猫草だらけ
やっと1分ずつ日が伸び始めた。
12月とは思えないくらい暖かい日もあって、モンちゃんもはりきって庭に出たり家に入ったり、出たり入ったり。
私も仕事の前に買い物に行き、帰りは河原に出て、太陽を浴びてヨガもしてるとアウターいらない。
新しいチャリは乗り心地がかなり良くて出かけるのが楽しい。
夜はお風呂で、汗がだらだら出るまで「失われた時を求めて」。
ひまがあれば絵も描いて、プール行ってとストレスなしの日々。
モンちゃんは、胸の一部をなめすぎてハゲを作ってたのが、いつのまにかきれいに毛が生え揃っていた。
夜、私が寝ようとするとフワーッ!ねないでよー!と大騒ぎするのはビーの直伝だろうか。たっかい声で絶叫鳴きする。Tが寒い中エントランスの外に連れて行き、塀の上に乗せると一瞬でぶわっと栗背な毛(ウルフカットともいう)になって、ワイルドウルフ気分になって帰ってくる。塀は高いので、自分では降りれないらしい。おもろい子。
トイレチェックで鼻の頭にいつも砂粒をつけるのもおもろいけど、トイレがあまりにキレイだとワーイとごろんごろんするのでびっくり。
そのことを忘れてモンちゃんの毛皮に顔をつけて思い切り吸い上げたら、トイレ砂の粉が思い切り鼻に入った。
おもろいモンちゃんだけど、私にとってはモンチ殿ビーのお見送り時も介護時も、常に明るさをふりまいて私を支え救ってくれたヒーローだ。
えっへん!
水害でHDDは壊れて、ずっと探してた予備のUSBが出てきた!
クラウドに上がってなかった2014年頃の写真を見れて感激。どれも同じような猫の写真ばっかりだけど、撮った当初と今とでは写真の意味も貴重さも全然ちがう、このことは薄々わかってたからバカみたいに撮ってたけどもっとあってもよかった。
12月5日は雨で寒くてまさかと思ったけどCが迎えに来て海へ。
Cが家を出たときはピーカンだったそう。
海についたら雨は止んでたけど、じっとしてると冷えるので桟橋まで歩いた。
潮は澄んで底の方まで見えたけど魚の気配なし、一瞬、小さい黒い魚の小群がちらちら見えた。
桟橋の向こうは山からの雨水が流れ込んで白濁り。
動いてると体は温まり、桟橋の先でヨガもして、帰りは靴を脱ぎ、波打ち際をバシャバシャ歩いた。
Cは疲れきっていて海に出るなりボンボンベッドで寝てたので、よけい冷え切っていた。
日曜も暖かくて、河原に出たら少し風があったけどバドミントン50回。極暖がうっとうしいくらい暑くなった。
きらきらの川
「見いだされた時」前半は、ジルベルトとタンソンヴィル散策に出かけるも、今ひとつピンとこない。そして時代は第一次大戦に入り、パリではヴェルデュラン夫人がぶいぶいいわせている。
一方シャリュルス氏は貴族のなれの果てになり果て(変な日本語)、若い兵士の尻を追いかけ、ジュピアンに経営させる破廉恥の殿堂でムチ打たれるのはまだしも、10歳にならない子にまで手を出すのでドン引き。空襲中はメトロの駅に逃げ込み闇の中で兵士たちを触るという。
語り手は体の調子が悪くて療養。そんなある日、不揃いな敷石を踏んだ瞬間に啓示が訪れ、失われた時をついに見出だしていく。長かったこの小説も、クライマックスが近い。
◯コンブレー(マドレーヌで)とヴェネツィア(敷石で)のイメージが、それぞれが思い出された瞬間、死さえ取るに足りないものと想わせるほどのなにか確信にも似た歓びを与えてくれたのだろう?
この問いへの考察がつづき、
◯つまり私が感じたものを薄暗がりからとり出してその精神的等価物に転換するよう努めることによって、ひとつひとつの感覚をそれぞれの法則と思考を備えた表徴として解釈しなければならなかったのである、ところで、これを成し遂げる唯一の方法と思われるのは、芸術作品をつくること以外ななにであろう。
◯われわれは芸術作品を前にしていささかも自由ではなく、芸術は自分の好みどおりに作るものではなく、われわれに先だって存在する必然的であると同時に隠されたものであるから、われわれはそれを自然の法則を発見するように発見しなければならない。
10日は、ビーの3か月の月命日。絵を描くために写真や動画をくいいるように見るので、柄や目元の特徴は今の方が詳しくなったかもしれない。
ビーの絵は飾れる絵が何枚か描けたので、殿も描いたら一枚で降りてきてくれた。さすが殿。いつだって私の思いに応えてくれる。
しかしモンチは、何枚描いてもいっこうに降りてこない。神の子モンチは人間風情に描ける子ではないのかもしれないけど挑戦しつづける。