事実は映画よりも奇なり

乳がんで余命2週の告知もキリスト教の27歳の裏千家師範は延命薬で百八夜を内鍵付きの病室にて戦うも・・・

医は算術ではなく鬼手仏心です

2012年07月06日 09時26分39秒 | 朝顔 「椿灰」 

2012年7月06日

あらすじは、【  朝顔  


 


2009年11月06日




 【八夜 ★抹殺】 から  【十一夜 ☆家族】 から

完全な記憶喪失にさせられる銀座の朝でした。

バブルと名付けられた実体なき社会が終焉を迎える頃、ゴッホとルノワールの計2点の絵画が米国のオークションにて二百数十億という史上最高額で落札されたニュースが映像と共に飛び込んできた。
依頼された会長と代理人たる銀座の画廊主は親子である。姓が異なるのは師範と同じだったからだ。

別宅に置かれる女性は不安定な社会的立場ゆえか、待つ日々と環境がもたらす緊張感が素晴らしい個性を育まれると言われている。
置く男にとっては、たる意味でしょうか。
その後の人生が師範と画廊主で大きく違っていった根幹には、国際社会での会社経営と地域での町医者という全く異なる世界も考えなくてはならない。
両親共に健在だった画廊主ではなく、師範の場合は早くして二親を亡くしているが、これを言っちゃお終いだ。それに体験談のブログから離れてしまう。
決定的な相違点は【99年間働かずとも有り余るカネ】の悲劇ではないでしょうか。
咲く師範を二度までも殺した院長にしても、逆玉の縁談が決まってから既に性技を勉強していったとはいえ、一生遊び暮らせるのに働かなければならないカネがもたらす実感と周囲からの妬みに論われる陰の中で、師範殺しの心の闇が形成されていったのでしょう。

しかし私も町医者の家に生まれておきながら何なんですが、町医者という職業がこんなに人間的に小さなものだったなんて、体験から【御山】で考えさせられました。
良く言えば地域社会での客足と柵で雁字搦めなのに医師会や医療の圏内から食み出して社会的影響力を行使できるところが認識の誤りを生んでいる。

院長の言葉が如実に物語っている一件がある。それは、
「入院は取らないし、死人も出ない。厄介な患者は大学病院に送る。悪くなるのが当たり前の老人医療が多い」

福岡県は全国を見回しても老人医療が多いのである。お年寄りの井戸端会議場みたいな医院もある。
こんな書きかたできる私であってはならないんです。本当は。
というのも、ずいぶん昔の話で恐縮ですが親しい方が立候補されての開業医VS勤務医となった会長選挙がありました。親しい方が苦汁を嘗められたのですが、これ、私に流された悪口雑言が原因だと考えている。もう自分自身は如何でも良い。
しかし、この一件と家族の汚名は返上しなければならない。


師範の墓標とした【御山】の阿蘇は魂との契約である。周囲が如何有ろうが関係なかった。
院長の恐ろしき算術の陰謀から絵画の購入は花嫁道具だった上に性暴力を知っても、これは破れない。
無意識の意識が、両天秤に掛けたかのように家族を蔑ろにした阿蘇に向かわせた。
逝った年も冬には阿蘇のペンション住まいとなり、比翼塚の草刈りから枝打ち、沢に下る小道を整地したりと汗を流していく。


こんな中、女たちだけが取り残された福岡の我が家には中傷に嫌がらせの電話が引っ切り無しに入っていた。
家庭があり、家も在る間、着信音に妻は両耳を塞いでしゃがみ込み、母は頑張れるも〝それなりの対応〟にて音を収める。
妻も母も、家族で耐え忍びながらも、恐ろしくなった私から命じられた通り、我が家の女たちは師範殺しの知りえた限りの真相を院長の犯罪の内容を姉妹の家の秘密を守り通した。
全てを誰にも口外できなかった。

妻は叫んだ、
「どうして私たちが犠牲にならなければならないの」
「みんな生きている」
わたしは突っぱねる。話にも何にも成りはしない。

こんな苦しみの我が家へと姉からも電話が入っている、
「今後ウワサにして妹の名誉を傷つけないようにしてください」
黙ったなり、聞いてあげた我が家の女たちでした。


取引先だったデパートからも、
「(姉妹の家)と何か有ったらしいが、(その地域)の出張所所長は取締役だから何も聞きたくない。もう出入りしないでくれ。おまえも終いだな」
繁華街にもご一緒していた担当からの突然の電話でした。

母は着信音に、
「(あの恐ろしい家からかも)」
感じるらしくて、ピクッと体を深層心理で震わせる。電話を取れなかった。

鳴り分けてくれる機能が付いてから、ずいぶん楽にはなりましたが。
医者の人脈を利用してのものが殆どと思われる。一方的で意味不明で嘘っぱちだらけの電話による後遺症です。
わたしだけでなく家族の全員が未だに抱えているんです。
「かわいそうな方」
真実で師範を思いやれた、ただ一軒の家なのに。

大切にしている亡父の遺品の一つに墨色五彩『鬼手仏心』の掛け額がある。
ブログの稚拙さでお分かりのように医者になれなかった私ですが、その心は受け継いだつもりです。