カトリック情報

katorikku jyohou

禁書も書いている公会議の思想家:マリ-=ドミニク・シュニュ神父

2010-09-25 | V2 第二バチカン公会議
第二バチカン公会議は1960年代に多くのカトリック司教たちを崩壊させるという大混乱を起こしましたが,それが世界中の霊魂に及ぼした影響は計り知れません.従って,わたしたちはその本質的な問題についていくら考えても考え過ぎということはありません.なぜなら,問題は依然として,かなりの度合いでまだ私たちの身の回りに存在しており,それによる被害の度合いは過去にもましてますます強まってきているからです.第二バチカン公会議の行ったことは私たちすべての霊魂を地獄へ落とそうとしています.去年,イタリアの隔週刊行誌「シ・シ・ノ・ノ」 “Si Si No No” (訳注:「然り・然り・ 否・否」の意味.→新約聖書・マテオによる福音書第5章37節参照.…「〈はい〉なら〈はい〉,〈いいえ〉なら〈いいえ〉とだけ言え.それ以上のことは悪魔から出る.」…イエズス・キリストの御言葉.)が、第二バチカン公会議の草分け的「神学者」であるドミニコ会(訳注・1215年,聖ドミニコによって設立されたローマ・カトリックの修道会)所属のフランス人神父,マリ-=ドミニク・シュニュ神父 (Fr. Marie-Dominique Chenu ) のおかした主要な誤(あやま)りをまとめた記事を発表しました.以下はそれをさらに簡潔に要約したものです.ここで指摘された同神父の6つの誤りとは,神の場に人間を置くという問題の核心に触れるものです.(私は6つの誤りについて記述の順番を変えました.関連したお話を改めて別の「エレイソン・コメンツ」でしたいと考えたからです.)

1.人間に目を向けること.すなわち,あたかも神が現代人に適合すべきで,現代人が神に適合するのではないというふうに人間に目を向けることです.しかし,カトリック信仰とは常に人間を神に合わせようと努めるものであり,その逆ではありません.

2.神の啓示を現代的な考え方の下に置くこと.現代的な考え方とは,例えば,デカルト,カント,ヘーゲルの考え方です.そこにはもはや絶対的かつ客観的な真理は全く存在しません.あらゆる宗教上の見解は単なる相対的かつ主観的なものにすぎなくなります.

3.神の啓示を歴史的手法の下に置くこと.これは,真理はすべて,単に歴史的な背景から生じたものであり,歴史的な状況はいずれも変化してきたか現在も変化しているのだから,不変の,あるいは変え得ない(=変更不能な)真理など存在しない(訳注・原文 “so no truth is unchanging or unchangeable”. )という意味です.

4.汎神論的な進化を信じること.これが意味するところは,神はもはや地上の生物とは本質的に異なる創造主ではないということです.神は地上の生き物,すなわち動植物や人間となんら異なるものではなく,彼らと同じように進化によって生まれ,進化によって絶えず変化している,という考え方です.

5.宗教のことでは感情を最優先させること.たとえば,心における超自然的なカトリック信仰または意志における超自然的な神の慈愛のいずれよりも,宗教的な感傷体験を上位に置いて重視するということです.

6.善悪の相違を否定すること.すなわち,単なる人の行為の存在だけが世の中を良くすると主張することによって善悪の相違を否定します.今では,実際に行われるあらゆる人間の行為につき,その存在自体は善であるとし,それぞれの行為についてはその最終目的,すなわち究極的には神の御意思にそぐう(=合う)場合だけに限り道徳的な善となり得るにすぎず,神の御意思にそぐわない人間の行為のみが道徳的な悪となるにすぎないとする,とするのが事実です.

この6つの誤りは明らかに相互に関連しています.もし(1)宗教が私中心だとするなら,そのときは(2 と 3),私は神中心の宗教という現実から自分の心を隔てなければなりません.そして心が機能しなくなると,今度は(4)「どうしたってなにもないのだから」ということになり (訳注後記),その結果,すべてのものは進化すると考えるようになり,かくして(5)感情が支配することになります.(すると,宗教は人々が女性化されるという過(あやま)ちによって支配されることになります.なぜなら感情は女性の特権だからです.)こうして最終的には,感情が真理に取って代わり(6)道徳が崩壊するのです.

第二バチカン公会議の文書自体は,こうした誤りを明白に示しておらず,むしろ間接的に曖昧に(あいまいに)ぼかして表現しています.その理由は,同公会議に出席してはいたものの実情を十分に知らされていなかった多くのカトリック司教たちの支持票を得るために彼らの目を誤魔化(ごまか)す必要があったからです.
http://shinrinoiwa.blogspot.com/2010/06/blog-post_09.html

Although his book Le Saulchoir: Une école de la théologie was put on the Index librorum prohibitorum in 1942 by Pope Pius XII and the Holy Office, because of its then progressive ideas about the role of historical studies in theology, he was later exonerated and his theology embraced by the Fathers of the Second Vatican Council.
http://en.wikipedia.org/wiki/Marie-Dominique_Chenu