昭和四十四年四月、太郎は高校生になった。
「これからが大変だ。ぼくが通う高校は進学校なんで勉強が大変だ」
こう思った。
自分が希望通りの高校に進学できたうれしさもあったが、不安も大きかったのである。
こんな時に太郎は、自宅の近くにある広島市南区比治山に登って展望台で広島の街を見下ろしながら、
「胸に沁みる空の輝き、今日も遠く眺め涙を流す」
とその頃流行していたフォーククルセーダーズの、
「悲しくてやりきれない」
を唄うのだった。
別に悲しいわけではなかったが、太郎はこのサトウハチローの詩をひどく気に入っていたのである。
歌の最後のところ、
「このやるせないもやもやを、誰かに告げようか」
こう唄うと太郎のもやもやは晴れるのだった。
「ぼくの人生はどうなるんだろうか」
毎日、毎日こう自問自答して暮らしていたのである。
「答えが出てこない」
太郎は自分自身に呟いた。
「数学の答えを出すんじゃないんだ」
自分をなだめるようにいい聞かすのだった。
「これからが大変だ。ぼくが通う高校は進学校なんで勉強が大変だ」
こう思った。
自分が希望通りの高校に進学できたうれしさもあったが、不安も大きかったのである。
こんな時に太郎は、自宅の近くにある広島市南区比治山に登って展望台で広島の街を見下ろしながら、
「胸に沁みる空の輝き、今日も遠く眺め涙を流す」
とその頃流行していたフォーククルセーダーズの、
「悲しくてやりきれない」
を唄うのだった。
別に悲しいわけではなかったが、太郎はこのサトウハチローの詩をひどく気に入っていたのである。
歌の最後のところ、
「このやるせないもやもやを、誰かに告げようか」
こう唄うと太郎のもやもやは晴れるのだった。
「ぼくの人生はどうなるんだろうか」
毎日、毎日こう自問自答して暮らしていたのである。
「答えが出てこない」
太郎は自分自身に呟いた。
「数学の答えを出すんじゃないんだ」
自分をなだめるようにいい聞かすのだった。
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