二人のピアニストに思う

gooニュース、注目のトピックスで「フジ子ヘミングがNHK斬り」を見て自分でもブログを作り、発言したくなった。

久間事件・戦後を問い直す(1)

2007-07-04 04:54:51 | 独り言
6/30の久間防衛相の発言が問題になった。
 これについて書こうと思っていたが、日本中のメデイア、ブログの総攻撃を受けている久間防衛相の発言を、部分的にもせよ支持する記事を書くとなると、真意を正確に伝えるのに大変注意深く作文せねばならない。
 資料を整え、時間を掛けている内に7/3に久間氏は辞任した。

マスコミには、これで一件落着であろう。
然し、私は矢張りこの際発言して置きたい事がある。
現在の状況の中では、この際の発言には大きな決断を要する。 
幸いブログは匿名なので、身体的に危害を受ける惧れは先ず無い。
とは言っても、従来の経験に照らして見ても、自分のブログの周辺が大層喧しくなり、不愉快な思いをするのがミエミエである。

いっその事、書くだけ書いて、
公表し、後はこのブログを閉鎖しようか、と思ったりもする。

また、閉鎖はしないで継続しておくが、今後は一切のコメント、TBを受け付けないことにしようか、と考えたりもする。
その辺が未決断であるが、そうこうする間に時間が経つので、
一応私見を纏めて記事にすることにした。


{2007/7/14追記:久間事件・戦後を問い直す(5) 、の内容を、此処に入れたかった。 既に話の連鎖が進行してしまった。 出来たらこのシリーズを通して読む場合は、そちらを先に見て頂きたい。}


★ ★  ★ ★  ★ ★ ★ ★

記事が長くなると思うので、読みやすさのために、2,3回に分けて書くことにする。
そこで、大体の方向性を承知して置いて頂く為に、只今の私の心境の一部を、最初に述べて置く。

原爆反対、といって、プラカードを掲げてデモ行進をするのは、容易である。
しかし、国際関係、政治の流れの中で、現実に原爆の使用を防止出来なければ無意味である。
 → → 「現実に拉致事件が存在しても問題にしないが、憲法第九条の堅持だけを訴える」、のと同様である。


長崎の人なのに、といって非難する向きがあるが、私はあべこべに、 久間防衛相は長崎なるが故に、その辺をよく勉強して居て、
原爆投下の経緯などを詳細に知っているための発言だった
、と推測する。


思い付き、気楽な原爆反対論者と違って、歴史を知っているが故の発言であり、問題が有るとすると表現が不正確、乃至は不適確であった点ではないかと思う。

★ ★  ★ ★  ★ ★ ★ ★

本論に入る前の、「記事の方向性を承知して頂く為に、最初に述べて置く話」、をもう少し続ける。

吃驚されると思うが、私は次回の選挙では、自民党に投票することにする。

よく、A党は嫌だが、B党も嫌だ。 支持できる政党がないから、棄権する、と言う人が居る。 そうしておいて、社会現象や、政府政策には、文句を言う。 これは間違っている。
一億分の一の影響力しかなくても、投票に依って、自分の好ましいと思う方向に社会を動かすように協力するのが、国民の義務である。
今更言うまでも無く、私は自民党が大嫌いである
それでも、今回の騒動を見ていて、私が心に決したのはこのことである。

私は従来の選挙では、候補者個人の人柄、政見を知らなくても、民主党の支持する候補者に投票してきた。
私の自民党大嫌いが変わった訳ではない。
今回の久間問題の経緯の中で、民主党の挙動がそれ以上に嫌らしく見えるから、嫌いではあっても、自民党の方がまだマシだ、という判断で、そう決めた。

民主党を動かす判断の基準は、歴史的事実とか、国の未来への展望とかでなく、選挙の票の行方である事を、これだけヌケヌケと云われたら、最早、自民党以下。
久間氏の出処進退の方が、どれだけ立派か分らない。


公明党がくっ付いていることも、従来、私が自民党に票を入れない、大きな理由の一つであった。 幸い今回の騒動の中で、公明党が自民党を批判しているので、その点でも、気が楽である。


宮沢喜一氏が亡くなると、生前の所業に関係なく、「ご冥福を」と言うのが多くの日本人の態度である。
然し、私は、一神教国の人々と同様に、その様な感覚ではなかった。
今回は、久間氏への同情の気持を表明する意味で、次回選挙の一票を自民党に入れる。


自民、民主以外の政党は問題外である。

社民党は、久間氏の「発言」を問題にするが、それならば、北朝鮮自身が拉致の存在を認めても尚、その様な事実は無かったと、党の機関紙で主張していた自分等の「発言」、はどうなのだろう。
それについての謝罪も訂正も聞いていない私は、社民党の久間発言批判を見て、更にこの政党のいい加減さが嫌いになった。

公明党は、旧日本陸軍の様なもので、現在は力を持っていて怖いから皆が黙っているが、数十年の後には、昔は政教分離が行なわれていなくて、この様なことが罷り通っていた、と小学生にも言われる時代が来るのは間違いない。

共産党については、昭和初期のこの政党の恐ろしさを知る老人をしては、ここで批判をすることすら憚られる。

60年安保騒動の時に、国会周辺デモに私があれだけ出掛けて行ったのも、政策としての安保そのもの、でなく、岸信介という人物への反感が原動力であった。
上記の私の心情は、それと似たところが有るかもしれない。


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