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「大阪水曜ほっと集談会」公式ブログ

8月19日(火)20時~・8月20日(水)14時~(ZOOM)にて開催します

自分の正義を押し付けていませんか?

2025年08月23日 09時54分06秒 | コラム 


大阪水曜ほっと集談会一世です。

先日盆踊りの集まりで、よかれと思って言った一言に逆ギレされて不愉快な思いをしました。

どんな世界でも考え方の違う人はいて、それをまともに受け止めると苦しみの対象になります。

振りかえりますとサラリーマン時代も、仕事でよいと思って言った発言で、

反発されたり、真面目にやっているのになかなか評価されなかったり、

逆に誤解を招くことが多かったと思うのです。

今わかるのですが、そこには自分の考えの押しつけがあったように思うのです。

人間関係の苦しみについて考えるときに、そこにはある思い込みがあると思うのです。


×人間関係がうまくいかない。

※上手くいくのが普通であるという思い込み。

×自分が正しい。

※相手が悪いのだという決めつけや思い込み。

×症状かあるからできない、症状がなくなればできるのに!

※症状があってもできることはある、なくなるのを待っていれば、その機会は永遠にこない。

これが事実ではないでしょうか?

森田療法の事実唯真とは、本当に深い言葉だと思うのです。

事実とは、自分にとって都合の良い事実もあれば、そうでない事実もあります。

同じ事実でも自分のというフィルターを通してみますと、相手が悪い、

すべて周りが悪いとなります。

そこには自分が変わるのではなく、相手が変わるべきであるという、

私の決めつけがあったと思うのです。


現実の自分とこうあるべき理想の自分に苦しむ、思想の矛盾の芽は、その頃から私の中に育っていたと思うのです。

森田療法は、自分の思いや経験ではなく事実からどう判断するかを常に私たちに教えてくれているのですね。

とてもシンプルでわかりやすい精神療法だと思うのです。




2025.8.23 一世

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人間が怖いという感情について

2025年08月22日 10時18分01秒 | コラム 

大阪水曜ほっと集談会一世です。

昨夜盆踊り大会の世話役として参加していました。



職場の嫌な人間関係がなくなり、ほっとしたのもつかの間、

どんな場面でも相手の気持ちに寄り添うことなく、

色々ごちゃごちゃ自己主張する人がいるのも事実です。

後味の悪いまま、かなり疲れて真夜中に帰宅しました。

社交不安障害という症状があります。

人前で極端に緊張する。

不安でしかたがない。

人間が怖い。

それをあってはならないこととして否定・排除しようとすればするほど、自縄自縛状態になるのです。

ついには職場はもちろん、プライベートな場にも参加できなくなる人もいます。

人間が怖いという感覚は、通常であれば到底理解できない感覚ですね。

しかし私は、本気で人間は怖いと思うことがあります。

お金の為や権力を維持する為であればどんな手段も選ばない、

そのような理解出来ない人種がどんどん増えている気がするのです。


社交不安障害や対人恐怖症といわれる人たちは、

本能的に人間のもっているこの深い闇を感じ取る能力に、

とても優れた人たちと言えるのではないでしょうか!


人間には怖い闇のような理屈では割り切れない部分があります。

教育関係者や企業の上層部の初めからその事実に蓋をして、

いじめやハラスメントはないという隠蔽からは、

何も生まれないと思うのです。

人が怖いという感情、心の闇それを事実として、あるものとしてどう生きていくかが今、私たちに問われている気がするのです。





※今日の森田博士の言葉

われわれの他人に対する愛憎というものは、

なかなか複雑なもので、

決してとおりいっぺんの理論どおりにはいかない。



2025.8.22 一世

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生きる苦しみと森田療法!

2025年08月21日 09時33分03秒 | コラム 


大阪水曜ほっと集談会一世です。

先日自助グループの集まりで、もし森田療法に出会っていなかったらというテーマで少しお話をしました。

詳細は個人的なことも含まれますので触れませんが、

皆様異口同音に森田療法との出会いがなければ、

今の自分はあり得ない、想像できないというご意見が多かったです。

私自身はどこかで生活が破綻して、症状さえなかったらと天を呪い、

挫折感に苛まれながら空しい人生を送っていたような気がします。


最近つくづく思うのです。

日々普通に生活するだけでも、すごいことなのですね。

皆さん生活のために嫌な仕事や人間関係に苦しみながら、

仕方なく暑さの中で熱中症のリスクを背負い真っ黒になって働いておられます。

加えて、パニックや強迫症状に苦しみながらも最後まで自分をあきらめずに前向きに生きておられる姿は、本当に尊いですね。


自分も2ヶ月前までそのような生活をしていたのに、

喉元過ぎれば何とかで冷房の効いた部屋でパソコンに向き合いながら、何だかとても居心地が悪いのです。

どんどん物の値段が上がり、給与が追いつきません。

日々食べて、寝るだけでも本当に大変なことだと思います

今考えても不思議ですが、還暦まで心の苦しみばかり問題にして、

生活の苦しみを感じることがありませんでした。

経済的に余裕があったわけではないのですが、

心の問題が最優先で世間の人々が日々生活苦と悪戦苦闘されていることが、まったく見えていなかった気がするのです。

森田療法を通じて心の事実と世の中の事実が見えてきたことに、

今は感謝以外の言葉が見つかりません。



2025.8.21 一世


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態度価値と最後の自由!

2025年08月18日 08時00分16秒 | 集談会日記


大阪水曜ほっと集談会一世です。

この2ヶ月ばかり退職後生活のめまぐるしい変化について行けず、

先々への不安や家族関係のストレスを抱えていました。

気分転換にある講演会とミニコンサートに出かけました。

講演では、精神科医フランクルの言葉を引いておられました。

参考になったので紹介致します。

ビクトール・フランクル(1905-1997)はオーストリアの精神科医です。

代表作に「夜と霧」があります。

ロゴセラピーという精神医療の方法論を独自に確立し、実践したことで有名です。

フランクルは、創造価値・体験価値・態度価値について述べられています。

そのなかでも私は態度価値について森田療法との類似点を感じたのです。

態度価値とは、人間はどんな状況に置かれてもある態度をとることができる価値といわれています。

彼は強制収容所という過酷な環境から奇跡的に生き残った体験から、

全ての物事や事象に対して、どのような価値を下すか、

どう判断をして意味付けをするかは人間に与えられた、

最後の自由であると説くのです。

これを症状の問題に置き換えてみましょう!

広場恐怖があるから、パニックがあるから、自分はだめである。

何もできない、人生に絶望する。

そういう見方がある反面、この症状のために健康を意識することができ、自分はまだこれからできることがいくらでもある。

働きすぎによる過労死を回避することができた、

人間関係に深入りしてトラブルに巻き込まれず適度な距離を持たせることができた。

このように考えることもできるはずなのです。

フランクルはアウシュビッツの体験から、歌人正岡子規は結核による寝たきりの生活から、

森田博士は神経症とさまざまな死別体験そして晩年は重い結核性喘息から態度価値を得られたのです。

その運命を呪い絶望することもできたはずです。

しかしこれらの人々はそこに人生の意味や自分に与えられた使命を見出し生きる態度を180度変え後世に残る仕事をされたのです。

私が10代から20代に掛けて自助グループで森田療法を教えていただいた※河野基樹医師も晩年、末期ガンでも自分にできることはあると車椅子で講演活動をされていました。

そのことにより多くの人々が森田療法に出会うことができたのです。

最後に口笛とオカリナの演奏がありました。

楽器よりも正確で、美しい口笛の響きにしばし心が癒やされました。

人間の無限の可能性をあらためて感じました。

待っていても、還暦過ぎのおじさんには、誰も手を差し伸べてはくれません。



そのことを、痛感した一日でした。


2025.8.18 一世

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正直な気持ちを言いますと、、、、、

2025年08月17日 06時11分51秒 | コラム 


大阪水曜ほっと集談会一世です。

ネット環境が悪くパソコンが使えたり使えなかったりで、

暑さに加えてイライラがピークの私です。

定年後の生活で何が苦しいかと言いますとお金の問題でもやりがいの問題でもありません。

家族関係の苦しみです。

一時期奥さんが、定年後旦那さんが毎日家にいて鬱陶しくて病気になるいう夫源病という言葉が流行りました。

それもわかりますがお互い様だと思うのです。

シニア世代の症状の背景には意外とそのようなことが随分あると思うのです。


ちなみに私の配偶者は家内ではなく家外なので、これもまた仕事ばかりの私と、顔を合わせることが少なかったのですが、やはり予想通りぶつかることが増えました。

これに加えて80代の両親が配偶者側に参戦して見事に撃沈です。




定年後職場の人間関係のストレスはなくなりましたが、新たなストレスが生まれています。

人生は思い通りになりません。

ここをどう乗り切るか、森田療法の本当の学びは今からのような気がする一世です。



2025.8.17 一世

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