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朝日記240705  (その10)10. 形而上学 「翻訳チャールズ・サンダース・パース」

2024-07-05 11:05:50 | 研究論説

朝日記240705  (その10)10. 形而上学 「翻訳チャールズ・サンダース・パース」

朝日記240705  (総表紙・目次)「翻訳チャールズ・サンダース・パース

 

  1. 形而上学 Metaphysics

 

形而上学 Metaphysics

 

いくつかの顕著な報文 

  • Monist形而上学シリーズ The Monist Metaphysical Series (1891–1893)
    • 理論の構造 The Architecture of Theories (1891)
    • 試された必然性の宣言The Doctrine of Necessity Examined (1892)
    • こころの法則 The Law of Mind (1892)
    • ひとのガラス的本質 Man's Glassy Essence (1892)
    • 進化的な愛Evolutionary Love (1893)
  • Synechismの光においての不死性Immortality in the Light of Synechism (1893 MS)

 

 Peirceは形而上学をつぎの三つに分割した divided;(1) 存在論ontologyまたは一般形而上学 general metaphysics, (2) 心理的psychical もしくは宗教的形而上学 religious metaphysics、および (3) 物理的形而上学physical metaphysics.

 

 

存在論 Ontology

普遍的な項目について、Peirceは学問的リアリスト scholastic realistであった、それは1868年代においてはやくも一般性のリアリティを言述していたのである。[167]

Peirceによれば、かれの範疇categoryは彼自身第三性"thirdness"とよび世界についてのより一般的事実として関心がありって、それを追加的メンタルリアリティextra-mental realitiesとしたのである。 

 modalities (possibility, necessity, etc.)に関して、彼は後年modalitiesに積極的リアリティを感じて惹かれていたことを言及している。

 

1897年の彼の著述である"The Logic of Relatives"「関係的なものの論理」で次のようにのべている:私は先に情報が与えられた状態において、そのどれが真でないかを知らないかの可能性を定義したのであった。

しかしこの定義は今日では歪んだ言明であったように思える、それは二重否定two negativesなることによってアナコルータムanacoluthon[1]を隠蔽していることになるからである。

われわれはある確かなことcertain thingsが真でないことを経験から事前に知っている、なぜならそれらのことが不可能であることを見ているからである。

Peirceは或る目的には役立つものとして、情報状態information statesという用語定義を保持したが、しかし彼は、プラグマティズム主義者が強度のモーダルリアリズムmodal realism に関与することを主張した、ここでの対象objectsは予想可能な一般的条件の提案という意味で認知しうる対象であり、その対象は確実な状況のもとで作動しているものあった。[168]

 

 

連続性 Continual

連続性とsynechismはPeirceの哲学での核心である;「私は最初にそれが哲学のマスターキーあったとは思わない、私は徐々にそれを見出していくのであるからである。」[169] 

数学的視点からは、かれは無限小infinitesimals をこころに抱きそして連続の数学についての長期にわたる研究をした。

彼は長い間、実数は擬似連続pseudo-continuumを構成するとしてきた[170];真の連続とはanalysis situs (topology)の実の主観体subject matterである;そしてinstantsの真の連続は―そして時間経過のなかに伴ってその置き場所roomを持ち―いかなるinstantsの Aleph number (かれがそう呼ぶようにいかなる無限のmultitude ) をも越える.[171] 

 

1908年にPeirceは 真の連続はその置き場roomを持つか持たないかもしれないことを見出したと記述した。 

Jérôme Havenel (2008): 「それは26 May 1908のことであった、Peirceは最終的に彼のアイディアをあきらめた、それはいかなる連続においても、どのようなmultitudeの集合体のための置き場roomがあるとしたことについてであった。以後、異なる特性をもつ異なる種の連続があるとする」[172] 

 

 

心理的もしくは宗教的形而上学 Psychical or religious metaphysics

 

Peirceは神を信じた(believed in God)、そしてその信仰をつぎのように特性化した、理念、野生事実、そして進化する習慣について好奇するなかで本能an instinctのうごきを見出したのであった。

そして信じる神は実際的actual もしくは存在的existent Being  (これらの言葉はPeirceの意味であうが、)のものではないが、すべて事実的real Beingと同じであるとした。[173] 

"A Neglected Argument for the Reality of God" (1908)[119]で、Peirceは神の事実性realityにたいしての論議をスケッチする、それは必要(必然)Being としての神の仮説であり、その仮説は通常のひとが好奇心musementと探求 inquiryにおいて使命感compellingにいたる性向をもつと彼は記述した。その通常のひとはその仮説によって導かれるが、それは理念ideas、野生事実brute facts、進化する習慣evolving habitsの様相featuresから納得できるものがあるというものである。たとえば科学の進展の過程で、そのような目的指向の思考thought of such purposefulnessが「仮説とともに成立したり、却下されたり」することになる。   

一方、Peirceによれば、その仮説は際限なく納得しえないbeingとして考える過程で、まだ合反決着がつかないうちに好ましい真の概念としてそれ自身の自然性があるとしてスターとしている、そして、仮説がその後どう大きくなるかに関わらずすすむ。

それはふたつあり、(A)不可避的にそれ自身が部分的に真、また部分的に曖昧として見なす、かつ際限なしにそれ自身を定義し続ける、そして(B)不可避的に神を漠然vagueであるまま成長growingとして‘見える化’する。それを必要(必然)的Beingとしての神は莫ではないにも関わらずである。しかしその仮説は神は無目的性purposelessの反対the oppositeというのは誤り more falseであるというべきである。 

Peirceもまた意志the willは自由freeであり、[174]シネキスム(see Synechism)でいう不死immortalityについての控えめな種のものがあることを論じた。  

 

 

 

物理的形而上学 Physical metaphysics

 

Peirceは客観的観念主義 objective idealismとよぶ観方を持っていた、それは「物質というのは遊びこころや、ながい伝統からうまれた物理法則である」"matter is effete mind, inveterate habits becoming physical laws".というものである。[175] 

PeirceはBerkeleyの形而上学metaphysical theoriesは一見したところ逆説の雰囲気をもち主流になりえない軽さair of paradox and levityがあると観察したのである。

Peirceは三つの現実性realityを主張する;(1)絶対的チャンス"absolute chance"もしくはランダムネス randomness (his tychist view), (2) 機械的必然"mechanical necessity"もしくは物理的法則 physical laws (anancist view), and (3) かれが愛の法the "law of love"とよぶもの (agapist view) 

 

彼は偶然的変化fortuitous variation(スポーツ的と彼は呼んだ)、機械的必然性mechanical necessity、そして創造的愛creative loveの三つが進化のモードであるとした(モードは "tychasm", 、"anancasm", そして"agapasm"である)[177] 

彼はラマルック的進化 Lamarckian evolutionに内蔵しているアガパスムagapasmの概念を造ったのである;如何なるケースにおいても全体の観念は終結もしくはゴールに向かっていく性向の進化であること(the overall idea in any case is that of evolution tending toward an end or goal)、そしてそれはこころや社会の進化にもまたなり得る(it could also be the evolution of a mind or a society);それは一般的意味でこころの働きを示す進化種kind of evolutionである(it is the kind of evolution which manifests workings of mind in some general sense.)。 

彼は空間、時間、法.[178]の連続性現実reality of continuitを保持していく連続主義者シネキストsynechis,[100]であった。    

 

 

[1] a sentence or construction in which the expected grammatical sequence is absent, for example while in the garden, the door banged shut.

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