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アショフ『ミサの偉大さ』1960 トリエントの思想 いつどこでも何度でも同じということは時空を超えている

2016-02-19 | 本 推薦図書
ミサ聖祭のいけにえはキリストが十字架の上でささげられたいけにえの再現であります。それがミサ聖祭の本質であります。p19
十字架のいけにえとミサのいけにえとは本質は全く同じ一つのものであります。それぞれ違った二つのいけにえではなく、ただ一つのいけにえであって、キリストがカルワリオ山上でささげられたものであると同時に、神秘的方法で教会の祭壇の上に再現し給うたところのものなのであります。p20
十字架のいけにえもミサのいけにえも同一の司祭がささげるいけにえである。p20
十字架のいけにえもミサのいけにえも、同じ供えものをいけにえとしてささげる p21
十字架のいけにえもミサのいけにえも全く同じ効果をもたらす p23

ヘブライ人への手紙
9:25大祭司は、年ごとに、自分以外のものの血をたずさえて聖所にはいるが、キリストは、そのように、たびたびご自身をささげられるのではなかった。 9:26もしそうだとすれば、世の初めから、たびたび苦難を受けねばならなかったであろう。しかし事実、ご自身をいけにえとしてささげて罪を取り除くために、世の終りに、一度だけ現れたのである。 9:27そして、一度だけ死ぬことと、死んだ後さばきを受けることとが、人間に定まっているように、 9:28キリストもまた、多くの人の罪を負うために、一度だけご自身をささげられた後、彼を待ち望んでいる人々に、罪を負うためではなしに二度目に現れて、救を与えられるのである。

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