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周りに愛する人たちがいるということ

2013-09-02 01:14:05 | 無題
どうして、みんな褒め合ったり、求め合ったりしないのだろう?


そう思ってはじめて気づいた。

そうしている人たちがいる。


私が今まで、気持ち悪いと思いつつも、

羨ましいとか、届かない存在だなと感じていた部類の人達だ。

キャピキャピした女性たちで、

でも男性からモテまくり。

よい旦那さんや、仕事、

ゆくゆくは自分のやりたい仕事を、自分の手でやっていくような、

愛されて、

大事にされて、

必要としてくれる人たち。


私はその人たちのことを、

富裕層的心も富裕層と呼んでいる。


Facebookなんかでは友達がいーっぱいで、

なにか投稿するとコメントが必ず複数つく。


20代半ばには素敵な男性(一流企業につとめていてカッコいい容姿、

SNS内外問わず、つきあっていることや愛し合っていることを別段はずかしいと隠すこともなく、

いちゃいちゃするわけでもなくーいわば欧米のような。)と結婚して、

結婚する前あたりには、

それなりに会社で経験を積んで、

出産後も、会社に彼女を慕う人たちが、会社、上司問わずいるから、

カムバックーといかなくても契約社員とかでゆったり働いて、

ゆらりと家族の事情とかで、いなくなったりして、

かと思ったら、1人で事業を立ち上げて

(自分の手に負える範囲の仕事を請け負うっていうのから、

本格的にどこかの出版社で、結婚やママとしての自分や、趣味、

趣味程度で研究したことを生かしながら、

書籍を出したり、コラムを書いたり、教室を開いたりするのだ。)

それがまた、うまく、いくー

大学から、社員時代、その他プライベートの付き合いまで、

幅広く縁やコネがあって、

SNSなんかや、なにかのついでに話をすれば、

応援するよと、彼女たちを支えてくれる人たちが溢れる。


もちろん旦那さんも応援していて、

ほどほどに、がんばりすぎないようになと心配の方もしてくれる。

それでも、そんな好きなことをして、輝いている笑顔が好きだから、

止める理由なんてない。

別にそのお金をあてにしているわけではなく、

自分らしく働けているならいいじゃないかという考えだ。

もし行き詰まったら、

無理しなくていいんじゃない?と提案してくれる。

彼女が自分を大切にできる提案だ。


生まれながらの付き合いのよさ、

人あたりのよさから、

なにか事業をしたら、大きく失敗することはない。

みじめに食べていけなくなるなんてことはないのだ。

そもそも、いざというときは実家に帰れば、

死にはしないお金と、それでも大切に思ってくれる両親がいる。

決して失敗したことに対して、

バカにしたり、だからあんたはなんて嫌みを言われたり、

蔑んだ評価を小言のように言ってくるような家庭には生まれていないのだ。

だから自分を大切にできる。

よもや、もしかして、やっぱり自分が悪いとか、

やっぱり自分はダメ人間なんだと、

深刻なまでに自分を自分で追いつめたりしないのだ。

反省こそすれど、既に次のこちについて、

前向きに考えているのだ。


もしくは失敗せずに、そのままやりたいところまでやってみる。

そんな両親を見て育った子供は、

やっぱり良い大学を出て、

両親のように愛し合い、

尊敬し合い、ときとして支え合うのが理想となって、

また素敵な家族を生み出すのだ。

それが良家。

遅くとも中学、高校あたりから私学を出て、

慶応、もしくは両親の仕事の都合とやらで英語が普通に話せる、

武器になる人になっているのだ。


これは作り話でもなんでもない。

私が見てきた、「富裕層的心も富裕層」の本当の話だ。



一昨年は社会人1年目だった人も、

ついこないだにはFacebookで、

凛々しい表情のプロフィール写真をアップした。

凛々しく見えるアングルから撮ったのとおどけていたけど、

髪型も表情もばりばり働くキャリアウーマンさながら。

出向に来ていて、私と同じ会社だった社内ではトップ賞に輝いたことないけれど、

1年目の営業期間を終えて、配置が決まるころには、

入社時に希望した会社部署へ見事ついた人だ。

彼氏ともうまく行っているみたいだ。


一方、トップ賞に何度も輝いた同年の女性は、

配置が決まるころには、彼氏と別れー

彼氏と一緒にいたいから東京で働きたいという理由だったらしいが、

入社時の希望は通らず、生まれの地方に配属され、

遠距離になるから分かれたとのこと。

それ以前から、なんだか不安定だったように思うけど。

う~ん、ようく思い出してみると、

彼氏には愛されていたのかな。

でもメイクも崩れて、髪を振り乱して、朝早く、夜遅くまで働いて、

契約数、売り上げもトップに踊り出ていたのに。

希望のところに配属されないなんて。

彼氏がいるからという理由を面接のときは会社の方もおもしろがっていたみたいなのに。

それで結果を出したなら、やっぱり理由が弱くても、

希望を叶えてあげるべきなんじゃ?

そう思って私もショックだった。

彼女はツイッターで、

(たぶん誰も見ていないと思っているアカウントなのだろう。

もう1つのアカウントの方は明るかったり、仕事関連でつぶやいていたけど。

私は偶然見つけたのだ。)

「ボロぞうきんのように使い捨てられるのか」

とあった。

まるでーと私が思っていたことを、

本人も感じていたなんて。

私はその人のことがあまり好きではなかったけど、思わず涙が出た。

家は小さな会社をやっているらしい。

つまりまがりなりとも社長令嬢だ。


ある打ち合わせの帰りに一緒に帰ったときに、

そのことを話してくれた。

驚いたけど、なんか合点がいった。

強気なところと、1年目のくせに高圧的な感じ。いやみな感じ。

だけど、どこかすれてる悲しい感じ。


「お母さんはとっても優しくてふわふわした感じの人。

私にもっと女の子らしかったらねぇっていつも言う。」

なぜその話をあまり親しくない私に話してくれたのかは、

わからない。

でも私からすれば十分女の子らしいーキラキラ輝く女子という感じだったから、

力いっぱい「十分女の子らしいよ!」と言った。

何度も言って伝えた。すごく気にしているみたいだったから。

そんなに気にする感じじゃないのにと思った。


お父さんは社長という話が出たときに、

すごいね!って、本当に心を込めていったけど、

小さい会社のねって言った表情は、どこかせつなそうだった。

社長の娘だけど、小さい会社のっていう、

なりきれない感じが、

複雑な心境にさせるんだろうなって思った。

自分はなりきれていたし、それが自慢でもあったけど、

幼稚園小中高と生きていくうちに、

返しの質問でどんな会社の?と聞かれて答えて行くうちに、

ああ、小さい会社のねという相手の反応から、

自分で、そういう反応もあるのかと、自慢できることなのに、

できるはずなのに、自慢にならないモヤモヤが。



ディレクターだけど名ばかりのねとか、リーダーだけど名ばかりのねという、

世に聞くせちがない状況を思い出した。



私は彼女の彼女自身の話を帰る道すがら初めて聞いて、

合点がいった。

そして少し彼女に優しくなれた。

あたりの強い彼女に、よい印象がなかったんだけど、

自分と似ている点とかあって、

かわいそうなところとか、

むくわれない感じとか、

自分をかえりみないで(自分を大切にしないで)

がんばっちゃうところとか。



この両者の違いは何だろう?

トップ賞に輝いたことはなく、

「明日は彼氏の家族と逢うので服を選ぶ」という日程を、

堂々と全社員が見れる個人カレンダーに書き込んじゃう

実生活で疎遠になってもSNS上で応援してくれる人がいっぱいいるビューティーさんと、

がんばって、がんばって、トップ賞に輝いたのに、

希望していた未来が得られず、

実生活で疎遠になった人とはSNS上でもどこか疎遠になる

強気に見えたけど、本当は自己評価が低くて鬱々としている女性と。


仕事上では費用対効果の点から、

前者の人は、会社からみれば、広視野で仕事が見れていたかなと思えなくもない。

何件も受注したわけではないけれど、会社として代表作にできるような、

そしてその企画の目標が大きく達成された点から、

1案件だとしても、大きく評価できたと思う。

後者は単価が引くい案件を何件も取って、

クライアントさんと個人レベルまで懐に入り込んでおつきあいして、

そのよしみで契約継続してくれたとことまであるけど、

制作やメンテナンスに掛ける時間や手間=継続的な費用と、

企画目標としての達成具合=広告として大きく成り立ったかという点では、

達成できなかった。


ああ、売り上げに着目していたけれど、

やはり広告屋として、企画が最終的にはうまくいったかいかなかったかのところが、

会社としては評価対象だったのかもしれない。

もちろんWセットで、受注売り上げの達成と企画目標=認知拡散の両方が

達成できればよかったんだろうけど。


でももしかしたら、大きい案件で売り上げを得るような仕事と取り方の方が、

会社として好ましかったのかもしれない。

でもそれはないか。費用の低い企画も本社でもあるみたいだし。



最初の疑問に戻る。

そういう人たちがいるーと思ったけど、

よく考えてみたら、

褒め”合って”はいない。

一方的だ。

キラリと輝くキラ星に、わぁっと集まっているだけだ。

そしてその真ん中にいる人がなにか発言、発信するたびに、

大勢いる内のだれか、はたしては、いつもの同じ人が、

わいや、やいやとコメントしたり、いいね!などでリアクションを取るのだ。


その中心にいる人物=星や花かという人は、

その人たちに対して丁寧につきあったり、

おかえしにその人の発信したことに対して、

リアクションした方がいいかなとかいう悩みはない。

そんな暇はないし、

自分の発信したことにリアクションをしてほしいという欲求は、

もともと満たされているから、ない。

だからお返しにという発送自体沸かない。

そんなことより、自分がやりたいことに集中している。

そのことが思考を占めていることもあって、

よってくる人たちに対して世話を焼くことは、

心の中だってないのだ。






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