Asaniki 210611 Asanikki index (2 )朝日記インデックス
朝日記180627 長谷川利行展に府中市美術館に赴くことと今日の絵
今日の絵は、長谷川利行展のポスター画「水泳場」です。
おはようございます。風のつよい朝です。ラジオ体操にいきました。途中の家の垣に、浜木綿が咲いていました。
徒然こと 長谷川利行展に府中市美術館に赴くこと
府中市美術館の「長谷川利行展」に行ってきました。おとうととは後日の同行を約していましたが、ともかく行けるときに行っておくことにして、決行しました。どうも、別の自分がいるようで見ていてたのしく、またすこしさびしくこの絵画展をみられたことは収穫でした。表現したい内なるマグマのようなものがある。それを行うことに、意識と行動が純化していく。生きる価値をそこに集中させていく。現実の生業や糊口については、歳とともに厳しい条件として彼に懸ってきましたが、描くという集中力へのその純粋さと高貴さに、彼を支える人たちがいる。そのなかで本人は、言葉に表現はしなかったようですが、ニーチェのいう「超人」であろうとしたようです。 絶望といくつも隣り合わせていることも頓着せず、稜線に方向を直向きに歩む山人をふと思わしめます。 「夏の遊園地」、「水泳場」など、青、緑、黄色、乳白、そして、朱で画する描線。Dufiを思わせるが、彼の独自の世界で、鈍くさくなく、静寂も喧噪も見ていてうれしい。 浅草、銀座、新宿、上野あたりの界隈、盛り場、カフェの女たち。そういえば永井荷風...をおもいだします。女のポートレートが、よろしい。乳白と輝黄で顔面を塗りたぐる。眼や唇の置きかたに屈託がない。モジリアニとはちがう長い首の女があるかとおもうと、茶碗盆のようなお手伝いの女のはち切れるばかりの輪郭線がある。裸婦像も、屈託がない。全体が正方形まがいの輪郭のヌードにしばらく立ち止まった。(熊谷守一が称賛したとあとで知りました)
素描での線があるが、そんなことは頓着なく、形が稚拙でもそれはそれ、色彩の筆の運動で全体ができてしまう。鉄道の操車場や、臨海工場など 通常は欠伸のでるような機械的無機的場景であろうが、彼の絵では、いつまでも見る者を飽きさせず引き寄せるものがあります。 帰りの図録2300円也を買いました。これで十日ほど、スケッチ遊びがたのしめます。
行きは、目下開催中のつくし野の「あらいやすまさ展」に立ち寄り、状況を確認し、田園都市線鈍行でゆっくり、溝の口からJR南武線で「府中本町」で下車。国魂大社を詣で、武蔵の府である地、国衙の資料館に立ち寄り、この地の背景をまなびます。そして大欅の参道を1キロメートルほどあるくと京王府中駅です。ここからコミュニティーバス「ちゅうばす」7番で10分ほどに府中の森公園があり、このなかに美術館があります。この春にいった横須賀美術館もそうですが、しゃれた佇まいでした。めでたし、陽の高いうちに帰途につけました。
~~~~~~~コメント交流~~~~
畏友安部忠彦さんとの対話 (あらいやすまさ)2018-06-28 21:59:44
安部忠彦→荒井
おはようございます。
荒井さんが書いた長谷川利行さんの作品コメントは、そのまま私が荒井さんの絵に対して感じていることでした。
ポスターの絵も「いつもの荒井さんの絵」かな、と錯覚しました。
荒井 →安部忠彦さん
不思議な感じがしています。小学6年のときに「餅つき」と題した絵を描いて、それが大胆なタッチで動きがある作品だといって父親から賞されまれました。そのときに「ハセガワリコウ」という韻音が耳にのこったよう気がしました。人の「長谷川’利口’」? 自分のなまえに’利口’とつけたひとがいる?「荒井’利口’」もあるのかなと 耳に妙な違和感をもった、それで、うっすらとした記憶としてのこっています。件の利行画伯は、私が3歳のときに亡くなれています。戦雲急を告げていたころですね。ところで、須田国太郎にしても、長谷川利行にしてもあの時代は「近代の超克」として、美の表現の裏側に、哲学的な意識がうごめいていたようです。それにしても 止せばいいのに「自分」に会ってしまった戸惑いを感じ待ています。さて、どおするかです。そういえば、バス待ちをしていたら、然る夫人が「あら!藤本さんですか?」と訊ねられました。 自分とそっくり似たひとがよのなかにはいるんだとこの場合は、この社会の典型的サンプルなのだとして逆に安堵して、訊ねた夫人をそっと労わりました。
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(長谷川利行円ポスター)
おはようございます。
荒井さんが書いた長谷川利行さんの作品コメントは、そのまま私が荒井さんの絵に対して感じていることでした。
ポスターの絵も「いつもの荒井さんの絵」かな、と錯覚しました。
荒井 →安部忠彦さん
不思議な感じがしています。小学6年のときに「餅つき」と題した絵を描いて、それが大胆なタッチで動きがある作品だといって父親から賞されまれました。そのときに「ハセガワリコウ」という韻音が耳にのこったよう気がしました。人の「長谷川’利口’」? 自分のなまえに’利口’とつけたひとがいる?「荒井’利口’」もあるのかなと 耳に妙な違和感をもった、それで、うっすらとした記憶としてのこっています。件の利行画伯は、私が3歳のときに亡くなれています。戦雲急を告げていたころですね。ところで、須田国太郎にしても、長谷川利行にしてもあの時代は「近代の超克」として、美の表現の裏側に、哲学的な意識がうごめいていたようです。それにしても 止せばいいのに「自分」に会ってしまった戸惑いを感じ待ています。さて、どおするかです。そういえば、バス待ちをしていたら、然る夫人が「あら!藤本さんですか?」と訊ねられました。 自分とそっくり似たひとがよのなかにはいるんだとこの場合は、この社会の典型的サンプルなのだとして逆に安堵して、訊ねた夫人をそっと労わりました。