IVHとは中心静脈栄養といって、
今はTPNという呼び名に変わっている医療行為。
太い静脈から高栄養の点滴を行うと、
経口摂取が出来なくても延命できる。
ただコレを選択するときには、
胃瘻、IVH、通常点滴という三択を迫られることが多い。
または経鼻経管栄養というのもある。
鼻に管を入れてそこから栄養を摂取するのだが、
これはかなりきついらしい。
私の亡くなった実父もIVHを選択していたけれど、
実父は末期ガンであったため、
その後に必ず訪れるだろう癌性疼痛を懸念して、
姉と相談の結果、通常点滴に変更してもらった。
これには主治医はかなり難色を示したが、
「尊厳死」という言葉をもって対応してくださり、
実父はその後10日余りで亡くなった。
それは癌の痛みに怯えて生きながらえるより、
実父にとっては倖せだったのではなかろうかと・・
姉と私二人は考えていることでもある。
何よりも最後の何日間か実父の信仰はすごかった。
「昨日、イエスさまの夢を見た」と話したり、
「これからイエスさまのところへ行く」と言って、
亡くなっていったからである。
さて今、療養中の義父はIVH点滴をしている。
認知症も進み経口摂取も出来ないため、
義兄が選択したのがIVHだった。
しかし・・・以前の義父は延命治療を望んでいなかった。
それは何度も私たち次男夫婦が聞かされていたことだ。
果たしてIVHは進歩していて、
あのままの状態で義父がいつまで延命するのか、
それは義父にとって倖せなことだったのだろうか?
実父の経験を踏まえると、
IVHは生きている者のエゴかもしれないとさえ思う。
少なくとも私はそう思う。
痴呆により話も通じない。
ベッドに寝たきりで食べる楽しみもない。
そんな状態でただただ高栄養の点滴で生き続ける。
あの聡明な義父は自分の頭の中で、
今現在も何か考えをめぐらし、
言葉として伝えることは叶わないまでも、
生きている実感を感じ取っているのだろうか?
私はちゃだとこの事について話をしてある。
もしもどちらかがこのような状態になったなら、
尊厳死をもって延命治療は拒否すると。
昨日のイラストは物憂げな女性。
くぅ
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