くりまんじゅうの日記

世間より少し いやだいぶん遅れている
老シーラカンスです。

スエコザサ。

2012-07-15 | 日記

 

日本の植物学の父 と称えられた牧野富太郎は   歴史に名を残す植物学者です。

先日久しぶりに 牧野植物園に行きました。

朝 散歩で五台山に登っても 植物園の方までは足を延ばさず帰るので 何年振りかになります。

牧野博士がおびただしい数の 植物の新種発見をしたことは あまりにも有名です。

佐川の裕福な造り酒屋に生まれ 幼少時より植物に興味を持ち 学問を修めるべく 

お供を2人連れて上京したとのことで 経済的には たいへん恵まれた学生でした。

妻の寿衛子をめとり 学問を修めていく中で実家の造り酒屋が没落 仕送りも途絶えます。

ここで 妻寿衛子は小料理屋を開き 夫を経済的に支え続けました。

植物学者としてその名が知られ始めた矢先 妻寿衛子は無理がたたり 54歳で没します。

その妻を偲び富太郎は 発見した新種のササに “スエコザサ” と命名します。

後年   歴史に名を刻む大植物学者になり 名声は 後々まで 伝えられる人物になった とはいえ

金銭感覚の欠如した夫を持ち 妻はさぞかし苦労の連続であったろう と推測されます。

「こんな だんなさん いやよねえ」 とまりもちゃんと話したものでした。


    

これも牧野博士が新種発見した “サクユリ” とのことです。

植物のデッサンが とても緻密で上手です。

画家としても大成したのではないか と思いました。

大雨の日に撮ったので どれも写真が良くありません。
  

 

 

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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
くりちゃんへ (れもん)
2012-07-15 08:01:22
金銭感覚の合わない人との生活はイライラするよね
うちにも約1名おる!
けどこればぁ後世に名を残せたら許される???
奥さんが偉かったがやと思う
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れもんさんへ (くりまんじゅう)
2012-07-15 09:40:56
金銭感覚の欠如した人物はうちにもおります。
うちの場合 2名という家族全員ですね。
賢い母の下に立派な子供が育つように 賢夫人の
下に世にはばたく夫が育つ。
そういう意味では主人は妻選びに失敗しました。
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くりまんじゅうさんへ (まりも)
2012-07-15 10:04:20
牧野富太郎さんの奥様は 大変偉かったのでしょうね
今で言う 「あげまん」 なんでしょうか??
うちの場合は 金銭感覚がないのが私なので
と言うことは 我が家も妻選びに失敗しましたね
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まりもちゃんへ (くりまんじゅう)
2012-07-15 10:45:59
見事に「さげまん」の妻は言いました。
「こればあ我慢しなさい。世の中には借金してまで
買い物をしたりギャンブルをする妻がおる。
貯金はようせんが借金もせんよ。私が先に死んでも
借金取りが来ることはない!。」
あれっ これって当たり前のことだった?。
返信する
ここだけの… ()
2020-01-16 11:44:20

> 「こんな だんなさん いやよねえ」 とまりもちゃんと話したものでした。

なるほど なんるほど な~るほどぉ~。
「糟糠の妻は堂より下さず」の筈なんですが、
牧野博士は研究第一の余り 奥様はやや粗末にされたのでしょうか
まぁ 私は日頃から「妻サマさま」ですけどね

コメ欄の「あげまん」「さげまん」記も愉しく読ませていただきました。
くりさんは その名のとおり「くりまん」でよろしいかと…(笑)

もう8年程前のブログ記、人目もないと思い 大胆に?記します(ここだけに...笑)
私、2011年に腎がんの手術をし、
悪性度の高い(G3)がん細胞であったため職を辞しました。
そのときは2期目の教育長の職にあり(校長出身ではなく行政から就任)
在職中、前任者から引継いだ懸案の一つが「西尾邸の重文指定」でした。
西尾家がお邸を相続税の物納として国税庁に差し出し(これはこれで大モメ!)
文化庁は勿論、西尾家関係者、近畿財務局との交渉など
紆余曲折を経て重文指定に至っただけに、ほんとうに印象深い仕事でした。

※ 末尾ながら「スエコザサ」のご紹介、ありがとうございました。
返信する
デさまへ ()
2020-01-16 16:39:29
富太郎の妻スエコは 若い頃からずいぶんしんどい思いをしたでしょうに
黙って夫につかえ いくつになっても坊ちゃんが抜けぬダメ夫富太郎の
夢を叶える礎になりました。富太郎は私みたいな妻を持たずに良かったです。

ろくな稼ぎもないくせにふらふらと出歩き 雑草を集める夫を 私なら即
捨てていたでしょうからお金が続かず 世界の牧野は誕生しなかったでしょう。
当時の富太郎はまだ 海の者とも山の者ともつかぬ風来坊でしたが 妻が世界の牧野富太郎を作りあげました。

デさまは8-9年前 悪性度の高いがんを患い手術療養のため教育長職を
引かれたのですね。デさまは教育関係か 医療関係の方ではないか
と思っていましたので 半分私の勘は当たっています。

デ教育長時代に西尾家が 相続税の物納としてのお屋敷を差し出し
これを壊して地所を競売にかけるなど意見がある中 残したいと署名運動をし
旧西尾家住宅として残し 重要文化財になったとは デ教育長は心身ともに
大変な働きをされました。皆さんの一念が通じ今現在 これだけのお屋敷が
残されているのは デ教育長はじめ皆様の努力のたまものですね。

以前少しお話しましたが私の夫73歳も 14年前がんのため右肺上葉部切除を
しました。あれから何も起こらず すっかり安心していましたが昨年の初め
今度は左肺にがんが見つかり 昨年2月に左肺上葉部切除をしました。

術後先生の説明では 大細胞神経内分泌がんという 進行が早い希少がん
とのことで手術の翌月の 3月~7月まで5回に渡り月に3日ずつ入院して
抗がん剤治療を受けました。

先生の説明によると この希少がんは以前は100%患者は助からなかったが
3年ほど前いい薬ができて 術後5年以内の生存率が70%までに伸びた。
でもあなたの場合 右肺も切っているので生存率は60%を切るかもしれない
とのことでした。

夫は楽天家でくよくよする性格ではなく 抗がん剤治療が終わったのちも
誘われたらゴルフに行くし 毎朝のように五台山牧野植物園のあたりまで
下から歩いて登っています。手術前は毎朝 五台山頂上でゴミ拾いの
ボランティアをしていましたから もとの生活に戻りました。

人目もないしと思い デさまがいろいろと語ってくださったので
私もしゃべりました。デさまの尽力で西尾邸が残りこれからも
多くの人が見学ができます。ありがとうございました。

医学が進んだ今でも がんは怖ろしい病気です。
しかしこれに罹患したらそのとき考え 一番いい方法を選んで治療し
一日を大切に送りたいです。デ様も奥様も きっと同じお考えですね。
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