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ザ・シークレットーこころあたり

2013-09-07 06:53:56 | 無題
「ザ・シークレット』を読んだ。

以前も見かけたことがあったけど、

うさんくさいとか、あやしいと感じて、

手に取らなかった。


けれど、どうしたのだろうか?

読んでみたくなったんだ。

Amazonのレビューのせいかもしれない。


低い評価がほぼなくて、

だからといってばんばんざいですばらしいと

好評価されているわけではなかったからだ。

だったと思う。


読んでみてる感想。

序盤は、自分が思ったことが現実になる、

つまり今の状況はあなたの思考のせい

というくだりがあって、

精神的に弱っていたり、

現状に満足していなかったり、

それによって気分が優れない状況の

私にとっては、

つらい一節だった。


私は自分を責める傾向がある。

母があまりほめない、非難はよくする人だったせいか。


読み続けるのに迷いが一瞬生じたけど、

時間が空いたときに読む=細切れに読んでいたので、

読み進めているうちに、

気分よく感じる章に来ていた。


最初は、とにかく、

思考が現実になる、

こうならないでほしいと考えることも、

考えてしまうことで引き寄せてしまう

ということを繰り返しているだけで、

じゃぁ、どうしたら前向きな思考でいつづけられるのか、

具体的にはどんな行動を取るのがそれに効果的なのか、

その知りたいことがわいてきても、

それが出てこなくて退屈しはじめていた。


それはわかっているし、

こころあたりあるよ、と。


例えば、

前の会社に入る前まで、

「「私は何度も広いこぎれいな白いオフィスの席に座って、

席から見える景色ー何列も席(島)があって、

こぎれいで、ちゃんとした企業。

そこで私は安心感を持って働いているのだ。

さらにつけくわえて、

周りの人も私を慕ってきてくれる、

上司や先輩にわずらわされることもない。」」

それが言葉というより、感覚として、

そういうところにいて席に座っている状況が、

何度も浮かんでいた。

それを思い浮かべるー浮かばれるときは、

あれ?なんでだろう?なんで私、今ここにいないんだろう?

と思っていた。自然に。

頭の中で浮かんでいたオフィスにいる方が、

自分にふさわしく、

自分らしくいられるなぁと。

だけど今の状況はそうじゃなくてーわずらわしさを感じていた。

そして、まぁ、私にはそいう身分がお似合いなんだろうなとか、

まぁ、そんな大企業にそういう感じのポジションへ、

いけるわけないよなと思っていた。


でも、それは何度も思い浮かばれた。


それが頭の中に浮かびはじめるようなってから何年経っただろう?


私はそれとそっくりなー正確には、想像の中の方がもうちょっと広かった。

オフィスで気持ちよく働きはじめたのだ。

厳密には、最初から気持ちよかった訳ではない。

それまで体験したことがあるから、

「どうしよう、孤立したら、

どうしよう、会社のシステムわからない、

説明したでしょって言われたら、どうしよう、

こんなのもわからないのって嫌み言われたらーすごく腹立たしくなる

そんなの嫌だ。

いじめられたり、はぶられたり、

上司から目をつけられたら、

私ががまんならないことがあったら、どうしよう。」

会社にもちょっとバカにしたところや、

賛同できないこととこもあった。

仕事もどうせ面接では、いろいろ任せてくれるっていってたけど、

前の会社みたいに、それは何年経験してからとか、

上司に気に入られたらなんだろうな、

気に入られなかったら、いつまで経っても、

やりたい仕事はさせてもらえないんだろうな、

信頼を得て、任せてもらえるということはなくて、

いつも必要以上に目を光らされたり、

なにを考えているかわからないほど、

気分で機嫌よくされたり、

機嫌が悪いときは、私が嫌がる言動をして、

私はもんもんとした日々をすごすのかな・・・。」

そんな不安で、

最初は、手放しで気持ちよかった訳ではなかった。

でも、

となりの席の人に助けられたり、

上司は最初から私に意見を聞いてくれた。

聞いてくれるというのは、よくある、とりあえず新人の意見も聞くというのではなく、

本当に求められて聞かれたのだ。

だからそのまま採用されるし、

「そいうの歓迎です。もっと言ってください。

こんなデザイナーさんはじめてだなぁ。」

と言われた。

(ディレクション的なことをする、その視点から

意見を積極的に言ったり、質問するデザイナーは、そのチームや近くの周りのチームにはいなくて、

もくもくと作業するデザインだけをやっているデザイナーばかりだった。)

たまたま普段はまったく一緒に仕事をしないチームへ、

お手伝いすることになったおかげで、

フロア間を、

自由な気持ちで、

気軽に行き来できるようになった。

顔が他の一般の人より広くなったのだ。

上司の上司、上司の上司の上司は、

面接で私が制作したものについて、

どうしてそうしたのかをとても詳しく聞いてくれたし、

驚くほど細かく、深いところまで見て、

それに対して、納得、共感、評価してくれた人たちだから、

私は信頼感があった。


それまで受けた他の企業の面接は、

型にはまりきっていて、

もっと聞くべきことあるんじゃないの?というくだらない質問ばかりだった。

採用が出たところも、

真に私を見ていない、

それができれば誰でもいいんだろうなというのを感じさせられるもので、

ほとほとうんざりしていたし、

世の中ってこういうものなのかなと、

世の中というものに希望や光がなくなっていたところだった。

残念でがっかりした気持ち、どうでもよくなっていく感じだ。


それが上記のような面接だったから、

私はとっても嬉しかった。

採用されたとき、

なぜ私が採用されたのか、

私はこの組織になにを期待されたいるのか、

そしてそれは私が一生懸命考えて行ったことが評価されたことで、

私がこれからもやっていきたいと思っていることだという点と、

面接中に垣間みた上司のスキルの高さから、

すでに尊敬していた。

論理的で無駄がない、

言葉足らずでない、

脳内同士で会話しているような、気持ちよさ、

ー厳密には、面接中なので、チェスをしているような感じだった。

よく面接にある、のらりくらりする感じではなく、

一本向き合っていて、道が逸れない、脈絡がある

広告屋としてするべき質問をする

その質問の中で私の仕事に対する考え方を同時にみいた。

くだらない脈絡や意図がわかりづらい質問ー本から抜いてきたような質問ではなく、

答えに対して、さらに投げかけるところや、

着眼点がまるで他の企業の面接と違った。


直属の上司は私の初日から5日目まで、

お正月プラスアルファの有給休暇で来なかったから、

その分、偉そうな気分になれたし、

首をなが~くして待っていたんですよと私が言ったからか、

いや、もとから優しい人なんだろう。

初めての仕事でも意見をたよりにしてくれて、

なんでも相談したりしやすかった。

なにかあったときはリーダーがなんとかしてくれる感もあって、

すごく頼りになる存在だなと感じた。


それまでの上司たちはそんなのなかった。

なにかあったら尾っぽをまいて、

他人に責任をなすりつけて、

会社の顔色を伺って保身ばかり考えている、

そのくせ、自分の活躍していることばかりアピールする。

相談はうるさそうにする、かまう時間などないといった感じ。(仕事のことなのに。)

そのくせ。ほうれんそうはちゃんとしろという。

質問もうるさそうにする。たまに答えたかと思ったら、なんでだろうね?知らないとか。

そのくせ、わからなかったら気軽に聞いてという。

どうなんだろうねとか。会社が決めたからとか。

会社のことなんにも知らないの。

それって、すえられた上司ってことじゃんと感じた。

だから尊敬の念もなくなった。

質問してもうるさそうにするのは、答えられないからだ。

ひどいときは質問しただけなのに、「なに?なんか文句あるの?」といったことを返したときもあった。


そんなことはその気持ちのいい会社ではなかった。

だから、ほうれんそうがしやすかった。

だから、トラブルが起きそうになっても先手を打てたし、

不安なことやトラブルがあってもすぐ報告して、

指示を仰ぐことができた。

いいづらいな・・・なんて1人で悩む時間なんてほぼなかった。

だから自分の仕事に集中できた。


それでも3ヶ月くらいまでは、

不安や疑いを抱いていた。

きっと調子にのったら頓挫されるんだろうな、

新入りだから大切にしてくれているのかもな・・・と。


先輩という存在はあいかわらず目の上のたんこぶだったけど、

予想外にもいびったり、陰口を言ったり、

余計なお世話をしてくるような人じゃなかったから、

先輩に一番やりたい仕事が振られ、

先輩がチームで一番頼りにされているという状況以外は、

わずらわしくなかった。


それが3ヶ月して、先輩は転職。

そのわずらわしさもなくなった。


入社時期の近い先輩は私より意見を言わないし、

知識も技量も私よりないから、

必然的に私はー


私はあの頭の中で見たフロアを眺める感じを見たのだ。

頭の中で見ていたときの気分と一緒だ。

安心感と心地よさ、そして水を得た魚のような感じ。


でもその時点では、

まだここは違うと思っていた。

頭の中でみたフロアはもっと広かったから。

でも仕事がどんどんまかされるようになって、

仕事が回りだすと、

ここでもいいかな

頭の中に浮かんでいたフロアってここかなと思うようになった。


するとー

(するとなのか、それともその会社を辞めざる得なくなった結果からか)

頭の中にあのフロアは浮かばなくなった。

思い出せるんだけど、

あの座って見ている感じに

違和感というか、思い出そうとして思い出しているという感じに

なってしまった。

思い出しても、それはリアルなあの会社のフロアで、

頭の中で以前浮かんでいたフロアはくっきり思い出せない。

混合になってしまう。





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