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横濱kabitanの、あれこれ話

横浜トリエンナーレ中心にした横濱文化歴史紹介しています-このブログは子供に有害サイト見せない運動を応援しています。

今後の、横浜トリエンナーレサポーター活動

2012年08月26日 02時29分00秒 | ヨコハマトリエンナーレ横浜トリエンナーレ

■トリエンナーレ学校(YCC3F)
vol、3「アジアの現在美術を学ぼう!」
9/26
-「アジアの美術はどのように発展してきたの?」
 アジアの近現代美術は、それぞれの国や地域で独自の発展をしてきました。国内で唯一、アジア美術を専門に紹介している福岡アジア美術館で2002年まで学芸課長として勤務し、アジアの近現代美術研究の第一人者として調査研究に携わっている後小路雅弘氏をゲストに招き、東南アジアを中心として近現代美術の多様な展開について学びます。

vol,4「韓国の国際展を知ろう!」
10/24
-「隣の国で開催されている国際店はどのようなもの?」
 韓国では、今年の9月に「光州ビエンナーレ」「メディア・シティ・ソウル」「釜山ビエンナーレ」と3つの国際展が順番に開幕します。6名の共同美術ディレクターの一人として、光州ビエンナーレ2012に携わる森美術館の主席学芸員・片岡真実氏をゲストに迎え、光州の現場から見えてくる韓国のビエンナーレ事情をご紹介いただきます」

vol,5「2014年のトリエンナーレに向けて動き出そう!」
12/5
-今年最後のトリエンナーレ学校では、横浜トリエンナーレ組織委員会事務局より「横浜トリエンナーレ2014)(仮)」の展望と事業概要について、現状報告を行います。今後のサポーター活動の方向性を探り、2014年開催に向けていよいよ準備を始めます。

■ツアー「横浜のアートプロジェクトに行ってみよう!」
-横浜市内では、地域資源の魅力を活用したアートプロジェクトが多数開催されています。
 11月のトリエンナーレ学校では、実際にアートプロジェクトを現地訪問し、そこに携わる方々のお話をうかがうツアーを開催する予定です。


横浜トリエンナーレ(ヨコトリ)学校vol.2:ラスト

2012年08月25日 03時19分30秒 | ヨコハマトリエンナーレ横浜トリエンナーレ

 22日、YCCであった「国内のアートプロジェクトを知ろう!」から。
3)「混浴温泉世界2012」
(運営NPO「BEPPU PROJECT」活動案内小冊子より)
≪「BEPPU PROJECT」は、世界有数の温泉地として知られる大分県別府市を活動拠点とする芸術NPOです。
 2005年4月に発足して以来、現代芸術の紹介や普及・人材育成に関すること・地域情報の発信・ハード整備など、様々な事業を実施しています。
 その活動の積み重ねが「別府現代芸術フェスティバル2009 混浴温泉世界」として結実した今、私たちは、芸術を持つ可能性の社会化へ向け、大きく一歩を踏み出そうとしています。
 芸術は自由なものに見方や考え方を促す媒介として、私たちに「気づき」をもたらし、創造性を喚起させます。それは、目の前の見慣れた風景を、多様性に満ちた豊かな世界へと変える可能性を拓くでしょう。
■理念
○使命-芸術が持つ可能性を社会化し、多様な価値が共存する世界の実現を目指します。
○指針
-芸術家の活躍期間を拡大し、芸術が日常的に必要とされる環境づくりを行います。
-地域と芸術が融合することによって、新たな価値を創出します。
-一人ひとりの個性を大切にし、誰もが自由に創造力を発揮できる社会を築きます。
○価値基準
-これまでに培った、様々な分野の芸術振興事業の豊富な実績を事業に生かします。
-国内外の芸術関係者や機関との人脈は私たちの財産です。
-多様な関係者との連携や調節を図り、事業を実施します。
-地域性を大切にした企画を立案します。
-総合的なプロデュースからイベント運営まで一手に引き受けます。
■芸術イベント
○国際芸術祭-別府全域を舞台にした市民主導の国際芸術祭「別府現代芸術フェスティバル 混浴温泉世界」を3年毎に開催。BEPPU PROJECTは全体のプロデュースを行い、事務局を担う。2009年に第1回目を開催し、参加芸術家数170組・来場者数のべ9万人以上を記録した。
○地域の文化活動を対象にした登録型芸術空間-毎年秋に拠点型事業「ベップ・アート・マンス」を開催。展覧会や舞踏・長唄・映画上映など、市民による幅広い文化プログラムが登録される。文化団体の育成・活動支援を行い、団体間の交流機会を創出する。
○芸術家滞在事業-若手芸術家の育成と芸術文化振興を目的とする応募制の芸術家滞在事業をはじめ、滞在環境を整え、制作や活動を支援する事業を通年にわたり展開。
○国内外の文化機関との交流事業-ジュード・ケリー氏が代表を務める英国の若手芸術家の実験的創造空間「メタル」と交流協定を締結。その他、フランス・ナント市をはじめ、国内外の人脈を活かした国際交流事業や人材育成プログラムを実施。
■ハード整備
○芸術集合構想-空き店舗を改修した交流拠点を点在させ、中心市街地を芸術集合体ととられる構想の草案を作成し、改修管理・拠点施設の運営を行う。回遊性を高め、交流や創造的活動を促進させる社会実験を展開。
○芸術村構想-芸術家の居住・制作の場をはじめ、芸術家の居住環境を整備する。
○公共空間への作品の恒久設置-別府国際観光港第3埠頭ターミナルビル2階で公開されている。マイケル・リン氏による壁画を設置・管理する。この作品は今年度版の中学校美術科教科書(日本文教出版)に掲載されている。
■デザイン・出版・商品開発
○まちなか情報発信事業-20~30代の女性を対処に捉え、新たなファン層の獲得と口コミによる拡散を目指すフリマガの制作・配布を行うなど、様々な対象を想定し地域の魅力を発信する事業を展開。
○地域産品プロデュースによる精選店-地域の工芸品や芸術家の作品を取り扱う店を運営。地域産品を掘り起こし、新たな価値を付加することで生産を図るなど、共同制作商品の開発も手がける。
○芸術と地域の掲載活動をつなげる仕組みづくり-芸術イベント参加や作品鑑賞などでの仕様の他に、厳選した飲食店・土産物店・観光施設・温泉など、100店舗以上の加盟施設で使用できる金券を発行。芸術と地域経済の連動を図る≫
(NPO代表・フェスタ総合プロデューサー/山出淳也氏による、基調講演)
『別府は無料や100円では入れる所が多く、そこが地域の交流場になっている。
 温泉場としては世界一で外国人居住率は全国一位という観光地ながらも、客層は女性・個人が少なくそれを引き入れるのが目下の目標。
 市民主体による、芸術祭開催や地域文化基盤創出-別府なりの市民交流をうながす平らかな建物なども造った。
 しかし、予算の大半以上は自ら集め知名度の低さに関係者・見学者が少ないという、問題。
 観光地とは違う、顔を見て欲しい』
4)Q&A
Q、市民協働
(水と土の芸術祭)「サポーターが前回700名から500名に減少-活動を通して参加芸術家とつながり、サポーターから作家を呼ぶための資金集めといった活動がなされている」
Q、同時開催での相乗効果
(温泉世界)「≪大地の芸術祭≫と-つながりがなかったというのが(目下の)課題」
Q,継続性
(水と土の芸術祭)「市民が残したいと言えば残す-今回残さない事になっているが、それでも残したいという声がある。残すと、(形が)変ってしまう問題がある」
(大地の芸術家)「外から手伝いに来る都市部の人に地元の人々が助ける-その交流やイベントが、過疎化する地元問題を変える事ができるかも」


横浜トリエンナーレ(ヨコトリ)学校vol.2:2

2012年08月24日 03時23分59秒 | ヨコハマトリエンナーレ横浜トリエンナーレ

 22日、YCCであった「国内のアートプロジェクトを知ろう!」から。
2)「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2012」
(パンフレットより)
≪「大地の芸術祭」は越後妻有地域(新潟県十日町市・津南町)を舞台に2000年から3年に一度開催されている世界最大規模の国際芸術祭です。地域の自然、歴史や文化などの資源の魅力をひきだす芸術作品は、芸術家・地域住民・サポーターによる協働で制作されます。そして、食や温泉・人間と自然が育んできた里山の暮らしなど越後妻有地域のあらゆる魅力を「地域全体がミュージアム」としてお楽しみいただけます。大地の芸術祭ならではの「芸術を道するべに里山を巡る旅」へお出かけてください。
≪越後妻有を知る≫
■水と土の文化
-越後妻有地域からは、国宝火焔(かえん)型土器が多数出土。信濃川がもたらした肥沃(ひよく)な土は農業を支え文明の礎を築いた。
■里山の暮らし-雄大な自然
-信濃川が生んだ河岸段丘。すっくりとたつブナ林。世界有数の豪雪地帯。人が自然とともに生きることで育んできた里山の美しさと力強さを感じながら巡りたい。
■集落の行事・祭りなど
-夏は祭りの季節。台地の芸術祭がきっかけとなり、大切に守られている集落の運動会やお祭りの常連になった芸術家も、
■自然の恵みを食す
-魚沼産コシヒカリはもちろん、新鮮な野菜の味や、健やかに育った豚・豪雪地が生んだ発酵保存食ふのりを使ったへぎそばなど、是非滞在中に味わいたい。
■棚田・瀬替え・米づくり
-中山開地である越後妻有では、山の斜面を切り開いた棚田・川の流れをかえてつくった瀬替えの田んぼで代々米作りが栄まれている。
■変化に富んだ温泉
-日本三大薬湯の松之山温泉はもちろん、信濃川沿いにも温泉が点在。違った水質を楽しむのも越後妻有巡りの醍醐味。
■日本と世界とつながる越後妻有
-日豪の交流拠点「オーストラリア・ハウス」・アジアの作家が滞在制作する「東アジア芸術村」など、越後妻有から世界に発信。芸術家と集落住民の交流も育まれている。
(「里山現代美術館」パンフレットより)
≪ここ越後妻有では大量の土砂を運ぶ信濃川のが河岸段丘を活動の舞台に以降、約一万年、豪雪・東からの季節風のなかで、水と土と森の恩恵を享け、自然の力と折りあい、土を親しみながら、火焔型土器を生み出し、志と労苦の結晶である棚田・瀬替え、アブによる米どころとなり多くの人を育み、濃密で美しい集落・旅人への思いやりある径庭・旨い料理など、独自の生活を営んできました。底は近世以来の絹織物をはじめとした生活の文化の草も咲きました。しかし近代、この地は都市中心・農協政策の混迷・国際化によって地域力が減退してきました。「大地の芸術祭」は美術を契機として、地域の資源を明らかにする試みでした。それらの蓄積が、この人間の土地を今ひとたび輝かせよう、それらの地域への開かれた門として越後妻有里山現代美術館が開館します≫
(事務所・原蜜氏による、基調講演)
『最初は市民からの理解を得られなかったが、サポーター≪こへび隊≫を通して浸透していった。
 基本としては「人間は自然に内包される」-文化や環境を内包した表現をしている。
 過疎化が進む地域の、生活・文化を見せたい-2000年から何度も震災・水害など天災に見舞われ、そうしたのを乗り越える共同体を目指したものをしている。
 今まで出品された作品をきれいな形で残す活動を始め、≪企画の継続(地域をどう見せるか)≫≪作品の多様化≫も進めている。
 サポーター「こへび隊」-雇った方が安くつくが、地域ぐるみにやらないと(芸術祭が)続けられないのではと思い・・・アジア人学生が(祖国の勢い同様に?)、日本人学生よりも元気一杯。
 外からの人も多く、宿を提供している-運営は、地元の人と半々で作品監視をやっている。
 サポーターが入る事で地域イベントが動き出している』

-続く


横浜トリエンナーレ(ヨコトリ)学校vol.2:1

2012年08月23日 03時20分02秒 | ヨコハマトリエンナーレ横浜トリエンナーレ

 22日、YCCであった「国内のアートプロジェクトを知ろう!」から。
1)「水と土の芸術祭2012」
(宣伝チラシより)
-「水と土の芸術祭2012」とは
≪2つの大河-信濃川・阿賀野川の水、それらが運んだ土の恵みと葛藤の中で育まれた“新潟”という環境と人間との間に生まれた文化や歴史に光を当てる芸術の祭典です。2009年に第1回を開催しました≫
-水と土の芸術祭。2012年は、「転換点」がテーマです。
 信濃川の河口・新潟港に位置する万代島旧水揚場をメイン会場に、新潟市内各地で美術/舞踏・ダンス/音楽/写真などの領域で活躍する国内外の芸術家が多様なプロジェクトを展開します。また市内全域では、市民による芸能/芸術/食/おもてなし/まち歩きなど、水と土の魅力を伝えるさまざまな催しを行います。
 古来より自然から多大な恵みを受ける一方、水害や地震/公害にも見舞われた歴史をもつ新潟市。3.11を経てこれまでの考え方や生き方を問い直すべき「転換点」を迎えた今、この地で、“私たちはどこから来て、どこへ行くのか”を考えることで、一つの地域を超えた普遍的な意義を見出したい。
(推進課長/事務局次長・五十嵐政人氏による、基調講演)
『新潟は、開港が横浜より早く町の規模も遥かに大きかった-しかし、現在は港町の地位が低く、もう一度国際都市になろうと横浜の創造都市的活動を始めている。
 外から来る人は田舎の印象があり、見ると「思ったより大きく都市的」と言う-2度目になる芸術祭は、全体大きくかさなる立体作品が多い。倉庫内に設置された作品は、常に上から水がふっていて雨の日には映画「ブレードランナー」のような荒廃した風景に見えるという人もいる。
 2009年のパスポート売上内訳の7割が地元の人で、全国的でなかった。
 各地域で、市民企画で色々な形で行った。
 「市民協働でやる」について、最初聞かれた時-答えられなかったが、長期でやり敷居が低い感じを持ってくれたようで子供まで参加してきた。
 しかし、市も市民協働を押しながら予算カットしたり、市民からの苦情や作品が壊されたると苦難が続き、表現や実際に危ないからとナワがはられたりもされる。
 目下、海外と文芸交流を目指している。

-続く


黄金町バザール運営サポート

2012年08月12日 03時55分53秒 | ヨコハマトリエンナーレ横浜トリエンナーレ

【黄金町バザール】
 「黄金町バザール」は横浜市の初黄・日ノ出町地区で地域のまちづくりに取り組む「初黄・日ノ出町環境浄化推進協議会」と「黄金町エリアマネジメントセンター」が共同で開催するアートフェスティバルです。第5回目となる「黄金町バザール2012」では、まちの景観やまちの活動と関係を結びながら展開するさまざまなアートの形をご紹介します。作品展開の他、参加型ワークショップや対話イベントを通して、多様な角度からまちの現在を捉え、豊かなまちの将来を考えるきっかけとなることをめざします。
【会期期間】
◎ブレイベント:9/7~10/8
◎本期間:10/19~12/16
【入場料(フリーパス発行料)】
高校生以上500円-フリーパスで、黄金町芸術学校・会期中無料講座が受けられます)
【運営サポーターキックオフミーティング】
 11日にあった、高架下スタジオ集会所でサポーター活動説明とアーティストの紹介がなされました。
 (以降、その要約版です)
 ≪フリーパス(パスポート)は去年初導入したもので、今回も引き続き使用-去年より、デザインをパスポート寄りにしてメモれる空間を造った。
 今回は国からの助成金もあって6組多く海外滞在芸術家呼べた。商店会も(3つのエリアの頭文字を取って)初黄日(はつこい)と、5月18日に発足しエリアマネジメントセンターと共にバザールと芸術家を後押し。
 事務局は、横浜トリエンナーレサポーターと兼用しているのは同じ地域芸術活動イベント運営だから、だそうです。
 テーマは、2005年から始めた「芸術による地域再生+活性化運動」によって風俗街だった黄金町の変る様子を機会を造って、外部の人に見てもらおうとバザールは行われた。運動の一環として、国内外の芸術家支援もしている。学生の地域活動関連の勉強にも、積極的に資料や案内も。
(制作活動に助っ人求めている)参加芸術家-
◎ロバート・グチャレス氏:3ヶ月滞在で、空きガラス瓶を使って表面に絵を描いたりする作品を造る。
 滞在中、街の人と話しまわる事もするそうです。
◎カフェ「プアン」運営チーム
 集会所を学食みたいな、地域の人と交流した「象の鼻テラス」のように芸術する場にしたい。
◎佐藤悠氏-ワークショップ「一枚物語」、長いものに皆と話をしながら文字や絵を描き込んでいく。
◎北澤潤氏-ワークショップ「家庭の宿題」、親子で子供の宿題をやるらしい。
◎TETTA氏-ワークショップ「三十三間党プロジェクト」、三十三間党の千仏像になって街歩き。
◎英国の3人ダンスグループ-図書館を造るとか。
◎ミミ・テクソン氏-国でよく見かける、露店をやる物々交換もするそうです。
◎エリア・ヌルヴィスタ氏-布を使ったワークショップ。
 今まで、滞在・参加なされた海外芸術家はその体験を国で伝え広めているそうです。
 主な運営サポーターは、イベント補助/街歩きガイド(平均10~30名で、込み入った路地や分かりにくい施設・アトリエ案内と補佐)/編集(全体的ネットや神媒体での文章作成をたずさわる)。


横浜トリエンナーレ(ヨコトリ)学校vol,1:ラスト

2012年07月07日 05時23分30秒 | ヨコハマトリエンナーレ横浜トリエンナーレ

【国際展を知ろう!見学報告】
2)ベルキー・ヘンク「マニュフェスタ」-報告/帆足亜紀(ヨコトリ組織委員会事務局長)の、続き
『今年9回目で、元炭鉱だった地方都市(64000人程の)ヘンクで、いまだ炭鉱の痕跡を残す場所で≪歴史的遺産+美術≫をテーマ-中近東から来た出稼ぎ労働者のお祈り用マットや、デモの警察側記録が始めて紹介される。中高年に人気あり、先のような炭鉱資料室-当時の労働者の生活ぶりとジオラマで展示したり、実際使われた道具や子供労働者の写真など生々しさを見せる。
 展示美術作品は、過去の作品を新解釈加え再現したり米国労働史を作品にしたりしている。
 会場になっている工場空間を作品で変えるものから、労働者の立ち位置の逆転(中国人が資本家になっている)。
 過去の生業を現代的に再評価をこの展示会』
3)その他、見学報告
逢坂恵理子「ベネチア・ビエンナーレは研究所が主催。アートディレクター(AD)が作家だったので、過激であった。でも、それを見てそういうのもできると見えた。ADが決まると、会場地に滞在してもらい地域性を知ってもらう。やり方は、ADの性格に合わせてやられる。看板は会場まで行かないと見れない。入場料は魅了で運営する研究所によると、≪大勢の人のみに来てもらいたい≫という事。
 ヨコトリ2011の一緒だった、三木あき子さんが関った事あるパリのはとりあえず会場設置に集中していたせいで、作品解説文は小さいワープロ文字のコピーで観客に不親切な感がある。とはいえ、展示作品の選べ方が良かった。国主催だったが、状況はヨコトリ2011と同じ』
4)Q&Aのまとめ
 3.11については皆気にはしているが、それに合わせた作品は「ドクメンタ」の唯一参加した日本人作家のアドバイスで造っていた、韓国人コンビのみ。
 全体的に、報道的内容が多かった。
 「ドクメンタ」は町の調査がしっかりされていて、参加者も全員ではなかったが郊外のナチスのユダヤ人収容所を見学している。
 全体的に、時代の流れで地域の歴史的背景を追求するようになった。
 「ドクメンタ」では自然科学館では親子連れで、公園では作品の中(小屋の形している)に入らなければチケットなしで好きなように見れる。
 日本人参加者については、「ドクメンタ」限りではADが来日したで決まる。欧州はいまだ日本を極東と思われ日本人作家も知られていないようである。
 だが、(時代の流れもあってか)欧米中心から東洋に移行つつある。


横浜トリエンナーレ(ヨコトリ)学校vol,1:2

2012年07月06日 01時47分59秒 | ヨコハマトリエンナーレ横浜トリエンナーレ

【国際展を知ろう!見学報告】
1)ドイツ・カッセル「ドクメンタ」-報告/逢坂恵理子(横浜美術館館長・ヨコトリ2011総合ディレクター)
『カッセルの町全体を使っている-公園に展示された作品も多く、日本人唯一参加の大竹さんは写真家だが今回は写真作品から立体化させたものを展示(店の上に歩きに沢山ボートがひっかかっている)。
 中国人のは、ゴミの山(ちゃんと土と草が生えている外見をしている)にネオン看板が置いてある。
 林の中に切り株のイスがあって、座る時についている70個もあるスピーカーから、子供の声や爆音が大音量で座る人を囲む。
 米国人はボランティアで知った西サハラ族の女性難民との共同で難民の女性達がクスクスをふるまうという、立場が逆転した状況で純粋に行為の美しさを表現。
 川では大きな時計の板割が置かれている。それは、川の向こうにある科学館にある時計をくみ込んた絵画から着想を得て作られたもの。
 作家による、有機野菜やパンを売る店や突然での講座もあった。
 カッセル駅は、ナチス政権下の時にユダヤ人を収容所に送る場所になっていて、当時ユダヤ人音楽化が収容所で作曲してその曲を「ドクメンタ」会期中演奏されている。
 カッセルが工業地域という地域的特長から着想した作品もある-手作業の痕跡(こんせき)を見せるものや、児童作業を作品にしているものなど。
 アフガニスタン人作家のビデオ作品では、男が国旗を手に川に入って沈んでいく-これは、≪国の消失≫を表現している。
 あるレストランでは「ドクメンタ」支持表面パネルをつけ会食の場所を提供している。

 今回、示唆(しさ)に富んだものだったが6割しか見れなかった。「ドクメンタ」に6億円と2000人のものスタッフは、ドイツの文化力と、奥深さを感じる』
2)ベルキー・ヘンク「マニュフェスタ」-報告/帆足亜紀(ヨコトリ組織委員会事務局長)
『芸術界では知られている分、一般的では知られていない。
 今年で9回目で、初めての見学-日本でいうと≪欧州現代美術ビエンナーレ(2年おき)≫、文化を通して東西の均等をとるのが開催目的。
 開催当初は、15カ国の政府関連によってで途中2年おきにかえて、歴史/都市/自己認識という開催当初急務の問題を改善しようとした。
 マイナーな都市ばかりを開催地に選んでいるのは、地方都市への知名度向上-政治的場所というのが条件だが、キブロスの時余りに政治的過ぎて中止になった(2006)。
 3年かけて、次回の開催地を選ぶ時に社会/政治/地理的条件に、開催側も資金・人材を提供を求められるのでその能力も検査対象-地元に専門知識所有者や、芸術・知的要素も調べられる。もちろん、交通の便の良さも含まれる。
 今年は、ヘンクで64000人程の炭鉱町だった地方都市-炭鉱がなくなってもその痕跡がいまだ残る、≪近代建築遺跡≫を使って行われる。≪鉱炭≠歴史的遺産≫を文芸とつないて展開されていく。
 最初は若者中心だったが現在は幅広く展開。
(続く)


横浜トリエンナーレ(ヨコトリ)学校vol、1:1

2012年07月05日 04時14分58秒 | ヨコハマトリエンナーレ横浜トリエンナーレ

 テーマは、
【国際展を知ろう!見学報告】
1)ドイツ・カッセル「ドクメンタ」-報告/逢坂恵理子(横浜美術館館長・ヨコトリ2011総合ディレクター)
『「ドクメンタ」の略歴
1955(1)-開催理由:ナチス政権下、ヒットラーにより退廃芸術と見なされた現代美術の作品を展示。
 この時は、立ち上げ人で美術学校の教師で建築家でもあるアーノルド+ヴェルナーが主催側となり、3回まで担当。
1959(2)-米国現代美術が多く展示される。運営のため、「ドクメンタ」湯現会社設立。初の日本人参加。
1964(3)
1968(4)-活動中の同時代作家に絞る。
1972(5)-ここで、アーティスティックディレクター(AD)制度を導入。
1977(6)-日本人参加2度目。
1982(7)-欧米人作家による7000本の樫の樹プロジェクト実施。
1987(8)-日本人参加4度目。
1992(9)-この時に、イベント用ホールが建てられる。日本人参加5度目。
1997(10)-女性初のAD。
2002(11)-アフリカ系初のAD。日本人参加6度目。
2007(12)-美術館収集品と物故者も展示。日本人参加7度目(北斎も含め)。
2012(13)-日本人参加8度目。
-今年のテーマは、戦争/トラウマ/破壊/対立/再生/復興、カッセルの第2次大戦の傷跡を見せる。
 ≪100日の魔法≫-ガイド本のあいさつ文で、開催当初から100日を会期期間にしている。
 元々、ナチスによってなくなりかかった現代美術を復活させるために行われた。
今回見て、
■過去の出来事と歴史を、作家が創意を感じて多くの新作が生まれた。
■作品紹介文とガイド本で、制作背景を読み取る。
■古代から現代までを幅広く扱い、参加者も日本人・物故者含め文学者/詩人/科学者・・・と、多方面な人々が200人近くいて特にアジアとアフリカ・女性層が多かった(欧州よりと言われていたので?)。
■町全体を利用しているので、一週間でやっと見切れるとか。それに、カブール(6/20~7/19)・アレキサンドリア(7/1~8)・バンフ(8/2~15)と、講座/授業/展覧会イベントもあって全部見るは難しい。
■イベント各種デザイン
 デザインは有名Leftloft-「ドクメンタ(Documenta)」のDをdにして後は全て大文字に転換。カタログは分厚いな3冊(軽い紙材を使っているので見た目よりはかなり軽い)で、参加者それぞれの日誌も違う色の表紙をつけている。
 主会場になっているのは、欧州一番古い美術館-最初の部屋には何もないが≪風を感じる≫作品で、風に吹かれながら次の部屋に入るとやっと最初の作品が出てくる。それは2回目に展示されたもので、初展示の当時の写真が横にはられている。中核的作品は、ヒットラーが自決したとされるアパートにあった品が展示され、そこから着想得た作家が作品が生み出すのを、ナチスや戦中から作品を生まれる過程を表現している。
 他にも、美術・歴史的のを示すイラストや画像をモノクロ巨大コピーをして着色したり、唯一参加の日本人のアドバイスをモノに韓国人コンビが3.11後の日本を造ったものを展示されていた(このコンビは、他に未来世界をビデオ作品で表現している。
(続く)


横浜トリエンナーレ学校vol,0

2012年06月06日 02時06分48秒 | ヨコハマトリエンナーレ横浜トリエンナーレ

 今日から、2014年にある横浜トリエンナーレ(ヨコトリ)に向かってヨコトリ関連記事をあげていきます。それに合わせて、【横浜トリエンナーレ】と【横浜文芸関連】を新たにカテゴリー化し、過去のそれに準ずる記事も変更・統一します。


 昨日あった、ヨコトリ学校開会式レポート

1)開会のあいさつ-天野太郎氏(ヨコトリ組織委員会事務次長)
「前回-ヨコトリ2011は、2009年から始まったがまとまらずだったが、今回は順序に動いていて秋口にはディレクターが決まる予定」
2)ヨコトリ2014に向けて-帆足亜紀氏(ヨコトリ組織委員会事務長)
「前回から(2010年)参加、メイン会場の横浜美術館での総合案内所中心に市民サポーターに随分手伝ってもらった記録が新しい。
 前回から横浜市と密着したものにしたいとしたが急な変更が相次ぎバタついてしまった。
 前からのテーマは-
≪みる/育てる/つながる≫
【育てる/つなげる】とは異文化の人々をつないていき市民まで広げて育てていく-≪2024年-これからの10年≫を意識して、同時代を生きている事を文芸を通して互いに感じ合おうというのが、今回のテーマとして長期的視点で動いていきたい」
3)2012ねんヨコトリサポーター活動について-山野真悟氏(ヨコトリサポーター事務局長)
「7・8月のヨコトリ学校で、美術展について勉強したい-
≪vol.1,7/4国祭展を知ろう≫
≪vol.2,8/22国内のアートプロジェクトを知ろう≫
 横浜での芸術活動している所にも行って、手伝い体験学習も。黄金町エリアマネジメントセンターにサポーター事務所を置いて、黄金町と相乗りで活動予定」


ヨコハマトリエンナーレ(ヨコトリ)2011振り返って:ラスト

2012年03月19日 02時42分43秒 | ヨコハマトリエンナーレ横浜トリエンナーレ

『都市型国際展と美術館』、の続き
-論者陣:天野太郎(ヨコトリサポーター事務局長)/逢坂恵理子(ヨコトリ総合)/拝戸雅彦(あいちトリエンナーレ(《あいち》)2010学芸員)
■サポーター活動
山「ヨコトリ学校で、座学から参加芸術家による自作・活動紹介にヨコトリ運営報告-芸術家と共に作品/観光地図といった製作活動に加え、事務局/宣伝/ヨコトリ期間中(会場監視/美術館に設置された案内所によるヨコトリ以外の質問の返答)の手伝いも」
拝「《あいち》は元々外に出るつもりなかったが、スタッフに熱心な人がいてそれに行政がついていった結果、色々な所から声かけられる程評価された。とはいえ、『名古屋ばかり』という批判もあり『次回(2013年)はもっと広範囲に』と思っているが、予算削減による規模縮小してヨコトリ2011のように会場周辺の建築を載せた地図製作など、地域的広がりを考えている」
逢「ヨコトリ2011では自分が総合だったので、美術館館長としての立ち位置では拝戸さん同様外に出ている」
拝「名古屋的『美術館でがっつり見て街にくり出す』という考え、次回は美術館は会場提供だけで《あいち》スタッフで期間中運営させたい」
山「世界的に創造都市化しているが、地元芸術文化を再生させる-国際展はやはり観光的、(第1回)2001にもあったがそこまでふんばらず、『そんなに資金使っていいの』と逆に考えてしまった」
逢「国内でもトリエンナーレをやりたいと思う地域が増えたが、それはヨコトリと《あいち》の成功が見本になってしまった処が」
拝「《あいち》も、夜、城脇から空に向かって光のラインを造った所で、盛り上がってしまった」
山「『街中しか展示できない』と言っているし、昨今『美術は美術館』という考えもなくなってきた」
逢「ヨコトリ2011は、美術館を軸にしたのは過去3回主会場が定まっていなかったから。県レベルの会場は、世界・歴史的にない」
拝「東北大震災後はやり方を気遣わないといけないが、地元の人達は祭り的なものを期待している」
天「市民の理解を持って活動しているが、美術館だけではできない」
拝「熱心なボランティアを金ある内にやっていきたい」
逢「3・4年に1度、というのが集中できる。現代美術だけだと限られるが、横浜を代表する美術展として横浜市民にして欲しかった」
拝「美術館でやると広まらなかった-外でやるから、自然に目に入り認知され易い」
■Q&A
Q(《あいち》関係者)「ヨコトリ2008では街中パフォーマンスで連携していたが、《あいち》もそれをやった(オペラ)」
拝「会場が元々劇場があったので、それを理解して上演」
Q(〃)「異分野融合は?」
拝「融合は難しく大変だが、住み分けはいけない-建築を軸に、オペラ・パフォーマンス」
Q(〃)「『《あいち》の次回は美術館は会場提供のみ』という、考えは?」
拝「学芸員が展示を決めるが助手がそのサポートする。学芸員も協働で若手と共にやっていく」


ヨコハマトリエンナーレ(ヨコトリ)2011振り返って:1

2012年03月18日 04時15分45秒 | ヨコハマトリエンナーレ横浜トリエンナーレ

『都市型国際展と美術館』
-論者陣:天野太郎(ヨコトリサポーター事務局長)/逢坂恵理子(ヨコトリ総合)/拝戸雅彦(あいちトリエンナーレ(《あいち》)2010学芸員)
天「ヨコトリ同様、名古屋を中心に市がやった《あいち》を合わせて、今回のテーマは『都市型国際展』-ヨコトリ2011では年齢問わず親しまれた。今回4回目にして美術館を初会場使用したのに関わらず、『(何か)美術館的』と言われてしまう。美術館も、枠から外れた広範囲なものを求められていた」
排「市で国際芸術祭推進をやりつつ、美術館学芸委員として活動を続けている。今回、《あいち》は始めてだったのでやり方わからず国内外のを見て回った-2008年の(第3回)ヨコトリを見学した時、その時の規模に見に行った皆がショックを受けた反面、目標と注意点にもなった。その分、ベネチア・ビエンナーレ見学ではそれ程ショックでなかった。上海ビエンナーレ見学では、それを見本にしたいという人もいた。《(芸術祭が)街中に出そう》という事で、海外のビエンナーレでやっていた祭を見たスタッフの一人である映画監督が地元・長者町商店街でみこしを使ってやろうとした時、商店街は若者が集まらないというのでスタッフが助っ人に。やはり『現代美術はわからない』というので、長者町でミニイベントをやった。商店街には山車がなかったので、芸術家がデザインし製作。オフシーズンでも講座をやったりと、注目を維持させた。街造りの専門家も引き込んだ、(横浜・黄金町的)活動もしている。屋外展示には、土地の持ち主が作品の作家と仲良くなったりもした。地元の人々と話し合いが多く、前の知事が《あいち》をずっと支えてくれた。ガイドやイベントでは国の緊急雇用で-《あいち》カフェでは登録制ですると自動的にサポーターとして登録される。『アート街造り』など派生し継続中、ビルの持ち主の好意で、《あいち》終了後も低賃金貸してもらっている。『ワンアートカフェ』などで活動続けている。そこで、地元の学生や作家の展示/トークをやっている。街中にくり出して、打合せなど大変だったが知られるようになった。美術館からしみ出たものがいい-長者町には評価が良かった」
■ヨコトリ2011を振り返って
逢「《あいち》関係者は、ヨコトリをしっかり研究史時間をとった-芸術家などで《あいち》とは密接な関係になった、《あいち》の長者町の活動は、まさに黄金町-ヨコトリも、2001年ではかなり街中に出ていた。前回(2008)は7会場とバラつきが大きく、券購入者が少なかった。今回は、《あいち》との違いを出そうとした。《あいち》では『子供学芸員』が会ったが、そうした事は横浜でも教育などで20年前からやっていて子供の歓声や自主性にかけた記者発表時に、東北大震災が発生し準備時間がギリギリの中開催にこぎつけ、券購入者も前回よりも多かった。国の緊急雇用資金でシャトルバス運営と、そのために人材雇用。館長就任時は作品展示できなかった入口円形広場に、期間中設置できた。BankARTには、美術館で扱えないネンド・塩など生もの中心に展示」
-続く


ヨコハマトリエンナーレ2011終了

2011年11月07日 03時07分16秒 | ヨコハマトリエンナーレ横浜トリエンナーレ

:原稿ナシで書いていますので,筆足らずでしたらすいません:

 8月6日から始まり昨日で終了しましたが,運営サポーターとして内覧会を入れて全期間金土日全て参加して大雑把に見ても36回は出た計算になります。その間,時間ある時にOPEN YOKOHAMAと関内外OPEN(スタジオ)イベントを見て廻りました。
 サポーターとして参加したのは≪自分の就活≫に他ならないのですが,市民として横浜が掲げる創造都市市策の核とされているヨコハマトリエンナーレの市民アートサポーターとして参加したかったのも本音でした。
 実際参加したお陰で,創造界隈や制作という現場を間近に感じられ作家や関係者と濃厚な交流が出来ました。今までは,頭だけで考えて全く内から出なかっただけに今回の体験は就活以上なものを手に入れたと思います。
 トリエンナーレ学校とその関連での北仲スクールでの講座(「アートとコミュニティ」「文化政策論」「横浜の芸術」)など普段なら分からない,なかなか聞けない海外芸術活動・そうしたものへの人々の考えが聞けて(≪庶民的文芸文化≫が普通に思える日本だからこそ?≪特別な才能≫と見ている西洋の方々の見方に驚くばかり)勉強になるし,逆に問題点・気付きが出て「どうやって,それを改善できるか」と考えるのに多いに役立ちました。・・・ここ最近,芸術が誰でも楽しめる身近なものとして求められるようになりましたがまだまだ敷居が高く関係者や作家さんが見る側に理解を求める所があり,芸術にちょっと興味ある人達にも気軽に楽しめない部分があります(私的には,発表者・美学者の方々が外来語・芸術専門語を大量に使うので親しみにくいと考えているので極力平坦簡易日本語に変換する方向を模索しています。親しみ易い日本語にすれば理解もし易いと思います)。
 
◎OPEN YOKOHAMAラスト見学話
 象の鼻パークで,昨日終了で国内外の芸術家が集まってテントブースで本当にこぢんまりと作品展示販売会を行っていました。昨日はあいにくの雨模様で細々としていましたが,中には横浜市から賞状もらっている方も多くいらっしゃっていて海外の方も通訳を通して話ができました。なんだか作家さんの家での談話みたいでほのぼのしていて・・・以前このブログに≪外国人(文芸)通信使≫という事を書きましたが,まさにそのイベントがそれに近いです。国際文芸交流には,こうしたノミの市にようなものは日本人以上に≪芸術家は特別な人≫と見構えてしまう海外の方が作家さんと和みながら交流できる,ほのぼのとした空間が造れると思いますしあるべきだと思います。こうした活動が,もっと世界的に広まればソフトパワーで地球も活気づくのでは?


YCCラストコンサート+OPEN YOKOHAMAエコイベント2本

2011年10月31日 03時38分22秒 | ヨコハマトリエンナーレ横浜トリエンナーレ

:原稿ナシで書いていますので,筆足らずでしたらすいません:

1)ヨコハマトリエンナーレ2011,YCC1F温室ラストコンサート(29日)
 ゲストはテニスコーツさん-前日から来られ,一生懸命に会場の特徴を確認してそこから演奏時の演出を練っていました。
 その甲斐があって,反響生かしたキーポート・ギター・ドラムなどの演奏を階段部分のガラス張りと照明調整をも使った≪夜明け≫舞台演出までされました。テニスコーツさんは,演奏しながらお客様の間を歩いたり何かの足音をドラムの太鼓を使ったり何とシンバルを蹴って鳴らしたりと意外に腕白な姿も見せていました。本当はこんな事書いちゃいけませんが,初めてコンサート看視に入った4回目のジムさんから前回の若手新人グループとテニスコーツさんら日本人陣を見ていくと,やはり日本人陣の感性が浮き出ているように見えます。
 話がずれてしまいますが同じ会場で案内ブースを構えるOPEN YOKOHAMAスタッフから聞きましたが,B1Fで5分ほどの1980年生まれの中国新世代若手作家アニメ作品が上映されていますが,欧米の方々は30分は見ているそうです。それに関して,私とそこのスタッフの見解は≪アニメ手法(伝統中国墨画が)珍しいから≫というものです。
 このブログで以前,≪今こそアジアの時代≫といった主旨の記事の中でNHK選ばれたアジア各国の10代の子供達によるデジタル作品発表番組あり,その中で伝統的影絵手法を取り入れた素晴らしいアニメがありました。昨今,アジア各国の独創的創作が特に欧米で注目されています-今,この記事を書きながらBS11の深夜3時から30分枠放送の番組「Culture Japan」を見ていますがこれなどは海外では伝わりにくい日本アニメマンガゲーム好きな外国人司会がゲスト日本人共に映像交えて日本庶民文化紹介を日英字幕でしていますが,これは日本人が自国の文化の復習出来るようになっています。実際,その文化の歴史や深い部分も掘り下げた解説もなされています。
 テニスコーツさんの話で,いきなり欧米と日本・アジア文化に及んでしまいましたが先の「Culture Japan」も含め全く違う立場の人から自国の文化を見直したり違う文化同士芸術という枠でぶつかり合うのはめったにないので,こうした機会に思いっきり体験しないとそうないと思います(ヨコハマトリエンナーレ自体来月6日まで)。
◎昨日までのイベント
2)大さん橋での「子供環境観察日記」
 多少,参加者中心のイベントになっていたように感じましたがテーマ自体はとても素晴らしく参加した子供達やその御両親が今後子孫に残すようなエコな活動して欲しいですね(そういいながら,一番エコでない生活している私)。
3)赤レンガ倉庫1号館1・2F「食×住」
 時間がなかったので≪住コーナー≫しか見ませんでしたが,そこでは照明や椅子など室内家具・住宅自体といった建築企業見本市でしたが面白い小冊子がもらえたので良かったです。


ヨコハマトリエンナーレ+OPEN YOKOHAMA関連国際交流イベント2本

2011年10月24日 05時48分27秒 | ヨコハマトリエンナーレ横浜トリエンナーレ

:原稿ナシで書いていますので,筆足らずでしたらすいません:

1)1980年生まれの「中国新生代」芸術家 陳維(チェン・ウェイ)+スン・ゥンさん共同展示/YCC3F・B1F
 スンさんは,以前,新港ビア+BanKART Studio NYKを会場にした国際映像祭や去年YCC1Fカフェスペース+ホール展示で伝統中国墨画的画風短編アニメで知られています。チェンさんは,1月から横浜に滞在して制作活動なさった方で,22日のオープンイベントには天野太郎(横浜美術館主席学芸員)さんと談話していました(その日YCC会場看視サポートだったので話もギリギリしか聞けませんでした)。
 「中国新生代」と言われる80年代生まれの人々については,私も10年程前放送された深夜枠報道番組で≪日本産小説に興味を持つ若者達≫として初めて聞いただけで,全く勉強不足でした。そのため,オープントークショー後チェンさんに(通訳を通して)直接「中国新生代」といわれる80年代世代について聞きました-(チェンさん視点での話になっています)幼少期に丁度開放政策が行われ,沢山日本のアニメが放送され学生時代には日本人留学生が沢山来て友達になったそうです。(トークショーで出た話)今回,横浜に3ヶ月滞在し現地の日本人芸術家と交流したり日本の風俗に触れ偶然にも東日本大震災で帰国する事になったけれど,その後中国で制作活動を続けていましたが横浜での経験が大きく影響されたそうです。来日前に,作品の構想を固めていたそうですが来た途端にそれを全て捨てて日本(横浜)での体験をもとに構想し直す事にしたのが今回の展示作品だそうです。中国政府が文化政策を始めるという報道を聞いたので,思わずチェンさんにその話をして「お互い頑張りましょう!!」と言ってしまいました(焦り)!!!。
2)国際フェス-象の鼻パーク波止場地区(昨日で終了)
 会場になっているのは,元々開港間もない時期陸に大型船が付けられず小型船で直接荷おろしたり積んだりする所で簡易ながらも税関も設置されていました(広場中央,プロムナード下から続く細長い強化ガラスが入っている床展示には象の鼻パーク建設中に発見された荷車を方向転回するのに使われる回転盤があります)。
 参加ブースが余りにも多いので大まかに紹介-特に海外支援に励む学生さんが多く話をすると活動している割には余り報道されず知られていないと寂しそうに答えているのが印象深かったです。
 もう一つは,≪海外支援≫となるとどうしても青少年活動と現地での支援活動が注目されがちで参加も≪海外派遣≫を重点にされがち。私もブースの人に,≪国内活動だけで-支援団体から活動内容や支援現状を出してもらい提案や自分なりの(自国にいながら手に入れた役に立つ)情報を出していったり,在日外国人と通訳を通してサロンしたり≫したりして現地支援に二の足を踏んだり行きにくい人も,活動情報を日本中に発信したり応援できる場があれば国内だけでも支援の輪が大きくできるのでは,と言っていました。
 気になるのは,以前から知っていた真の国際語エスペラントの紹介ブース-開発した19世紀に生まれたポーランド出身の博士が幼年期から周辺にいた言葉が違う人々の苦労を間近に見て「誰でも簡単に覚えられて喋れる言語はないだろうか」とエスペラント語を考えたそうです。
 簡単な案内書を読むと,英語に近いローマ字(一部エスペラント独自の読み方するのもあります)読みで短期間で憶えられるのが特徴だそうです。それに,先に書いたように≪英語に近い≫という点で英語の知識が活用でき,逆に理解できなかったのが分かるようになる,というのもあるそうです。
 ところが,普通に語学教本があるのに横浜の桜木町駅側にあるコマットマーレにある大型本屋・紀伊国屋さんでもやっと2冊ある位で,海外旅行でも世界の使用者協会会員が登録している本を見て連絡しながら行かないと現地調達がなかなかできないそうです。
 私も,エスペラント語の文法を憶えて今書いているような大衆娯楽などの文芸論文を書いたり書籍資料を読解・翻訳したいと思います。


YCCでのコンサート&OPEN YOKOHAMAにない赤レンガイベント

2011年10月03日 04時46分11秒 | ヨコハマトリエンナーレ横浜トリエンナーレ

:原稿ナシで書いていますので,筆足らずでしたらすいません:

 ヨコハマトリエンナーレサブ会場になっているYCCでは,今月29日で温室での植物への演奏が終了しますが先週土曜日はトランペット・ギター・キーポート・ドラム編成による新人電子音楽グループでした。
 最初20分ほどは南国かジャングルでの動物の鳴き声を真似た演奏でしたが,その後民族楽器(アフリカか中南米風の長い尺八みたいなもの)やギターをインド伝統弦楽器風に調整したりと,民俗音楽風でありながらも電子音楽的作調でした。それは,西洋白人によく見かける表面的なマネでない自分なりの消化・再構成した見事な演奏で心の底からジンときました。環境音楽的分野においては欧米と東洋に大きな開きをあるように感じ,特に日韓中が中心に新旧東洋音楽が60年代ヒッピー文化以来ここ10年で世界的に人気が強まっているように感じるものがあります。
PS 
 ちなみに,このコンサート後に3Fでスイスジャズコンサートがあり初来日の2人組(ギター・トランペット)が,何故がイタリア伝統音楽風ジャズを演奏-よく分からない組み合せてしたがそれはそれで良かったです。


◎赤レンガ倉庫1号館(全て昨日付で終了)
1F-東北復興支援「赤べこプロジェクト」展
 東日本大震災からの復興支援のため,国内外の著名人が赤べこの置物に自分なりにデザインしたのを集めて案内所とお店通りの間にあるイベント広場にずらりと並べられていました。見学者も,真っ白な赤べこを買って(購入費一部は巡回展示経費に)自分なりの赤べこが作る事ができます。これを開催して,見る方に東北を思い出して≪問題意識の風化/復興の過程で新しい日本を造るのに創造力の必要≫を伝えるのが目標だそうです。主催側は,今後展示・巡回を支援してもらえる所を探しているそうです。
2F-生誕100年 新山清の世界
 全作品モノクロで,自然が殆ど残る地方中心に戦前・戦中・戦後の日本の姿を捉えた作品を展示。新山氏が当時使った写真も展示されていて,昔の写真機材やモノクロでなければ出せられない微妙な明暗や煌きが存分に堪能できる展示でした。
○ヨコハマトリエンナーレ関連イベント-「KAWARAアート100」
 10/8・9,11/6,12/17・18各日13~17時1F(参加費2000円)
 これは赤レンガ倉庫100周年記念にした倉庫の100年瓦にアートメッセージを描くワークショップ(倉庫の歴史&作品についての講座も含めて)です。