gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

各地でハロウィン―私はうずのなか

2013-10-28 06:29:21 | 無題
なにがさみしいかって、

入れてもらえてもよさそうだったものに、

誘われなかったってことよね。



短い時間にしては結構親しくなったかなぁって思ってたのに、

こんなイベントあるんだけど来ない?みたいな、

軽く声かけてもらうことすらなかったっていう。

その前々日には、

そそくさとみんな帰ってしまったのが、

なんだか悲しい。


Facebookでも友達になったけど。


自分が思っていたほど、

相手は私を親しいとか、

なんか声かけたらおもしろそうとかいう風に思っていないってこと。


仲間入れてくださいっていうのも、

あー前やったことあるけれど、

それってすぐに無理が出てくるっていうか。

師弟関係みたいなんになちゃって、

仲間って感じじゃすぐなくなっちゃう。

相手はそんな意識ないだろうけど、

「ついてきたいんでしょ?じゃ、ついて来なよ」みたいな。

大学生のときそうだった。

お昼どこ食べに行く?って話になって、

元々からの友達2人で話してるんだけど、

私には尋ねてくれない。

え?ええ?と思っているうちに大食堂にしようって決まって、

いい?とかなんもなく、大食堂で食べる事になった。

あくる日も、その次の日もそうだったから、

たしかに、クラスのみんなの前で先生に言われて自己紹介したときは、

「よかったら友達になってください」と

いかにも自己紹介のあとつけの定型文みたいに言ったけど、

それで声かけて来た2人組の女の子たちが、そんなんだから、

なんだろうなぁって思って、

これならさっさと自分で食べたいとこで食べて、

さっさと図書館へ本とかDVD(映画)とかを観に行ったり、

当時、家になかったインターネットをやって調べものでもした方が

何十倍も有意義にすごせると思って、

もう一緒に行動するのをやめた。


そしたら2人は最初、なんなの?みたいな、

不思議そうな、気に食わなそうな反応をしていたけど、

気にする事なく、したいようにすごした。


クラスでは、

なんとな~く、あの子変、というか、ぼっちでいいみたいよ的な空気が流れて、

(中学のときよりマシだったけど。)

別段話しかけてくる人もいなくなった。

そういう事情を知らない男子たちだけが、

授業の合間に二言くらい、なんの気なしに話しかけてくれた。

それが救いだった。


でも、だからといって、

それ以上なにか発展したわけでもないんだけど。

うまく気に入られるような返しができれば、

女友達はできなくても、

彼氏の1人くらいはできたのだろうと思うと、

ここでも、リア充の分岐点だったなぁとか思ったりして。


本日の話に戻ると、

ぼっちですみたいな、

今まで人に恵まれてなくておとしいられました、

1年休学までしました、今も倦怠期―とかいっている人が、

人に恵まれて、毎日誰かとからんでいて、

ハロウィンパーティーを抜かし込んでいる

そこまではすごくお祝いする気持ちが沸くんだけれど、

一方、今すごいどん底で、

心身共にあり地獄のような、

お風呂でもぐって天井を見上げるんだけど、

プカプカと空気が上がっているのがみえて、

でもなかなかプハーって上がれない息苦しさみたいなのを感じている、

家族も、友達からも救われない、

元気なときに私しか人が寄ってこない人たちに囲まれて、

本当に助けてほしいー寄り添ってほしかったり、

小さい仕事をくれるんでも、

いいね!を押すんでも、

まだまだこれからだよと信じて応援してくれるんでもいい、

そういう人たちに恵まれていない状況ってどうなのかなと思う。


はっきりいって、

最高に、最悪だよ。


イベントに声を掛けてくれなかったことについて、

しょうがないと思うこともできうる。

でも、それは身につけた術によってだ。

イライラしてもしょうがないというのを、

もう大人だからか、

イライラしたところで得られるものはないどころか、

失うものがあると経験で学んだからか、

なにも事を荒立てないことはできる。


でもなにも事を起こさなければ、

なにも変わらない。

だから私は自分から友達申請をしたり、

自分から声を掛けたりした。

今までは引っ込みじあんでできなかったことを、

思い切ってやった。


やっと富士山の頂上についた気分なんだから、

ここからは相手から、この先の進展に関して提案や働きかけがあっても

いいのではないかと思う。


だって、傷つくもの。

すでに傷ついているもの。


テニスで投げたボールが、

ポーンと跳ね返ってこないみたいに、

あれ?私1人でテニスしていたのかな?っていう、

むなしさとか、かなしみとか、

もうこの世に既にある言葉なんかに言い表せないくらいに、

ポツーンとみじめな感じやひどさがあるもの。


バカみたいじゃない。


そういえば、

母が「私、バカみたいじゃない」と、

なにかヘマするたびに、たいしたことないにつけても、

口ぐせのように言っていた。

私はその言葉が大嫌いだった。

「お母さんはそんなにバカみたいなんかじゃない!」、

少し腹が立っていた。

でもそうは口に出さずに、

「そうでもないよ。」と口弱くつぶやくように言っただけだった。

なぜなら、

そんなことないと反論すると、

母は頭に来たように、猛反発してくるからだ。

自分が今言ったことが、いかにそうであるかをいってきて、

より“バカみたいだ”という自分を立証しはじめる言葉を並べ立てられるから、

私はさらに「お母さんはそんなにバカみたいなんかじゃない!」という思いが激しくなって、

立証の言葉尻毎に何度も辛くなるからだ。



話はもどるけど、

そういえば、その人におとしめられて休学していたっていう人も、

家族にはどうも恵まれているようで。


家族がバックボーンにいると強いよなと思う。

医者にかかるにもだ。

心療内科に今まで3つ通った事があるけれど、

仕事をやっていないとか、休職して退職しようと思っていると話した途端、

それなら治るだろうからもう来なくていいよと、

見捨てたように言われた。

それまでは薬ではなくカウンセリングを希望していたとしても、

通うことが許されていたのに。

まだ症状は治っていない状況で。


3つ目の今のお医者さんは、たまたまか、

それともめまいがするから薬を飲むのを受け入れたからか、

そうは言い出さなかったけど。


普通の人もそうだ。

家族と疎遠っぽい反応を見せるだけでも、

さーっと引いたような空気になる。

なんだか大切にも扱ってもらえなくなる。

父親に暴力を振るわれてとは、まだ一般の人には言い出せていない。

だってそんなこと言ったら、

身寄りのない人みたいになって、

余計危ない。

そういう心とか、金銭的にとか、身とか、

寄せるところ、大きな味方がいない人につけ込む人が、

本当いるから、

別にそんなに神経質にならなくてもいいような場面、人相手でも、

にごしたように、

家族とはちょっと疎遠なだけみたいな風や、

場の雰囲気によっては、元気ですよなんて、まるで一緒に平和に暮らしているみたいに

答えなければならないことになっている。


社会って本当にこわいなぁって思う。


だから結婚なんて無理だし、

まして子供の育て方がわからないから、

私みたいに悲しみや苦しみを味あわせたくないから、

子供なんて生みたくないと思う。

立派に育てられる自信もない。

私みたいに思い悩んで、まして、私の母のように、

私が愛情を十分に与えて上げれない事象にでくわしたら、

かわいそうで仕方がない。

だけど、結婚するなら子供ーという考えが世の中の大半の考えだろう。

だから、結婚できない。

まず、相手もいないしね。


逆かもしれない。


つき合うという延長線上にあるはずの結婚ー出産ができないとわかっているから、

妙に相手にならないしぐさをしてしまって、

つき合う相手がいないようなことになっているのかもしれない。


とか、思ってみるけど、

実際はどうなのかわからない。


とりあえず彼氏ほしい。

あーさみしい

2013-10-27 17:36:32 | 無題
久しぶりに叔母に電話をした。

2年程前に電話したとき、1人で暮らしていて、

たまに遊びにおいでとおっしゃっていたと思ったから、

随分経ってしまったが、

訪ねていったら喜んでくださるかなと思って、

急に行くのもなんだから、

電話してみたのだ。


今日、起きたのがお昼すぎになってしまったが、

10月末頃には行こう、行こうと思っていたから、

いつ?と聞かれて、

ご迷惑でなければ今日と答えると、

今日は忙しいからダメよとの答えだった。

まぁ、急だからそうだよなぁと思って、

では、来週と答えると、

来週も忙しいからダメ。ここんとこずーっと忙しいからダメ。

と答えられた。


つまり、訪問してほしくないのだなぁと察した。

ご高齢の方がそんなに忙しいわけない。

それに以前電話したときは、ちょくちょく遊びに来てほしいというニュアンスだったけれど、

今日電話したら、和やかというより、

なんか用?という感じで、別段話しも盛り上がらなかった。

その様子が普通に装っている感じだったから、また痛かった。

普通にお話されているなぁと感じていると、

返ってくる答えは拒絶だったから。


少し叔母さんの方から、質問やたいわいない話があったのがよかった。

叔母さんのお孫さんが結婚して大阪にいるとか、

お相手はいるの?とかいう話をされて、

車運転できるの?とか、

それがまだよかった。

なんにもなくただ冷たく沈黙されたらもっと傷ついていただろう。


それでも、今電話を切ってから、

えも言われぬ寂しさのような、

晴れない気持ちに包まれた。


天気がよくて、お部屋の温度が上がって、

気持ちよく自然と起きれ、

きっと世の中の多いの人はこんな日に行楽地や、

はたまたハロウィンイベントや文化祭なんかに繰り出しているんじゃないだろうか。


毎日近所から聞こえてくる子供のかなきり声や、

それを叱るヒステリックな母親の声も今聞こえない。

買い物か、行楽地へ出かけているのじゃないだろうか。


私はアルパカのいる牧場に思いを馳せる。

こんな天気のいい日にアルパカのいる牧場で、

できれば私を信頼してくれて、

心の底から受け入れて、

必要としてくれる人、

愛する人とのんびり太陽の下、

行けたら、

どんなに気持ちがいいだろうか。


ここのところついていない。

急に誘ったのもよくなかった。

でも急に誘っても、うまいこと奇跡的に、

ちょうど空いていたのとなるときもあった。

文化祭も行けなかった。

仲良くしたいグループの人たちからは誘われなかった。

どうもハロウィンの企画で盛り上がっているようだが。


SNS経由ではなく、メールの方が確実に届くので、

連絡はメールがいいなと希望を伝えた人は、

なぜだろうか、今日Facebookに、

感覚として男性はメールは重要で、

女性はメールはあたりまえらしい。

なるほどね、男性は女性からメールが来たら嬉しいけれど、

実際はそうでもなく、男性が頑張ってメールしても女性は余り気づかないということか。

という主旨の投稿をしていた。


いったい、何の記事を見たのか、

誰かのアドバイスなのか知らないけれど、

そんな悲しいこと言わんでもいいじゃないのと思った。


私はメールが来たらとっても嬉しいけどな。

あー・・内容によるか。

返信に困るような内容とか、

逐一報告メールみたいのだと、

返信考えるので疲れちゃう。


誘ってくれたり、内輪に入れてくれる人や、

結婚を前提におつきあいする人がいたらいいのになぁ。









がまんは損

2013-10-23 13:08:37 | 無題
犬が若干苦手という話は、

もうこのブログでは何回か書きました。


入社してから、

社内に犬が2匹いて、

よく鳴いたり、走り回ったりすることを知りました。


入社日の朝、ドアを開けてフロアに入ると目の前を犬がかけていき、

思わぬことに私が悲鳴を上げると、

「犬がいること面接で言うの忘れてた、あはは」と言われ、

そこではじめて知ったのです。


今までたくさん求人を見て、

たくさん面接も受けましたが、

犬がいる事業所では、求人の時点で明記してあるところばかりでした。

面接で犬がいると初めて知らされたところはありませんでした。

そして、

どんなに条件がよい求人でも、

犬がいるということで応募しなかった求人もありました。

たとえスカウトでも、丁寧にお断りしました。


「「“面接の時点で言うの”も変だと思うけどな・・・。

犬がいるって知っていたら、応募しなかった。」」

そう私は思いながら、

空気を壊さないように、

「犬苦手?」と聞かれた事に対して、

苦笑いしながら「得意じゃないです」というと、

「苦手ならはっきり言った方がいいよ」というので、

「苦手です」と答えました。

それでもなぜか、苦手?と訊くくだりから

そんなやりとりを繰り返す内に、

“結構苦手です”と答えるに至りました。


私は「犬が得意という程ではない」という程度の苦手さだと、

自分でも思っていました。

家に犬はおらず、ペットは飼えないマンションなので、

身近な近所にもペットを飼っているも人はおらず、

普段犬をそこまで身近に意識する機会がなかったからでしょうか。


犬を見かけるのは散歩している人に繋がれた犬か、

写真や動画くらいでした。


散歩している犬とすれ違うときは、

少し遠巻きに歩きながら、

それでもかわいいなと思っていました。

画像や動画なら、なおさら安心感もあってか、

かわいいなぁと感じていました。



けれど、3ヶ月その会社に通った結果、

画像の犬すら恐く感じるようになりました。

さらには、気持ち悪いと感じるようになってしまいました。

3ヶ月前までは、

実物の犬を見ても気持ち悪いなんて感じたことはなかったのに。

そして、

遂には、私はストレス性急性胃炎になってしまいました。


「なんで犬苦手なの?」「どこがダメ?」

何度も、なぜ苦手なのか尋ねられることで、

あまり思い出したくないことを思い出させられる機会が幾度もあり、

それだけで嫌でした。

「かわいいよ」「えづけすれば慣れるよ」

無理矢理、強制させられることで、恐怖さが増していきました。


犬を近づけて来て「ほ~ら、ほ~ら。」

さすがに真顔になり、顔がひきつってしまいました。

そこでようやく、ほ~ら、ほ~らといった当人1人だけが、

私が本当に犬がダメなんだということがわかったようでした。

それでも、

会長の犬ということで、

犬が会社に来なくなる日も、

どこかに繋がれる日も来ませんでした。


あいかわらず犬は業務中も吠え、

走り回り、

通路にペット用のおしっこシートが無造作におかれ、

異臭を放っていました。




今思えば、入社当日でも、

すぐに入社をとりやめればよかったかと思います。

給与は去年働いていたところと非正社員のときより低いし、

残業代はみなし残業としてつかない。

福利厚生は同じ。


非正社員でも保険等にちゃんと加入できるなら、

アルバイトでもいいのじゃないかと思う程でした。

ただ違うのは雇用主の都合ではよっぽどのことがないかぎり、

解雇されてないという点だけでしょうか。


それでも、ニュースを見ていると、

早期退職者を募ったり、

自主的に辞めさせるために追い込んだりすることは、

うわさなどではなく本当にあることということで。


がまんした結果、今、医療費がすごいかかってます。

すぐ動き出せないし、

食慾が戻ってこなくて、疲れやすいし。



早く元気になれたらなぁと思います。


そして、私を受け入れてくれる仲間を見つけられればと思います。


幸福感

2013-10-20 23:21:51 | 無題
幸福感について思うことが最近他にもあった。


好きな人と一緒に帰れた。

ただそれだけで、とっても幸せだった。

そうだ、それだけじゃなくて、

一緒に1対1でゲームをしたりした。

好きな人を独り占めできるってなんて素敵なことなんだろう。

よかったのは、相手がイヤそうなところを、みじんも見せなかったこと。


病気中だから、幸福なできごとに過敏になっているのだろうか、

私はそのとき、とっても幸福だった。


「今日はどうだった?」とその人に尋ねられた。

私は「今日もとっても楽しかった。」と自然と沸いてくる満面の笑みで答えた。

私は、はっとした。

今日もとっても楽しかった、と答えたとき、

”とっても楽しかった”が体にしみ込んでくるような感じがした。

そして、体の中で共鳴した。

とっても楽しかった、楽しかった 楽しかった 楽しかった とっても楽しかった

と。

共鳴しあって倍になって膨らんで、

より楽しかった幸福度が満ちあふれる感じがした。


言葉に出したことで、実感したんだ。


雅子さまと、やなせたかしさん―今だから共感できること

2013-10-20 22:12:45 | 無題
適応障害という名前の病気がある。

雅子さまはそれにかかられているとのことだ。



私はつい先日、急性胃炎になった。

しかしその原因はストレス性のものというのが、

検査結果でわかった。

細菌とかウィルスによるものではなかったのだ。


1週間、会社を休んだからか、

胃痛はだいぶしなくなった。

断続的に常時していたのが、

たまに起こるくらいになったのだ。

しかし、吐き気とめまいは今もしていて、

頭痛もたまにあり、

すっかり通例化してしまって、自分では忘れてしまっていたが、

食事をあまりとっていない。

食べられる日で1食。

それも家で食べられなくて、

大戸屋でなら食べられるという変な状況だ。

大戸屋のメニューには

母がつくってくれたバランスのいい食事、

油っぽすぎない、味の濃すぎない食事に近いものがある。

だからだろうか。


また倦怠感がひどいから、

食事のために買い物、用意、片付けが通してできない。

でも外食ならなんとかその場所に行って、

注文して待っていれば出てくる。

それで食べるだけの体力は残っているのかもしれない。


以前がんばって料理の材料を買いに行ったことがある。

たどり着くまではいいのだけれど、

どれにしようか決めることができない。

自分がなにを作ろうとしていて、なにが食べれそうで、

その今食べれそうと思っているものが帰ってからも食べれるとは限らない、

これにしようと思っても、ボーッとしてしまって、

買い物がはかどらないのだ。

その内、疲れて来て、

いつも通り、とりあえず、

ウィダーインゼリーとカロリーメイトだけを買って帰った。


自分の体調がどうなるか、自分でも予測がつかないのが一番苦しい。


夕方から夜中に掛けては、

朝から昼にかけての動けないほどの倦怠感が嘘のように、

前向きな発想や気持ちになる。


朝から昼にかけては、

なにをやっても無駄だ、というより、

なにをやっても叩かれる恐怖を感じて布団の中にくるまっている感じだ。

今は夜だから、

そんな感覚になるのは変だと自分でも思うけれど、

本当にそうなのだ。


夜はケロリとして(ちょっと体力が足りないが)

昼間はなにかに怯え、体も動けなくなるなんて、

なにかのおとぎ話じゃないかと思うが、

本当にそうなのだ。

これはなったことがない人にしかわからないと思う。


検査結果が出たあと、

消化器内科の先生に、慎重に言葉を選びながら、

心療内科を受診することをすすめられた。

「かなりストレスがあるということだけど…」と。

「精神疾患があるというわけじゃないけれど、

このままMRIとか、いろんな検査を受けるより、

心療内科を受けてみることをおすすめします。」と。


私は静かにうなずいた。

うなずきながら、症状が出ていないのに、

症状が出ていると自分が症状を作り出しているのだろうか?と、

不安な気持ちになった。

でも、すぐについさっき見た、内視鏡画像の、

ところどころが出血したようにポツポツポツと赤くなっている自分の胃の画像と、

「これがひどくなると胃に穴が空いたり、胃潰瘍になります。」

と言った先生の言葉を思い出した。


私は自分で自分を疑ったり、追い込んでしまったりする傾向があると、

このときハッとし、悲しかった。

もっと自分を大切にして、自分を信頼してあげたい。


それでも、

これくらいの赤みや局所的な点在なら健康な人にもあり得るのではないのかと、

先生が「なんともなっていませんでした。心療内科へ行ってください。」なんて、

むごいことを言うのを避けるために、

なんともはなっていましたが、心療内科へとやわらげた流れにするために、

そのように解説してくれたのではないかと、

今、正常な胃と、急性胃炎の胃の画像をGoogleで調べている始末である。

結果、正常な胃はなんてきれいな薄ピンクの広がりなんでしょうねということで、

私の胃のそれとは違い、急性胃炎の画像に似ていることから、

ああ、やっぱり胃炎だったんだぁと、

嘘じゃなかったんだぁ、幻じゃなかったんだぁという、

変な安堵感を覚えています。


“妖精を見たんだけど、誰も信じてくれなくて辛い”の図を

よく映画とかで見ますけど、

ああいう感じですね。

1つストレスはクリアされました。

って、なに自分でストレスつくり出してんねん。


周りに自分を信じてくれたり、

信頼してくれたりする人が少ないと、

(そして信じてくれない人の方が日常的に関わる人たちで、

信じてくれたり共感してくれる人がまれに会う人や、

信じてくれると感じられる度合いが、

信じられていないと感じる度合いの方より弱いと)

自分まで自分を疑いはじめて、

周りに信頼されないというストレスに加え、

自分も自分を疑ってつくり出すストレスという

二重苦になりますね。


これは恐いことだなぁと思います。

また、そういう世界しか知らないときは、

それがあたり前と思っている状態なので、

逆に疑問すら浮かばず、

さほどストレスを感じなかったようにも思います。

それでもいつもどこか体調を崩していました。

風邪だったり、皮膚の疾患だったり、

目の突然のアレルギーで涙が出続けたり、

目の周りがカサカサになったり。

うつうつとした晴れない気持ちもつづいていて、

動画をネットサーフィンするのが帰ってからや、

休日の過ごし方でした。

また服もすごく探し回っていました。

安くいい服を買うためと当時は思っていましたが、

その後、去年までいた自分にあっていた会社に入社してから、

それらがパタッとなくなりました。

休日や帰ってからの過ごし方も、もっと健全なもので、

近くへ散歩に出かけるだけでも気分転換になりましたし、

なんならシャワーをあびるだけでも、

特別ななにかのように素敵なリフレッシュタイムでした。

あと食材をそろえて料理をしたり。

服も今あるもので十分と思えて、

一番違ったのは、

必要以上に自分を大きく見せようと”もっと自分が素敵に見える服”を

探しまわらなくなったことです。

そして、病院へ行くことがなかったこと。

風邪かな?と思ったときに葛根湯を飲んでおけば、

それで済んだことでした。

以前なら、市販の薬を飲んでもこじらせて、

治るのに相当時間がかかりました。


そして、そういう自分が自分らしくいれるところ、

私を肯定し、信頼してくれる人たち、会社があるということを知ったあとでは、

やることなすこと細かく指導が入り、

信頼してくれない組織に身をおくというのが、

大変辛いものになってしまったようです。


広い世界を知る前では、

おかしいな?と思っていても、

まぁ、こういうものかなで済んでいました。

けれど、

自分はこう思う、こうじゃないですか?と言ったことがとりあげられたり、

話し合いの一部や意見に入れてもらえる組織があるとわかった今では、

おかしいな?と思ったら、それは幾分かは聞いてもらう価値のあるもので、

頭ごなしに違うと断絶的に拒絶されるのは、

やはりおかしいと感じ、辛いことなのでしょう。



それとも、今までの否定や拒絶、断絶が、重なりあって、

もう耐えられないとこにきているということなのでしょうか。



それで雅子さまの話に戻るけど、

雅子さまはたしか外交官とかを目指していた人だよね。

それが皇太子様のプロポーズ一つで、

状況が変わっちゃって、

皇室に入ったらしきたりとかいろいろ大変だったと思う。

自分の価値観と、周りから押し付けられる価値観とかも違って、

自分が今まで評価されてきた能力を評価されない状況が続いたりすると、

拒絶反応を起こして、周りをシャットアウトしてくなるのが、

今の私ならわかる。


外交官を目指していたからとか、

価値観がとかは想像だし、細かい点は違うかもしれないけど、

「外交官の仕事を断念して皇室に入り、国際親善が皇太子妃の大切な役目と思いながらも、外国訪問がなかなか許されなかったことに大変苦労していました。雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」と、

皇太子様が事実述べたことが、

そういったことを裏付けていると私は思います。


当時は、直接的、具体的でないお言葉で、

どういったことなのかよくわかりませんでしたが、

今はこの言葉の意味が大変よくわかります。

そして雅子さまの心情や、

細かいことは控えたいというのも共感できます。




プライドがどうとか、

自分の意思は殺して尽くすのがどうとか、

プライドが高いのがいけないみたいなことを思う人もいるかもしれないけれど、

自分で考えて、自分から進んで役に立ちばりばりやってきた人が、

自分の考えを押し殺して、人から言われたとおりにするっていうのは、

無理な話だと私は感じます。

せめて自分で考えて、自分から進んでやることも評価され、

人から言われたとおりのこともするというバランスがある状況なら、

まだよかったかもしれないけれど。


否定されたあとに、動いてもらうために、

否定されてきたことを、やってもいいよとか評価するよと言われても、

その組織に対する不信感はぬぐいされないわけで。

気持ちいいものじゃないです。

それどころか気持ち悪ささえ覚えます。



つい先日までは、

雅子さまが公務に何年経っても常任的に復帰しないことや、

あるときは大変幸せそうな笑顔を見せることもあるのに、

望んでいた外国訪問の公務へもなかなか行かないこと、

訪問しても全ての行事に出席しないことに、

少なからず疑問を抱いていました。


でも今はわかるような気がします。

私もデザインの仕事は今も好きですが、

あの会社に戻れと言われたら吐き気と胃痛がするほど無理です。

事実、先日電話で直接会って話したいといわれた際には、

自分の中ですごい拒絶反応が起こっているのを感じました。

せめて電話で話て、質問されることに答えた方がいいかなと、

体調が落ち着いている夕方に、

体力と勇気を振り絞るように電話しましたが、

結果、

直接電話すことも嫌だし、無理だなとわかりました。

退職届を郵送でも送らなければと思うのに、

思うようにできていません。

退職届けだけなら、

ネットにあるフォーマット通りかけば問題ないと思うのですが、

送付状や、診断書がいるかなど考えると、

また心療内科の診察予約がまだできていなく、

診察するまで(消化器内科の受付の人がいうには)

何週間かかかるかもしれないのに、

電話越しで急いでいる様子というか、

逃さないような常軌を逸した上司に、

診断書が必要でしたらあと何週間か待ってほしいというのが、

通じるのかという、あらゆる不安で、

押しつぶされそうです。

電話越しで、その人はまったく私の病状の悪さを理解していない様子で、

理解を示そうとすらしていませんでした。

ただ半笑い、半キレで、要求をしてくるばかりでした。

「メール1つで済む訳ないでしょ。

社員なんだから常識で考えてわかるでしょ。」

と言われて、正論なんだけど、常識的なことができない状況だから、

会社に行けないんだけどなぁと思いながら謝りました。

そしてはなから郵送で退職届を出すつもりがあることを伝えると、

ああ、じゃぁまた上司達と話し合ってみるけどと言ったり。

なにを話し合う必要があるのかと私は思い不安になりました。

もう働ける状態じゃないから退職届け等を出して辞めるといっているのに、

話し合う余地などないだろうと。

この人はそんなことも自分で判断つかないのかなぁと思いました。

また上司達と話あったら連絡するからと言って電話を切る様子が、

弱っている私にはやくざのような恐ささえありました。


電話の話の中で、“常識”というものを持ち出されましたが、

そんなことをいうなら、

社内に犬がいると求人広告の段階で明示するのが常識であり、

面接の段階で伝えるのは常識ではないだろと思いました。

伝え忘れたまま入社させ、

私に向かって犬の手を上げてバイバイしてきたり、

慣れるよ、ほ~ら、ほ~らと嫌がる私に犬を近づけたりしてきて、

犬が苦手だということを再三伝えたのに、

改善せず、犬は走り回り、むしろ、

ストレスの原因をより強める状況だったことで、

ストレス性急性胃炎になってしまっているのに、

常識を求めるとか甚だおかしいと思います。

常識ができていないのに、

常識を求めるとはこれいかに?と。



冷静に客観的に見れば、


こんなことなら私と同じ日に入社する予定だった人みたいに、

バックれればよかったと思います。

その人は連絡がつかないまま、それっきりでした。

まじめに対応しようとすればするほど、

常識的に振る舞うことを気をつければ気をつける程、

精神的に追い込まれていきました。



突然辞めることになった社員に、

雇う側は迷惑な人と感じるのはわかりますが、

その原因となったのは会社側なのだから、

しょうがないだろうと思います。

そう思っても、

吐き気とめまいはとまりませんが、

少しは私の胃痛は収まるわけです。

もちろん常識では退職届は直接上司に手渡すのが理想ですが、

そんな状況ではないことを、

上司はわからないというのが、

余計私のストレスになっています。


これからも治療は続くのに、

保険証を切り替えなければならないというのもやっかいです。

役所にいくのも、切り替えの手続きをするのも、

その1つ1つが、まるで富士山の山頂を目指すがごとく、

遠く果てしなく、気が遠くなるほど大変なことなのです。


月曜か、火曜日には退職届が届いていないと、

元上司たちは気が狂ったように、

バッくれたとか、非常識だとかいうでしょう、きっと。

そしてしつこく電話やメールを厳しい口調でしてくるでしょう。

でも、なにをしても、叩かれる感じがします。

社内で私の悪口を散々言うでしょう。

面接に訪れた人について批判していたのを聞いた事があります。

一般社員である私がそんなことを耳にする状況というのは、

よくないでしょう。

しかもその内容はその人が語る口調、言い回しほど、

悪くないのです。

でも上司がいっていることだから、聞いている人は、

そう、ですねぇとか答えるしかないといった感じです。



入社した日は、オリエンテーションで、

次の日から実案件をやり、

教えなくても仕事を進められているから楽だと、

先輩から言われました。

私より3ヶ月前に入社した人は、

コーディングもデザインもまだまだで、

未経験ということでした。

6ヶ月前に入社した人もそんな感じです。

この3ヶ月程、私は他の新人さんより手間が掛からなかったと思います。

先輩は追い抜かれるのでは、私よりできるみたいでと、

上司と1対1の面談で話したそうです。

上司が私との1対1の面談で話していました。

(それもどうかと思いますが。)

だから私は教育費が回収できていないということはないと思います。

これだけが自分に救いです。


最後に、やなせたかしさんのインタビューを昨日読んだので、

そのリンクを貼っておきます。

http://www.1101.com/yanase_takashi/2013-08-12.html

これを読んでいて、通じるものがあると、感じました。

このリンクが貼ってあったサイトには、

やなせさんがタダ働きさせられていて、

本人もおかしいなぁと思いながら引き受けていたという点で、

ただ働きさせるのはよくないとか、

それを求めた公的自治体や団体について、

批判がされていました。

タダ働きさせられていたなんて、

悲惨は話ですよね。


タダ働きを求めたことについて批判しているサイトでは、

共感する意見がコメントに多くありましたが、

それを受け入れたのだからいいんじゃないかとかいう意見が

コメント欄に少なからずありました。



なにが通じると感じたのか、自分でもうまく言い表せないですが、

おかしいなぁと思いながら、

それを受け入れていたという点です。


みなさんはどうでしょうか?

おかしいなぁと思いながら、

こんな悲惨な状況を受け入れて過ごしてしまっているという点。


おかしいなぁと感じている自分が正しいのか、

要求してくる相手の方が正しいのか、

渦中にいるとわからなくなることってありますよね。



やなせさんのそばに、

タダは困ると一緒になって言ってくれる人や、

共感してくれる人がいて、

やなせさんが意思をはっきり表明できる状況だったらなぁ、

もしくは代わりに言ってくれるエージェントがいれば

よかったなぁと思います。


大人なんだから自分の意思は自分ではっきり言えばいいと

簡単に考える人もいるかもしれませんが、

自分の意見に賛同してくれる人が周りにいなかったり、

力の強い立場の人から当然のごとく言われると、

それが普通なのかな?と心は揺らぐものです。


アンパンマンが売れ、その印税だけはちゃんと入ってきていたことは、

本当に(生活面において)救いだったなぁと思います。




実際にその人の立場になってみないとわからないことって、

いっぱいあります。

人間はストレスでこんなにも心身ともに壊れ、動けなくなったり、

違う面や場面ではケロッと元気な風になるのだというのが、

今回の発見です。