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デリダ 近代の短絡的理想主義者は初代のグノーシスに通じる

2019-06-28 | 掟と罪

「デリダさん、あなたはこう言っています。『ユダヤ教、キリスト教、イスラム教等の個々のメシアニズム(messianisme)の中の、正義、信仰、義務といった要素それ自体はいい。しかしこういった個々のメシアニズムたちがひとたび、「自分のバージョンのメシアニズムこそ正しく、お前のバージョンは間違っている」と言い始めるや暴力が生じてくる(例:イスラエルとパレスティナ)。だから、こうしよう。個々のメシアニズムたちを蒸留し、個別性(特定宗教の歴史性、コミットメント等)という浮きかすを各宗教から取り除く。そうした上で、‟純粋にして、汚されていない”〈メシア的なもの(le messianique)〉を抽出するのだ。』と。」

興味深いのは、こういう風に、個別的なもの、具象化されたもの、歴史的なもの、物質的なものを蒸留した上で、汚されていない ‟純粋なる” 理想を得るという考え方を、1世紀の教会教父たちは「グノーシス主義」と呼んでいました。そして初代教会はこのグノーシス主義を断固として退けました。

ですから、その意味において、「宗教無き宗教」というデリダの提唱は、奇妙な形でのポストモダン的グノーシス主義であるとも言え、この点で私たちキリスト者には紛うことなき懸念があります。つまり、この点におけるキリスト者の説明は、ポスト近代思想家デリダのような人々の説明とは大きく異なっているということです。

http://japanesebiblewoman.hatenadiary.com/entry/2018/05/19/231316


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