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無理して取り繕わない

2013-12-06 03:58:53 | 無題
Webデザイナーを目指すと言い出した友達の話。


前々回くらいにそれを書いたと思う。

そのつづき。


無理につくろうのをやめて、

今の自分の状態をそのまま出すことを心得て、

サロンには足を運んだ。


出てくるなり、

「ひさしぶり~。え、ちょっと・・大丈夫?」と私の顔色を見て言った。

私はつとめて明るくしようとしないようにしようとしていただけだったのに、

その人は私が大丈夫じゃない状態なことを見破った。

すごいなと思った。

その人はそういうのも含めてお仕事だけど、

そういうの感知するのあるなぁとは前から思っていたけど、

そこまで大丈夫じゃないことが、

普通にしていただけで伝わるものかぁと思った。


「うん・・。」とか言いながら、

大丈夫とも言えないから、どう答えればいいかなぁと考えながら、

そう返事をしてごまかした。


そのあともなにか話があるんじゃないかと尋ねられたけど、

自分の中でこのことを人に伝えてわかってもらう自信も、

自分の中で整理もついていなかったし、

どうしてこうなったのかということに、

目を向けて、いやな思い出を思い出したくなかったから、

話すことはない。と答えて、

本当にサロンへ来たかったからと終止そう返事をしていた。

実際そうだったし。


自律神経失調症になってから、

首と肩が異様に張って、石盤のように固くなっていたから、

友達のサロンにネックコースがあったなぁと思って、

アロマサロンで癒したかったってわけ。


整体とかカイロプロテクスとかも悩んだけど、

今の私には高くて。

安くてよいサービス、高品質のアロマ、精油というのを大事にしている

その人のところへ行こうと思っていた。



いつ頃行こうかなぁ、前回重い話しちゃったしなぁ、

いやかなぁと迷っていたところに、閉店のお知らせ。

作ってくれたサイトを下ろしてほしいということだった。

ええーと思って、電話で返すと、

閉店の理由を教えてくれて、

今度お茶しようということだった。

お茶なんてめずらしいなと思った。

前回行ったときに誘ったら、遠慮されて、嫌煙された感じだったのに。

やっぱり自分が聞いてほしい話があると誘うものなんだなぁと思った。

なんだか家族のことや今後のことで話したいみたいだった。

そのときに、ちょうどサロンへ行こうと思っていたと話して予約をとったのだった。



心配していた「私にも簡単」っていう感じのはその日なかった。

私が元気がない様子を見て、ライバル心とかじゃなくなったのかもしれない。

あまりに弱りすぎていて、私も急性胃腸炎になったことあるという不幸張り合いもなかった。

そういうの言われるのも受け止められないほど、

今の私は弱っていたから、

どうしたの?なにがあったの?と聞かれても、

具体的になにがあったのか、どうしたのかと言えなかった。

なにを言っても、「私もこんなことがあった」とか、

同情できない表情をされるのも困るし

(それだけで辛いんだ)

だから、わからないと答えた。

実際私も今、よくわからない。

どうしたらそうならなかったのか。

ただのわがままとか、エゴとか、割り切って考えるべきとか、

そういうので片付けられなくないけど、

でも実際の私は今も心身共に健康とはいえない。


治ったと思った症状も、今もたまに吐き気があったり、

不規則な睡眠をとらざるえない状態になっている。

それを無理に規則正しい生活にしようとすると、

すごく疲れてしまうのだ。

寝込んで動けなくなってしまうほどに。

だから起きれるときに起き、動けるときに動くようにしている。

動けるだけまだました。

もう何十時間も寝ているのに起きれないときもあるのだ。

ごはんを食べることすらめんどくさい、つかれるほどに。

内蔵より外の気温の方が高く感じるのが気になる。

内蔵の存在を自覚するってどうだろう。

冷たい内蔵がぐるるるといって動く。

42度のお風呂に入ってもなかなかあたたまらない。

おふろのお湯と自分の体のさかえ目を感じる。

あたたかいお湯が皮膚の表面にあたっているのを感じる。


話をもどす。


その人はやはり張り合っていただけだったようだ。

よく話を聞いてみると、

Webデザイナーの職業訓練コースを受けて、

できれば事務につきたいということだった。

今まで裏方の仕事=事務をやってきたことがなく、

接客業、販売業ばかりだったから、

勉強のためにということだった。

私はそうかぁと思った。


前の記事に書いたと思うけど、

企業のWeb担当とか、事務をやりながら自社のサイトの更新も任せるみたいな仕事、

なくはないけど、数は少ないし、

どうなんだろう?

ああ、そうかぁ別にWebデザイナーになりたいわけじゃないから、

その仕事がおもしろいかどうかとか、

実績が先の仕事につながるかどうかは関係ないのかぁ、

とか考えたり、

未経験で事務につくこと自体が難しいことを思い出していた。

だから、

どうなんだろう?ということがめぐっていた。


私はかなりまじめに答えてしまった。

ぐさっと言うのでもなければ、楽観ていに大丈夫とも言わなかった。

本当はあとおしするような、大丈夫だよという言葉がほしかったのかもしれないと、

帰ってきてから思ったけれど、

今の私にそんな元気はないわけで。


でもその人はその話のときだけ一瞬不安そうな顔を見せただけで、

あとはすごく元気だった。

これからの新しいことに胸を膨らましている感じで、

家族のことについて一通り話きいてあげると、

ありがとう、話を聞いてもらったらすっきりしたと嬉しそうだった。

だからよかったかなと。


心配していたWebデザイナーにたいするバカにしたような感じのくだりもなかったし、

むしろ、私が元気なかったからなのか、

すごいよねー、うらやましい、とか、無い物ねだりかなとか、

私にもできた風なことを言っていたHtmlやCSSについて、

私、頭痛くなってきちゃうもんとかいっていた。

そこで、私が、Webデザイナーになるんじゃないのか?とつっこむと、

事務だよと話してくれたのだった。


私がWebデザインを学んだときのことを聞かれた。

どうだった?大変だった?と。

それで私は、う~ん…と慎重に考えた。

そのときのことを思い出しながら。

「私はやりたいことだったから楽しかったけど…、

一緒に学んでいた人の中には、もうダメーっていっていた人もいた。

人のよって・・違うのかも…。」

と答えた。


それは私も、どうなんだろう?と思うことがあるからだ。

同じ業種の人と仕事をしていると、

やはりお金のためにすきじゃないけどやっているという人もいたし、

好きだけど、こういうのじゃないっていう人がいたり、

人それぞれだなぁ、仕事の取り組み方というか捉え方もそれぞれだなぁと、

感じていたからだ。

だから、安易に私はやりたいことだったから楽しかったよだけで済まさずに、

おそらく経験したことしかわからないであろうことを答えた。

でも、その人が求めていたのは、そんな暗くなるような話じゃなくて、

あとおししてくれるような話だったかもしれない。


元気がない、会社をやめた私からは、

ぜんぜんウェルカムだよ、大丈夫だよとは言える状況じゃない訳で。

しかも人によっては、

私とはまた別の理由(一般的によく言われていること)で

この職業がいやになるという話を聞くので、

どうなんだろうなぁと思うとともに、

私はそういう一般的に言われている理由が直接の原因じゃなく、

心身を壊したことから、

せつなさを感じるわけです。


今回の成功体験としては、

無理に装う必要はない

ということです。


いつも辛いなぁとか、悪気はないだろうけど、ちょっと苦手なこと言われたなぁっていうとき、

あははっていって笑ってその場が流れていくようにごまかしてやりすごしていたけど、

体調が悪いことを隠す必要もないし、

自分のそのとき、できるかぎりのことで相手に対応すればいいんだなと思いました。

だから楽でした。


私は、私の話をとてもよく長時間聞いてくれた2名を思い出しながらしていました。

それぞれ別のところで出会った人たちで、

それぞれは知り合いではありません。

1人は私より随分年下の女の子。

もう1人は前々職の直属の上司の1人の男性(同じ年)です。

私はその当時から、

なぜその人たちが相手の話をよくここまで聞けるのかと気になっていました。

はいとか、そうですねとか言ってくれるので、

共感覚が得られるのが嬉しくて、

よく私はお話していました。

ときにはよく聞いてみると、そう思っていないときも、

そうですねって言っているときもあることを知って、

なんでだろう?と思っていました。

だって、自分を誤解されるのってやじゃないですかと思っていました。

けれど、今回その人たちのことを思い出しながら、

こういうとき、あの人たちならどういう風に対応するかな?と思い出しながら、

返答をしていました。

まるでその人たちになりきったみたいに。


そうしたら、楽だったんです。

その2人はなにかこちらが質問しても、しばらくーかなり長い間、

黙っていることがありました。

そしてやっと出てきた言葉は、真理をついた言葉だったり、

よく考えて発した言葉だったりしたのです。

だからこそ、私はまたその人たちに話ました。

この人に話せば、話は聞いてくれるし、意見をいってくれるときは、

適当なことじゃなくて、ちゃんと向き合って答えてくれる=真実が求められる

と感じていたからです。

でもときには、そんな期待に答えてくれないときもありました。

なんだか適当に相手されているように感じるのです。

そしてそれは実際そうだったのでしょう。

いつも通り話は聞いてくれているけど、

携帯の時計を気にしたり、反応がにぶかったりということがありました。

私の話が長かった、またネガティブな話ばかりだったというだけなのですが。

それはあとになって反省しました。

でもそのときは、誰かに聞いてほしいほど、じっとしていられないほど、

苦しかったのです。


今思えば、そのときの方がずっと幸せでした。

そんな愚痴が言えるのも、自慢になるようなほどのことだったのです。

今はそんな贅沢な愚痴や悩みなんてかかえられない、

叶うわけない状況、叶えられない身体にいるからこそ、

まだ上を目指せていたときの自分は幸せだったのだと思うのです。



答えに困ったり、自分にとってよくわからない話だったりしたら、

2人のそういったときの反応もまねしました。

あー、とか、う~んとか。

そうかもしれないねぇとか、

どうなんだろうねぇとか。

あいまいな言葉でもいいんだなと思いながら、応えました。

それで絆とか信頼が飛んで消えるわけはないし、

それで消えるなら、私には疲れるので他をあたってくれてかまわないという感じです。


見事、案の定、

見てきて答えられるところは答え、

見てきたことだけど、自分のインナーをえぐられる可能性のあることはどうだろう?とにごし、

確かになぁと思うことには、そうだねぇとあいづち、

対する家族の方の意見もわからなくないなぁということには、ああ、でもそうかぁなどと言い、

頭の中で2つ(その人とその家族)の言い分をめぐらせまじめに話を聞きつつ、

う~ん、見えないとこrはわかんないなぁということは、

そのまま、どうなんだろうねぇと、

こうなんじゃない?ということはなるべく控えて、

同調するように徹したところ、

その人はすっきりしたといいうことで、よかったなと。


変な返り討ちにあわなくて本当によかったなと思った。

こうなんじゃない?っていったことが、

話をしてきた人と違う意見だったり、イヤだと思うようなことだったりしたら、

今度は逆に私の方が攻撃(別の話題を通してだとしても。

例えば今回の場合はWebデザインなんてちょちょいのちょいだろう的な発言など)されるので、

それがなかったことが、

本当によかったなと思う。



元気な私だったら、ちょっと余計なことを言ってしまっていたと思うんだよね。

元気がないから、相手が気遣ってくれた分もあるかもしれない。

それはそれでまたよかったなと思う。

アロマセラピストだから、アロマを選んだら、

あまりにも元気がないことが選んだアロマからバレたみたいで、

驚いていた。

ええ・・ええ・・本当に大丈夫?って言ってくれた。

すごく心配そうだったけど、なにもしてあげられない

=ほどこす術がないほど、弱っている状態

とにかくゆっくり今は休みすかないというのが、

選んだアロマと、選ばれなかったアロマからわかったみたいだった。

なにもしてあげられないことで、真顔になってうつむいた。


選んだ精油と選ばれなかった精油の話をしてくれた。

だから今はこういう状態で、

このどれかの精油を選んだら、どうなりたいかっていうのとか、

どっちの方向へ回復していきたいっていうのがわかるんだけど・・・。

それがないから、

今は本当に休むしかない

無理にがんばろうとか、がんばってとかない方がよくて、

ゆっくり回復を待つしかない

って。


すごいなって思った。

もろバレですやんと思った。


私は会社をやめる1ヶ月前ほどにも、

そこへ行ったことがあった。

そのときも元気な風は装わないで行ったつもりだったけど、

そのとき選んだ精油とも違うし、

たしかにあのときは、あと半年、できれば1年ごまかしごまかししながらでも、

やっていけないかなぁと展望は抱いていた。

けれど1ヶ月、私は心身共に壊して、退職した。

今は、外にも出たくない、動きたい、希望も見いだせないほど、

生きる気力がない。


それがそのまま選んだ精油に出て、

その人は読み取ったのだ。

私は、すごいねって言った。

それが言えてよかったなと思う。

以前から、―開店当初から、すごいなぁって、

そういう知識もそうだし、自営業でやっていくっていうのもすごいなぁって思っていたんだけど、

なんかそう感じていることを伝えきれてないんじゃないかと、

感じていて、

それはたぶん、張り合ってくるからそう感じていたのかもしれないけど、

もっとちゃんと言葉に出して伝えたいなって思っていたから、

伝えるチャンスがあってよかったと思う。

そして伝えられてよかった。

今回、ことあるごとに伝えた。


Webデザインができるなんていいな、ないものねだりかなってその人が言えば、

◯◯には、アロマがあるよって伝えた。

肩こってるねって精油を塗りながら血行をよくして(マッサージに似てるけど、

マッサージとは呼ばない。マッサージは免許がないとできない。アロマサロン業界では、

これをトリートメントと呼ぶ。)

くれながら言えば、私はだから来たと伝えた。

サイト更新しない?とかいう営業ではなく、

話を聞いてほしいとかいうのでもなく、

本当にその人のアロマサロンを求めてやってきたことを、そうやって伝えた。


だからか、なんだか満足そうだった。

そういえば、ありがとう、満足した―だったかな?なんだか、

どっちがお客さんだったのかわからないような感想を述べられた。

これじゃ、お金返せって感じだよねとか言っていたけど、

別にそんなこと感じていない。

本当に気持ちよかったし、

言い当てたのもすごかったし、

出されたハーブティもめちゃくちゃおいしかった。

バラの花びらのジャムもおいしかった。

払える値段でよかった。

今のこのお金のない私に…。


だから、その人のお店のことを拡散してあげられない私は、

なんて無力なんだろうと思う。


反面、今回の成功体験が、

次のコミュニケーションの場面で役に立てばいいなって思う。



でも、かまってちゃんが相手だと、それもできずに疲れるなって思うできごとがあった。


それは次の記事に書く。



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