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土屋吉正『ミサ その意味と歴史』1976 生贄→感謝、固定→刷新、中世→現代、大祭司→共同体

2016-02-19 | 本 有害指定図書
新しい日本の典礼では、ことばの典礼と感謝の典礼の両方を合わせたミサの全体を「感謝の祭儀」と呼ぶようになりました。また、中世からミサに用いられるようになった旧約の祭儀用語(いけにえ、犠牲など)を用いることをなるべく避け、サクリフィチウムも奉献と訳すようになりました。p9
この刷新の根底には典礼の考え方自体の変遷があり、その考え方が深められたので具体的な典礼の刷新が可能になったわけです。p11
典礼は神と神の民との出会いであり、対話であり、交わりであると言われています。神から造られた人間が創造主である神に感謝と賛美をささげるために神の民が一つに集まるのです p12
典礼運動は、グワルディディーニ(ドイツ)、ボードウエン(ベルギー・フランス)、パルシュ、ユングマン(オーストリア)などの努力によって、司牧的な典礼と教会刷新の運動に展開していきました。この運動を学問的、神学的に支えたのは、ローマのカタコンベの発見などによるキリスト教考古学をはじめ、ドイツやフランスの典礼史及び典礼神学の広範にわたる研究が大きな力になったようです。・・・さらに神学的には、オード・カーゼルの「秘儀と秘義」(・・・)によって始まった神秘神学が新しい教会論、秘跡論と典礼神学を生むことになり、第二バチカン公会議の典礼刷新に大きな影響を与えたようです。こうして、いわば、ルブリカ・ミサという固定された典礼(トリエントミサのこと)の状態が続いていた間に、教会の中に典礼と教会を刷新する力が養われ、第二バチカン公会議の典礼憲章となって実を結んだと見ることができるでしょう。p174
確かに第二バチカン公会議のあと、典礼は変わってきました。これは急に変わったようですが、長い間の典礼運動の歴史がその背景にあって実を結んだのです。p215
典礼において絶えず新しい事が試みられることは、「旅する教会」の典礼にとって、ある意味で当然な、その本性から出ることなのです。p242

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