餃子倶楽部

あぁ、今日もビールがおいしい。

入園式

2018-04-18 04:25:51 | Speak, Gyoza

 前回の記事でも書いたように、愚息は幼稚園を卒園し、4月から晴れて小学1年生となった。彼の入学式があった4日後、慌ただしくも、今度は長女りつの入園式を迎えた。長男が3年間通ったのと同じ幼稚園で、同じく今年から年少・年中・年長と3年間通うことになる。兄妹で6年間同じ幼稚園にお世話になるというわけだ。
 残念なことに、僕は仕事があったので彼女の入園式には臨席できなかったのだが、4月生まれで発育もよい彼女の、すでに着こなしつつある制服姿が映った入園式の写真を家内に見せてもらった。

 入園式の1週間ぐらい前だっただろうか、家内からこんな話を聞いた。
 何かの折に彼女が長女に、幼稚園は楽しみ?といったようなことを訊くと、りつは

「りっちゃん、まだ幼稚園生にはなりたくない。赤ちゃんのままでいたいから」

と答えたそうだ。

 それを聞いて、僕は彼女の気持ちがよくわかるような気がした。
 若い頃、僕はしばしば外国へ一人旅に出たのだが、出国の日が近づくにつれて、期待というより不安ばかりが募ってくるのを身にしみて感じていた。旅の計画を立てている間はあんなにも期待に胸を膨らませていたのに、いざその本当の瞬間が間近に迫ってくると、言いようもないほどに気が重くなってくる自分がいつもそこにいた。何故、この快適な環境を離れ、言葉も通じずどんな危険や面倒が待っているのかもわからない初めての土地に、まさに手探りの試行錯誤を繰り返さざるを得ず、うまくいかなければ、その度に挫折や失望に苛まれる新しい地平を目指すのか、と。
 長女も、程度の差こそあれ、同質の不安を予感していたのではないか。安全な我が家にいれば、何の苦労もなく快適だ。好きなおやつだってタブレットだって何でもある。しかし、幼稚園では、部分的にせよ、そうした馴染み深い環境を剥ぎ取られてしまうのである。

 キルケゴールは『死に至る病』の中でこう書いている。

世間の眼から見ると冒険は危険である。なぜであるか?冒険には失敗の可能性がつきまとうから。冒険しないこと、それが賢明である!しかも我々は冒険さえすれば容易に失うことのないもの(よしほかにいかに多くのものを失おうとも)をかえって冒険をしないために怖ろしいほどやすやすと失うことがありうるのである、—すなわち自分自身を。(キェルケゴール著『死に至る病』斎藤伸治訳・岩波文庫)

 そしてその数行後で、

最高の意味での冒険とは自己自身を凝視することにほかならない

と述べている。

 齢4歳を迎えたばかりの長女りつもいつか思い知るときがくるのだろうか。
 個人的であろうとする人間はみな宇宙の旅人であり、希望と挫折、再起と達成、そしてそれに伴う不安や恐怖と喜びや満足のうちに人間の成長と幸福があるのだということを。
コメント (2)
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