第0002号
*****(制作終了)*****
制作進行中の分はこちらから。
制作終了した分はこちらから。
全ての紹介分はこちらから。
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(『大人の場面緘黙症(ジストニアやイップスなど)』でお悩みの方は第0010号・第0011号・第0012号と第0047号もお読み下さい。)
・『ブログ』を始めるにあたって②
皆様こんにちは、お元気にしておられましたか。皆さんの中にもその“特定”の場面でのその“最適”な言葉が『発声困難』に陥ってしまう『大人の場面緘黙症(バメンカンモクショウ)(ジストニアやイップスなど)』の当人や、その家族・知人・関係者の方が居るコトと思いますので。そういった方々へ、私がこれからこのブログを進めていく上で、期待はずれで問題発言な差別的モノイイの失言や失礼を働きますコトを始めに告白し、まずはおわびとさせていただきたいと思います。
失礼致します。
・本文(2)
皆さん方がこの先このブログを読み進めていき、その“特定”の場面でのその“最適”な言葉が『発声困難』に陥ってしまう『大人の場面緘黙症』のコトを、その当人や周囲の方々が理解して、その改善・解消のためにかなりの努力で、『良好な発声』を目差す『場面緘黙症対策』を思惟・実践したとしても、ハッキリ言いまして『発声困難』に陥ってしまう『大人の場面緘黙症』が必ずしもその当人の思いの通りにその努力が報われて改善・解消するとは限らないのです。
・概要0002
「足が悪いまま改善しないと診断された場合でも、普通に歩行するためのリハビリを想定してその訓練に励む“努力”をする事は決して“無駄ではない”はずで、そういった“努力”が無ければ起こるかもしれない“奇跡”も決して起こらないし、たとえ歩行が出来なかったとしてもその“努力”は別の形で必ず“ご褒美”をもたらしてくれるモノだからだ」というような認識を持つことは、うまく行かない事の多い人生において“成功”を修める上で欠かすことが出来ないモノである、という考え方は『大人の場面緘黙症』には効果が無く、『場面緘黙症対策』としても通用しないのだが、それはその考え方が「自らの理性によって物事を考えて合理的に対処する」という事を拒否するモノだからである。
~~~概要0001~~~
ギャンブル依存症や、宗教の原理主義やカルトと同じような、自分の行いを「とにもかくにも」“正しい”と判定できる事への『ワクワク!の心理構造』が『緘黙症対策』にも働いて、“かりそめの正しさ”に目を奪われてしまい。自らの理性で『緘黙症対策』を考える事を「“悪知恵”の穢(ケガ)れであり“リスクの積み上げ”としかならない」祓(ハラ)うべき“悪魔的衝動”と認識して拒絶してしまい、実質的な効果の薄い『緘黙症対策』ではあっても“変節”せずに続けていればたとえ少しも効果が上がっていないように見えても“時は満ちつつある”のだと認識して止められない。
これこそが『緘黙症』の本当の怖さなのである。
・参照
【『場面緘黙症』とは、“ある特定の場面でだけ全く話せなくなってしまう現象”であり、子供の時期ほど顕著に現れやすい症状ではあるのだけれども。
単なる人見知りや恥ずかしがり屋とは大きな違いがあって、症状が大変強く、何年たっても自然には症状が改善せずに長く続く場合があり、“子供の時期の適切な手当て”が遅れてしまうと、成人になってからではなかなか改善しにくい傾向にあるみたいで。
そういった、少数ではあるが大人になってもしつこく残ってしまう症状の事を、特に『大人の場面緘黙症』と呼ぶみたいです。】
【『イップス』 とは、精神的な原因などによりスポーツの動作に支障をきたし、自分の思い通りのプレーができなくなる“運動障害や随意運動の低下”のことであり、それに類似した症状などにも広く使われる呼び名でありますし。
『ジストニア』とは、中枢神経系の障害による“不随意(ふずいい:意のままにならないコト)”で持続的な筋収縮(きんしゅうしゅく:筋肉の一定的な収縮運動)にともなって引き起こされる姿勢(シセイ)異常に対しての呼び名であると共に、全身あるいは身体の一部が“不随意”に捻(ネジ)れたり・硬直(コウチョク)したり・痙攣(ケイレン)したりするなどの症状と、それにともなう“運動障害や随意運動の低下”の総称として用いられる場合もあるのですが。
『ジストニア』以外の“不随意”な症状で、自分の意思とは無関係に生じる不合理な動作・運動としては、手足や全身の『振戦(ふるえ)』や、上下肢(シ:手足)全体の振回し運動の『バリスムス』や、手足や頭などがくねるような緩慢な旋回運動の『アテトーシス』や、痙攣的運動の『ミオクローヌス』や、口周辺部や舌の異常運動の『口ジスキネジー』などがあり、発症部位や運動の規則性や・強さや・睡眠時の運動有無などによって分類されるモノです。
身体機能的にそれらを説明すると、身体バランスの調整・運動の円滑化に重要な機能を持つ大脳基底核(だいのうきていかく:大脳皮質(だいのうひしつ)と視床(ししょう)・脳幹(のうかん)を結びつけている神経核の集まりであり、哺乳類の大脳基底核は運動調節、認知機能、感情、動機づけや学習など様々な機能を担っている)を中心とした錐体外路(すいたいがいろ:運動神経線維(ウンドウシンケイセンイ:ニューロン)の遠心性経路(エンシンセイケイロ)で錐体路(スイタイロ)以外の経路(ケイロ))が阻害された場合に、異常な筋収縮が発生して、“不随意運動”が引き起こされる現象だという事になります。】
【『射幸心』とは、本来《射倖心》と書いて(しゃこうしん)と読み、ある程度の確率を伴う事柄において、良い結果が得られた時の高揚感を表す言葉であり、その“倖”の意味は「努力を必要としないで、予期せずに」訪れた幸せという意味である。
そのためか、幸運を得たいという心理による「幸運によって他人よりも幸せに恵まれたい、何時かは勝者になりたい」と思い期待してしまう心理状態を表す言葉として“広義”に使われる場合も少なくはないが、たいていは根拠の無い自信で自分だけが幸運を得られると思い込んでしまって、投機や投資や賭博や期待値の低い事業に夢中になって浪費してしまう傾向の心理状態を表す言葉として“狭義”に使われるモノである。】
・追伸-1:まだ考えられると言う方へ
皆さん方が誤解しない様にさらにクドク言えば、『発声困難』に陥ってしまう『大人の場面緘黙症』が、その当人や周囲の方々の並々ならない努力によって客観的に見て飛躍的に改善・解消するにしても、『良好な発声』を目差す『場面緘黙症対策』を続けているその当人が思い描いている、その思いや願いの通りの様には、決して解決する事はないと言う事です。
・追伸:クドイ!と思った方へ
皆さんの中にはきっと、そんな無意味な話しだったら読む必要がないだろうと、思う方もおられることと思います。まったくその通りだと言うわけではありませんが、読んでいて差別的だと感じて、気分を害する方も実際にあるかと思いますので。自分には合わないと思った方は、読み進まないほうが良いかと思います。
・追伸:まだ読んでもいいという方へ
皆さんの中にも居るかと思います『発声困難』に陥ってしまう『大人の場面緘黙症』の方と同じ様に、私自身が長年このコトに悩まされてきた当事者でもありますので、しばらくは『緘黙症』の話しを進めながら、それと平行して「射幸心」や「漫画」や「宗教」や『予言』などの話題を順次して行こうと思っておりますので、もうしばらくは、この『緘黙症』のお話しにお付き合い下さい。何時までもクドクドと申し訳ありませんでした。
~~~第0002号先頭へ~~~
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皆様こんにちは、お元気にしておられましたか。皆さんの中にもその“特定”の場面でのその“最適”な言葉が『発声困難』に陥ってしまう『大人の場面緘黙症(バメンカンモクショウ)(ジストニアやイップスなど)』の当人や、その家族・知人・関係者の方が居るコトと思いますので。そういった方々へ、私がこれからこのブログを進めていく上で、期待はずれで問題発言な差別的モノイイの失言や失礼を働きますコトを始めに告白し、まずはおわびとさせていただきたいと思います。
失礼致します。
・本文(2)
皆さん方がこの先このブログを読み進めていき、その“特定”の場面でのその“最適”な言葉が『発声困難』に陥ってしまう『大人の場面緘黙症』のコトを、その当人や周囲の方々が理解して、その改善・解消のためにかなりの努力で、『良好な発声』を目差す『場面緘黙症対策』を思惟・実践したとしても、ハッキリ言いまして『発声困難』に陥ってしまう『大人の場面緘黙症』が必ずしもその当人の思いの通りにその努力が報われて改善・解消するとは限らないのです。
・概要0002
「足が悪いまま改善しないと診断された場合でも、普通に歩行するためのリハビリを想定してその訓練に励む“努力”をする事は決して“無駄ではない”はずで、そういった“努力”が無ければ起こるかもしれない“奇跡”も決して起こらないし、たとえ歩行が出来なかったとしてもその“努力”は別の形で必ず“ご褒美”をもたらしてくれるモノだからだ」というような認識を持つことは、うまく行かない事の多い人生において“成功”を修める上で欠かすことが出来ないモノである、という考え方は『大人の場面緘黙症』には効果が無く、『場面緘黙症対策』としても通用しないのだが、それはその考え方が「自らの理性によって物事を考えて合理的に対処する」という事を拒否するモノだからである。
~~~概要0001~~~
ギャンブル依存症や、宗教の原理主義やカルトと同じような、自分の行いを「とにもかくにも」“正しい”と判定できる事への『ワクワク!の心理構造』が『緘黙症対策』にも働いて、“かりそめの正しさ”に目を奪われてしまい。自らの理性で『緘黙症対策』を考える事を「“悪知恵”の穢(ケガ)れであり“リスクの積み上げ”としかならない」祓(ハラ)うべき“悪魔的衝動”と認識して拒絶してしまい、実質的な効果の薄い『緘黙症対策』ではあっても“変節”せずに続けていればたとえ少しも効果が上がっていないように見えても“時は満ちつつある”のだと認識して止められない。
これこそが『緘黙症』の本当の怖さなのである。
・参照
【『場面緘黙症』とは、“ある特定の場面でだけ全く話せなくなってしまう現象”であり、子供の時期ほど顕著に現れやすい症状ではあるのだけれども。
単なる人見知りや恥ずかしがり屋とは大きな違いがあって、症状が大変強く、何年たっても自然には症状が改善せずに長く続く場合があり、“子供の時期の適切な手当て”が遅れてしまうと、成人になってからではなかなか改善しにくい傾向にあるみたいで。
そういった、少数ではあるが大人になってもしつこく残ってしまう症状の事を、特に『大人の場面緘黙症』と呼ぶみたいです。】
【『イップス』 とは、精神的な原因などによりスポーツの動作に支障をきたし、自分の思い通りのプレーができなくなる“運動障害や随意運動の低下”のことであり、それに類似した症状などにも広く使われる呼び名でありますし。
『ジストニア』とは、中枢神経系の障害による“不随意(ふずいい:意のままにならないコト)”で持続的な筋収縮(きんしゅうしゅく:筋肉の一定的な収縮運動)にともなって引き起こされる姿勢(シセイ)異常に対しての呼び名であると共に、全身あるいは身体の一部が“不随意”に捻(ネジ)れたり・硬直(コウチョク)したり・痙攣(ケイレン)したりするなどの症状と、それにともなう“運動障害や随意運動の低下”の総称として用いられる場合もあるのですが。
『ジストニア』以外の“不随意”な症状で、自分の意思とは無関係に生じる不合理な動作・運動としては、手足や全身の『振戦(ふるえ)』や、上下肢(シ:手足)全体の振回し運動の『バリスムス』や、手足や頭などがくねるような緩慢な旋回運動の『アテトーシス』や、痙攣的運動の『ミオクローヌス』や、口周辺部や舌の異常運動の『口ジスキネジー』などがあり、発症部位や運動の規則性や・強さや・睡眠時の運動有無などによって分類されるモノです。
身体機能的にそれらを説明すると、身体バランスの調整・運動の円滑化に重要な機能を持つ大脳基底核(だいのうきていかく:大脳皮質(だいのうひしつ)と視床(ししょう)・脳幹(のうかん)を結びつけている神経核の集まりであり、哺乳類の大脳基底核は運動調節、認知機能、感情、動機づけや学習など様々な機能を担っている)を中心とした錐体外路(すいたいがいろ:運動神経線維(ウンドウシンケイセンイ:ニューロン)の遠心性経路(エンシンセイケイロ)で錐体路(スイタイロ)以外の経路(ケイロ))が阻害された場合に、異常な筋収縮が発生して、“不随意運動”が引き起こされる現象だという事になります。】
【『射幸心』とは、本来《射倖心》と書いて(しゃこうしん)と読み、ある程度の確率を伴う事柄において、良い結果が得られた時の高揚感を表す言葉であり、その“倖”の意味は「努力を必要としないで、予期せずに」訪れた幸せという意味である。
そのためか、幸運を得たいという心理による「幸運によって他人よりも幸せに恵まれたい、何時かは勝者になりたい」と思い期待してしまう心理状態を表す言葉として“広義”に使われる場合も少なくはないが、たいていは根拠の無い自信で自分だけが幸運を得られると思い込んでしまって、投機や投資や賭博や期待値の低い事業に夢中になって浪費してしまう傾向の心理状態を表す言葉として“狭義”に使われるモノである。】
・追伸-1:まだ考えられると言う方へ
皆さん方が誤解しない様にさらにクドク言えば、『発声困難』に陥ってしまう『大人の場面緘黙症』が、その当人や周囲の方々の並々ならない努力によって客観的に見て飛躍的に改善・解消するにしても、『良好な発声』を目差す『場面緘黙症対策』を続けているその当人が思い描いている、その思いや願いの通りの様には、決して解決する事はないと言う事です。
・追伸:クドイ!と思った方へ
皆さんの中にはきっと、そんな無意味な話しだったら読む必要がないだろうと、思う方もおられることと思います。まったくその通りだと言うわけではありませんが、読んでいて差別的だと感じて、気分を害する方も実際にあるかと思いますので。自分には合わないと思った方は、読み進まないほうが良いかと思います。
・追伸:まだ読んでもいいという方へ
皆さんの中にも居るかと思います『発声困難』に陥ってしまう『大人の場面緘黙症』の方と同じ様に、私自身が長年このコトに悩まされてきた当事者でもありますので、しばらくは『緘黙症』の話しを進めながら、それと平行して「射幸心」や「漫画」や「宗教」や『予言』などの話題を順次して行こうと思っておりますので、もうしばらくは、この『緘黙症』のお話しにお付き合い下さい。何時までもクドクドと申し訳ありませんでした。
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