1985年
青年 神父様、いつもキリエグロリアサンクトスアニュスデイをラテン語でしていただいてありがとうございます。ところで、今度、全部ラテン語で昔のミサをしているピオ十世会とかいうところの司祭が、日本に来るからって友達に誘われたんですけど、ひとりで行くのは心細いので神父様も一緒にのぞきに行きませんか。
司祭 ああ、いいよ。
青年 神父様は、人の少ない平日のミサでは、手を洗うところは全部昔のラテン語を唱えていらっしゃるし、聖体拝領は口にしか授けないし、私がひざまづいて拝領するのも喜んでおられるので、もしかしたら関心をもたれるかと思いました。
(ピオ十世会のトリエントミサに出た後で)
青年 神父様、古いミサ、いかがでした?
司祭 とてもよかったよ。昔は全部そらんじていたんだよ。あのミサを見ながら、最初から動作も含めて思い出しながら一緒にしていたんだよ。そうしたら、結構、忘れてしまっていたよ。
青年 あのフランス人の神父様のラテン語は歌のように美しかったのでびっくりしました。神父様も、やればすぐ思い出すでしょうから、今度、古いミサをしてみてはどうですか。
司祭 ミサ典書がないんだよ。
青年 そうなんですね。そういえば、この前、□□教会にミサ典書とかリチュアーレとか大量にあるので、主任の神父様に使うことがあるんですかときいたら、「これらはいつか使うときもあるから」と大切にされているように言われたので、教会で大切にして、いつか使うときがくればいいなと思っていたんですよ。ところが、しばらくして主任司祭が変わって行ってみたら跡形もなく捨てられていたんですよ。
司祭 最近の若い神父はミサを何と心得ているんだろう。(ノブスオルドの)ミサ典書もぞんざいに扱って傷だらけにしているのをみたことがあるよ。
青年 今の神学校を出ている人はだめですね。
司祭 昔のも今のも同じミサだから今のでいいんだよ。それより、このところ、ミサをしていて、ありがたいとしみじみ感じるようになってきているんだよ。
青年 それは私も神父様のミサを拝聴していてよくわかります。本当にいつも心を込めておられて、すばらしいごミサです。心がこもっていれば、ラテン語でなくても、どんなミサでもいいですよね。これからもずっとここに通わせてもらいます。