「大阪水曜ほっと集談会」公式ブログ

8月20日(火)20時~・8月21日14時~(ZOOM)にてリモート集談会を開催します

夫婦の絆と森田療法 

2018年04月22日 22時27分33秒 | コラム 

最近の夫婦の会話で、妻に「義母のことを優先せずに、こちらを主に考え行動してくれよ。」と言った。

(妻は自宅と88歳の母が住む実家との間を行ったり来たりの生活をしている…かなり大変)

妻の「そんなことはない。丁度1年前の夫婦離婚の危機を乗り越えて以降、同時全方位的に、自然体であなたのこと、自分の親のことを考えて行動している。」との言葉に、いかに私がまだ自己中心的、幼弱性の中にいることを痛感した。

森田を学び、発見会に入会し1年半で、一進一退している自分なのに、ある意味すっかり成長している妻の現在に、慄く私。


妻の何気ない言葉使いにも、ざわざわずる自分がいるが。


私の場合、普通神経症なので、胃の不調に注意を集中すればするほど、その感覚は鋭敏となり、ますます症状を固着させるという悪循環がある。

この神経質な性格を陶冶し、そこから派生する精神交互作用…この作用を充分に感じながら、事実を体得し、現在になりきっていきたいものだ。


スポーツジムにも1年ぶりに、復帰し、妻と二人で週に1~2回でかけて汗を流した後の、二人で食べる外食のディナーは格別の楽しい至福の時間だ。


最近読んだ、五木寛之著『人生の目的』の中に・・・「私の周りには肉親、家族の絆にかんじがらめになって苦しい毎日を送っている友人や知人などが、驚くほど多い。辞書〈絆〉の項には、〈繋縛けいばく〉という表現もある。たしかに長年苦楽を共にしてきた夫婦愛のほうが、家族や肉親への愛情より深く、強い場合が多い。」

私の場合、これからの数年がある意味、試練の「時期」であるが、森田療法に出あったことで、気分本位から目的本位に「生涯人生勉強」をさせて頂けるという意味で充実している。


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森田の言葉

2018年04月11日 23時10分56秒 | コラム 

運命は切り開いていくもの

運命は堪え忍ぶにはおよばぬ。例えば偶然に、山から石が落ちて来た時に、死ぬ時は死ぬ。助かる時は助かる。耐え忍んでも、忍ばなくとも、結局は同様である。我々はただ運命を切り開いて行くべきである。正岡子規は、肺結核と脊椎カリエスで、永い年数、仰臥のままであった。そして運命に耐え忍ばずに、貧乏と苦痛とに泣いた。苦痛の激しい時は、泣き叫びながら、それでも、歌や俳句や、随筆を書かずにはいられなかった。その病中に書かれたものは、随分の大部であり、それが生活の資にもなった。子規は不幸のどん底に有りながら、運命に耐え忍ばずに、実に運命を切り開いていったという事はできないであろうか。これが安心立命ではあるまいか。

(森田正馬全集第5巻、261頁)


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