鬱蒼としたジャングルの中にひっそりと眠る西表の歴史。
沖縄随一の炭坑が明治19年から終戦まで開坑されていました。
黒いダイヤモンドと言われた石炭、
戦時体制には増産で坑夫は過酷な労働を強いられたり
マラリアで犠牲になられた方々が数多くいらっしゃいました。
2007年に経済産業省より「近代化産業遺産群」に指定されたことに伴って
犠牲者を慰霊するためにそして、この歴史を忘れ去られないために
歩道木道が整備、萬骨碑が建立され式典が行われました。
修学旅行のお手伝いで時々訪れているこの宇多良炭坑跡地
私も式典に参加してきました。
式典では竹富島からいらっしゃった住職の方が慰霊の言葉をささげ
この事業にたずさわった方々の想いのこもったお話がありました。
その後、子どもの頃に炭坑を訪れた時の話をと
おじぃがその頃の思い出話をしてくれました。
実際に炭坑を知る人がどんどんと少なくなりつつある今
このような機会に参加できたことを無駄にしないように、
またここを訪れる学生たちにもしっかりと伝えていけるよう
私も萬骨碑を前にして改めて犠牲者の方々への追悼の念をこめてきました。
沖縄随一の炭坑が明治19年から終戦まで開坑されていました。
黒いダイヤモンドと言われた石炭、
戦時体制には増産で坑夫は過酷な労働を強いられたり
マラリアで犠牲になられた方々が数多くいらっしゃいました。
2007年に経済産業省より「近代化産業遺産群」に指定されたことに伴って
犠牲者を慰霊するためにそして、この歴史を忘れ去られないために
歩道木道が整備、萬骨碑が建立され式典が行われました。
修学旅行のお手伝いで時々訪れているこの宇多良炭坑跡地
私も式典に参加してきました。
式典では竹富島からいらっしゃった住職の方が慰霊の言葉をささげ
この事業にたずさわった方々の想いのこもったお話がありました。
その後、子どもの頃に炭坑を訪れた時の話をと
おじぃがその頃の思い出話をしてくれました。
実際に炭坑を知る人がどんどんと少なくなりつつある今
このような機会に参加できたことを無駄にしないように、
またここを訪れる学生たちにもしっかりと伝えていけるよう
私も萬骨碑を前にして改めて犠牲者の方々への追悼の念をこめてきました。