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各地でハロウィン―私はうずのなか

2013-10-28 06:29:21 | 無題
なにがさみしいかって、

入れてもらえてもよさそうだったものに、

誘われなかったってことよね。



短い時間にしては結構親しくなったかなぁって思ってたのに、

こんなイベントあるんだけど来ない?みたいな、

軽く声かけてもらうことすらなかったっていう。

その前々日には、

そそくさとみんな帰ってしまったのが、

なんだか悲しい。


Facebookでも友達になったけど。


自分が思っていたほど、

相手は私を親しいとか、

なんか声かけたらおもしろそうとかいう風に思っていないってこと。


仲間入れてくださいっていうのも、

あー前やったことあるけれど、

それってすぐに無理が出てくるっていうか。

師弟関係みたいなんになちゃって、

仲間って感じじゃすぐなくなっちゃう。

相手はそんな意識ないだろうけど、

「ついてきたいんでしょ?じゃ、ついて来なよ」みたいな。

大学生のときそうだった。

お昼どこ食べに行く?って話になって、

元々からの友達2人で話してるんだけど、

私には尋ねてくれない。

え?ええ?と思っているうちに大食堂にしようって決まって、

いい?とかなんもなく、大食堂で食べる事になった。

あくる日も、その次の日もそうだったから、

たしかに、クラスのみんなの前で先生に言われて自己紹介したときは、

「よかったら友達になってください」と

いかにも自己紹介のあとつけの定型文みたいに言ったけど、

それで声かけて来た2人組の女の子たちが、そんなんだから、

なんだろうなぁって思って、

これならさっさと自分で食べたいとこで食べて、

さっさと図書館へ本とかDVD(映画)とかを観に行ったり、

当時、家になかったインターネットをやって調べものでもした方が

何十倍も有意義にすごせると思って、

もう一緒に行動するのをやめた。


そしたら2人は最初、なんなの?みたいな、

不思議そうな、気に食わなそうな反応をしていたけど、

気にする事なく、したいようにすごした。


クラスでは、

なんとな~く、あの子変、というか、ぼっちでいいみたいよ的な空気が流れて、

(中学のときよりマシだったけど。)

別段話しかけてくる人もいなくなった。

そういう事情を知らない男子たちだけが、

授業の合間に二言くらい、なんの気なしに話しかけてくれた。

それが救いだった。


でも、だからといって、

それ以上なにか発展したわけでもないんだけど。

うまく気に入られるような返しができれば、

女友達はできなくても、

彼氏の1人くらいはできたのだろうと思うと、

ここでも、リア充の分岐点だったなぁとか思ったりして。


本日の話に戻ると、

ぼっちですみたいな、

今まで人に恵まれてなくておとしいられました、

1年休学までしました、今も倦怠期―とかいっている人が、

人に恵まれて、毎日誰かとからんでいて、

ハロウィンパーティーを抜かし込んでいる

そこまではすごくお祝いする気持ちが沸くんだけれど、

一方、今すごいどん底で、

心身共にあり地獄のような、

お風呂でもぐって天井を見上げるんだけど、

プカプカと空気が上がっているのがみえて、

でもなかなかプハーって上がれない息苦しさみたいなのを感じている、

家族も、友達からも救われない、

元気なときに私しか人が寄ってこない人たちに囲まれて、

本当に助けてほしいー寄り添ってほしかったり、

小さい仕事をくれるんでも、

いいね!を押すんでも、

まだまだこれからだよと信じて応援してくれるんでもいい、

そういう人たちに恵まれていない状況ってどうなのかなと思う。


はっきりいって、

最高に、最悪だよ。


イベントに声を掛けてくれなかったことについて、

しょうがないと思うこともできうる。

でも、それは身につけた術によってだ。

イライラしてもしょうがないというのを、

もう大人だからか、

イライラしたところで得られるものはないどころか、

失うものがあると経験で学んだからか、

なにも事を荒立てないことはできる。


でもなにも事を起こさなければ、

なにも変わらない。

だから私は自分から友達申請をしたり、

自分から声を掛けたりした。

今までは引っ込みじあんでできなかったことを、

思い切ってやった。


やっと富士山の頂上についた気分なんだから、

ここからは相手から、この先の進展に関して提案や働きかけがあっても

いいのではないかと思う。


だって、傷つくもの。

すでに傷ついているもの。


テニスで投げたボールが、

ポーンと跳ね返ってこないみたいに、

あれ?私1人でテニスしていたのかな?っていう、

むなしさとか、かなしみとか、

もうこの世に既にある言葉なんかに言い表せないくらいに、

ポツーンとみじめな感じやひどさがあるもの。


バカみたいじゃない。


そういえば、

母が「私、バカみたいじゃない」と、

なにかヘマするたびに、たいしたことないにつけても、

口ぐせのように言っていた。

私はその言葉が大嫌いだった。

「お母さんはそんなにバカみたいなんかじゃない!」、

少し腹が立っていた。

でもそうは口に出さずに、

「そうでもないよ。」と口弱くつぶやくように言っただけだった。

なぜなら、

そんなことないと反論すると、

母は頭に来たように、猛反発してくるからだ。

自分が今言ったことが、いかにそうであるかをいってきて、

より“バカみたいだ”という自分を立証しはじめる言葉を並べ立てられるから、

私はさらに「お母さんはそんなにバカみたいなんかじゃない!」という思いが激しくなって、

立証の言葉尻毎に何度も辛くなるからだ。



話はもどるけど、

そういえば、その人におとしめられて休学していたっていう人も、

家族にはどうも恵まれているようで。


家族がバックボーンにいると強いよなと思う。

医者にかかるにもだ。

心療内科に今まで3つ通った事があるけれど、

仕事をやっていないとか、休職して退職しようと思っていると話した途端、

それなら治るだろうからもう来なくていいよと、

見捨てたように言われた。

それまでは薬ではなくカウンセリングを希望していたとしても、

通うことが許されていたのに。

まだ症状は治っていない状況で。


3つ目の今のお医者さんは、たまたまか、

それともめまいがするから薬を飲むのを受け入れたからか、

そうは言い出さなかったけど。


普通の人もそうだ。

家族と疎遠っぽい反応を見せるだけでも、

さーっと引いたような空気になる。

なんだか大切にも扱ってもらえなくなる。

父親に暴力を振るわれてとは、まだ一般の人には言い出せていない。

だってそんなこと言ったら、

身寄りのない人みたいになって、

余計危ない。

そういう心とか、金銭的にとか、身とか、

寄せるところ、大きな味方がいない人につけ込む人が、

本当いるから、

別にそんなに神経質にならなくてもいいような場面、人相手でも、

にごしたように、

家族とはちょっと疎遠なだけみたいな風や、

場の雰囲気によっては、元気ですよなんて、まるで一緒に平和に暮らしているみたいに

答えなければならないことになっている。


社会って本当にこわいなぁって思う。


だから結婚なんて無理だし、

まして子供の育て方がわからないから、

私みたいに悲しみや苦しみを味あわせたくないから、

子供なんて生みたくないと思う。

立派に育てられる自信もない。

私みたいに思い悩んで、まして、私の母のように、

私が愛情を十分に与えて上げれない事象にでくわしたら、

かわいそうで仕方がない。

だけど、結婚するなら子供ーという考えが世の中の大半の考えだろう。

だから、結婚できない。

まず、相手もいないしね。


逆かもしれない。


つき合うという延長線上にあるはずの結婚ー出産ができないとわかっているから、

妙に相手にならないしぐさをしてしまって、

つき合う相手がいないようなことになっているのかもしれない。


とか、思ってみるけど、

実際はどうなのかわからない。


とりあえず彼氏ほしい。


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