても満たされているからです。

今私は人生最大のモテ期だと思っています。


※今日の森田博士の言葉

およそ自分が善人として、周囲の人から認められるためには、

人が自分に対して気兼ねし遠慮しようが、

うるさく面倒がろうが、人の迷惑はどうでもよいということになる。

これに反して、人を気軽く便利に、幸せにするためには、

自分が少々悪く思われ、間抜けと見下げられても、

そんなことは、どうでもよいというふうに、大胆になれば、

はじめて人からも愛され、善人ともなるのである。

つまり自分で善人になろうとする理想主義は、

私のいわゆる思想の矛盾で、

反対の悪人になり、

自分が悪人になれば、

かえって善人になるのである。



2025.2.24 一世

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