朝日記241028 その2 目次 「翻訳 意識のハードプロブレム」
朝日記241028 その6 「翻訳 意識のハードプロブレム」
9-16 タイプD 二元論 Type-D Dualism
Main articles: Dualism (philosophy of mind), Interactionism (philosophy of mind), and Epiphenomenalism
二元論Dualism は意識consciousnessを非物理的実質non-physical substanceとして脳とは別けて観るか、もしくは物理的脳physical brain.の非物理的有物性non-physical propertyとして観るかのものである。[97]
二元論ではこころmindは物理的体には帰納(還元)しないという観かたである。
メンタルなものと物理的なものとの間での起因関係についは二元論のなかでも様々な扱いがあり、このふたつの間の関係は、相互作用主義interactionismと認識現象主義epiphenomenalismとが今日最も共通のものとしている。
相互作用主義Interactionismは、メンタルと物理的なものとが相互に起因(因果)的にインパクト作用impactするという考え方であり、それは René Descartes (1596–1650).[51]の思考に繋がっているものである。
認識現象主義Epiphenomenalismはメンタルなものが物理的なものに起因(因果)的に依存はしているが、しかし物理的なものがメンタルなものへという逆は、起因(因果)的にインパクト作用をしないという考えを支持するものである。[51]
現代哲学において、相互作用主義interactionismはMartine Nida-Rümelin,[98] を含み哲学者たちはこれを擁護してきた、一方認識的現象主義epiphenomenalismではFrank Jackson[99][100]を含む哲学者がこれを擁護してきた(Jacksonは後に彼の立ち位置を物理主義に変えた).[101]。
Chalmersは双方の位置づけの進展を肯定的なものとして擁護してきた。
伝統的な二元論者たちはDescartesのようにメンタルなものと物理的なものが二つのべつの本質substancesもしくは実体的なものentities (実体二元論 "substance dualism")の基本的fundamentalタイプである信じた;しかしながら、ごく最近での二元論者のあるひとたちはひとつの実体、物理的なものone substanceをのみ受けれる、しかしそれはメンタルと物理的物性properties (かくして物性二元論"property dualism")双方を持つものと言明した。[97]
9-17 タイプE 二元論 Type-E Dualism
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9-18 タイプF 一元論 Type-F Monism
Main articles: Panpsychism and Neutral monism
これまでのところ panpsychism and neutral monismとは、広義において意識consciousnessは物質matterに固有に備わったものintrinsicとして観るのである[51] 。
もっとも基本的な形式において、panpsychismは物理的外延physical entitiesがこころmindsを持つとし(この支持者がより質的位置付けを取っているにも関わらずである)、一方中立的一元論neutral monismは最小の変形variationsにおいても外延entitiesはメンタルmentalと物理的 physical双方の観方aspectsをともなって実体substanceを構成するという立場をとるのである―そして斯くしてneutral monismはpanpsychismのひとつのタイプとして記述されることになる。[103]
panpsychism および neutral monismの形式は二十世紀の初期につぎの人たちが擁護した、心理学者 William James,[104][105][note 2]、哲学者Alfred North Whitehead,[105]、物議学者 Arthur Eddington,[106][107]、そして哲学者Bertrand Russell,[102][103]であり、そしてこれらの観方での関心が最近の数十年に再生された観がある、これを支持している人としてはThomas Nagel,[105] Galen Strawson,[105][108] Philip Goff,[105] そしてDavid Chalmers.[102]である。
Chalmersは彼の全体観を自然的二元論"naturalistic dualism"として記述するが、[1] しかし彼はパンサイキズムpanpsychismの意味としてはStrawsonと同様に物理主義physicalism[51]形式a formのものであると述べる。[108]
パンサイキズムpanpsychismの支持者は次のように論じる、意識consciousnessを現実性realityの基本的容態fundamental featureにすることで首尾よく意識consciousnessのhard problem問題が解決できるとするのである。[42][109]
9-19 観念論とコスモサイキズム
Idealism and cosmopsychism
Main article: Idealism
hard problem問題の伝統的解は観念論idealismであり、この論によって意識は基本的であり、それは単なる物質の発現物性ではないとするのである。
これはhard problem問題を全体として避けることを提示するのである。
客観的(目的的)観念主義Objective idealism と宇宙的心理主義cosmopsychismがこころmindもしくは意識consciousnessというものがこの宇宙the universeの基本本質fundamental substanceのものであると考えるのである。
この支持者はこのアプローチが意識のhard problem問題にたいしても、汎心論panpsychismにつながる結合問題combination problem双方にたいしても免疫性immuneがあると主張する。[111][112][113]
観念論者からの見え方からは、物質matterはメンタルプロセスmental processesからの表示representationもしくはイメージimageである。
この支持者はこのことがこころmindの物質主義的観方materialist view、たとえばこころを物理的脳physical brainからの発現物性emergent propertyとするような見方と連携した問題であることを避けることを示唆するのである。[114]
論評者たちはつぎのように論じる、このことは再結合問題decombination problemへ帰着する:単一にして、普遍的な意識的経験a single, universal conscious experienceを、多数にして、各個別的な意識経験multiple, distinct conscious experiencesにどの様にして区分けsplitすることが可能であるか?
これに応えて、Bernardo Kastrupはつぎの要求をする、自然natureはこれのための条件としてひとつの機構mechanismをヒントとして与えるとし、再組織同定的な再秩序dissociative identity disorder (集合的人間性の再秩序Multiple Personality Disorder).[115]が予め見えているとするものである。
Kastrupは再組織化dissociationを自然natureがみせる例として意味を提示する、それは多数のこころmindsがそれら個々主観的経験individual subjective experienceをもっているが、それらの経験は単一普遍のマインドsingle universal mindのなかにおいて展開することができる例として解離dissociationを意味させたのである。
認知心理学者 Donald D. Hoffmanは数学的モデルmathematical modelをして、そのモデルを意識エージェントconscious agents周辺にモデル基礎をおき、かつそれが基本的に意識界conscious universeのなかにあるとするときに、自然記述description of natureとしての自然記述description of nature を支持するものとする―そのモデルはhard problem問題への客観的観念主義objective idealismのなかへの収束とするのである:
「客観世界objective worldというものは、その存在existenceが特定意識エージェントparticular conscious agentによる感受perceptionsに依存しない世界なのであって、それが全体として意識的エージェントconscious agentsに整合するというものである」[116]
David Chalmersはこの観念主義形式を「mind–body problem問題へのささやかな約束的アプローチpromising approaches」であると呼んでいる。[117]
9-20 新神秘主義 New mysterianism
Main article: New mysterianism
New mysterianism、哲学者Colin McGinnによって持ち来たらされた考えであるがこれは人間のこころmindは現在の形においては意識consciousnessを説明しえないであろうという提案である。[118][11]
McGinnは Noam Chomsky の問題群と神秘群の間の区別を持ち込む、その問題とは原理的に解き得るというものそして神秘のこと、それは人間の認知能力human cognitiveが装備 facultiesされていないので永遠に理解できない、そしてその mind–body problem問題は後者の範疇に置かれるものであると。[118]
かれの位置は自然的説明naturalistic explanationは存在するがその人間のこころthe human mindは認知的に閉じて cognitively closed いて、それは知的能力の極限限度cognitively closedまでとなる。
かれはは認知の包み込み範囲の支援のもとでJerry Fodorの modularity of mind概念を記述する。
McGinnのつよい形式では新しい はつぎのように語る、意識と物質世界との間の関係は人間のこころ では決して理解されえない、一方 よわい形式もまたあるが、これは存在するパラダイムのなかでは理解することができないが、しかし科学もしくは哲学の進歩が他の解へ筋道を明けてくれうかもしれないという論議である(上をみよ)。[42]
Thomas Nagel と Joseph Levineのアイディアは第二次範疇へと落ちていく。
Steven Pinkerはこの観方のよわい版weaker versionを支持する、それはつぎのようにまとめられよう:そのときそこには哲学者Colin McGinnが差し出した理論が見えていよう、それはHard Problem問題を与えられたときに立ち眩みで倒れるというものである。
脳は進化の生産物である、そしてまさに動物の脳がみずからの限界をもつようにわれわれは我々の脳の限界をもつ。
われわれの脳は記憶で百の数を保持しえないし、7次元空間を視覚化できない、そして多分なぜ外側から観察される神経情報プロセスneural information processingが内側での主観的経験subjective experienceを起こさねばならないのかを直観的には掴むことはできない。
これは私の賭けである、その理論がこれから生まれてくるであろう天才—意識についてのa Darwin もしくはEinstein—が驚くべき新しいアイディアを持ってあらわれ忽然としてそのすべてを澄みやかに明かにしてくれる、そのときその理論は消滅するであろうことを認めるにも関わらずである。
問題説明の目標に関してのコメント Commentary on the problem's explanatory targets
[edit]
哲学者Raamy Majeedは2016年にhard problem問題が二つの「説明目標」に繋がっていることを論じたのである;[53]
- [PQ] 物理的過程が現象的性質をともなった経験を起こす。Physical processing gives rise to experiences with a phenomenal character.
- [Q] われわれの現象的品質phenomenal character は特にそこにそのようにあるものthus-and-soである。Our phenomenal qualities are thus-and-so.
最初の事実は物理的なものと現象的なものとの関係性に関するものである(すなわち、如何howに、そして何故whyに何かあるものsomeの物理的状態physical statesが状態statesを感じたfelt のか?)、そこではその第二のものはその現象それ自身のまさしく本質very natureに関するものである(すなわち、その感じた状態the felt stateというのは何whatに似ているように感じfeel likeしたのか?)
Wolfgang Faschingは論じる、hard problem問題はqualiaについてではなく、Nagel'の意味で経験が何に似ているかthe what-it-is-like-nessについてである―現象内容の付与givennessについてである;
今日単純に意識とqualiaがひとしいequate とする強い傾向がある。
未だこのことについてまったく正しい何かsomethingがそこにあるということは明らかではない。
「かゆみのかゆみ性」および「痛みのケガ性」はわれわれが意識にもつ品質についてofである。
そのように、こころmindの哲学はあたかもそれが意識の内容content of consciousness (現象的品質the phenomenal qualities)から単純に構成されているかのように意識性を扱う傾向があるが、一方で、それは実際には厳密に言って内容についての意識性consciousness of contentsであり、主観的subjectivelyに与えられたのが何であれ、そのまさしく付与givennessされたもののことなのである。
そして、それゆえに、意識consciousnessの問題はなにか言うところの「神秘的にして、非公的対象」に拘りをおいていない、すなわち、対象objectsが目下注目している主観subjectに対して可視"visible"にあるもののみがあるように見えるものであるが、しかしそれ自身を見る"seeing"という本性natureの対象なのである(そして今日のこころmindの哲学は驚くほど後者についてはなにも語られないのである)[119]
10 Relationship to scientific frameworks
ほとんどの神経科学者と認知科学者は が主張するところの 問題が解かれるであろう、もしくはリアルな問題であるべくでないことが証明されると信じている、それはいわゆる 問題の解の道すじでのリアルな問題にはつながらないとしているが、なお顕著なる少数派はこのような多数派の考えに反対をしている。[9][120][better source needed
10-1 意識の神経相関 Neural correlates of consciousness
Further information: Neural correlates of consciousness
1990年以来、研究者たちは、これには分子生物学者 Francis Crick と神経科学者Christof Koch が含まれるが意義ある進歩を行った、それは主観的意識subjective consciousnessの経験experienceと平行的に起きる神経生物学的事態neurobiological eventsはどのようなものかを同定することにむかわせたのである。
これらの仮説的事態postulated eventsは意識の神経相関性neural correlates of consciousness または NCCとして参照される。
しかしながら、この研究は論争的な質問を産んだのである、そのような神経生物学的機構neurobiological mechanismsが意識consciousnessにリンクされるのか、しかし一方で、なぜそれらは全体として意識consciousnessを起さねばならないのかの質問には向かわなかった、後者についてはChalmersがそれを形式化したように意識consciousnessのhard problem問題となった。
"On the Search for the Neural Correlate of Consciousness"では、Chalmers は言う、かれが自信をもっていることは、グローバル有効性"global availability"と彼が呼ぶようななにか意識指示者indicator of consciousnessが使う原理を置くことであり、神経相関性neural correlatesはこの「一世紀か二世紀」以内に発見されるであろうというものである。
それにもかかわらず、彼は意識consciousnessのhard problem問題の関係性と見なされることを述べている:ひとは常に問うことができる、それは何故に、これら有効性プロセスprocesses of availabilityが優先的位置the first placeにあって意識consciousnesにつながるのかである。
それらがそうであるのは何故かをわれわれは今もって説明できないように、そして有効性プロセスprocesses of availabilityについての十分なる詳細をしてこの設問への答えをだすのに依然として失敗することは十分あるかもしれないのである。
たしかに私が外郭を示した標準的方法論ではなにもこの質問に答えない:その方法論は有効性availability と 意識consciousnessの間での関係性relationを仮定しており、そして、なるがゆえにそれを説明するなにものもないのである。[...]かくてhard problem問題はそのまま残るのである。
しかし誰知ろうか:われわれを然るべき内省relevant insightsに導くその筋にそってどこかsomewhereがあることを、その内省insightsとはなぜそのリンクがそこにあり、そしてhard problem問題がそこで解かれるかもしれないということである。
神経科学者であり、ノーベル賞受賞者の Eric KandelはNCCの位置づけはhard problem問題を解くというよりも、むしろhard problem問題をeasy problems問題と呼ばれるそのひとつを解くということなのかもしれないと記述する。[123]
Kandelはbinding problem―何が経験の一本化the unity of experienceへの辻褄合わせをするかを理解すること―がひとたび解かれたら、それは経験的にhard problem問題を解くことが可能になるであろうというCrick and Kochの示唆に注視していた。[123]
しかしながら、神経学者Anil Sethはつぎのように論じる、いわゆるhard problem問題の強調点は彼が実問題"real problem"とよぶものとは馴染まない:目下取り掛かっている意識underlying consciousnessを神経生物学として理解するとはさまざまな意識プロセスとの神経相関を理解することである。[22]
これはさらにつつましいゴールは意識consciousnessについて研究する大方の科学者の焦点でもある。[22]
心理学者Susan Blackmoreは、反対にneural correlates of consciousnessのための探求は実りのないものでありかつ、意識のhard problem問題という誤った信仰のうえにそれ自身を論述するものと信じたのである。[124]
10-2 統合情報理論 Integrated information theory
Further information: Integrated information theory
統合情報理論Integrated information theory (IIT)は神経科学者であり精神病医Giulio Tononi が2004年に開発したものであり、さらに近年にKochによって支持され、現在神経科学およびその領域を拡大して意識についてのもっとも論議集中しているモデルのひとつとなっている。[125][126]
この理論は意識consciousnessと統合的情報integrated informationとの間での同定性 identityを提案するのであり、それは後者の項(denoted as Φ)が数学的に定義されることそしてこれにより原理的には測定できることを伴っているからである。
Tononi とKochは書く、意識のhard problem問題は物質から意識from matter to consciousnessへと働くときに実際に取り扱い不能intractableであるかもしれないと。[15]
しかしながら、かれらは言う、IITはhard problem 問題を解くことが出来るであろうと、なぜならIITはこの関係性this relationshipを逆転invertsし、そして現象論的公理phenomenological axiomsから物質matterへと働かせるからである。[15]
この道すじにおいて、支持者たちはこの理論がhuman neural correlatesの同定を越えていく、そして物理的システムすべてに外挿extrapolatedし得ると語ったのである。
Tononiは(彼のふたりの同僚とともに)つぎのように書く:
"neural correlates of consciousness"を同定することは疑いなく重要である一方で、それが何の意識であるか、そしてどのように来るかについての十分なる説明に、今後どう進めていくかを見定めることは困難なことであると。
以下に例示するように、IITは機構のシステムsystems of mechanismsを決定determineするための道すじを与える、そのシステムが意識consciousnessを起こすために適正に構築されているのであれば、それがどの程度の大きさかhow much of it、そしてどのような種かof which kindのものかを決定するための機構システム解析の道すじである。[128]
IITの多くの場での批判の部分として、Michael Cerulloはつぎの示唆をしている、その提唱される説明性explanationは彼が"Pretty Hard Problem"とよぶものと重複するのである(この見解はScott Aaronsonに追従するものである)が、これはそこにある物理的システムのどれがwhich physical systemsが意識的consciousであるかを方法論的に推定する問題である―しかしそれはChalmers'のhard problem問題を解かないであろう。[126]
「もしIITが正しくてさえ」彼は論じる「それはintegrated informationが意識を発生する(もしくはIITが意識である)ということが何故なのかを説明しない」ということである。[126]
Chalmersは同意しているのはIITがもし正しければ、それはthe hard problem問題よりもむしろ"Pretty Hard Problem"問題を解くであろうと。[129]
10-3 グローバル作業空間理論 Global workspace theory
Further information: Global workspace theory
Global workspace theory (GWT)は認知心理学者Bernard Baars が1988年に提案した認知的建築cognitive architectureでありかつ意識の理論theory of consciousnessである
この劇場は種々の無意識unconsciousと、さもなくば脳内の自律的ネットワークautonomous networksからの入力を統合し、そしてさらにそれらを無意識ネットunconscious networksへ開示する(ひろく、非特定の聴衆broad, unlit "audience"がそのメタフォールのなかで、彼ら流において表現するのである)[130]
この理論は他の科学者によってそれ以降内容を加えられ、そのなかには認知神経科学者 Stanislas Dehaene.[131]も含まれる。
彼のオリジナル論文では意識のhard problem問題を概括し、ChalmersはGWTを意識の問題"easy problems" of consciousness.[1] のひとつにのみターゲットを当てていると論じた。
彼は、殊にGWTは人間頭脳での情報が如何にしてグローバル的にアクセス可能globally accessibleになりうるかを首尾勘定することを提供する、だがしかしかれは、「ここで別な形式で設問がおこる:それは何故グローバルアクセス性global accessibilityが意識経験conscious experienceを起こすのか?」
常のごとく、この共架問題bridging questionは未解答のままである。[1]
- W. Daltonは同様にGWTの根底を批判する、その根底は、高々、意識の認知的機能性cognitive functionの辻褄を与えるが、その経験的な側面を説明しえていないと。[132]
これと対照的に、A. C. Elitzurはつぎのように論争する:「[GWT]は'hard problem'問題つまり、意識のまさしく本性very natureには向かっていない、
[GWT]は意識本性very natureを試みる理論、そしてそのような理論が意識consciousnessと認知cognitionとの間の関係性に重要な内省insightsを与えることに逆に制約をあたえてしまっている。」[133]
彼のこの部分について、Baarsは(彼のの二人の仲間と一緒に)答える、それは起因機能性causal functionsを説明する問題を越えてしまうqualia を説明するhard problem問題はなんら存在しないのである、なぜならqualiaは神経活動neural activityとそれ自身が起因themselves causalとみるからである。
Dehaeneは、彼の2014年の著Consciousness and the Brain,で、qualiaの概念を拒絶し、さらに論じる、Chalmersの"easy problems"問題が実際にはhard problems問題であるというとして批判した。[20]
彼はさらに言う、"hard problem"問題は正しくなく定義された洞察ill-defined intuitionsにのみ立っていて、その洞察とは理解行為進化understanding evolvesが切れずにただにシフトしているようなものであると[20]。
qualiaの仮説的概念は純粋にメンタルな経験であり、いかなる情報プロセスの役割りとは別のものであり、この意識科学the science of consciousnessの概念は前科学時代の特定の観念として見られるであろう、それは丁度vitalism...のようなものである。[科学scienceがまさしくvitalismと縁を切っているように]意識の科学science of consciousnessはそれが消えてなくなるまで意識のhard problem問題にとどまりかみ砕いてしまうであろう。
10-4 メタプロブレム Meta-problem
[edit]
2018年にChalmersは"meta-problem of consciousness"とよぶ問題にひかりをあてたのであった、それは意識のhard problem問題に関する別の問題であった:[75]
意識のメタ問題は(第1次近似として)何故whyそれをわれわれが考えるかを説明する問題である、ここでは意識の[hard] problem問題に関する説明問題である。
かれの「第2近似」"second approximation"では、かれは言う、それは現象的報告"phenomenal reports"の行為を説明する問題であり、そして意識の[hard] problem問題があるという信念を表現する行為を説明する問題である。[75]
彼はその意義を説明して、そのmeta-problem問題が厳密にはmeta-problemを話しているのにかかわらず、hard problem問題とふかくつながっているのだと。
われわれは理性的にあると希望できるのはmeta-problem問題のある解がhard problem.問題に対して、意味のあるひかりをあてているということである。
ある特定的につよい線particularly strong lineは、hard problem問題のひとつの解がmeta-problem問題を解くまたは解消することを支持する。
ある弱い線weaker lineはhard problem問題を取り除けない、しかし解形式form of a solution.に制約をあたえるであろうことを支持している。
換言すれば、つよい線'strong line'はそのmeta-problem問題への解こそ、意識についてのわれわれの信仰の説明かもしれない、しかもその意識の説明は意識とは独立であることを説明していることなのかもしれないのである。
神についての信仰を進化論のことばevolutionary termsで説明evolutionary termsすること自体が有神論 theismそれ自体に抗する論旨を与えるかもしれないのと同様であり、それは意識への信仰を破壊するであろう。[134]
10―5 大衆文化において In popular culture
英国の劇作家Sir Tom Stoppardの演劇The Hard Problem、2015,年が初演であるが、意識のhard problem問題をStoppardは主観的第一人者経験"subjective First Person experiences".[135]として定義したのである。
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