ぼこ爺のまだら雑記

じじいがブログをはじめました

昨日は7月7日の七夕祭でナナ、ナナの日だがね

2012-07-08 15:00:09 | 日記

 一年に一度、彦星と織姫の逢瀬の今宵は残念ながらお天気が悪い。それでも七夕祭りが各所で催されているだろう。ぼこ爺はこの歳となれば七夕さんは、すっかり意識もないから町の各所で七夕飾りを目にして気が付くといった按配だ。そんなときウン10年まえの幼かりしころに、欲の深い願い事を短冊からはみ出るほど書いたことをフト思い出した。だがいずれも願いの効き目もなく、うたかたの願いで終わった。

 そんな七夕の昨日、金山駅近くのホテルで同人誌仲間と読者の昼食懇談会の参加して、和気あいあいと語り合った。午後2時過ぎに散会したが、時間つぶしに名古屋駅近くの大手家電店のウインドショッピングをすることを目論んだ。新名古屋で下車して、目的地の笹島方面に向かって歩くのは久ぶりだ。そして名鉄百貨店前を少し過ぎると心の中で思わず(おぉ懐かしい・・・)と叫んだ。それは見上げるほど高い、あの《ナナちゃん人形》である。

 そのナナちゃんが赤色の法被をまとって、行き交う人々のなかに立っている。年甲斐もなく(ようナナちゃん久ぶりだね)・・・と思わず声をかけた。よくみるとAT自動車会社の70周年記念セールと染め抜いた法被である。そしてその下の歩道に最高級車とスポーツカーが、それぞれ特装して陳列してある。たまたま係員が説明しようと声をかけてくれたがこの会社のOB(25年前に退職)だと告げると、恐縮した顔をされてぼこ爺も一瞬困惑した。だが広いとはいえ、歩道にクルマをどうして陳列できるのか不可思議だ。

 そのとき(あっそうだ、今日は7月7日でナナ、ナナ)と、このナナちゃん人形と再会できたのが、奇しくも偶然だがね・・・と、久ぶりに笑みがこぼれるのを隠せなかった。さっそくいろんな角度から持っていたカメラに収めた。まず前面側を撮り、後面に移動するとき、股をくぐろうかとチョッと途惑った。一昔前はピンクのパンティの股をくぐるのは、何となく勇気(?)がいって、結局はナナちゃんの横を抜けた。だがこの歳になればもう意に介するこもない。ゆっくりと、カメラのレンズを上に向けてくぐり抜けた。それは染め抜きの赤い法被にシンプルな白色のショートパンツで、至ってポピュラーなものであった。

 せっかくだからこの機会にあらためてナナちゃんのことを知ろうと、インターネットでこのオーナーである名鉄百貨店を検索してみた。昭和47年(1972)に名鉄百貨店がヤング向けの別館を開業。地下を含む7階建て、生活サイクルが一週間(7日)を基準であること。そして「ラッキーセブン」にあやかる意味合いを入れて「セブン館」と名づけた。そして1周年を記念して翌年48年(1973)に大きなマネキン人形が設置された。

 そこで「ナナちゃん人形」のプロフィールを参考までに記したい。生年月日、昭和48年4月28日、スイス生まれ(シュレッピー社)、身長610cm 、体重600kg、スリ-サイズはバスト207cm,ウエスト180cm、ヒップ15cmで、素材はFRP硬質塩ビ樹脂である。季節に合わせた服、水着の着せ替え、行政イベントやドラゴンズユニホームの応援媒体としても。これまでは、名鉄のイベントあるいは行政の広報、啓蒙活動や限定的なPR活動の利用しか認められなかったが、だが名鉄百貨店の店舗整備の一環としてヤング館(旧セブン館)が廃止となり、家電大手のヤマダデンキが出店することになった。

 そしてナナちゃん人形の利用の巾が拡大され、一般の企業も今年の平成24年(2012)4月から参加できるようになった。それが偶然にも、かってぼこ爺が勤めていたAT自動車会社の創立70年の記念イベントの一環として法被姿の「ナナちゃん人形」のMATAをくぐらせてもらえたのも、7月7日七夕のナナ、ナナの日、偶然といえ奇縁であったと言えるかも知れんがね。それにしてもジジイともなると、かっては恥ずかしくてくぐれんかった「ナナちゃん」のMATAの下をカメラを向けてくぐり抜ける厚かましさがもろ出しになってしまった。

 だがつらつら思うには、目的を達するためには、恥を忍んで嫌なヤツの股をくぐったという、故事ことわざの「韓信の股くぐり」の心根ぐらいは持つべきであったかもしれないと、老いたりとはいえ、色気と恥じらいぐらいはチョッピリ残して置かないかんだろう。

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