二人のピアニストに思う

gooニュース、注目のトピックスで「フジ子ヘミングがNHK斬り」を見て自分でもブログを作り、発言したくなった。

昔のダンスホール(4)

2007-05-27 11:46:28 | ダンス
昔のダンスの話を書いて
     ▲ 昔のダンスホール(1)
     ▲昔のダンスホール(2)
     ▲ 昔のダンスホール(3)


で、話は終わったと思っていたら、最近の一連の記事
     ▲船旅のご報告(2):[A-42]
     ▲交通違反の話:[B-55]:(2007/5/15)
     ▲映画「哀愁」の話:[C-139][2007/5/15]
で思い出した事がある。
大切な事が一つ欠落していた。


★ 1950~1960年代のダンスホールでは、
 閉館前の最後の一曲を、映画「哀愁」に現われた「蛍の光のワルツ」で締めくくるのが、
一つの定番であった。


その曲の掛かる前頃から、ホール内の照明は暗くなり始め、演奏中に真っ暗になるのが、 決まりの様なもの。


映画『哀愁』の中で、キャンドル・クラブで、
曲のワンフレーズごとに蝋燭が一本ずつ消えていって、真っ暗な中で、ビビアンリーと、ロバート・テーラーが、踊る場面

を思い出させる。


 あの場面を思い浮かべながら、情緒綿々と踊るように、
     との昔のダンスホールの演出であった。


▼ダンスフロアーで踊っていたペアーの9割くらいは、この曲が始まると、チークダンスで、硬く抱き合って動かなくなる。
▼それが嫌な人達は、この曲になる1~2曲前に、組んでいた相手と別れて、ダンスホールを退出し、帰宅する。

▼この曲になって、なおホール内で組んで踊っていることは、
 暗くなった時に、相手がチークダンスをするのを承知する、という意思表示のようなもの。

▼暗黒になったホールで、閉館後の時間の過ごし方、を囁くペアー。
▼組んでいる相手の男性が、それを囁くのを、期待して待つ女性。

▼3分間のチークダンスが終わって場内が明るくなると、期待に反して彼が、あっけらかんとして、「さよなら。またね」、と言って引揚げて行くので、落胆する女性。
▼逆に、相手の女性と閉館後の夜の時間を共有することを狙って口説いた言葉に、彼女が反応してくれずに、失望する青年。


このラスト・ワルツの3分間は、ダンスホールの一夜の緊張感のピークであった。

「哀愁・のワルツ」は、昔の不良であった私に、近頃の市民会館ダンスでは見られない、緊張感溢れるダンス、を思い出させる。

が現在の、「所謂ソシャルダンス」、に打ち込んでいる、健全な良家のご夫人やご隠居達には、縁のない話である。
大体、今の連中はあの音楽、{『哀愁』のワルツ}、も知らないようで、先日、久々に映画の中のままの、あの曲のCDが掛かってフロアーに流れたが、其処にいる人々は、全然気にしていなかった。

と言うよりも、あの曲が踊れなくて、持て余しているようであった。
こうだから、”パソドブレ”、などは踊るが、”ウインナワルツ”、を踊らない現代ダンス族を、私は内心秘かに軽蔑しているのだ。

あのクルーズ船のシアターで映画を見て、感動していた老人カップルの何組か、(或いは過半数、ひょっとすると,大部分)は、昔の不良であったのかもしれない。

旧海軍記念日の本日、このことを気が付いたので、書いておく。


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11 コメント

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Unknown (東郷 幹夫)
2007-06-01 18:34:33
二人のピアニスト様
1950年代には、残念ながら、小生は生来無骨で、ダンス族に属したことはありません。その頃は、民間企業の研究所で忙しく働いておりました。貴殿のお話を伺って、古い年上の友人(10年以上前に75歳で逝去)の家で、ダンスが縁で結ばれたカップルの話を聞いたことがあるのを思い出しました。その頃、例の友人の奥さんが理工系は単純で面白くないが、文系はその逆だというようなことを言っておりました。確かに情緒のある貴殿のご経験は貴重だと思い、ある種の羨ましさを感じます。貴殿のご経験からすれば、確かに最近の若者の情緒の無い生活には落胆されるのがよく分かります。どうもコメントらしからぬコメントで申し訳ありません。
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コメントを有難う御座いました (二人のピアニスト)
2007-06-01 22:30:02
東郷様、
トラックバックを頂いたうえに、私のブーメランに対して、更にコメントまで頂いて、有難う御座います。
私がメーカーの現場技術者として昼間働き、夜はダンスホールの不良として遊んでいた頃に、東郷様は企業の研究所で忙しく働いていたのですね。
そして現在は、ブログに真面目な論陣を張り続ける東郷様の処に、元不良の回顧談をTBするのは、少々躊躇われました。
東郷様とは、経歴も違う、趣味も違う。 しかし、考え方の基本の所が共通しているのを、相互が承知している訳ですから、私の同感する東京五輪反対の東郷様のエントリーに、構わずにTBした次第です。
「昔のダンスホール(3)」に書きましたが、昔の不良にはプライドがあり、現在社会のお偉方よりも信頼できる部分もあることを、お認めになって、お許し下さい。
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教えて (Mariko)
2007-06-02 10:38:07
わたしは、{現代ダンス族}です。「二人のピアニスト」さんのダンスに関するエントリを読んで、共鳴します。
わたしらの今踊っているのは、ダンス教師に煽てられて、お金をむしり取られている、自己満足ダンスに過ぎないのが、良く分かりました。 
でも、どうしたら、「二人のピアニスト」様のような、昔の不良さんたちと出会い、本当に楽しめるダンスが出来るのですか。
わたしのマンションは臨海副都心ですから、地理的には便利な所にいるのですが、何処に行けばよいのか、教えて下さいネ。
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Mariko様にご返事 (二人のピアニスト)
2007-06-04 21:00:29
私や仲間たちのブログで、ダンスに関係したものを、御覧になったと思います。
パリで、N.Y.で、マイアミで、カサブランカで、世界の豪華クルーズ船の上で、踊った時の話をエントリーしているのを、見て頂いてお分かりの通り、5人とも皆、ある程度は踊れる。 皆、それで充分と思っています。
技量としては、R君のように、日本一、とは行かなくても、世界中何処の人とでも楽しんで踊れる。 それだけで、良いのです。

日本を一歩出ると、相手にされない踊り、:顰蹙を買って、「日本人、立入り禁止」と豪華客船のダンスフロア入り口に張り紙を出される、日本独特の「ソシャルダンス」は、私共は無縁です。

「何処に行けばよいのか」は、お教え出来ませんが、逆に「何処に行けば、良くないか」は、教える事ができます。 お世辞を言い、煽ててデモに出る事を勧める教室には、行かない方が良いです。
R君以外は、我々の仲間で、お教室に行った事のある者は、一人も居ません。
数年前に、プロの世界チャンピオンに、この点で、アドバイスを受けたことを、Y君が書いていたのを御覧になったと思います。

絵が好き、と言っても、ルノワールが好きな人と、ピカソが好きな人は別です。
私は自分の趣味を押付ける心算はないが、ご質問を放置するのも申訳ないので、私なりの考えをお答えしました。
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補足 (二人のピアニスト)
2007-06-05 10:37:50
Marikoさんへのご返事に、一寸補足をします。
私の「昔のダンスホール(1)」も、お読みになったようですから、あそこに書いてある、次の一節をご記憶でしょう。

『最近は自分では上手な心算の、教え魔が多くなった。
先日も、R君の踊っている姿を見て、全く従来未知のある人物が、お前の踊りは間違っている、と言って教えに来たそうだ。
R君が、ある有名なアマチュアの団体戦で、3年連続日本一位を取った団体の名義人、であることなど知らない、教え魔の、自信過剰の怖さである。
元ワルのR君は、鄭重に礼を述べた。(勿論名乗らなかった)。』

私は、この種の人種が、日本のダンスを、世界の中で独特の、他所で相手にされないものにしている火元だと思っています。
此処で、追加して申上げたい事は、上手な(心算でいる)人のアドバイスなど、聞かずに、ご自分で全てを、お決めになるべきだという事です。
繰り返しますが、ルノワールを選ぶか、ピカソを選ぶかは、貴方次第、ご自身の問題です。

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Mariko様へ (痩せ蛙)
2007-06-08 04:25:54
上のコメントを拝見して、何度か、お教室のデモをなさった方だと想像します。 デモを一回やると100万円単位の経費が掛かるそうだから、かなりの投資をして、馬鹿馬鹿しさに気が付いたのでしょう。
でも、{昔の不良}と会える場所を求めて歩くのも、御止めになった方が賢明です。 私がこの様に言っても、二人のピアニスト様は、お怒りにならないと思います。 何故ならば、ご自身が「場所を教えられない」と書いていらっしゃるのを見て、その様に感じ取りました。
相手が嘗て日本一を取ったRさんだとも知らずに、教えてやる、と言うようなバカが屯しているのが、ダンスの世界です。 丁度、ブログの世界と一緒です。
ブログと同様に、ニックネーム以外は、本名も住所も、一切明かさずに、マイペースでお楽しみになるのがベストです。 多分、ピアニストさんも、その様な気持でのご返事だと想像します。
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生まれるのが、遅かった (Mariko)
2007-06-09 13:16:27
流石に昔の不良の皆様は、現在のダンス界のこともよくご存知ですね。
確かに、私も今となって見ると、お教室に注ぎ込んだお金で、マンションをもう一室、買っておいた方が良かった。
そこで、気の合う友人達を集めて、毎週ダンスパーテイを楽しんだ方が良かった、とは思います。
でも、私も外国旅行は何度かしましたが、ダンスを踊る機会はありませんでした。
すると、日本でダンスを続ける限りは、教え魔や、自惚れ屋と付き合う以外にない。 昔の女性は、良かったなあ。 「哀愁」の音楽で、私もラストワルツを踊りたかったなあ。
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Mariko様へ、私の意見を (変人キャズ)
2007-06-11 14:50:03
2005/11頃に、私は「海外旅行」というシリーズものブログ記事を書きました。 海外のダンスに付いては、その第5回記事を御覧頂ければ幸いです。

そのシリーズの第1回記事に書いた事情で、私は英会話の勉強を始めました。インターネットで毎日無料で配信されるレッスンです。
昨日の分に、次のような話が載っていました。私はダンスも同じではないかと思うので、要点を転載します。:

『英語を勉強するときに、どんなふうにしてやればいいのか? というのは、結構、気になります。    {中略}
勉強方法は、手段であって、英語をマスターする、しないの決定的要因にはならない。  これって、こんなふうに考えると分かりやすいかなと思います。
例えば、東京の人が大阪へ行こうとすると、色々な手段が考えられます。
飛行機も、新幹線も、バスも、車を運転していく方法もあります。 普通、移動にかかる時間とお金を考えて、どの手段が最適なのか考えます。
でも、当たり前の話ですが、どれだけ東京、大阪間の移動手段に詳しくなったとしても、実際に出発しなければ何時までたっても辿り着くことは出来ません。
反対に、実際に出発した人は、方向を間違わない限り、絶対に辿り着きます。 たとえ、歩いて行ったとしても、時間がかかるだけで、辿り着くことには、変わりありません。
つまり、移動手段についてアレコレ考えて行動しない人よりも、さっさと出発した人のほうが、目的地に辿り着く可能性が高い、ということです。
どんな方法であれ、やればその分、必ず前へ進みます。遠ざかるなんてことは絶対ありませんので、とにかくやるという人は有利です。
私は、自分が勉強法を間違っていたと思っていますが、それでも少し人より時間がかかっただけで、それなりに話せるようになりました。 多少の回り道をしたぐらいです。
最初から最適なカリキュラムで勉強していれば、数年早く英語を話せるようになったかもしれませんが、数年遅れて困ったことも、特にないのです。 
効果的な勉強法を学ぶことも大切です。でも、それは学んだことを実際に使ってこそ意味があるということを肝に銘じておく必要があると思います』
この英語習得の話は、ダンスでも、お教室の教師や、教え魔のいうことを気にしなくて良い、という話と共通いていますね。
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懐かしいサロンダンス。 (田子作)
2010-12-02 19:39:58
「社交ダンスDDD」にて、云いたい事を云っている、78才のジジイですが、
「美松」が無くなってからも、「服部の裏」「ミキモトの4階?」「ぶどうの木の横と裏」「東洋郵船ビル」に「フロリダ」が移転して来たりと、銀座でも色々ありましたね?
総てのデパートに「ダンスの踊り場」があったけど、ダンスが「スポーツ」になってからは、
「淋しい世の中に」なりましたね?
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Unknown (二人のピアニスト)
2010-12-03 04:30:17
あの時代を知る人のコメントを嬉しく拝見。 田吾作様が銀座でご活躍の頃、私は大阪ミナミのメトロなどで蠢いていました。 ダンサー1000人のホールで
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