Yassie Araiのメッセージ

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朝日記240705  (その1) 1.生い立ち 「翻訳チャールズ・サンダース・パース」

2024-07-05 09:36:02 | 絵画と哲学

朝日記240705  (その1) 1.生い立ち 「翻訳チャールズ・サンダース・パース」

朝日記240705  (総表紙・目次)「翻訳チャールズ・サンダース・パース」

―本文―

 

1.生い立ち Bibliogaraphy

早期での人生 Early life

 

Peirceの生誕地は、いまのLesley Universityの人文科学大学院があるキャンパスのなかである。 Peirceは Cambridge, Massachusettsの3Phillips Placeに生まれた。彼の両親、母はSarah Hunt Mills と父はBenjamin Peirceであり、父はHarvard Universityで数学と天文学 astronomyの教授であった。[a] 

 

Charlesは12歳のときにRichard Whatelyの論理の要素Elements of Logic、これは当時このテーマでの英語での代表的テキストであった。それが論理と理性的なものに生涯魅せられることになる。[14] 十代の後期から以降、彼は神経状態の問題を患ったのであった、当時「顔面神経痛」とよばれ、今日では「三叉神経痛」trigeminal neuralgiaと診断されるものであったであろう。

彼の伝記作者である Joseph Brent は、苦痛のなかにあるときは、「彼はまず、ほとんど馬鹿になって、そして攻撃的になって、風邪ひき状態になって、落ち込み、極度に疑いぶかくなって、目の前にちらちらするものにいらだった、そして激しい癇癪を起した」という[15]。 そのことは彼の後の人生を社会的孤立にしてしまったのかもしれない。

 

教育 Education

 

Peirceは芸術学士と芸術修士を取得するためにHarvardに行った。  年に  校が化学学士とHarvardの最初の summa cum laude chemistry 学位を修得した。[16]かれの学術記録はほかに際立つものがなかった。

Harvardでは、つぎの人たちとの生涯の交友の始まりであった; Francis Ellingwood AbbotChauncey Wright, and William James.[18] 

彼のHarvardでの指導教師のひとりは Charles William Eliotであったが、彼はPeirceについての好ましからざる見解を形成することになった。これは運命的であったのは、EliotがHarvardの学長である期間1869–1909がPeirceの活躍期間のほとんど重なっていたからであり、該大学でのPeirceの採用は何度も拒否される結果となった。[19]

 

合衆国沿岸測量 United States Coast Survey

Peirce in 1859

1859 から1891の間、Peirceは途切れながらも合衆国沿岸測量がもつ多岐の科学部門に採用されたのであった、これは1878年に United States Coast and Geodetic Survey,[20] と名称があらたになった部門である、ここで彼は彼の隠然たる影響力からの保護を結果的には享受したのであった、それはその父の 1880.[21]の死をもって終わる。この部局では、彼はおもに測地学geodesy と重力測定gravimetryの分野において 振り子 を使って地球の重力性における局所的な変動を決定するものであり、振り子pendulumsの使用取り扱いの上の向上を目指すものであった。 

 

 

南北戦争 American Civil War

 

この雇用はPeirceをして南北戦争 American Civil Warへの任務をになう義務から免除した;このことはこれをして彼の立場をきわめて不自然な位置awkwardにすることになった、丁度、南部 Confederacy.[22]に対して同情的な ボストン・バラモン階級Boston Brahmin のエリートとしてになる。 

 Peirce家のだれも戦争ボランティアや、登録することはなかった。 Peirceは白人優位は所与のものであり、奴隷制は自然であるとする家系に育ったのであった。[23]

Peirceの父は分級主義secessionistとして自身を記述した、その戦争が起きるまでそうであったが、勃発後は北軍Union に味方し、北部の戦争事前を先導する衛生関与Sanitary Commissionに献金したのであった。

Peirceは論理の伝統的形式が非現実的である例示としてつぎの三段論法syllogism 野礼二を好んだ(第一前提にすでに議論になるべき結論を仮定しているassumes the conclusion):[24]);

すべてのひとは政治的権利において平等である。

黒人はひとである。

したがって、黒人は白人の政治的権利において平等である。

 

 

欧州への旅行 Travels to Europe

 

彼は1867年1月に 米国人文科学学術院American Academy of Arts and Sciences  の専任研究員に選出されたのであった。[25]

調査団は

五回にわたり欧州に彼を派遣した。まず 1871年に日蝕solar eclipseの観測にグループの一員として送られた。そこでは、 Augustus De Morgan,  William Stanley Jevons, および William Kingdon Clifford,[27] に巡り合ったことになる。かれらは英国の数学者であり、かつ論理学者であり、その思考方式が彼自身のものと近いものであった。

 

 

ハーバード大学天文台 Harvard observatory

 

1869 から1872年に彼はハーバード大学天文学観測所の助士として雇用された、その主要な業務は星f starsの光度と銀河系Milky Way.[28]の形状の決定に関する重要な任務であった。 

  1872年に、かれは 形而上学クラブ Metaphysical Clubを設立した、これは会話論議的哲学クラブであり、ここにはPeirceはじめ、未来の最高裁判所判事Supreme Court Justice  Oliver Wendell Holmes Jr.、哲学者にして心理学者 William Jamesがおり、これらはJanuary 1872年1月、 Cambridge, Massachusettsにて設立、December 1872年12月に解散している。

このクラブの他のメンバーは Chauncey Wright,  John Fiske,  Francis Ellingwood Abbot,  Nicholas St. John Green, およびJoseph Bangs Warner.[29] ここでの検討議論はPeirceのプラグマティズムの観念を実質的に生むことになった。

 

国立科学アカデミー  National Academy of Sciences

 

Peirceの球を正方形への射影法は赤道上の孤立した4点を除いて角度を真に保つkeeps angles true ことができる、そしてこれは  Mercator projection よりも少ない尺度変化scale variationを持つものである。これは  tessellatedすることに成り;すなわち辺と辺とを連続的につなぎわせることで済むのでコピーをつくりやすい利点をもっている。

 

 1877年 4月20日に、彼は  National Academy of Sciences.[31]の一員として選ばれた。 1877年には、彼はメートル尺を測るに然るべき周波数の光の波長の大きさをつかうことを提案して、この定義の系統は from 1960 to 1983の間採用されている。

 

 1879年にPeirceは  Peirce quincuncial projection を開発した、これは H. A. Schwarzの 1869 conformal transformation of a circle onto a polygon of n sides によって啓発されたものであった( Schwarz–Christoffel mapping として知られている)。

 

 

 

1880 年から1891 年まで 1880 to 1891

 

1880年代は、Peirceの官吏の経験での詳細は顕著ではなくその質そして納期においても光彩を放たなかった。

Peirceは数か月で完了すべき報告書の作業に年単位の時間を費やした。[according to whom?] 

その間彼は百科事典 Century Dictionary.[33]の項目執筆をした、それは1883–1909にわたり、哲学、論理学、科学、そして他の項目、究極的には数千項目に達した。

1885年に Allison Commissionの調査でPeirceを無罪としたが、監督Julius Hilgard と他の幾人かの沿岸測定要員に対して公的資金の不適使用の件をもって罷免へとつながった。

1891年にPeirceは 監督Thomas Corwin Mendenhallの要求によって沿岸測定から回顧されたのである。[35]

 

 

ジョンホプキンス大学 Johns Hopkins University

 

1879年にPeirceは Johns Hopkins Universityでの論理学の講師として採用された、この大学は当時哲学 (Royce and Dewey がHopinsでPhDを終わっていた)や心理学(G. Stanley Hall が教鞭を取っており、 Joseph Jastrowが研究にあった、後者は後にPeirceとの記念碑的経験研究の共同著者となる)そして数学(  J. J. Sylvesterはそこで教鞭をとっていた、彼は数学と論理学でのPeirceの研究業績についてすでに賞賛していたのであった)のようなかれが興味をもつような分野でつよい部門をもっていた。 

彼のStudies in Logic by Members of the Johns Hopkins University (1883)には彼自身と Allan MarquandChristine LaddBenjamin Ives Gilman, とOscar Howard Mitchell,[36] による研究成果が含まれている、そのうちの幾人かは当時彼の大学院学生であった。[7] PeirceのHopkinsでのこの非専従地位こそは彼が得た唯一の学術世界での獲得したものである。

 

BrentはPeirceが決して疑われることのない何かについての記述を残す、それは彼の学術界での採用、地位、そして科学的尊敬性についてはその時代の力あるカナダ⁻アメリカ人科学者の表にあらわれない反対によって妨害をうけた、その名はSimon Newcombであった。[37] 

NewcombはPeirceの父がお気に入りの学生であった;「疑いなく輝いた才能」であり、「あの映画Peter Shaffer's Amadeus での Salieri の彷彿するそれであった、Newcombもまた自らが天才ではないことを知悉する才能は十分にもち、そしてそれを有する誰かを 憎む狭量性をも十分備えていた」

加えて、「つよい信仰心と文字通りの厳格な道徳基準のキリスト者」であったことから彼がPeirceのその個人的欠点にこだわったことによって道が閉ざされた」.[39] それに対して、Keith Devlin はPeirceの業績が彼の時代をはるかに先のものであったのでその時代での学術的世界から評価をうけることはなく、そしてそれが彼の この世界での定席を獲得することの障害となってしまっていたと確信したのであった。[40]

 

個人の生活 Personal life

Juliette and Charles by a well at their home Arisbe in 1907

井戸端にて、ジュリエッタとチャールズ、かれらのホームのあるアリスビ

 

Peirceの個人生活は疑うことなく彼の職業的成功に不利に作用した。彼の最初の妻  Harriet Melusina Fay ("Zina"), は 1907年 に彼のもとを去った。[41] 

Peirceは、法的には結婚のまま、1883年に he married Juliette.[45] と深い関係になった、彼女の姓はFroissy  およびPourtalai,[42]として様々にあり、そして国籍的には確かではない(彼女はフランス語を話した)[43] 

彼の  との離婚は 1883年に最終的に成り、彼は Juliette.と結婚した。[45] その年、NewcombがJohns Hopkins trustee財団の理事にそのことを指摘したのであった、一方Johns Hopkinsの職員がある女性と旅行した、その女性とは彼は結婚していなかった;必然的にスキャンダルが 1884年1月.[46]  彼の解雇へとつながったのであった。 

その後においては、Peirceは様々な大学での学術的身分雇用を求めたが、成功することはなかったのである。[47] 彼にはいずれの結婚によっても子供は恵まれなかったのである。

 

後の生活と窮乏 Later life and poverty

Arisbe in 2011

Charles とJuliette Peirceの墓石 grave

 

 

 1887年にPeirceは彼の両親からの遺産の一部の Milford, Pennsylvaniaの田園地 2,000 acres (8 km2)に暮らした、これからは経済的な資を得ることはなかった。[49]

  に彼の設計で農家邸を改装した。[50] Peirceはそこを「Arisbe」と命名した。そこに彼らはほとんど中断することなくかれらの生涯を過ごしたのであった。[51] 

Charlesは彼の晩年の二十年は冬の暖、およびその地のパン屋が提供してくれる固くなったパンを買う余裕に窮していた。

文房具にも事欠き、彼は書き古した原稿の裏 verso sideに執筆した。

暴力沙汰や不払い債務からおきる令状は彼をしてNewYork市にしばらく逃亡せざるをえないこともあった。[53] 

幾人かのひとびと、彼の兄弟である r James Mills Peirce[54] 、そして  Gifford Pinchotの彼の隣人、親戚がPeirce の借財を清算し、そして税や抵当権を払ってくれた。[55]

Peirceはいくつかの科学と工学コンサルタントをしそして沢山の書きものをのこしている、これは貧しい収入であった。主に The Nation (この編集者はWendell Phillips Garrison であり、彼は友誼に篤かった)のための百科事典の項目書きとレビューであった。

彼は  Smithsonian Institution のための翻訳に携わった、これは監督 Samuel Langley の配慮であり、Peirceは Langleyの研究である動力飛行に関する実質的数学計算であった。

 

金策のためPeirceは発明に試行した。[56]

彼はいくつかの著述を試みたが完成しなかった。[57]  1888年に Grover Cleveland 大統領は彼を 試験委託者 Assay Commission.[58]に指名した。

 1890年に彼はChicagoのJudge Francis C. Russell にひとりの友人と称揚者を得たのであった、このひとはPeirceを Paul Carus と Edward C. Hegelerに紹介した。このひとたちは新分野開拓となる米国哲学誌 The Monistのそれぞれ編集および所有者であった、ここに実際にPeirceは14報文を投稿している。[60]

彼は 哲学と心理学事典James Mark Baldwin's Dictionary of Philosophy and Psychology (1901–1905) に沢山の項目テキストを書いた;彼に宛てられてそれらの半分は実際には彼への発注監督者である  Christine Ladd-Franklin であったことが判明している。

 

彼は 1902年に新設された Carnegie Institution  にグラントを応募した、彼の生涯の仕事を記述する系統的著述を仕上げるためであった。その応募は闇に葬られた;彼の仇敵  であり Carnegie Institution の理事会のメンバーであり、そしてその理事長はPeirceがJohns Hopkinsを解雇されたとき以来の該大学の理事長でもあった。 

Peirceがこのような絶望的な時機にたすけるための尽くしたのは彼の旧友である Will to Believe (1897) であった、彼の (1898 and 1903).[63] をPeirceに捧げ、かつPeirceが収入を得るべくHarvardにて、そしてその近傍にて講義コースシリーズを二つを提供したのであった。 

もっとも重要なことは 1907 から毎年、Jamesが逝去する 1910 まで、Jamesはボストンの知識層である友人たちにPeirceのための資金援助を要請してきたのであった;その資金はJamesが死去したのちも継続されたのであった。 

PeirceはJamesの長男を彼の遺産相続として繰り返し記した、それはJukietta PeirceがPeirce自身よりも早逝した場合を条件としていた。[64] それは次の点でも表れていた、彼はそのミドルネームに(英語で"St. James"を意味する)"Santiago"を使っていたからである、しかし1890年の初期での印字ではCharles Santiago Peirceとして使っている。さらなる詳細についてはCharles Santiago Sanders Peirce をみよ)

 

 

逝去と遺産 Death and legacy

 

Peirceは  Milford, Pennsylvaniaにおいて貧しく死んだ、彼の未亡人が20年彼の骨壺を Arisbeに身元に置いた。

  に、ペンシルバニア知事  Gifford Pinchot はJuliettaのためにMilford共同墓地へのアレンジをし、Peirceの遺灰のもとにJuliettaを埋葬したのであった。[65]

Bertrand Russell (1959)は、「疑いをこえて彼は19世紀後半のもっともオリジナルな精神のひとりであったしそして確実にアメリカの思想家の最大偉大なるももであった」と書く。[66] RussellとWhiteheadの数学原理 Principia Mathematica, は1910 年から 1913年の出版であったが、Peirceについては何ら触れることがなかった(Peirceの業績はさらに後まで広くはしられていない)。[67]  

  1. N. Whiteheadは、1924年にHarvardに着いたすぐにPeirceの未公開原稿のいくつかを読んでいる一方で、衝撃をうけた、それはPeirceが如何に彼自身の "process" thinking. を予測していたかを知ったからであった。(Peirceとプロセス形而上学process metaphysicsについて、 Lowe 1964.をみよ)[28]

 

Karl Popper はPeirceは時代をこえてのもっとも偉大なる哲学者のひとりとして評価した。

それでもなおPeirceが達成したものは直ちには調べられていない。かれの同時代の  は彼を賞賛しているし、そして William James と Josiah Royce[69]も、そして  Columbia大学の Cassius Jackson Keyserそして C. K. OgdenもPeirceについて敬意をもち、なおその影響についてはかり知れないと記している。 

Peirceについて最初に専門分野に対して注意を喚起させた学者は Royceの学生であったMorris Raphael Cohen  であった、かれはPeirceの著述の集積Chance, Love, and Logic (1923)  編集者であり、Peirceの逸散している著述資料の最初の編成の著者であった。[70]

John DeweyはJohns Hopkins.[7]でのPeirceの学生であった。1916年以降、Deweyの著述には尊敬をもってPeirceを繰り返し称揚した。

1938年の彼の Logic: The Theory of Inquiry が多くPeirceに影響を受けている。[71]  Collected Papers (1931–1935)の初版の六つの巻はPeirceのもとでの研究時代へのもっとも重要な業績であった、そしてCohenは必要なファンドを起こすことを可能にせしめた。[72] ;しかしながらそれはつぎの段階への出発をうながすことにはならなかった。

 これらの巻の監修者であったCharles Hartshorne and Paul WeissはPeirceの専門家ではなかった。

二次的文献の初期の成果となったのはBuchler (1939), Feibleman (1946), and Goudge (1950),  Arthur W. Burks の1941PhD論文(彼が巻7と8を編纂した),そしてWienerとYoung(1952)によって編纂された研究であった。

 

 

 Charles S. Peirce Society が 1946年に設立された。ここでは季刊の学術的報文集として1965年以降のPeirceのプラグマティズムと米国哲学の報文が掲載されている[73] (See Phillips 2014, 62 for discussion of Peirce and Dewey relative to transactionalism.)

1943年までにPeirceへの評価は、少なくとも米国においては次のようなものである、 Webster's Biographical Dictionary の記述において、Peirceは「彼の時代でのもっともオリジナルな思想家でありそしてもっとも偉大なる論理学者であるとみなす」ものである。[74]

1949年に、数学史家である Carolyn Eisele (1902–2000) は、歴史資料の調査のなかで偶然にPeirceによる自叙伝的書簡に遭遇した。彼女は以降 四十年に亘る Peirce研究がはじまり、ついに彼女をして彼を「数学者ならびに科学者」の最高峰の位置Eisele (1976, 1979, 1985)に至らしめた。 

1960年代にはじまり、哲学者と歴史家のPeirceに関する権威ある研究が現われ、特に historian of ideas Max Fisch (1900–1995)が顕著である。(Fisch, 1986).[75]  

MaxFischはそこに1983年の彼のPeirceの思想の真迫性impactについて質の高い相当数の調査報文をそこに収めている。

Peirceは国際的な追従者を増やしていった、大学の研究センターが顕著でありPeirce研究とプラグマティズムpragmatism への貢献である、それは、ブラジル (CeneP/CIEP) 、フィンランド (CeneP/CIEP) 、ドイツ (Wirth's groupHoffman's and Otte's group, および Deuser's と Härle's グループ[76]) 、フランス (L'I.R.S.C.E.), 、スペイン (GEP) そしてイタリア (CSP). である。 

 

彼の著述はいくつかの国への翻訳が行われてきており、それはドイツ、フランス、フィンランド、スペイン、そしてスウェーデンである。1850年以降はフランス、イタリー、英国、そしてブラジルの学者たちの注目が続いている。

長い年月、北米の哲学部門でPerceへもっとも貢献してきたのはトロント大学 University of Torontoであり、特にThomas Goudge and David Savanの指導力に負うところおおい。

近年では、米国でのPeirce学者はIndiana University – Purdue University Indianapolis, さらにPennsylvania State Universityに集合しており、これらがPeirceの研究再編基点を形成している。

現今では学術的哲学の分野の以外の研究者がPeirceの理念に大きな関心がおかれている。

この関心は産業、技術、情報機関、そして軍;そして相当数の機関、研究所、企業、そして研究機関においてであり、そこではさらにPeirce概念の厳密化への展開へと研究の進展がおこなわれている— Robert Burch2001年から 2010年(updated )[20]

近年では、Peirceの記号に関する三分法trichotomy はマーケッティングや設計分野でさらなる利用法に目が向けられている。

John DeelyはPeirceは モダニズムthe "moderns" の最後、そしてポストモダニズムの最初"first of the postmoderns"ち書く。彼は、Peirceの記号doctrine of signsに関する宣言はポストモダニズム時代の黎明への貢献として評価した。 

Deelyはさらに、「Peirceは Augustineを以ってカトリック世界の聖師父the Western Fathersの最後、そして中世の始めthe medievalsとするのと類似的な位置付けとして立つ」と付言している。[77] 

 

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朝日記240705  (総表紙・目次)「翻訳チャールズ・サンダース・パース」

 

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朝日記231203  ”圏論は宗教”形而上学の復権と陥穽についてこの数学者はかたる

2023-12-05 09:33:15 | 絵画と哲学

朝日記231203 ”圏論は宗教”形而上学の復権と陥穽についてこの数学者はかたる

とりあえず、ご紹介します。

圏論は宗教。はまり過ぎないように。

つぎの動画は、高校生向きの圏論紹介です;

https://www.youtube.com/watch?v=D2GU4cmm3Ys

 

さらに以下の動画をご紹介します;

時間と自己の基礎構造 圏論的アプローチ

田口茂・西郷甲矢人

https://www.youtube.com/watch?v=9lVbGz35BdE

時間と自己について つまり意識について数学的構造の類似性から

その存在を対象化するというものとしておきます。;

 

荒井メモ 

この動画でのシンポを聞いた私のメモです。

 これは田口茂さんと西郷甲矢人さんがプレゼンターの公開資料でした。

前者はフッサールの現象論の説明からみると哲学者で、後者は圏論が専門の数学者のようです。

すこし考えてから感想と所見を書こうかとおもいますが

講義のあとの質疑応答のkeywordsをあげ、あと私の感想を記述します;

 

集合論と圏論

トポロジー(関係記述の幾何学)と代数的トポロジー(代数的記述のトポロジー)

圏論の構成:対象、関取、自然変換

対象  (例)対象aコップの清水にインク滴、 対象b ひとのうわさ

圏   (例)圏A 経験(現象) 対象a (コップの清水にインク)の色のひろがり

    (例)圏B 対象b (ひとのうわさ)のひろがり

    (例)圏C 拡散をあらわす数学式;圏Aに対応する内容(対象)への入出力の記号論理関係の記述

関取  圏と圏の関係

    (例)圏A と圏Bとの類似対応関係の検証

自然変換 

    (例)(圏A and/or  圏B) 対応を 圏Cとして対応記述(拡散という認識体とし;モノイドとして理論知識化される)

  

 今回の講義の数学者側からの説明は まずモノイドありきであった。これは上述のごとく圏論の出自は集合理論からであり、これを代数的記号化する発想からくるものである。つまりもともと考える関心の現象の母集団の集合体モノイドがあってそのなかでの各小集合体(各圏)間の大小、順位の包摂関係を論じる位置付けからきていると理解する。

あと質疑応答でモノイドの説明が形式/内容の次元で曖昧で理解できなかったという指摘がだされた。

たとえば自我/自己でモノイドを括っているが自我と自己という内容的な差異にまで説明が至ってなく、人間の原集合として自我といいうモノイド内に各「私」つまり自己集合が小集合体としてあるというレベルで説明が終わっている。(位相空間上の問題)

またモノイドとしての自己が時間的に変化をうけていく体(時系列体)が母体モノイド内の小集合(時間的圏系列)として括っていることは想定できたとしても具体的次元での説明に至っていない。モノイドもしくは圏系列としての具体性にとぼしいという指摘があった。(位相時間上の問題) これにたいしてperspective性の視点の説明が欠落をみとめていた。

私荒井がもっとも関心あるところは、

1.説明者側としては現象形態とトポロジーの解明、たとえば意識現象問題として、圏と圏間での入出力の複雑なネットモデルの構築、関係領域内ネット上のニューロン発火点における信号流方向で、その再帰性(信号ループ)やフィードバック経路などでの数学的威力の可能性を語りたかったのではないかと思ったが期待しすぎであったか。しかし数学者側から 信号矢印の逆流操作化(reversiblity)がひょっこと口からあふれたことに、耳をそばたてるものがあったことを告白する。 Julio TononiのIIT(統合情報理論)で意識の情報化システムの研究が世界的に注目されている。

2.たとえば小脳系などのもつ信号のstraight forward性が、一方の大脳系での認知獲得としての信号ループの検証やそのループ信号の逆流的操作transformationが脳内整理としての存在が現実に発見されているのか、あるいはそれを検証しつつある状況にあるのかに深い関心をもつものである。つまり人間の学習メカニズムの解明を意味するのでありこれの解明からくる実用上とくい技術進歩、あるいは技術覇権的な意味合いは昨今重大とみているからである。 意識は思考と感情をふくむものであり、人類文明の本質的課題であるのであるが、文明間での人類の生存次元でとらえなければならいないのは残念であるといっておこう。

3.圏論は新興宗教かと過熱する空気に警告は啓示的である。AIからの出力が権威を装って、その判断根拠が膨大になり、根拠のグレードが混交し、結果として全体の判断が誤ってしまう危険性が現実にあるとおもう。人間社会でとわれるのはAsk the quetionにあり、Ask the answerではないことを痛感するものである。

 

 

 

参考文献としては以下をとりあえずあげておきたい;

土谷尚嗣 クオリアはどこからくるのか? 岩波書店

最新の脳科学と意識の理論から予測する人工知能(AI)の意識の可能性について 学士会誌No.961(2023-IV)

 

圏論に関する一般向けの解説としては以下をあげておきたい;

Category theory - Wikipedia

 

意識の圏論的理解としては以下を上げたい;

土谷・西郷圏論による意識の理解 26_462.pdf

26411.dvi (jst.go.jp)

今日の絵がこれです;

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朝日記231114 歴史資料 開戦詔書原文

2023-11-14 05:10:12 | 絵画と哲学

 

朝日記231114 歴史資料 開戦詔書原文

 下記、朝日記の補足資料としてのページである。 

朝日記231108 橘樹住香 秘帖ひすれかをりやまくさ

出典 iwakura  Panpsychism,From Wikipedia, the free encyclopedia

 

 

 

 

 

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朝日記231109 橘樹住香 歴史逍遥 國寶のゆかりのたびへ 

2023-11-08 20:05:08 | 絵画と哲学

朝日記231109 橘樹住香 歴史逍遥 國寶のゆかりのたびへ 

 

(初出し HEARTの会会報 no.115 秋季号 2023年 ISSN2186-4454) 

―歴史逍遙―

國寶のゆかりのたびへ 

会員 橘樹 住香

 

   


岡倉天心に安田靫彦あり

明治44年23才の安田靫彦は岡倉天心に認められ 常陸 五浦の日本美術院へ下村觀山・横山大觀・菱田春草・木村武山に安田靫彦の加はり 天心のはからひて法隆寺金堂にて壁畫原寸を 病となり 天心の力そへにより修善寺 相原の新井旅館の源泉にて やまひをいやす         明治44年 27才沼津にうつり 修善寺へはたびたび行き来し世話になる やあ おお 原三渓がせわしてくれるぞ と天心は靫彦をみまふ 明治45年大正元年文展「夢殿」二等賞 原三渓買上 東京國立博物館にいくよろこひは この夢殿に

 

   

住香庵

このゑは明治44年27才紅児會(安田靫彦・今村紫紅・小林古径・速水御舟・前田靑邨)のころなのか 沼津の靫彦をみまいしをり 天心は繪筆の姿も

盾とたちをもつ「防人」下繪は 昭和17年ころなのか 

 

           

昭和9年 新井旅館の天平風呂を設計完成 帝室技藝員となる

   


昭和12年 帝國藝術院會員 國立美校教授にきまるもいなむ 

 

   


黄瀬川の陣 昭和15年九郎義経參着 左翼  昭和16年さきの右兵衛佐頼朝 右翼

國立近代美術館 國 重要文化財

 

昭和19年 安田靫彦 小林古径

東京美術學校教授になる

昭和21年 文部省國寶保存會委員 

昭和23年 日本藝術院會員

文化勲章 

昭和26年 安田靫彦 小林古径は國立藝術大學教授を前田靑邨にたくす 

昭和33年 日本美術院理事長は

岡倉天心 横山大觀そして安田靫彦へ 

 

住香庵

   

 

   

 

               住

 紫式部と坂田金時

むかし 足柄の夕日の滝のちかくにありし坂田金時ゆかりをたつね 

なんと家にとめてもらふ その子孫は細身のなこりをととむ 

鎧を身につけ弓馬にたけるには のちの世の坂田金時の傳説とはことなる 

うるはしきすかたをこのゑに

ほとなくして 足柄のその地を訪ぬると「坂田金時生誕の地」

なんと碑のたつも 家はあとかたもなく 

さみしいかなや ひとづてに やけしときく 

坂田とめくりあひしあの日は 夢まほろしなのか

藤左相府道長の側近 源頼光の武者 渡辺綱・坂田金時・碓井貞光・卜部季武

源氏嫡流に頼光の太刀の傳はり 童子切・髭切丸・鬼切丸・微塵丸(箱根神社に木曾の源義仲のおさむ 

箱根三所権現にて僧の別当は兄曽我十郎祐成(すけなり)にあたえ 

右大將側近の工藤祐経をあやめ 五郎と右大將の府にむかふも武者にうたる)

・薄緑丸(ふるくは膝丸 蜘蛛切 九郎義経は薄緑となつけ 

源平のいくさにつねにおびし太刀なのか 

箱根社におさむるも 別当の僧は弟曽我五郎時致(ときむね)にあたへ 工藤をあやめしのち 

右大將の府にむかひ 武者とつばせりあひ 

ふたふりの太刀は右大將かやしろにかへす 

すさましき切りあひの刃こほれをのこす太刀を 初めてめにし 

別当のあたへなくは 天下の名刀として 

あらまほしき姿をととめしを 

ほかに南宋の青磁の笛は九郎義経のかたみとして靜にあたへ 

右大將かやしろにおさむ 

・しつやしつしつのおたまき くりかへし 

むかしをいまに なすよしもかな

・吉野山 みねのしらゆき ふみわけて

いりにしひとの あとそこひしき 

鶴岡社の若宮にて九郎の笛を そして舞ふのか)

 

住香庵

   


道長と紫式部 藤原行成と清少納言 道長と行成 和泉式部と袴垂保昌 國寶御堂関白日記に最古のかな文字ののこる

 それ以前は漢字の草書體の萬葉かな 

倭漢朗詠集を藤原公任かあみ 行成は料紙    

にしたたむ そして濱のまさこのことく ものかたりのうまる 

その身のまはりをまもるは頼光や 坂田金時たち 

みめうるはしき随身らを 御簾こしに

紫式部も金時の姿をかいまみし日も 

 

正倉院   原寸 住               

   

國寶  原寸 住

 


國寶          住       

 

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朝日記231108 橘樹住香 秘帖ひすれかをりやまくさ(2023/11/14加筆版1)

2023-11-08 16:53:51 | 絵画と哲学

朝日記231108 橘樹住香 秘帖ひすれかをりやまくさ (2023/11/14加筆版1)

 

(初出し:  HEARTの会会報no.115 2023年秋季号 ISSN2186-4454)

―祕帖より―

ひすれしかをり やまとくさ

会員 橘樹 住香

 

 





 

 

 

 

室町 源義満

 

吉田秋光   住香庵

 

                        

清和帝のみこ みなもとをたまはり そのなかれに あの源

八幡太郎義家 源征夷大將軍頼朝は鎌倉府を開闢 弟の源義光

は三井寺にて 新羅明神の前にて元服 源新羅三郎義光を名のる


こから武田信玄へ 會員の青木保男はその流れをくむといふ

                             住 

會員の 大江敏行と七才の春から學ひ舎をともにし 十五の春 生物部に誘はれ 先生のちからそへにて 牧野富太郎植物圖鑑を 六十年も手もとに

 宿河原から化石の山の長尾へ   

胴亂を肩に先生とつれたち草草を集む 五十年をこゆる月日 草いきれにとけこみここに住まふ 草草の多様さは倭國の七番と 

 草花の神さま牧野富太郎は倭國原産の「やまとくさ」となつけ 初めて萬國にくり出す

住香庵

  

 

「水兵の亡びの鉄を洗い来し潮(うしお)のみどり生者のみどり」

昭和四十七年佐佐木幸綱『直立せよ一行の詩』青土社の「鉄」の一首

この歌集には愛唱されいる「竹に降る雨むらぎもの心冴えてながく勇気を思いいしなり」を巻頭に「直立せよ一行の詩 陽炎にゆれつつまさに大地さわげる」の題名ともなる歌のおさめらる あえてこの歌にひきつけらるるは 戰後78年をへ ますます風化される大東亜のいくさにおもひをはせ その風雲のなかに 少年の日々の佐佐木幸綱をおもふ

昭和18年の6月8日桂島の戰艦陸奥は主砲火藥庫から火を吹き 1474人の乗組員のうち1100余人は陸奥と運命を共にす 昭和45年その陸奥の40m主砲四番砲塔の引きあけらる

「海軍に憧れし少年期が錆びて沈める海を湛えし三十路」

「かつて戦艦陸奥と呼ばれし日のありて鉄が吐き出す水を」

「十年早く生まれ来しかばこの艦と共に亡びし夢疑わず」

廣い海原に偵察機は 飛へとも 々 何もみつけられぬも 敵は日本海軍の暗号解読と レーダーにて 人ころしの段取りを たんたんとすすめる 倭國の艦隊は双眼鏡 明け方のまっくらな闇の雨雲に三百数十機の戰鬪機をかくし しられぬやうに戰艦大和に襲ひかかる

   住香庵   

 

 

時の通信兵より おほつつを一発もうたぬ いくさとならぬ ひたすら味方のうたれ 死の淵をかひくくり くやしき思ひをかたる 

明け方 漆黑の海にまっ黑なたれ雲か 海原から戰艦大和におほひ いきなり戰鬪機の次から次へとまちかにおそひかかり ダダ々々とうちこむ 「艦長、大砲をうたせて下さい」という聲の いくとも々 指令室に鳴りひびき いまもその聲のなこりに ああ…ふかき慟哭に胸のさかれる日々を いくさののちは美濃の中學の校長になるも 海軍ののちは余生と こころにおさむ

くろかねは萬國をぬきん出るおほつつをつかはぬまま 撃沈となり 退避勸告の發 せられ 極限の恐怖にはりつめ 人をもとめ 甲板のひとつ所に 千人ほとのますらをの右往左往 その下は彈丸のむろ 魚雷の火藥庫に命中 次から次へと火を噴き 紅蓮のほのほに五軆炸裂 をしいかな なんと海軍兵學校 國立帝大なと このさき國をになふはすの ますらをたちそ 艦とともに指令室は最後に海原に沈み 大爆發となり40メートルのみなそこから空にふきとはされ この通信兵は息をふきかへす

大戰ののち かなしいかなや多くの秀才をなくし いきのこりの若者は夢と志をうしなひ ちんぴらとなってゆく いつれ復興に携わるも その流れはいまも ちんぴら国家へ続くやうに思へてならぬ

1945年2月ヤルタ會談の公文書にチャーチルとトルーマンは Germanではなく Japanではなく中性子をいくつ使ってもJapaneseをころせというやりとりのあるといふ チャーチルは自傳をかきノーベル文學賞なるも おのれは平和賞にふさわしいと…ノーベルのこころさしは人ころしなのか

日の本は大砲にまけしも 倭國の神々はまけてはいない しかし大戰ののちは鎮守の森の五百近く失はれ 町内會館や子供の遊ひ場やスポーツ廣場となってゆく 倭國はやほよろつの神々へのおそれをなくし 倭國の人の心もまけとなる

コロナにより國はまひし 烏露のいくさのいきつくところはみえぬ テレビをつけるとかたりは70年も日本は惡 いくさは惡と くりかえすうち しらぬまに あれゝ なんと中性子をきそふ世界 G7の廣島に集ふも おそましき戰の大將をまねくとは

日の本もきなくささへむかふのか いさ鎌倉に そしてまた若人のいのちもさらさる

              

・家守りし 妻のめぐみや 

わがまなび よのなかの 

あらんかぎりの スエコ笹

 

・草をしとねに きのねを枕     

花と恋して 五十年

        牧野富太郎

歴史資料 開戦詔書

 以下に拡大したコピーを掲載します。

朝日記231114 歴史資料 開戦詔書原文

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朝日記231029 翻訳 統合的情報理論について その1

2023-10-29 17:35:43 | 絵画と哲学

朝日記231029 翻訳 統合的情報理論について その1

朝日記231029 翻訳 統合的情報理論について その2

朝日記231029 翻訳 統合的情報理論について その3

朝日記231029 翻訳 統合的情報理論について その4

 

翻訳 統合的情報理論について 

Integrated information theory

From Wikipedia, the free encyclopedia (September 2023)

 

荒井康全 

Yasumasa Arai 2023/10/29

 

Integrated information theory (IIT)統合的情報理論はあるシステムの意識にたいする数学的モデルを提案する。

それは究極的にある物理システム(人間の脳のように)がconscious,[1]意識あるのはなぜかを説明する意図をもつframework 枠組みを含んでいる、そして具体的な推測を与えることを意図している。その推測とはどのよな物理システムも意識的か、それはどの程度であるか、そしてなにか特定の経験を持っているか:

なぜそれらはそれらが特定の状態にて感じる特定の道すじで感じるのか(たとえば我々の視界は夜空で眺めていると拡張しているようである)[2]

そしてなにが他の物理的システムが意識的であると受け取るのか(他の動物は意識的か? whole Universe be宇宙全体ってあるのか?)[3]

IITによれば、あるシステムの意識(what it is like subjectively 主観的のような何か)はcausal properties起因的の性質(what it is like objectively 対象的なような何か)と identical同等であると想像される。 

したがって、完全な原因力を開示することによって、物理システムの意識的経験が勘定できるべきであるとなる。(see Central identity).[4]

IITは2004年に神経学者Giulio Tononi .[5]によって提案された。

顕著な関心にもかかわらず、IITは論争的でありそして広く批判を受けた、そのなかには非過誤的な疑似科学であるというのも含んでいる。

概容Overview[edit]

「意識の固い問題」への関係性

Relationship to the "hard problem of consciousness"[edit]

 

David Chalmers は意識性を説明する試みとして純粋に物理的項で行うことを論議したのである。(すなわち、それらが現在形式化されるように物理法そっくを起動かけ、そして必要にして不可避の意識存在を引き出すのである)その試みは実質的に"hard problem"「固い問題」に入り込むのである。

 

むしろ物理的原理からスタートをして、そして意識性に到達するより、IITは「意識性からスタート」し(われわれ自身の意識が確かとして受け入れ)、そして仮説的な物理層と勘定をあわせるべく必要になる物性について理屈づけるのである。

 

現象論から機構学への跳躍を遂行する活動はIITの仮定にある、それはもし意識経験の形式的な物性が十分にそれがおかれている物理系によって勘定があうなら、その物理システムはその経験の物性が制約条件を与えなけければならない。

 

意識存在するための物理的システムの限界は未知でありそして意識はスペクトラムの上に存在するようである、分裂脳患者の研究[7]をそして脳物質喪失の大きい意識ある患者の研究を含むようにスペクトラムの研究なのである。[8]

 

特に、IITは現象学から機構学への移行を、意識経験の基本物性(dubbed "axioms")と、そこから、さらに意識的物理システムの基本物性(dubbed "postulates")を同定することを試みるのである。

 

Mathematics: formalization of the postulates[edit]

数学的式化の完全にして筋の通った勘定については参考をみよ。[9]

 

拡張Extensions[edit]

たいして大きくないサイズのシステムのΦMax の計算でさえしばしば計算的に取り扱えないことがおきるが、そのようなときには積分情報としてヒューリスティックなもしくは代理的な測度[1]が工夫して使われてきた。

たとえば、Masafumi Oizumi等はΦG Φ∗[11] と幾何積分情報もしくは ΦGΦ�Φ�,[12]で積分化情報のための実用的近似であるものを共用して使っている。

これらはAnil Seth and Adam Barrett.[13] が以前に開発したproxy measures代理測度と関係している。

しかしながら、これらの代理測度のどれも 実質的なΦMax と数学的に証明された関係ではないので、それを使った解析解釈を複雑にしてしまうことになる。 

 

それらは非常に小さいシステムに対してさえ定性的に異なる結果を与える。[14]

2021年に, Angus Leung等が神経データをIITの数学的式化の直接的応用を公開した。[15] 

より大きなデータ群での計算機的挑戦を避けるために、著者たちはハエなどの神経集合体の活動[2]に焦点をあてたのである。

その研究の結果はΦMaxが神経データのよりちいさな群のためには首尾よい計算ができている。さらに動物で麻酔下にある場合ではΦMaxが顕著に減少したのであった。

意味ある計算挑戦として積分化情報を計算する場合では神経システムのminimum information partition最小情報分割を見つけることである、そこでは可能なすべてのネットワークの分割をとおして繰り返し計算が要求される。

Daniel Toker とFriedrich T. Sommerはシステム動力学の相関マトリクスの特殊な分解が最小情報分割のために手早くそして安定な代理をあたえたことを証明した。[16]

 

 

関連した実験研究 Related experimental work[edit]

システムのΦMaxを計算評価したり、そして意識構造を評価したりするアルゴリズム[10][17]が比較的straightforward一方向的な情報の流れであるが、その time complexity時間的複雑性が高いと計算的に取り扱いが困難になる、これはおおくの興味あるシステムでおきる。[10] 

ヒューリスティックおよび近似はときに野球ゲームのようなゲームで複雑なシステムの灯具情報の推測を試みている。しかし、精確な計算は往々不可能になる。

これらの計算挑戦は経験的条件のもとで意識を信頼高くかつ正確にアセスすることの困難なしごとと組み合わせたものとなるが、多くの理論的予測のテストを困難にしている。

それにもかかわらず、研究者はさまざまなsubjects主観での意識水準のアセスのための情報積分化と微分化を測ることを試みている。

たとえば、最近の研究で ΦMaxとして計算的指向のより少ない代用特性を使ってさまざまな意識の水準間での信頼できる差異化をすることができている、これは起きている、寝ている(夢見ているvs夢見ていない)、麻酔下である、そしてコマトース(植物的vs最小限意識vsロックイン状態)の個人が対象である。[20]

IITは存在する経験的証拠を上手にフィットするいくつかの予測をもする、そしてそれは意識研究では見いだされるのとは逆の洞察性を説明するために使うことができる。

たとえば、IITはある脳の領域、cerebellum小脳のような領域では、それらのサイズおよび/もしくは機能的重要性にかかわらず、意識に寄与しないように見えるがそれが何故かを説明するために使うことができる。

 

 

受け入れReception[edit]

IITは批判と支持とも双方ひろくその受け入れが及んでいる。

 

支持者Support[edit]

神経学者Christof Kochは、この理論の後期の版での展開に協力してきたが、かれはIITを「意識についての現実的約束をする唯一の基本理論」と呼んできている。」[21]

神経学者でありかつ意識研究者である Anil Seth はこの理論に協力的であり、注意深くつぎのことを要請している;「意識経験は高度に情報的でありかつつねに統合化されるものである」;そして「IITから直ちに引き出せるひとつのものはわれわれが意識について知っている確かなものについて恰好な後付け検証[3]をあたえてくれている」と。

 

しかしIITの部分で、私があまり自信がないかなとみているところは統合情報が事実上それが意識であると主張しているところであり―その二つの間を同一であるとしているところである、」[22]そしてその部分こそが、 panpsychistの理論説明を批判してきたものである。[23] 哲学者David Chalmers、その有名な理念であるthe hard problem of consciousness意識の固い問題でしられているが、かれはIITについて篤い支援を表明してきた。

かれによれが、IITはそれがいま正確かどうかというよりも展開の方向性がただしいとしている。[24] Max Tegmark 計算の背後にある computational complexity計算の複雑性に問題を指摘している。 Max Tegmarkによれば「IITの提案する統合手段はシステムが大きいと計算的に非現実的になる、それはそのシステムの情報内容が超-指数関数的に増大するからである。」[25] 結果として、Φは一般的に近似的なものとなる。

しかしながら、Φを近似する方法はさまざまであり、これが大きな平均場神経ネットワークモデルという意味で計算されることになる。この理論のしかるべき仮定がその大きなシステムでの相変化を捉えるために工夫されることには意味がある。[27][28]

 

 

[1] heuristic or proxy measures

[2] neuronal population activity

[3] post hoc explanation

 

朝日記231029 翻訳 統合的情報理論について その2

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朝日記231029 翻訳 統合的情報理論について その4

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朝日記2380622  その4 ケンタン マイアスー講義

2023-06-22 16:41:43 | 絵画と哲学

朝日記2380622  その4 ケンタン マイアスー講義

bact to preface

朝日記230622 翻訳と解説ケンタン マイアスー講義Time without Becoming 2008,

 

move to each section:

朝日記2380622  その1 ケンタン マイアスー講義

朝日記2380622  その2 ケンタン マイアスー講義

朝日記2380622  その3 ケンタン マイアスー講義

朝日記2380622  その4 ケンタン マイアスー講義

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  1. The principle of contradiction

矛盾の原理

 

さて、facticity(事実性)によって同定されたこのabsoluteについて我々は何を言うことができるか?

Facticity(事実性)とはそれがひとたびa limit(有限のもの)というよりもan absolute(絶対のもの)と考えるときそれは何であるか? 

 

その答えは time- facticity as absolute(絶対としての時間-事実性)であり、これを時間として考えねばならない、しかしa very special time(非常に特殊な時間)として、私はこれを AFで“hyper-chaos”超カオスと呼ぶ。

この語による意味は何か?

the absolute(その絶対)がtime(時間)であり、またはchaos(カオス)であるということはすこし陳腐で月並みかもしれない。

しかし我々が発見したこのtime(時間)は、私がこれまで言ってきたように非常に特殊な時間であって、これは通常のカオスとは違う。

Hyper-chaos(超カオス)はわれわれがそう呼ぶカオスのそれとは非常に異なるものである。

カオスによって我々はすべてのもののdisorder(無秩序)、randomnesss(ランダム性)、eternal becoming(永遠の成り)を通常意味するのである。

しかしこれらの特性はHyper-chaos(超カオス)のそれではない。

そのcontingency(偶然性)はradical(過激)であるので、becoming(成り)、disorder(無秩序)、randomness(ランダム性)でさえそれによって破壊され、そして order(秩序性)、determinism(決定性)、そしてfixity(固定性)に置き換わるのである。 

 

ものごとはHyper-chaos(超カオス)においてcontingent(偶然性)であり、そのtime(時間)はthe becoming of things(ものごとの成り)でさえ破壊することができる。

 

facticityがそれとしてthe absolute(絶対)であるなら、contingency(偶然性)はもはやdestruction or disorder(破壊や無秩序)の必要性を意味しない、しかしむしろorder and disorder(秩序と無秩序)、becoming and sempiternity(成りおよび永続性)にequal contingency(両偶然性)を意味することになる。 

なるがゆえに、私はsurcontingence, supercontingency(超偶然)という術語を使うことを好んでいるのである。これは単なる偶然性以上のものである。

 

われわれはtime(時間)に関するこのテーマはHeraclitanの哲学とは大変異なるものである。Heraculitusは私からすればひどくfixist(固定主義者)である。

かれのbecoming(成り)はbecome成らなければならない、そしてbecoming(成り)としてeternally永久性を保つものである。

なぜか?[このinterrogation(交差的質問)とつぎの文との間のリンクは設問としてひらかれている-Heraclitean becoming (Heraclitean の成り)がbecoming(成り)として永遠的に保持する理由付けでは、becoming or fixity(成りか永続固定)がappear or disappear(発現か消失)とはなりえないのである  ]   

 

これらの文章のなかで“not”や他の否定的な見失いもあるか?RB]

Becoming(成り)はfixity(固定性)がそうであるようにまさにfact(事実)であるので、それら双方ともappearing (発現)とdisappearing(消滅)との永遠の可能性を持つに違いない。

しかしHeraclieanの成りもまた、physical time物理的時間とおなじく特定の法則である法則の支配にあり、それは決して変わることのないphysical time(転換の法則)なのである。 

 

しかしある物理法則がある時間的に保持しえているのはなぜであるかの理由はない、今日だけでなく明日も、さらに数分先も。なぜならこれらの法則はまさにfacts事実であるからである;諸君はこの必要性を説明開示することができない-Humeはこの点を実に明解に公開開示したのであった。

しかし物理法則の必要性を公示することができないことは、私によればHumeが信じるようにreason理性の限界によるものである、かれによればこれは理性がfalse誤謬をおちているというfact事実である。 

私はrationalist(合理主義者)である、そして、reason(理性)は、諸君がnecessity of laws(法の必要性)をdemonstrate(公開開示)することができないことを明解にdemonstrate(公開開示)する。

そこで我々はreason(理性)をまずは信じるべきでありこの点を受け入れるべきであること:laws(法)はnecessary(必要ない)-それら(法)はfacts(事実)であり、そしてfacts(事実)はcontingent(偶然性)のものであり-それらはreason(理由)なしに変わることができる。 

Time(時間)は物理法則のもとに統治されていない、なぜならそれはmad time(正気でない時間)によって統治されたそれ自身でlaws(法)あるからだ。 

私がここで強調したいことはthe type of rupture(破裂のタイプ)であり、これは形而上学の原理の二つに関するものである:

端的にいえば“the metaphysics of substance”物質の形而上学と“metaphysics of becoming”(成りの形而上学)である。

私はつぎのように信じるものである;being (conceived as substrate)(基質として知識化された存在)とbecoming(成ること)との間の対立はprinciple of reason(理性原理)のなかに包含されており、この対立がthe operator of every metaphysics(形而上学の運転者)となるのである。 

これは一方でsubstrate(基質)としてのarchè(元)、Thales学派はたとえば水をすべてarchèとして考えたこと、他方でentity(実体)があらわれたり壊されたりすることが必然性のbecoming(成り)とするapeiron(無窮性)をarchè元と考えるAnaximander学派があり、この二つのあいだでの対立はPresocratics(前ソクラテス)時代以来からの対立である。 

 

 

Heraclitus NitezscheはThinkers of becoming(成りの思想家)でDeleuze-はanti-metaphyscians(反-形而上学者)としばしば考えられていて、

形而上学はfixed principles(基点化された原理)の哲学として考えられている、それはsubstances(物質 )と Ideas(理念)である。 

しかしmetaphysics(形而上学)は事実として、entities(実態)やprocesses(プロセス)のdeterminate necessity(決定された必要性)についてのits belief(その信念)によって定義される:ものごとはそれが何であるべきかまたは、それらは何に成ることに成るべきかがある、なぜならこれ(観念もしくは宇宙の創世)にはreason(理由)があるからである。

 

 

これが、becoming(成ること)の形而上学が何故two metaphysical necessities(ふたつの形而上学的な必要性)に信じおく理由である;

fixity(固定性)よりもむしろbecoming(成る)ことの必要性;そしてequally thinkable(均等に考える)というものよりもむしろsuch and such a becoming(それやこれやのように成る)必要性である。

他方、Hyper-Chaos(超カオス)のとらえかたはthe idea of a time(時間の観念)でありそれはそれを制約するものはなにもないという形而上学的な必要性から完全に解放されたidea(観念)である;becoming(成る)でもなくsubstratum(物質層のもの)でもない。

  

 

このhyper-chaotic time(超カオス時間)はbecoming(成る)をcreate(創だし) および destroy(壊し)たりをすることができ、また理由なしにfixity(固定) か movement(移動), repetition(反復)かcreatation(創りだし)さえできるのである。

これが、私をして究極的に matter of philosophy(哲学案件)をbeing(あること)

や、becoming(成ること)ではなく、representation(表象性 )や reality(現実性)でもなく、very special possibility(非常に特殊な可能性)のものであると考えた理由である、それはa formal possible(形式的な可能なもの)ではなく、a real and dense possible(リアルで密なる可能なもの)であって、私はこれを“peut-être”- the ‘may-be’(多分そう)とよぶものである。

このeven Peut-êtreと表現したが[? “This mere Peut-être”(この唯のPeut-être)か または “Even this Peut-être”( このPeut-êtreでさえ)か? ]、これは公開開示するには非常に複雑なものであり、もっとも近い意味としてはMallarmé’s Un Coup de dés(マラルメのサイコロの目)でいうPeut-êtreであろう。

フランス語ではL’affaire de la philosophie n’est pas l’être, mais le peut-être.つまり[哲学的関心としてはbeing(ある)についてではなく、the May-be(多分そうある)についてである]

 

 

 facticity(事実性)がthe absolute(絶対)であるなら、そこでfacticity(事実性)もまたhyper-chaos(超カオス)であり、合理主義者のカオスであり、それは逆説的には反合理主義者のカオスよりもおおきなカオスなのである。しかしこの点を受け入れたとしても、われわれは深刻な課題をもつようにおもう;このような概念でのancestrality(先祖以前性)の課題をわれわれは解決することが望めるのであろうか。

これはそれ自体でリアルである科学的知識としての整合性を基礎づけることができるようなan absolute(絶対なるもの)を発見するという課題なのである。

 

我々はいま、an absolute(絶対)を所有する、それは、わたしは信じるのだが、correlationism(相関主義))にresist(抵抗)することができるのであるが、しかし、このabsolute(絶対)はrational structure of being(存在beingの合理的構造)の反対側にあるようにみえる:  

我々はそれをつうじて、the reason for facts(事実のための理性)の説明を試みているにもかかわらず、それはthe principle of reason(理性原理)の破壊である。

いま、それはfacts(事実)のみがそこにあって、そしてもはやそこにはreason(理性)はないようにみえるのである。 

このような結果をともなう科学基礎を我々は如何に希望できるのか?

このあたらしい課題をひも解くひとつの筋があると私は考える。

我々はそれを如何にすすめうるか?

私のテーマはspecific conditions of facticity (事実性の特定条件)がそこにあるかであるが、わたしはそれを“Figures”(容姿)とよぶ。 

Facticity(事実性)とは私にとってはthings(物事)の唯一の必要性ではあるが、しかしfactual(事実的)であることがまさにanything(なにかあるもの)であることではないことを含むものである。

Factual(事実的)であるということはany sort of thing(なにか具体的なもの)へ適用されるものではない。

Some things(なにかの物事)が、もしが存在したとしても、factual(事実的)なentity(実体)としてあるべき厳密な必要な条件には従わないであろう。

それがthese things(これらの物事)が存在しえない理由であり;それらは存在できない、なぜならもし存在するなら、それらは必要であろうし、そして必要であることは、the principle of factiality(存在化原理)にもとづいて、不可能である。

 

 

After Finitudeでわたしが証明を試みたのであるがひとつの例を示そう、それはnon-contradiction(非矛盾)がcontingency(偶然性)の条件であること、contradictory reality(矛盾的な現実性)は変化しえない、なぜならそれはすでにそうでないものとしてあるとして織り込み済みであるからである。

さらに精密にいうと;ある存在があっていかなる矛盾を支持できるものであるということをimagine(想像)するか、むしろconceive(知覚)することをを試みることにしよう;それはproperty特性aを持ち、同時にそして全くおなじ条件において、それがaでないproperty特性をもつ。

そのobject(対象)は赤のみである、そして赤のみではなくて非赤でもある。

そしてそれは諸君が知覚できるいかなる特性にたいしても同じである:bであることとbでないこて、cであることとcでないこと,等々。

 

さて、このentity(実態)が変化しなければならないこと、それがいまあるもでないなにかになることを知覚することをこころみる、そのようなことは知覚可能であるであろうか?

無論できない、それがすでにすべてであり、そしてその逆のものである。

矛盾的なbeing(存在)は完全に必要である。

それはキリスト教でのGod(神)が一度は、なぜ彼が父にして、終わりなく、永遠であるものであり、そしてかれは神の子ではなく、人間でありそして死すべき者であるかというものであるかとなる。

もし諸君があるものを必要と考えたいなら、諸君はそれと矛盾するものを考えなくてはならない。その絶対がなりうる絶対の外側には何もないというものも考えることであり、そのあるもののalterity(代わり)という意味ではない。

これはまた究極的にHegelian Absolute(ヘーゲル的絶対)が結果的な矛盾となる理由である:なぜなHegelはあるbeing(存在)がリアルに必要である、つまり絶対ということになるが、その存在はそれがそれであらねばならないこととそれがそれではないことであって、そのことはそれがその外側に所有しているものをすでに自身内側にも所有していることを理解したのであった。

Such an absolute would have no alterity, and hence would be eternal (そのようなan absolute(絶対)はなんらalterity(代替)を持たないであろう、そしてそれはeternal(永遠的)であろう) しかしながらこれはa contradictory eternity(矛盾的永遠性)になるであろう)、which doesn’t have becoming outside itself-(その永遠性はそれ自身の外側に成るのではなく)、an eternal becoming(永遠的な成り) がeternally passing in to eternity(永久性へのなかで永久的に浸み込んでいくのである。)

 

一方、私は矛盾が不可能であることを保持する、それは私が合理主義者なるが故であり、かつ非矛盾性は過激なカオスつまりHyper-Chaosの条件であるがゆえに保たれるからである。

私が矛盾的な存在が不可能であるあることを意味しないことに留意されたい、なぜならそれはabsurd(不条理)であるからであり、a non-sense(無意味なこと)であるからである。

反対に、矛盾的な存在が無意味ではないと考えるのである:諸君はそれを厳密に定義でき、かつそれにreason(理由)をあたえうるのである。

 

 

諸君はリアルな矛盾が不可能であることを合理的に開示することができる、なぜならそれがnecessary being(必要な存在)であるからである。

換言すれば、その形而上学的な理性原理では絶対的誤謬であるがゆえに、非矛盾性の論理的原理は絶対的に真なのである。

すべてのものごとの完全なる“logicity”論理性はなにかあるもののための理由が絶対的に不在への厳密なる条件である。

それが私としてmetaphysics形而上学をひろく信じない理由なのである;形而上学はいつもいくつかある筋のどれかひとつを、理性の原理に於いて信じるのである; 

Metaphysician(形而上学者)は何故に物事がいまあるようにあらねばならないかを、物事が必然的に変化しなければならないか、そして何ゆえに物事がそれらのあるべき状態を劣化消滅するか、もしくは物事が変化するように変化しなければならないのかを説明することができると信じている哲学者である。

 

 

私は反対に、reason(理性)が以下のwhyを説明するべきであると信じるものである;物事がなぜそうあって、そしてなぜそれ自身がそうでないように常に成るかを、そしてなぜこのゲームのためにultimate reason究極理性がそこに居ないのかについてである。

この道筋において、“factial speculation”事実的思弁は依然としてa rationalism合理主義であるのだ、しかしそれは逆説的なものである;

なぜ物事が理由なくして存在しなければならないのかを説明し、それらが理由なくしてどのように存在しうるのかを説明するa rationalism合理主義でもあるのだ。 

Figures(容姿)はfacticity-の必要なmodalities (モード性)であり、そしてそのnon-contradiction(非矛盾性)は私が principle of factiality(事実性原理)から演繹する最初のFigures(容姿)である。

これはひとがthe absence of reason-(理性不在)についてreason(理由づけ)をし得るものとして開示することでもあり、理性についてまさにa profound transformation(その観念が深淵なる転換性)に関するものか、それが理性原理からの理性解放なのか、またはまさに;理性原理からのわれわれを解放する理性であるのかである。

 

Figures(容姿)それはfactiality原理からはじまり、自然科学の力から引きだす可能性であろうか?

つまり、それはway of mathematical discourse(数学的論述の道筋)でそれ自身におけるrealityを知るということであり、その論述によって私が意味する我々の世界を、Hyperchaos(超カオス)によってthe factual worldに事実上産み出されるようなものであり、

そしてour subjectivity (われわれの主観性)とは独立に存在するような内容のものである。 

さて、私のプロジェクトにはAfter Finitudeで解決しないひとつの問題がある、しかしそれは未来においで解決されることを望むものである;私はここでは厳密に問題設定はできないが、単純な質問によってまとめることはできる;

この非常に難しい課題に答えるためにはひとつの条件がある、それはancestrality(先祖以前性)の問題への事実的な解決の条件であり、そしてその条件こそが私の現作業の理論的終結となるものである。ご清聴を感謝する。

bact to preface

朝日記230622 翻訳と解説ケンタン マイアスー講義Time without Becoming 2008,

 

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朝日記2380622  その1 ケンタン マイアスー講義

朝日記2380622  その2 ケンタン マイアスー講義

朝日記2380622  その3 ケンタン マイアスー講義

朝日記2380622  その4 ケンタン マイアスー講義

 

 

 

 

 

 

 

 

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朝日記2380622  その2 ケンタン マイアスー講義

2023-06-22 16:23:13 | 絵画と哲学

朝日記2380622  その2 ケンタン マイアスー講義

 

朝日記2380622  その1 ケンタン マイアスー講義

朝日記2380622  その2 ケンタン マイアスー講義

朝日記2380622  その3 ケンタン マイアスー講義

朝日記2380622  その4 ケンタン マイアスー講義

 

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つづき

 

  1. The problem of the arche-fossil.

  アルシェ‐フォシルの課題

私のゴールは非常に単純である:私はcorrelationism(相関主義)のすべての形式を拒絶することを試みる、

ここで相関主義とは非常に特定な条件のもとで、thinking(その思考)がany act of subjectivity(主観性のどのような行為)とも関係なく、reality as it is in itself(それ自身のなかにあるようなリアリティ)にaccess(アクセス)することができるということを開示しようということを言っているのである。

別のことばでいえば、私はan absolute(絶対な何か)を保持しているという姿勢である。

ここでのan absolute(絶対)はthe subject(その主観)とはabsolutely separate(絶対的に全く別のもの)としてのreality(リアリティ)であり、それをthe subject(その主観)によってbe thought(考え)得るというものである。

私のゴールは非常に単純である:私はcorrelationism(相関主義)のすべての形式を拒絶することを試みる、

そこで、私はこの主張について二つのことを説明しなければならない:

第一は、なぜ私が相関主義によってそれのimperative(命題性)が破れると考えるのか?

この点を説明するために、私は“problem of ancestrality”(先祖以前性の問題)と私が呼ぶところの特定問題を設定しよう。 

第二には如何に我々はcorrelational circle(相関性循環)の手ごわい議論を拒否することができるかを説明しよう。

このために、私はひとつのspeculative principle(思弁的原理)を説明しよう、これは私がprinciple of faciality(フランス語“principe de factualité” )(事実化性の原理)と呼んでいる。 

まず第一の点からはじめよう。

 

相関主義とは私によれば、ある深刻な問題に対してもたらされたものである、それを私は“problem of the arche-fossil”, または the “problem of ancestrality”(先祖以前性の問題)と呼ぶのである。

Fossil(化石)はpre-historic life(前史の生命)の痕跡をのこす物質である:しかし私がこれを“arche-fossil”とよぶのは生命以前にも至る“ancestral” phenomena(先祖以前の現象)の痕跡を残している物質のことである。

 

 

私は“ancestral”と呼んでいるのは地上の生命体以前に生存していたa reality- a thing or event-(リアリティ-モノまたは事態)のことである。

科学は目下 先祖以前リアリティを記述して言明を産み出すことができる、ここでは“ancestral statements”と言っておくが、放射性アイソトープはその劣化の変化率が岩のサンプルの年齢の指標を提供するし、また蛍光性はその星明りにたいしてその遠方の星たちの年齢の指標を提供するのである。

科学はこの道筋で言明を生み出す、たとえば、この宇宙は140億年の年齢で、この地球は

45億年の年齢を形成するというものである。

そこで私は率直な設問をする:単純に問う:先祖以前についての言明を可能にする条件は何であるか?

これは超越論的スタイルでの式化の問題であるが、それはいわゆる超越論的問題への魅力をもつが、しかし私の言いたい点はCritical philosophy(批判論的哲学)がこの問題に対応できないということである。

 

私の設問をより厳密にすれば:もし相関主義が、さまざまな版において先祖以前言明への感覚と意味を与えうるかである。

そして私が証明を試みるは相関主義にたいしてそれが不可能であるということである。それは風通しを良くするためのこの議論のさまざまな試みに関わらずである。

自然科学での意味をあたえるためにarche-fossilsを先祖以前的言明にむけてくれた相関主義に対して感謝をするものである(放射線アイソトープ、星体発光) 

 

もしtime(時間)はsubject(主観)とのcorrelate(相関性)のひとつであるなら、そこでは何ものも実際にその主観に先行することができない。それは時間以内で個別種にして人間種としてよりラジカルなものとしてでもある。

 

その主観のためのその主観の前に存在したその主観の前に何が存在したかである。

 

Intersubjectivity(間主観性)への説明はここではしない、なぜなら問題の時間は各各個人に先行する時間ではなく、その時間は社会的な次元であり、それはsubjective temporality of ancestors(先祖の主観的時間性)から出来上がる、しかしある時間は生命すべてに先行するそしてすべての人間社会にもそうである。

私は相関主義のさまざまな版でこのアポ―リアを却下したり、マスクを掛けたりすることを試みたのであるがそのような道すじはいくらでもあるのである、私はこれらを After Finitude.にてdeconstruct(脱構造化)を試したのである。

しかしこのdenial(却下)はある確かなものから来ている:先祖以前の問題へはリアリストや唯物主義的解はない。

しかしそのような解が存在することを支持する:それは私が見ることができ、明らかにして述べることができるからである:

相関主義は先祖以前の言明の意味を与えないし、そして必然的に言明を産むことができる科学への言明をあたえない。

科学は世界をgiven-to-a-subject(与えれられた主観)として説明還元される。

もちろん、私もまた、超越論的哲学や現象論がつねにバークリー派の粗い観念論とは基本的に一線を画すものであることをつねに注意するものである。

しかし私がAfter Finitude においてデモンストレーションを試みたのはすべての相関主義がこの粗い観念論へと落ちていくことである、これは相関主義が先祖以前の意義を考えようとするときにおこる。

 

 

私が私の知的世界での好敵手を置くに、よく馴染んだ語たとえば“idealism”(観念主義)などにせず、“correlationism”(相関主義)の語を選んだのか?

それはtranscendental philosophy(超越論主義哲学)と(現象論)を使って観念主義への糾弾から救い出すためにこれまで使われてきた弁論が筋として不適切として取り外したいと考えたからであった。私はそれを次のように応答する:「カント派の批判哲学はsubjective idealism(主観的観念論)ではないかったからであり、彼の著Critique of Pure Reason (純粋理性批判)においてidealism(観念主義)を否定しているからである」;

または「phenomenology(現象論)はdogmatic idealism(教条的観念主義)ではない、なぜならintentionality(意志性)がradical(ものごとの本質性)をexteriority外部性に指向しており、そしてそれはsolipsism(自己が存在を知るすべてとする孤立主義)でもない、なぜならその object(対象)がgivenness(所与)であることを含んでいて、これは、Husserlによるのであるが、intersubjective community(間主観的集団)を参照している。」 

 

必然的に、相関主義は先祖以前性について言いうることのすべては然るべき過去のsubjective representation(主観的表象)ということである、しかしながらこの過去はその客観的対象や事態それ自身伴なう存在としては実際上にも不可能であるというものなのである。

相関主義はあくまでも単純明快に一般的につぎのことを要求する;先祖以前性の言明は唯一つの道において真であり、それは普遍的言明である、その道とは特定の物質(たとえばstarlight, isotope)についてこのpresent experiences(現在での経験)の上になるものである。

しかしもしそれが首尾よくいったとしても、相関主義はこれらの言明の参照先が実際に存在したことについては却下されねばならないであろう、

なぜならいかなる人も生命体種以前の記述となるので矛盾となるからである。

相関主義者のために、先祖以前はreality prior to the subject(その主観に先行するリアリティ)ではありえない、それはsubject as prior to the subject(その主観に先行としての主観)によって言われ、そして考えられるリアリティに限られる。

それは人類のためのひとつの過去であり、それは実際の人類に厳密に相関している人類過去以上にはなんら有効性をもたない。

 

しかしこの主張はもちろんカタストロフィである、なぜならそれは科学的言明のセンスを破壊しているからである。科学的言明はそれらが意味するものをまさに意味するからである。

先祖以前と科学的言明は、なにかが主観性のために主観性以前に存在したことを言っているのではない、 

しかし主観性以前になにかが存在した、それ以上何もない:

先祖以前言明はリアリスティックな意味を持っており、それ以上のことを意味していないのである。

まさに諸君のために諸君以前に存在するモノとは、諸君がこの過去を意識して存在する条件によっており、それは諸君の以前に存在するものは何もないといことを言っているのである。

それは先祖以前が何を意味するかの逆をいうことであり:

reality in itself(それ自身のなかでのリアリティ)がyour own past(諸君自身の過去)としてexisted(存在した)のであって それは、諸君のperception(知覚)とはindependently(独立であり、かかわりなく)である。[1] [2]

 

your past(諸君の過去)が諸君の過去になるのは、それは諸君がそこに立ち会わなかったa present(現在)としてそこに有るとされてきたものに限って、ひとつの過去として有効であるとしたのである、諸君が語るときはいつもそのような過去であった、しかしretrojection(回想)のようなものからうまれたan illusion(幻想)はその現在に絶対的に先行する過去としていま産みだされた過去である。 

 Kantカントは, Diderotディドロに続いて、the existence of things outside the subject(主観の外側にあるモノの存在)を証明することが今を以ってして確立していないのは哲学のスキャンダルのひとつと考えたのであった。

私はこの古い問題を復活させることで糾弾をうけるのであろうか、これは一般的に陳腐化されたものとされているのか? 

ハイデガーのSein und Zeit,存在と時間はカントの提言の逆問題である。

 

この主張はphenomenological subjectivity(現象論的主観性)のまさしくstructure(構造)によって説明される:フッサール主義のintentionnality(意志性)やハイデガー主義のDasein(現存在)のbeing-in-the-world(世界内存在)や、さらにサルトルの外側のもの、それ自身に向かってのconsciousness’s “exploding”(意識の爆発)によって説明されているが、これらはintrinsic solipsist subject(個々固有な孤立者のもつ主観)に余分に付け加わった要素からはかけ離れたものである、そのような孤立的な主観ものは、どちらかといえば陳腐でばかげた外的リアリティの証明に与するものである。

敢えて言えば現象論以降でさえ、そして現象論のなかにおいてさえ、なおこの設問が継続しているのである。

なぜなら現象主義者はconsciousness(意識)が本来的にcorrelated(相関化)されており、a world(ひとつの世界)に開かれていると言うことができるにもかかわらず、ancestrality(祖先以前)について、なにが人類以前および動物以前について語りうるか、ここではany subject(如何なる主観)も欠落している非⁻相関性領域の領域になるのである。

 

科学はこの領域についてどのように精密に語ることができるであろうか、ここでこの領域とはもはや懐古遡及的な幻想以上のなにものでもないのであるが?

我々がいない自然とはどんなものであるか?

我々がもはや居ないとしたら自然のなかになにが残っているか?

 

この設問は現象にたいする陳腐化とは程遠いものである、つまりHeidegger自身の三十年代での大設問となっていたのである。

かれのElisabeth Blochmann, on the 11th October 1931 の書簡: 「私は自らに問いかけてきた、これは長年の間での私の基本設問であった、それは自然はどのようなものが人を伴わずにかれ(hindurschwingen)を通してそれとresonate(共鳴」せずに、それ自身の最大の能力に達するか?

個の手紙においてHeidegger彼自身がこの設問を取り下げしえなかったことをいま発見するのであり、そしてかれ自身の解答の試みは神秘的でありそして多分Schellingian metaphysics(シェリング派の形而上学)によって刺激をうけたであろう<術語“potency”, Potenz?(ポテシャル[3])>。

われわれはHeideggerが先祖以前問題を取り下げるか解決することから遠い位置にあったことを知るのである。

人が伴わない自然とはなにかそして我々は時間についてその時間のなかで主観や現存在を生み出す、そのような時間を如何に捉えるか?

< Références: Diderot, Lettre sur les aveugles à l’usage de ceux qui voient, Garnier, 1964, p. 115. Kant, CRP, préface à la seconde édition, B XXXIX; Etre et temps, §43>

しかし諸君は私の戦略でのancestrality(先祖以前)のこの設問の正しい意義を理解できるにちがいない。

私にとって非常に重要なのことは、私はancestralityによってcorrelationism(相関性)を拒否する素振りをしないということである。

Ancestralityの設問は相関性を拒否するものとして持ち込んだものではない、決してそうではないのである。

事実、After Finitudeの第1章では、私は単純にひとつのアポ―リアとして説明したのであり、それは拒否のためではない、つまり、

一方、ancestralな声明を産み出すために自然科学の力を、correlationism(相関主義)を通して考えることは不可能のように見える;

しかし、他方で相関主義者の地位を拒否することもできなようにみえる、なぜならそれは我々がそこに居ないときになにが存在するかをを知ることが可能であると言いうることも不可能のようにみえるからである。

 

われわれはモノを見る目をもたずして色彩の存在を想像できるのであろうか;聞く耳をもたずして音の存在を想像できるのであろうか?

時間と空間の意味をわれわれはどのように考えることができるか、それを過去、現在、そして未来の意識であるa subject(主観)や、または左と右との違いの意識であるその主観[4]を持たずそれらの意味を如何様に考えるかである。

そして何よりもまず、この世界がどのようなものに似ているかを見るために、もし人間誰もそこに居らず、そしてそれを感知する存在もないとしたらそもそもその設問はなりたつか?

一方、correlational circle-(相関性循環)の議論を拒否することは困難のようにみえる、その拒否とはそれは我々が何かを考えるときに、考えるのはまさに我々であるということを忘れるためにそうするようにみえるからである、しかし一方でcorrelationist(相関主義者)に自然科学を理解させるのは不可能のように思えるのである。

このあきらかに単純にして実際にnaïve problem(素朴な課題)を通じて、私はphilosophical naïvety(哲学的素朴性)の課題をあえて取り上げたい:つまり哲学での“to be naïve”(素朴にあること)の意味とはいったい何であろうかという設問である。

哲学でのnaïvety(素朴性)は今日的にはfavoured form(好意的な形式)としてあげられている:thinking(思考)とbeing(存在)との間にある可能なるcorrespondence(対応性)の信仰はあるが、ここに持ち込まれるa being(存在)は正確にはthinking(思考)とは関係のない存在となっている。

 

近代哲学の全体的な努力は真理の概念をつかわずおこなおうとしてきたこと、または興味あることに、this concept(この概念)を基本的に再定義するように向かっていたといえよう、ここでは真理のかわりに法則とのlegality(適合性)(Kant)やintersubjectivity(間主観性)(Husserl)や翻訳(hermeneutics解釈学)で、考えた真理へのadequation(等価性)に置き換えてきたのである。

しかしわたくしはAFにおいて証明をこころみたのは、ancestralityのなかに、anti-adequation model(反-等価性モデル)すべてに対して、ある奇妙な抵抗があるということにである。  

この抵抗というのは科学理論の真理性について直接的に関するのではないが、むしろそれらの意味についてである。

 

この点を説明しよう。

われわれが科学的理論、ここでは自然科学の場を意味するが、それが“true”真理のような何かであるということを無邪気に信じることは断じてできない。

これは科学への懐疑主義からではなく、むしろ科学のまさにプロセスの徳力によるものである。

その歴史の過程でみるなら、このプロセスは絶え間ない自己理論の破壊において特殊な開明性をしめしてきたのである。それはもっとも基礎的なものを含み、それらの新しさは非常に極端であるので誰もこれらの容姿の当初がどうであったか想像できないほどのパラダイムで置き換わっている。

現在の理論のためにもそのコースは同じであり、特にcosmological ones(宇宙学のそれ)がそうである:われわれは宇宙学の未来理論がどうであるか、ancestralityの未来理論は、その過去がどうあるか、人が言うように、それは予想外のものである。

 

我々はこれらの理論が未来において真として保持するかどうか知らない、しかしこれを取り除くことの可能性はないのである、なぜならそれはそのような理論の意味することのひとつの条件であるからである。

 

真理、そしてリアリティと対応するこのようななにかあるものを真理と考えると、これは理論の意味のひとつの条件ということになり、そのひとが他の仮説よりもprefer(好む)仮説ということになる。

ひとが真理へのcorrespondence(対応性)を提供するものとして、これらの論で理解しようとしてそれを試用するならたちまち混乱を発生することになる。

たとえば、諸君はancestral truth(先祖以前での真理)がpre-human reality人類以前のリアリティをrestitution再構成することよりもむしろintersubjectivity(間主観性)によって定義するなら、

諸君はなにか似たモノのことを持ちだすにちがいない:これまで人間性に先行して、anything like a Universe(或る類似宇宙)は存在しえないとしてきた、そこでは我々がeffectively know-(効果的に知る)これこれ然々と決定されたものはそもそもnever existed(存在しない)としてきたのである、これは単に問われている理論についてのlegitimates(つじつま合わせ)を科学者間で論議するものに過ぎないのである。

ひとは同じ文脈でつぎのことを保持している、それは科学者がひとつの理論を受け入れるための固い理由をもっていること、そしてその理論はあるan object(対象)を記述している、それがこの地上以前での生命の場であったとしよう、するとそれはnonsense(ばかげたこと)になるので記述としての対象としても存在しないことになる。

我々はここで Lacanian real(ランカン学派のリアル)に立っている:現代の哲学者にとってrealism(リアリズム)やcorrespondence(対応性)は不可能なものである。

 

しかしリアリズムはancestral(先祖以前)理論のためのsense(体感能力)の条件であるようにみえる(事実、すべての科学的理論のための条件であると私は信じるがここでは深入りしない)。

それはnaïvetyの観念が変わったという理由である:我々はcorrespondence(対応性)を受け入れることがnaïve概念自身でもあるということになるのだ。

anti-adequation(反-等価性)という教条主義はあの古色な前カント的教条主義と同様の問題性を表すのである。

 

 

しかし現実的な困難としては、私によれば、adequation(等価性)ということが古い形而上学的概念へまたは分析哲学が拘るnaïve realismに復帰することは不可能である。

我々はcorrespondence(対応性)を再定義する必要がある、それはadequation(等価性)の概念とは全く異なるものを見出すことである。 

なぜなら、correlation(相関性)の外側で発見するのは、things(モノ)の、properties(特性)およびrelations(関係)の素朴な概念の(相関性)correlationとはまったく異なるものである。  

それは与えられたリアリティとはまったく異なるものである。

これが私をして、究極として、realism(リアリズム)でなく、speculative materialism(思弁的物質主義)の哲学として記述することになる理由である:なぜならFoucaultの文を思い起こすからである、彼は言う:「私はmaterialist(物質主義者)である、なぜなら私はレアリティを信じないからである」<Référence: ?>

 

かくして、私によれば、我々は手ごわいアポ―リアに遭遇することになる:correlation(相関性)とarche-fossilが拮抗するアポ―リアである。

これは 著After Finitudeで解決しようと私がこころみたアポ―リアであり、correlationism(相関主義)をeffectively(効果的に)排除することを可能にする戦略として、そこに“principle of factiality”(事実化性原理)と私がよぶ原理を基礎に置くscientific materialism(科学的物質主義)の新種の登場である。

さてこの原理が意味することが何であるかをみよう、そして相関主義が説くところのなにが不可能になるのかを見よう:これは我々が居ないときに何があるのかを知るということである。

 

 

 

[1] Humeのa-prioriを意味していると理解するものである。われわれが知覚するのは起因結果の結果のみであり、起因ではない。結果から起因を探すのが人間の認識行為とする立場で、カントの認識批判哲学や、スピノザの倫理学へ決定的な影響をあたえたといわれる。参考として、国分功一郎 スピノザ-読む人の肖像― 岩波文庫1944, 2022

[2] Humeanism, from Wikipedia A, the free encyclopedia, May,2022

[3] 荒井訳 potential

[4] 主観

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朝日記2380622  その1 ケンタン マイアスー講義

2023-06-22 16:12:24 | 絵画と哲学

朝日記2380622  その1 ケンタン マイアスー講義

bact to preface

朝日記230622 翻訳と解説ケンタン マイアスー講義Time without Becoming 2008,

 

朝日記2380622  その1 ケンタン マイアスー講義

朝日記2380622  その2 ケンタン マイアスー講義

朝日記2380622  その3 ケンタン マイアスー講義

朝日記2380622  その4 ケンタン マイアスー講義

 

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翻訳

(Quentin Meillassoux Lecture;) ケンタン マイアスー講義

Time without Becoming (Becomingをともなわない時間)

 

(Middlesex University, Londres, 8 mai 2008)

Middlesex University、ロンドン、2008年5月8日

和訳 Yasumasa Arai, Machida Tokyo  24 April 2023 (22 May 2023版)

 

私は最初に今回Middlesex Universityでのこの場で私の研究を講ずる機会を得たことにうれしく思う、そしてこのセミナーの主催者、とくにPeter HallwardとRay Brassierに謝意を表明するものである。

私はこの場で 私の著After Finitude,を基礎づけているものを説明しておきたい、特に、この本で私がとりあげたふたつの基礎的概念について:それは“correlationism”「相関性」の概念と“the principle of factiality”「事実化性の原理」の概念のことである。

 

  1. Correlationism 

相関主義

 

“correlationism”(相関主義)は私をして、いかなるrealism(リアリズム)に対しても同時代的なライバルとなる呼ばわしめるものである。 

correlationism(相関主義)はさまざまなcontemporary(同時代的)形式をもつが、特にtranscendental philosophy(超越論哲学)のそれであり、さまざまなphenomenology(現象論)およびpost-modernism(ポスト・モダニズム)がそれである。

しかし、これらすべてが、それら自身で非常な変化の過程にあり、私によれば大なり小なりexplicit decision(明示的な決定)を共有している:そこではnot always-already correlated with a point of view(ある特定の視点との恒常既成的相関ではなく)、with a

subjective access(主観的アクセスにおいて)で、no events(無‐事態), no laws(無-法則), no beings(無-存在)を状態であると考えるものである。

“correlationism”(相関主義)という術語を使って、“philosophies of access”(アクセスの哲学)の基本的論点をset out(きめ出し)をしたい、ここではGraham Harmanの表現などをつかうことにしよう-そして次の点にたつことにする-相関主義者は反リアリスト論争に例外的につよいこと、それは外見的には絶望的に頑固さえあるということなのである。 

この課題の争点はそれを拒否することの困難と同様程度に形式化として単純なものである; この論議は“argument from the circle”(「循環性からの論争」)とよぶことができ、そしてその論議の循環は相関主義に対するan objection(反対側)からのremarking(論点)となるのである。そしてそのan objection(反対)は諸君のthinking(思考)によってproduced(生み出された)ものであり、またそれにdependent(依っている)のである。

諸君がcorrelation(相関性)に抗して語るときは、諸君みずからは相関性に抗して語っていることを忘れる、ここでは諸君自身のmind, or culture, or epoch, etc(こころ、または文化、または時代、など)の視点から語られる。

The circle(この循環)は諸君が言ったことや考えたことに沿って、実際上の矛盾が引きだされたり、これによって諸君の言ったことや考えを取り下げたりするに至る循環の過程のなかで、このようなnaïve realism(素朴なリアリズム)からのa vicious circle(陰険な循環)が待ち伏せしていることを意味している。

 

Correlationism(相関主義)のふたつの主要な版があるとわたしは考える:ひとつはtranscendantal one,(超越論的のもの)であり、これはものごとのsubjective knowledge(主観主義的知識)のuniversal forms(普遍的形式)を要求する、

そしてもうひとつはthe post-modern one(ポストモダンのもの)であり、ここではこのようなsubjective universality(主観主義的普遍性)からくるすべてのexistence(存在性)も否定することを要求する。  

しかしその(相関主義)双方の場合においてもabsolute knowledge(絶対的知識)の否定である-ところで私が意味するのはknowledge of the thing in itself(そのもの自体の知識)であり、それへのわれわれのアクセスとは独立のものである。

Correlationists(相関主義者)にとっては、必然的に、the sentence(その文):“X is”(X がある) とは“X is the correlate of thinking”(X がthinking(思考)との相関のものである-)というデカルト的意味でのthinking(思考)を意味する: 

Xはなにか或るan affection(情動そのもの)、もしくはa perception(感知のもの)、もしくはa conception(概念そのもの)、もしくはany other subjective or intersubjective act(なにか他の主観的もしくは間主観的行為の相関のもの)なのである。

To be(あるということ)はto be a correlate(相関のものがある)ということとであり、これが術語a correlation(相関性)となる。

そして諸君がある特定のXを考えることをもとめるとき、諸君はこのXを自分のまえに置かなければならない。このposit(置く)という特定のact(行為)からXから目を離すことはできない。

 

これは、an absolute knowledge(絶対的知識)Xをconceive(知識化)することが不可能になる理由である、すなわち、Xというのはあるa subject(主観)からessentially separate(基本的に別のもの)としているのである。 

 

 

我々は、なにがreality(現実) [1]であるかをitself(それ自身)において知ることはできない、なぜならつぎのふたつのproperties(特性)との間の相違を区別つけることが出来ないからである、すなわち、方やthe object(その対象)に所属すると考えられるそれらのproperties(特性)であり、方やそのproperties(特性)がthe subjective access(主観的アクセス)に属していてその経路でthe object(その対象)へつながると考えられるものである。[2]      

もちろん具体的な相関主義では私のモデルよりけた違いに複雑であろうが:このモデルは反リアリズムの最小限の決定としておこう。 

私が意味するこの決定がどのようなことになるかについて特定の歴史哲学での詳細にはいまは立ち入らないことにしたい。

勿論、反リアリズムの現代的モデルとして考えられる相関主義と近代哲学での教条主義批判論の複雑な歴史との間での精密な関係を吟味するのはこれ自体がおおきなことであり、ここではこれ以上触れない。

“ 循環からの争点“というのはthe thing in itself(物自体)について、Kantのように、impossible to know(不可知)であることを意味するばかりでなく、the in itself (それ自身のうち)がradically unthinkable(完全には思考しえない)ことを意味するものである。

***

Kantは、諸君が知るようにthing in itself(物自体)を知ることは不可能であるが、かれはtheoretical reason理論理性(実践理性はここでは別にして)のためにthe in-itself(それ自身のなか)について、つぎの四つの決定にアクセスするthe capacity(収容能力)を附与した: 

 

一番目は、the thing in itself (ものそれ自身)はconsciousness(意識)の外側にeffectively exist(有効的に存在)している(phenomena(現象)がそこにあるだけではない);  

二番目は、我々は、それが我々のsensibility(感受性)にはたらきかけそして我々のなかでrepresentations(表象)をうみだすことを知っている(これが我々のsensibility(感受性)にとってpassive(受動的)で、finite(有限)で、そしてnot spontaneous(非自発性向であること)の理由である)

三番目は、the thing in itself(ものそれ自体)はnot contradictory(矛盾的ではない)-the principle of non-contradiction(無矛盾性の原理)はan absolute principle(絶対的な原理)であり、我々の意識にmerely relative(単なる相対的なもの)ではない;そしてそれは存続される。 

 

四番目は、我々はthe thing in itself (ものそれ自身)がspatiotemporal(空間時間的)ではありえないことを知って、それはspace and time(空間と時間)はsubjective sensibility(主観的感受性)の形式のでのみ可能であるからであり、そしてそれらはproperties of the in itself(それ自身のなかの特性)ではないからである;

換言すれば我々はthe thing in itself(ものそれ自身)が何であるか知らないのであり、しかし何ではないかは絶対的に知っているのである。

Kantによれば、私が知る限りでは、諸君が知るようにKantは事実、the thing in itself(ものそれ自体)については“loquacious”(多弁)であるが、さらに諸君が知るようにpost-Kantian speculation(ポスト-カント派の思弁)ではthe self(自己)の外側でのan in-itself(それ自身のなか)の可能性さえも否定することによってそのような要求は壊されたのである。 

 

しかしcontemporary correlationism(現代的相関主義)はa speculative idealism(思弁的観念主義)ではない:そこではin itself(それ自身のなか)が存在しないということを教条的には語らず、我々がそれについてなにものをも語れないということなのであり、しかもそれが存在することさえ語らず、それが何故かさえも語れない場合のものである。したがって正確には、“in-itself”(それ自身のなか)という術語はこれらの論述から消えてしまったのであった。

Thought(思考)はitself(それ自身)と相関されたa world(ひとつの世界)を扱わなければならないばかりでなく、そのような相関がそこにあるというinconceivable fact(知識化されていない事実)をあつかわねばならないのである。

thought-world correlation(思考‐世界相関性)があるということはsupreme enigma(超神秘的)であり、それは全く異なる状況の可能性さえ逆に与えるのである。 

The Tractatus Logico-Philosophicusはそのような論述の好例があり、それは“mystical”神秘的にして、そのなかで一致整合する世界があるという単なる事実を支持するのである:論理的にして、非無矛盾なる世界としてである。 

 

 

 

[1] Reality:the world or the state of things as they actually exist, as opposed to an idealistic or notional idea of them:(from Wikipedia)

リアリティ;そのものが実際に存在しているとしての世界やものの状態であり、それらの観念的な世界とは対立してとらえられれる状態である。(荒井)

[2] リアリティそれ自身あろう。(荒井)

 

bact to preface

朝日記230622 翻訳と解説ケンタン マイアスー講義Time without Becoming 2008,

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朝日記230622 (表紙)翻訳と解説ケンタン マイアスー講義Time without Becoming 2008,

2023-06-22 16:02:16 | 絵画と哲学

表紙:4

朝日記230622 翻訳と解説ケンタン マイアスー講義Time without Becoming 2008,Quentin Meillassoux Lecture

 

翻訳と解説

(Quentin Meillassoux Lecture;) ケンタン マイアスー講義

Time without Becoming (Becomingをともなわない時間)

 

(Middlesex University, Londres, 8 mai 2008)

Middlesex University、ロンドン、2008年5月8日

和訳 Yasumasa Arai, Machida Tokyo  24 April 2023 (22 May 2023版)

 

Speculative realism(思弁的リアリズム)[1]は contemporary Continental現代の大陸での運動である、それは post-Continental philosophy)[1](ポスト大陸哲学)としても知られており、その自身が厳密ではない緩い metaphysical realism(形而上学的リアリズム)[2]の立ち位置で定義されたものである。それはpost-Kantian philosophy (ポストカント哲学) (または "correlationism"相関主義と用語化)[2]されたものの枠組みのもとでの形式解釈に抵抗するものとして位置づけられるものである。 

そのもっとも先導的な哲学者であるQuentin Meillassouxが2008年ロンドンで行った講義を翻訳である。

 

Abstract

Speculative ralism ia a movement in contemporary Continental-inspired philosophy(also known as post-Continental philosophy) that defines itself loosely in its stance of metaphysical realism against its interpretation of the dominant forms of post-Kantian philosophy(or what it teams “correlationism”)

Quentin Meillassoux of Ecole Normale Supriere in Paris is one of the leading thinker of this field. This article is a translation  to Japanese language of his lecture presented at Middlesex University, London, May 2008.

 

目次

  1. Correlationism 

相関主義

朝日記2380622  その1 ケンタン マイアスー講義

  1. The problem of the arche-fossil.

  アルシェ‐フォシルの課題

朝日記2380622  その2 ケンタン マイアスー講義

  1. The principle of factiality

事実化性の原理

朝日記2380622  その3 ケンタン マイアスー講義

  1. The principle of contradiction

矛盾の原理

朝日記2380622  その4 ケンタン マイアスー講義

 

======Executive Summary

訳者まとめ

Speculative realism(思弁的リアリズム)[3]は contemporary Continental現代の大陸での運動である、それは post-Continental philosophy)[1](ポスト大陸哲学)としても知られており、その自身が厳密ではない緩い metaphysical realism(形而上学的リアリズム)[4]の立ち位置で定義されたものである。それはpost-Kantian philosophy (ポスト・カント哲学) (または "correlationism"相関主義と用語化)[2]されたもの)の支配的のもとでの形式解釈に対して抵抗するものとして位置づけられるものである。 

そのもっとも先導的な哲学者であるQuentin Meillassouxが2008年ロンドンで行った講義を翻訳である。[5]

節1では、MeillassouxはKantの哲学が、経験と知覚との接点を求めるという意味で単なる観念論ではなく、あえてCorrelationism相関主義という名称でその意味の考察をする。

ものを取り上げるときに、具体的に自分が意識したことを言明して、それを目の前に置くという前提でその存在を考えるとう点でまさに相関なのである。その点ではあくまでもリアルなのであるが、普遍的な存在は対象外とする。Meillassouxは、自分、そして先人、つまり人類さらに生命体といったancestralな存在については、そこに誰もいないのであるから相関は破綻することに言及する。

節2 Arche-fossilでは 一方、物理化学で同位元素の半減率の測定からは人間のアテンダンスに関わらずそのモノとしての所在を語る。人間の思考と存在を出発とし終点とする哲学的思考ではそれをどう救うのかという命題である。

節3The principle of factialityでMeillassouxは、ここでの外的リアリティに対してもうひとつAbsolute絶対性(普遍存在性)に着目する。相関主義の正しさはリリティに対するものであり、これによってはその存在の普遍性については語らないとし、ancestralな課題に対して主観上の事実かれの用語ではfacticity事実性というfactiality主観上の事実概念を導入する。

事実性はリアルなものの世界での事実ではない想像上(意識上)のfacticity事実的なものとおいて、これをおくことの必然性を論述である。

ここでの制約条件はPrinciple of non contradiction非矛盾性原理のみであり、思考もしくは想像できるentities事態、processプロセスをrepresentation思考表象として記述することを許すのである。なお、F.A.MullerはMeillassouxの相関主義や観念論でこのArche-fossilからの逆説について丁寧な説明をしている。[6]

節4The principle of contradictionは、かれの講義のヤマ場であろう。ギリシャ哲学での根源において一方でThalesの水のようなものが世界の元としてbecoming成るとして固定不変の思想と、他方、ものごとは現れては消え、また現れるという変転のものというAnaximander学派の可変(no becoming)の思想に言及する。読者としての本筆者はここでMeillassouxyの発想の根底において(ある意味で彼ら哲学者を脅かす)事態もしくはプロセスの幻影を見ることになる。直接間接に彼らは表記しないが、Iria Prigogineらの非平衡・動的・化学熱力学系の教えるところの現象で、ある状態がそれ事態が動的(時間軸)について変動して、それ事態の中でその構成要素が時間的変化(たとえば化学反応など)をしていくようなリアリティを明らかに意識していることみる。相関主義から想定外の発生や消滅があらわれる。それが人間がそこにアテンドするしないにかかわらず個別にも、世界的スケールにも事態進行していく。これらは単に静的な相関論で説明することの破綻として彼らはみているのである。Meillassouxはこれを主観の世界としての形而上学リアリズムの論理構造記述ができるモード記述と考えこれをSuper Caosとみる。かれの発想では通常のChaosがこのThe principle of contradictionの制約をうけるが、このSupeCaosにはその制約をうけないものとして見ている。Anaximander流の生成と消滅のあるモデルを想定しているが彼は自らのちからでは形式記述にいたらず、ただ数学的知恵が助けてくれると信じている観がある。つまり数学的形而上学的モデルへの期待である。かれのSpeculative Realismである。

かれのfactialityでの興味ある視点は、人間が価値あると考える側とそれの反対がわの矛盾側との存在に言及している。これは思考の絶対存在そのものが絶対矛盾というHegelの弁証論的な世界へといざなうが、そこに入るこむまえに、矛盾の存在を思考上でみとめることの意味を述べていることにある。秩序、整頓、仕事、冷静、尊厳、矜持、理性的なものにたいして非秩序、混沌、熱的なもの、好き嫌い、喜怒、感情的なものの意識上の並存であり、主観上の相互作用としてみることである。主観上の空間量や時間量の概念が許容されるかどうかの思考許容性の問題は後におくとして、思考(メンタル)と存在(体)とを一体系した熱力学的な枠組みとして、そこにエントロピー概念を取り入れることを示唆しているが、彼らはそこまでに立ち入れていない。メンタルエントロピー概念へのいざないである。物理化学系でこれがPrigogineやAlan Turingへの非平衡動的化学熱力学の数学的記述との相似性への道をひらくことになろう。こちらのモデルは考える枠組みのもつ能力としてΔU=(非秩序)+(秩序項)のもつイメージである。右辺第一項がエントロピー項であり、第二項が目的の項である。 「彼は赤である。」「かれは赤ではない。」「彼はその中間にある。」「彼はそのどちらでもない。」

蛇足をゆるすなら、先にわが敬愛するMeinongの非存在対象NonExistence Objectへの

思考展開の意味と考える自由からの果実を約束するようにも想像するのである。

 

さらに、他のモデル論にもちこむなら、主観主義の裏側に対峙している客観主義で上のすべてをObjectの多層構造として表象するひともでてくる。Graham HarmanやLevi Bryantが提唱するOOO(object-oriented ontology)がそれである。[7]

さらにIan Hamilton Grantはtransscedental materialism超越的物質主義として、ものごとの実質的(substanctial)なものとしてMatterとuseful fictionとの間の区別性は現在も生きていると主張する。物理学をPhysics of bodies(体の物理学)ではなく、その“physics of all”すべてのものの物理学に還えることを要求する。生命それ自身の概念自体がもつ領域の哲学と、同時にmetaphysical properties(形而上学的特性)を求めることになるかの次元にいたることになる。

これらについては、西側世界での哲学的研究の白眉であることを、最近知ったのであるが、その思考展開の拠点としてスピノザへの回帰がある。[8]

 

Meillassouxにもどるなら、かれは誰かが数学的ツールによってこのからくりを説明してくれるであろうということ期待して彼の講義を閉じるのである。しかしかれはそれが成功しても、思考と存在の原点ancestryの相関主義の線路の欠落については、自分の未解決課題としてのこってしまうことを吐露する。

 

さて、筆者(荒井)自身の取り組んできた研究課題「システム思考における目的論の構造と社会的倫理について」である。

人類社会でのaffection感情(感性)とthought思考(理性)の動的集積体としてさきにdispositon(社会的情動集積体)というのを社会道徳現象概念をあげたが、問題の枠組みとしてそして思考の方向としてみると興味深いものがあるが日暮れて道遠しではある。敬愛する畏きわが友からの所見をいただくことを乞うものである。

荒井

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朝日記230622 翻訳と解説ケンタン マイアスー講義Time without Becoming 2008,

 

 

[1] Speculative; 関わっているさま、表現しようとしている様、知識よりも推測に基づいたさまGoogle Word dictionary)(荒井)

[2] Metaphysical realismはつぎの内容の考え方である;存在するものはすべてそのようにありかつ、そのような特性と関係を所有し、それについて思考や経験から存在や自然を引き出したものとは独立にあるとする。(Philosophical realism:From Wikipedia, the free encyclopedia)(荒井)

 

[3] Speculative; 関わっているさま、表現しようとしている様、知識よりも推測に基づいたさまGoogle Word dictionary)(荒井)

[4] Metaphysical realismはつぎの内容の考え方である;存在するものはすべてそのようにありかつ、そのような特性と関係を所有し、それについて思考や経験から存在や自然を引き出したものとは独立にあるとする。(Philosophical realism:From Wikipedia, the free encyclopedia)(荒井)

 

[5] From Wikipedia, the free encyclopedia (referred on May,2023),which translation to Japanese language by Yasumasa Arai is posted below;

朝日記230617 思弁的リアリズムSpeculative realismについてと今日の絵

 

 

[6] F.A.Muller、The Paradox of the Arche-fossil, An Analysis of Meillassoux’s Challenge to Correlationism, Idealism included. Vol 74;3 September 2020 dialectica

 

[7]   From Wikipedia, the free encyclopedia (referred on May,2023),which translation to Japanese language by Yasumasa Arai is posted below;

朝日記230617 思弁的リアリズムSpeculative realismについてと今日の絵

 

[8] 国分功一郎 スピノザ ―読む人の肖像 岩波新書1944, 2022

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