
夕刻
9/3℃
寒の戻りなのか近畿地方は気温の低い日が続いているが、土曜の朝トイレに行くと便が柔らかい。 午前中、自治会の婦人部の依頼で料理教室の写真を撮って家に帰り昼食にウドンを食べ終わると食べてた物を吐き出してしまった。 暫らくすると便をもようして用を足すと下痢便である。 腹痛も無く熱も無いので常備薬箱に“正露丸”が無い。 効能期限が切れたので家内は破棄処分にしてから購入していないのだ。 近くの薬局で症状を言い下痢止めを奨めれたが子供の頃から下痢気味になると“正露丸”を飲まされていたので効能期間が2016年とあるので正露丸にした。 夜も普通食を摂り終るとまた嘔吐したので正露丸を服用して寝てしまった。 昨朝は下痢便は無いが一昨日は粥と梅干で薬の効用で嘔吐と下痢の症状は無く夕食は普通食を摂った。 昨日は寒いが天気は良く体調も良が良く、2日も歩かないと脚の調子が良くないので一人で新神戸駅方面へ散歩した。 新神戸駅まで我輩の歩行速度で25分ほどである。 生田川は六甲山系の摩耶山の北が源流で瀬戸内の神戸港へ流れるが昔は暴れ川だったらしい。
川の両岸は遊歩道で東岸は市民の公園となっており市街地中心部の桜の名所にもなっている。 西岸には海底トンネルでポートアイランド(人工島で通称ポーアイ)に通じる自動車道があり、娘の車でポーアイに行くとき東岸の二宮橋に街中では立派な寺院があり、気にかけていたがそこまで歩いてみた。
街中での寺院の建造物は立派だが歴史は古くないが、寺院は「禅曹洞宗 東福寺」とあり戦後建てられたもので阪神淡路大震災には強かったのかもしれない。
門は閉ざされ中へ入ることは出来なかったが4月8日俗に「花まつり」と呼ばれ、4月8日早朝より東福寺山門下にて、花見堂を設置してお祭りするそうで、甘茶はその場で飲むことができそうである。 気が向いたら散歩がてら家内と「花祭り」来ればよい。
家を出てから1時間以上過ぎているが生田川の西岸を布引(新神戸)バス停に向かって歩いていると大和物語にもある伝説の「処女塚伝承の地」なる石碑があり、確か灘区にも同様の塚があったがあったと思うがそれと関係あるのかは全く知らない。 神戸は欧米文化のリベラルの町でで教会が多いと思ってきたたが、神戸の地は非常に古くは3世頃の神功皇后の三韓征伐は古事記にあるが、これは神話のことで当てにはならないが、平安末期、平清盛福が福原遷都から大輪田に港を作り、江戸時代までは行政区画群体制の長田村、神戸(かんべ)村・・・等であったが幕末の開港と維新の改革と共に行政区画も市町村制が出来き神戸港を中心に西洋文化が入り、宗教の寺社も多様化し関西地区でも特異な都市なのであると思っていたが、歩いて感じるのは、神戸の街は日本古来の寺社仏閣を中心とした生活習慣文化が他の地域と変わ無く存在している街なのだとの感じるのである。
コメント有り難うございます。
「下痢と嘔吐、一瞬、若しや?」と疑いましたが熱と腹痛がは全くないので二食ほど絶食し、正露丸を服用したら翌朝は食べても嘔吐は無く、下痢便は正常化していました。
単なる消化不良化、胃炎だったのではないでしょうか。
日が射していると寒さも余り感ぜず、3キロ弱の散歩でしたが、やはり
私なども理由も無く下痢気味になることがあり、「ういろう」などを飲むことがあります。
外から見ると神戸はハイカラな街との印象がありますが、
住んでいると全国何処も同じようなもですか。
そうかもしれませんね。広いようで狭い日本ですから・・・
何時もコメント有り難うございます。
我輩も神戸はモダンとハイカラでファッションとスイーツ、そしてリベラリストの街のイメージがありました。
実際旧居留地付近のビルからスタイルブックから飛び出して来た様な麗人に数度、出会ったことが有ります。
長女はこの付近のビルの中には我輩に全く関係がない高級ブッデックがあるそうですが、一方、神戸には寺社仏閣を中心に古き日本の文化・芸能・風習文化が多く残っているのだと解かってきました。
老若男女が楽しめる良い街と思っています。