餃子倶楽部

あぁ、今日もビールがおいしい。

眠り、そして平和と彼岸花(その 2 : 出雲篇)

2017-10-01 21:04:52 | 札幌SKY
『暗闇の中でひとりでじっとしているとね、
 私の中にある何かが
 私の中で膨らんでいくのがわかったわ。
 …その何かが
 私のからだの中で
 どこまでも大きくなって
 最後には私そのものを
 ばりばりと破っちゃうんじゃないか
 っていうような感じがしたのよ』

(村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』)



いくつかの浅い眠りを繰り返しながら、
僕は小刻みな夢をみていた。

それは夢とゆうには抽象性に欠けた
よりはっきりとした
具体な日常の続きの物語が、
脈絡なく分節されて
エピソード描写されていく。

そしてまた浅い眠りへ。

・・・

やがて
朝陽のようなモノの気配を感じて
僕は
間仕切りの青いカーテンを静かに開けた。



スマホの画面に数字が光っていた。

06
40

毎日の暮らしの朝、
まくらもとに置かれた僕の目覚まし時計は
6時40分にセットされていた。

この旅においては
タイマーをセットしたわけでもないのに、
いつも通りの時間に目覚めてしまう。

広島へと向かう新幹線の乗車時間まで
まだ2時間半以上もあるとゆうのに。

僕は
足元の戸棚に置かれていた
コミック『岳』1巻と2巻を抜き取って
ディパックをまくらの上に重ね置き、
頭を高くした状態で
寝そべって漫画を読み始めた。

石塚真一が描く『岳』は
山岳救助ボランティアの
島崎三歩を主人公とした
山岳遭難にまつわる数々の物語で
構成されている。



20代の頃、
僕はタカユキといくつかの山に
登っていたことがある。

もちろん島崎散歩が得意とする
ロッククライミングなどではなく、
安全な登頂路を利用した登山だ。

だから遭難の経験はない。

正確にいうと、
(もしかしたらこれは遭難ではないか?)
と思われる早春の登山が一度だけ、
あった。



北アルプスを中心とした島崎三歩の活躍は
生と死が絡み合って構成されていた。

僕は
1巻目から山岳遭難救助のエピソードに
グイグイと引き込まれ、
2巻目のエピソード「クライマー」に及ぶと
不覚にも涙が頬を伝った。

ここでようやく気がついた。

なぜこちらのゲストハウスが
「ミナトヒュッテ」という名前なのか、を。

カフェの壁に投射された南アルプスの映像

カウンターに置かれていた上高地のジオラマ

書棚に置かれた山にまつわる本や雑誌

そうか、
ここはヒュッテ、山小屋なんだ。

ミナトまち神戸にある、ヒユッテなんだ。

いろいろな旅人たちが
それぞれの目的をもって
行き交う通過点であり、
そんな旅人たちのやすらぎの場所作りを
宿主はきっと目指したのだろう。

僕は自宅から持ってきた
ラカルトニュー5で歯を磨き、
メンズビオレで顔を洗い、
身支度を整えて
ディパックを背負った。

ヨッ・コラショ…

朝のかすかな秋風を感じながら、
僕は新神戸駅に向かう稜線を歩いた。



まずは広島で
キヤスと落ち合う約束をしている。

その後、
目指す次のヒュッテは
出雲だ。



新神戸発のぞみ5号(博多行)は
定刻を1分と違わず9時18分に出発。

ビュワン・ビュワンと過ぎる
車窓をみつめていると、
フイに子どものころ歌っていた曲が
頭の中で奏でなった。

 ビュワーン
 ビュワーン
 走る~
 青い光の超特急
 時速250キロ
 飛んでくようだな、走る~
 ビュワーン
 ビュワーン
 ビュワーン
 走る~

(童謡「はしれ ちょうとっきゅう」)

73分の時間を経て10時31分、
定刻通り広島駅に到着。

ニッポンレンタカー広島駅前店で
手続きをしていると、

ガラガラ・ガラガラ…

大きなキャリーケースを引っぱりながら
キヤスがやってきた。

「いいでしょ、
 このキャリーケース。
 佐世保市へのふるさと納税で
 いただいたんだ」

旅のレンタカーはトヨタWISH。
2人旅には広すぎる7人乗だが、
途中からの旅人合流を考えて選んでみた。



広島都市高速に乗って
中国自動車道を経由、
三次東インターからは
松江自動車道で中国地方を横断していった。

山深いみどりの道を
ヒタリヒタリ
ただただ走り続けていった。

キヤスは、
昨年の四国旅を思い出して、
種田山頭火の句を諳んじた。

分け入つても分け入つても青い山

この句が
日照りの続く夏時分の山道を
登り降りした山頭火の心境を
歌にしたものではなく、
自らの迷いの深さを
山の青(みどり)の深さに重ねた句
であることを学んだのが、
2016年5月の旅であった。

山陰自動車道に合流すると
カーナビの指示に従って
斐川インターで高速を降りた。

出雲そば「かねや」で蕎麦をいただく。

僕は
三色割子3段を注文、
キヤスは
三色割子4段を注文。



「うーん、5段でもイケたな!」

キヤスの言葉に大きく同意するほど
手打ちと思しき蕎麦は
とても美味しかったのだが、
3段で1,100円
4段で1,400円
とゆうご立派なお値段だ。



お昼すぎ、
出雲大社に到着。

松の参道を歩いて拝殿を目指す。
銅鳥居の手前にある
手水舎(ちょうずや)では
ほかの観光客の様子をみながら
ひしゃくで水を汲み、
左手と右手、口を清める。



御仮殿では
二拝四拍手一拝。

最近は欲しいものも特になく、
ただただ、
健康であればそれでいい、
つくづくそう思っている。

みんなが健康で過ごせますように…

そんなことをお祈りし、
最後は日本一大きな注連縄がある
神楽殿を参拝。

パシ・パシ

パシ

100円玉を賽銭箱に入れてみる。

ガラガラ、ガラ

大切なのは
気持ちである。





駐車場へと向かう松の参道を再び歩く。

すると、
キヤスが参道脇の芝生に向かい、
スマホをかざして写真を撮り始めた。

「何?その赤い花…」

「彼岸花」

「あ…彼岸花」

「そう、彼岸花」

そこには
数多くの彼岸花が群生していた。

彼岸花…
土手や田の畔に多くみかける彼岸花に対し、
僕はあまり良い印象を持っていなかった。

それほど植物に詳しいワケではないのだが、
周囲の風景に馴染まないあの赤い色が、
僕には(死)を連想させた。

名前も、彼岸・花である。

大国主神を祭り、
八百万の神々が集う日本最古の神社、
出雲大社。

その大社に群生する彼岸花。

僕は今来た道を振り返り、
もう一度手を合わせた。

みんなが健康で過ごせますように…



八百万の神々は
10月10日に
稲佐の浜から神迎の道を通って
出雲大社を訪れるとゆう。

僕たちは
神迎の道から稲佐の浜に向かった。



今宵の宿、民宿・白砂は
稲佐の浜ななめ向かいにあった。

本日、
旅の初日にWISHは204.6キロの距離を移動。

おつかれさまでした。





民宿仕様の
ステンレスなお風呂に入って汗を流す。

僕たちは瓶ビールで乾杯、
女将お手製の
晩ごはんをいただいた。

親戚の家で食べるご飯のようだ。

この日の宿泊は、
僕たち以外にもう一組。

その一組は夜遅くの到着なのだ、
とゆう。

「どうですか…最近は」

キヤスの問いかけに
僕がこたえる。

「最近ね、夜が眠られません」

「あっ、俺も…」

「あっ、そう?」

「そう…
 寝付けないんだ
 なんだか夜中に目が覚めちゃってね…」

僕は
木更津に住む岩波が言っていた名言を
思い出して
キヤスに伝えた。

「岩波が言っていたけど、
 眠るのにも体力がいるらしいぞ」

「へぇ…
 そうか…
 そうなのか…
 そうなのかもしれないな…
 眠るのにも体力がいるんだな…」

「うん、
 そうらしいぞ…
 俺たちは
 もう
 52歳だかんな…」

「だかんな…」



ノリのきいた
白い新鮮なシーツを
ふとんの上に大きく広げて
(バサリ)
四隅をていねいに折り込み入れる。

ふとんの上に
まくらを
(ポン)
と置くと、
豆電球の紐を
(パチン)
と引っ張って灯りを消して
僕たちは
出雲の夜を迎えいれた。



うす暗い眠りの階段を
ゆっくりと降りていくと、
手狭な踊り場に行きついてしまい、
すぐに目が覚めてしまう。

その先にあるだろう階段を
ゆっくりと探しだして
僕は
もう一度、
もう一歩を踏み出して降りていった。


(つづく)






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2 コメント

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まだまだ (しなもん)
2017-10-02 22:26:26
気ぜわしい毎日の中、今の楽しみは餃子だよ🤗
まだまだ、私は登場しないけどね、、、😘
返信する
今年は… (ユカリ)
2017-10-09 17:51:05
出雲からいずこへ?なんちゃってσ^_^;
出雲大社は亡くなったおばあちゃんと訪れたことがあります。
おばあちゃんが私の良縁を願って、計画してくれたのですが、未だに残念(^_^;)
続きが楽しみです。
返信する

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